第三話 鴉天狗の報告


 浮世絵町にある大きな屋敷。表にかけられた表札には奴良と書かれており、妖怪任侠一家『奴良組』の本家である。
 敷地内のあちこちには妖怪が存在し、いつ見ても賑やかな屋敷だと千月は微笑んだ。

「あ、千月様!」

 庭掃除をしている首無がこちらに駆け寄ってきた。

「お久しぶりです。総大将はいらっしゃいますか?」

「はい。こちらへどうぞ」

 * * *

 首無に案内された部屋の襖を開ければ、頭の長い一人の老人がお茶を飲んでいた。

「総大将、お久しぶりです。千月にございます」

「おお、千月か。久しいのう……何年ぶりかの?」

 ちとぼけてしまったかな、とぬらりひょんは笑い、千月に座るようすすめる。
 座布団に座って落ち着いた頃、失礼しますと部屋に入ってきたのは毛倡妓。豊満な肢体は昔と変わらず、今も胸の谷間を覗かせている。

「千月様、よくいらっしゃいました」

「毛倡妓も元気そうで何よりです」

 茶と茶菓子を差し出された千月が礼を言う。
 毛倡妓が退室し茶を一口すすると、ぬらりひょんが口を開いた。

「のう、千月……今でもあいつのことを……」

「まあ、総大将ったら、私が訪ねると真っ先にそれをお尋ねになるんですから」

 ふふ、と千月が笑うと、ぬらりひょんも冗談を交えて笑う。

「それはそうじゃろう。こんな別嬪が千年も独り身とは、男としては放ってはおけんからな」

「何百年も前に、初めて口説かれた時を思い出します」

 あれはまだぬらりひょんが珱姫と出会うずっと前のこと。どこの組にも属さない千月を気に入ったぬらりひょんが、奴良組に入らないかとの誘いの中に、いい女だといった口説き文句を贈ったのだ。
 それに対する千月の言葉は、受け入れられないという返答だった。

「これでも心配しとるんじゃよ。千月を知らないかと牛鬼に何度も聞いてはみたが、はぐらかされるばかりでの」

 奴良組で唯一千月の過去を知るぬらりひょんは、子を見守る親のような優しいまなざしを千月に向ける。

「無理もありません。まだ幼子だった私が勝手に決めたことです。彼が覚えているとは限りません」

 ──私のことを思い出したら、また笑顔を見せて欲しい。
 あの時梅若丸に伝えた言葉は、一人で決めたことだから約束にはならない。ぬらりひょんもわかってはいるが、これでは千月があわれでならない。
 やはり、彼女に本当のことを伝えるべきか──

「そういえばリクオ様は? 今、学校は連休のはずですが……」

 ぬらりひょんが思い悩んでいると、千月が話題を切り替えた。総大将の孫である奴良リクオとは親しく、屋敷を訪れるたびに遊び相手になるほど懐かれている。
 世間はゴールデンウィークという大型連休のはず。それなのにリクオの姿が見当たらない。

「ああ、リクオなら雪女を連れて、学校の友達の別荘に泊まりに行きおった」

 子供がおらんと静かだ、とぬらりひょんはのんびりと茶をすすった。

「氷麗もいないのですか……残念です」

 千月は氷麗のことを実の妹のように可愛がり、氷麗も千月を姉のように慕っている。そんな二人は、他人から見れば本当の姉妹に見える。それほどまでに仲が良いのだ。

「二人が戻るまで屋敷で待てばいい。どれ、若菜さんに今夜はご馳走にしてもらうよう頼んでくるとしよう」

 ぬらりひょんがよっこいしょと立ち上がり襖を開けた時、ちょうど鴉天狗がドタバタとした様子で廊下を横切った。

「鴉、何をそんなに慌てているのじゃ」

「あ、総大将! それに千月様も! これは失礼しました」

「鴉天狗殿、何だか前よりも更に小さくおなりに……」

 ぬらりひょんは何か問題でもあったのかと問い、鴉天狗は客人の前とは知らず申し訳ないと謝り、千月は昔よりも可愛くなったと笑う。三者はそれぞれ違った反応を見せた。
 しかし、鴉天狗の表情はすぐに険しいものへと改まる。

「総大将、牛鬼のことで少々ご報告したいことが」

 * * *

 鴉天狗の報告に千月も同席することになった。牛鬼のことで報告があるという鴉天狗の言葉を聞いた以上、気になるだろうというぬらりひょんの配慮である。
 鴉天狗は疑問に思ったが、総大将自らが同席を許したのだからとすぐに気持ちを切り替え、報告を始めた。

 鴉天狗の報告は次の通りである。
 彼の息子達の三羽鴉により、浮世絵町のカラスが、牛鬼が裏で何やら動いているという目撃情報を得たという。それに加えて青田坊より、リクオが捩眼山に向かっているとの連絡が入った。
 それら二つの情報のこともあり、鴉天狗は一足先に息子達を捩眼山に向かわせた。まだはっきりと裏切り者と決まったわけではないが、疑わしい動きをしている情報が出たのは確かだ。

「千月」

 ぬらりひょんが鴉天狗から千月へ視線を移す。

「おぬしはどうしたい?」

「……これは組の問題です。組の一員でない私が口を出して良いことではありません」

 そうだ。いくら奴良組総大将と仲が良く、組員とも顔見知りだといっても、自分は訪問する客人である。そんな部外者が首を突っ込むわけにはいかない。
 しかし──

「奴良組の組員でもない私が介入してはいけないと重々承知しております。ですが、もし許していただけるのなら、私も捩眼山へ向かいたいと思っております」

 これは個人的な感情だ。わかっていても、今すぐにでも捩眼山を目指したい気持ちは抑えられない。ぬらりひょんが駄目だと言っても、きっと駆け付けるだろう。それほどまでに彼のことが気になるのだ。
 わずかな静寂ののち、ぬらりひょんは口を開いた。

「なーにを改まっておるんじゃ。早く牛鬼の元へ向かってやれ。そのつもりで同席させたんじゃからな」

 牛鬼に関する件と知った以上、どうあっても捩眼山に向かうだろう。それほどまでに彼に想いをよせている。

「何せ千年の恋だしのう」

「そっ……総大将!」

 牛鬼に対する感情を知っているぬらりひょんがからかうと、千月の顔は赤くなり、恥ずかしさのあまり袖で頬を覆い隠す。

「え……ええ!?」

 ぬらりひょんの言葉と、千月の反応に、鴉天狗が驚きの声をあげる。恋とはつまり、千月が牛鬼を好きだということ。それも千年も前から。
 千月の牛鬼への恋心を知っているのはぬらりひょんだけなのだから、鴉天狗が驚くのも無理はない。

「行くのはいいが、条件が一つある」

 条件とは何だろうと、千月はぬらりひょんの次の言葉を待つ。

「牛鬼に会うこと」

「それは──」

「『出来ません』なんて言うのは聞き入れんぞ」

 予想外の条件を出されて戸惑う千月の言葉を、ぬらりひょんが遮った。

「いつ伝えようか悩んでいたが……牛鬼の奴はな、本当は千月のことを覚えているぞ」

「……え」

「おぬしについて聞くと、あいつは知らない覚えてないの一点張りだった。だがな、言葉や態度はごまかせても、目だけは違った……懐かしそうな目をしておった」

 信じられないというのが千月の気持ちだった。妖怪になった際、人間だった時の記憶はなくなり、母への愛以外は覚えてないだろうと思っていたのに。

「あいつと会うのが怖いか? あの時、間に合わなかった自分を責めているのか」

 図星だった。無理を言ってでも梅若丸に同行していれば、彼を逃がすことが出来たのに。結果的に母と死に別れたものの、逃げ延びていれば人として生き、人として生涯を全う出来たかもしれないのに。
 それに何より、彼が自分のことを忘れていたらと考えると、会うのを躊躇ってしまう。
 ぬらりひょんは、じっと千月を見つめる。

「あいつはそんなこと、微塵も思っちゃおらんよ。ま、とりあえず行って、はっきりさせてこい」

 ここで押し問答をしていても、時間を無駄にするだけだ。それならば実際に会って確認するのが一番だとぬらりひょんは言う。

「ですが……」

「何じゃ、わしが信じられんのか?」

「いえ、そういうことでは……」

「だったら早く牛鬼のところに行ってやれ」

「……はい」

 ぬらりひょんの優しく諭すような言葉は、困惑に揺れていた千月の心を落ち着かせた。


 外に出れば少し強い風が吹いている。すでに日没時刻は過ぎ、東の空は暗くなっていた。あと少しで闇が訪れる。

「朧車を用意させましょうか?」

 鴉天狗がぬらりひょんに尋ねるが、それは不要だと返ってきた。捩眼山までかなりの距離があるのにどうやって行くのだろう。そう疑問に思っていると、千月の姿が変化していった。
 四本足で地面を踏み、三角の耳がピンと立ち、長い尾が生える。全身は黒檀のように黒く艶のある獣は、まさに狐であった。
 鴉天狗がぽかんとして、目の前の狐を見つめる。

「妖狐でしたか……」

 驚くのも無理はない。何百年も奴良組に訪れるのだから妖怪なのだろうと思っていたが、どんな妖怪かまでは知らなかったのだから。

「それでは、行って参ります」

「あっ、リクオ様にお会いしたら無茶はしないよう伝えてください。それと、雪女や青田坊にも……」

「おい鴉、お前は相変わらず心配性じゃのう」

 少し困ったようにぬらりひょんは笑みを浮かべる。
 やがて千月は飛び立ち、西の方角へ消えていった。その姿は夕日の光を受けて煌めき、妖怪とは思えないほど美しかった。

「綺麗ですなぁ」

「うむ。さすが神の娘じゃ」

「え?」

 神の娘。
 聞き違いだろうかと鴉天狗は首を傾げ、ぬらりひょんを見上げる。

「親が妖狐と神でな。自然にあるものなら操れるそうじゃよ」

「な……何と……」

 妖と人が交わるのはぬらりひょん自らがやってのけたが、妖と神が交わった事例は聞いたことがない。
 さて夕食は何かのう、とぬらりひょんは部屋に戻っていった。
 鴉天狗は千月が駆けていった西の空を見上げていたが、今はリクオ達の帰還と、三羽鴉の報告を待つしかない。鴉天狗も、ひとまず夕食の時間を迎えようと屋敷に戻ることにした。


2011/04/01
2011/04/15 修正
2023/07/06 一部修正

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