第四話 若頭と幹部
捩眼山に着いた頃には、空はすっかり暗くなっていた。
高度を下げて山に入ると、近くから複数の妖気が感じられた。そちらへ向かえば、白く伸びた髪の男と、背中から巨大な爪を生やした男が対峙しており、そばには白い着物の少女もいた。
爪を生やした男は知っている。牛鬼組跡目候補の牛頭丸だ。
「氷麗!」
「え、その声は……千月様……!?」
いきなり現れた黒狐に驚き、それが千月の声だと知ってさらに驚く。
ちょうどその時、白い髪の男が牛頭丸を倒した。彼の風貌はまさに──
「……総大将……?」
ぬらりひょんそっくりだった。……いや、ぬらりひょんではない。よく見れば細部が違うし、何よりぬらりひょんは東京の本家にいたではないか。ならば、思い当たる人物は一人しかいない。
「……もしかして、リクオ様?」
以前、妖怪として覚醒し、百鬼夜行を率いて出入りをしたと聞いたことがある。立派になられて、と千月は目を細めた。
「ん? 千月か?」
「あ……これは失礼致しました」
千月が人の姿になると、リクオが「おお」と声をあげた。
「随分昔からのじじいの客だと聞いていたが、妖狐だったんだな」
覚醒したリクオは、人間時とは性格も口調もまるで違う。しかし、同一人物である。
「氷麗、あなた傷が……!」
リクオから氷麗に視線を移せば、左足が赤く染まっている。この場で彼女を攻撃する者といえば──
「牛頭丸ですね……痛かったでしょうに」
つい先程までリクオと刃を交えていた牛頭丸しかいない。
千月が氷麗の傷口に手をかざすと不思議なことに痛みはやわらぎ、出血が止まった。
「わあ……凄いです! 痛くなくなりました! ありがとうございます!」
「おー、すげぇな」
「自然治癒力を高めて傷の治りを早める程度です。鴆殿の薬を塗ればもっと早く治るでしょう」
それから、リクオは同行すると言って聞かない氷麗を説得し、一緒に旅行に来ている人間の友人・家長カナに氷麗を預けるため、そちらへ向かった。
リクオが友人のもとへ向かっている間、千月はリクオに敗れた牛頭丸の傷の治癒を施す。傷の上に手をかざし、意識を集中させると、苦しそうにしていた表情が次第にやわらいでいく。
牛鬼組の誰も千月のことを知らないだろうが、千月は時折彼らの様子を伺っていたので知っている。牛頭丸は若く血気盛んな性格で、売られた喧嘩を買うことがある。あまり相手の挑発に乗らないでいてくれれば、と心配しながら、牛頭丸の顔にかかった髪をそっと指ではらいのけた。
もう長いこと牛鬼組を見守ってきたので、牛頭丸に対しては弟のような感覚を抱いている。彼に治癒を施したと氷麗に知られたら、本家の跡取りを殺そうと襲いかかってきた相手を手当てするなんて、と言われるだろう。それでも、千月は傷ついた牛頭丸を見捨ることなど出来なかった。
牛頭丸の治癒が終わった頃、リクオが戻ってきた。
治癒を施したことで何か言われるだろうかと密かに身構えたが、先程より表情がやわらいだ牛頭丸に少しばかり目を細めたところを見るに、咎めるつもりはなさそうだ。
「ところで、千月はどうしてここに?」
「梅若丸に……牛鬼に用事がありまして」
「奇遇だな。俺も牛鬼に聞きたいことがあるんだ」
千月は、捩眼山に来た理由を簡単に説明した。本家を訪問していると鴉天狗より報告があり、総大将の許しを得て千月も捩眼山に駆け付けた、と。
「なるほど。だが、三羽鴉が向かったのはわかるが、何で千月も来たんだ?」
「そ、それは個人的な事情と言いますか……」
何故か少し恥ずかしそうなそぶりを見せる。けれどリクオは深く考えず、ふうん、と相槌をうつだけだった。
「ま、とりあえず牛鬼の屋敷に行くとするか」
こうしてリクオと千月は、山頂にある牛鬼の屋敷へ向かうこととなった。
屋敷の門扉には見張り番がいたが、ぬらりひょんとしての特性で気付かれずに屋敷内に入り込めた。
二人とも牛鬼に用事があるのだが、今回リクオが命を狙われ、若頭としてけじめをつけるため、まずリクオが牛鬼の元へ行くことになった。
「梅若丸……」
千月は空を見上げる。雷鳴が轟き、雨が降り始めた。
そういえば、三羽鴉をまだ見かけていない。まずリクオの安全が第一だから、きっと山中を捜し回っているのだろう。彼らが見つけやすいよう、狐火をともした方がいいのだろうか。妖気で生み出す炎なので、多少の雨なら何ともないはず。
そんなことを心配していると、羽ばたく音が聞こえてきた。
「千月様!?」
飛んできたのは、黒羽丸とトサカ丸。ささ美はいない。
「お久しぶりです。あ、きちんと総大将の許可を得て来ましたから」
千月が先に断ると、それは構いませんがと返答があり、リクオ様を知りませんかと聞かれる。
「中にいらっしゃいます。ですが今はまだ……」
入らないように、と止めようとしたが間に合わず、二人はすぐさま障子を開けた。黒羽丸とトサカ丸が障子を開ければ、そこは血の海とまではいかなくとも、リクオと牛鬼の鮮血で床や天井が赤く染まっていた。
千月がそっと室内を見れば、牛鬼が仰向けで倒れている。
「……梅若……丸……」
ぽつりと呟いた名前は、しかし牛鬼には届かなかった。
牛鬼は倒れたまま、リクオに語り出した。いずれ奴良組が壊れることが、捩眼山という地にいるからこそよくわかるという。牛鬼の愛した奴良組を潰す者が許せないのだ、と。
だが、リクオには三代目を継ぐ意志と器があった。そのことに満足した牛鬼はゆらりと立ち上がると、刀の柄を握り締める。振り下ろした先は──牛鬼自身の腹。
千月が息をのみ、誰もが牛鬼の自害を想像したが、リクオだけが違った。祢々切丸で牛鬼の刀の刃を折ったのだ。
「何故止める? 私には、謀反を企てた責任を負う義務があるのだ……」
折れた刃は部屋の柱に刺さり、柄は牛鬼の手を離れ床に落ちる。
「何故死なせてくれぬ……牛頭や馬頭に会わす顔がないではないか……」
「おめぇの気持ちは痛ぇほどわかったぜ。俺が腑抜けだと俺を殺しててめぇも死に、認めたら認めたでそれでも死を選ぶたぁ……らしい心意気だぜ、牛鬼」
この謀反は牛鬼が考え、部下に実行するよう指示を出した。だから全責任は自分にある。責任感の強い牛鬼らしい考え方だ。
「だが、死ぬこたぁねぇよ。こんなことで……なぁ?」
リクオの言葉は、牛鬼を始めこの場にいる者の耳を疑わせた。
「若!? こんなことって……これは大問題ですぞ!」
「ここでのこと、お前らが言わなきゃ済む話だろ」
トサカ丸がリクオに噛み付くように諌めるが、さらりと流された。しかし、若頭には逆らえないため、兄弟二人はこれ以上何も言うことが出来なかった。
リクオは祢々切丸を鞘に納める。これで謀反は終了を告げた。
2011/04/05
2023/07/06 一部修正
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