第二話 少女の約束


 梅若丸と別れたあと、千月は彼とは別方向に進み、小さな村落を訪れていた。子供の一人旅ということもあり、村人から食事を分けてもらったりしている。

「この辺りで、何か妖怪の類が出るといった噂はご存知でしょうか?」

 千月は妖狐で、各地を転々としている。まだ幼いためその土地の妖怪について知らないことが多いので、こうして人間と接触し、情報を得ている。無知のまま、他の妖怪の懐に飛び込む真似はしたくない。

「そうだねぇ……特にこれといって聞かないね」

 食事をくれた女性がうーんと唸るが、この近辺では妖怪は出ないと答えた。

「お、何してんだぁ?」

 通りがかりの男性が、千月に目を止めた。
 旅をしているので、妖怪と出くわさないようにといろいろ話を聞いているのだと千月が説明する。もちろん、自分が妖怪であることは伏せて。
 すると、男はそういえばと呟いた。

「捩眼山って知ってるか? ここからは離れてるんだが、そこに『牛鬼』っていう妖怪が出るって噂を聞いたことがある。あまりに恐ろしくて、地元の人間すら立ち寄らないんだとよ」

 人づてに聞いた噂話ではあるが、少しでも役に立てればと思った男は、まったく怖いもんだ、とため息をつきながら千月に話す。

「牛鬼、ですか……」

「嬢ちゃんも小さいのに大変だな。危ない場所には近付くんじゃないぞ」

 * * *

 食事をくれた女性と、牛鬼の噂を教えてくれた男性に礼を述べ、千月は再び旅路を行く。
 歩いている間、牛鬼の噂話がずっと気になっていた。
 捩眼山。確かにこの地からは離れている。
 梅若丸と別れて一日が経過しているので、もう琵琶湖に着いている頃だろう。無事だとは思うが──

 牛鬼の話を聞いてから、千月は落ち着かなくなっていた。底知れない胸騒ぎがわきあがってくるのだ。たまらず不安になった千月は、梅若丸を追いかけることにした。
 人の姿では追いつけない。急がなければ。
 周囲に人間がいないことを確かめたのち、千月は本来の姿へと変わった。まだ子供であるため体は小さいものの、見事な黒い体毛を持つ狐が現れた。
 しっかり地面を蹴り、高く跳躍する。空にのぼれば、あとは駆けるだけ。これは生まれ持った能力のひとつで、空を駆ければ鳥よりも速い。加えて、人間には視認出来ないよう姿を隠すことも忘れない。
 目指すは琵琶湖。胸騒ぎが的中しないことを祈りながら、千月は空を駆けた。

 人の姿に戻った千月は琵琶湖周辺を探すが、梅若丸は見つからなかった。
 何人もの通りがかりの人間に、梅若丸の特徴を伝えて行方を知らないか尋ねると、幸運にも特徴に一致する少年を見たとの返答があった。その話によれば、二人組の若い女と一人の少年が、琵琶湖とは反対の方向へ歩いていったという。
 再び狐の姿で空を駆け、聞いた話のとおり琵琶湖の反対へずっと行くと山が見えてきた。

「……!」

 麓まで寄るが、強い妖気に気圧されて足がすくむ。
 捩眼山。牛鬼の棲む山。そのため、山に近付くにつれ人間の数も少なくなり、麓には千月以外誰もいない。
 梅若丸がこの山に入ったのなら、早く連れ戻さなくては。そう決心した千月は、妖気漂う山の中へ入った。

 * * *

 山の中は、より一層強い妖気に満ちていた。山中を駆ければ、暗闇の中にうごめく大きな陰影が見えてきた。

「貴族の肉はうめぇなぁ! この女も大津の地で、わしらに騙されてのこのこやって来た」

 それは巨大な牙や爪を持つ妖怪で、その妖怪の口には、今にも喰われそうな少年の姿があった。
 あわれな親子だ、と妖怪は笑う。
 強い妖気はあの妖怪から感じる。あれが牛鬼なのだろう。

「良かったなぁ、再会出来て。わしの口の中でなぁ……」

 牛鬼は大きな口を歪ませて再び笑う。その口の奥に、生気が感じられない黒髪の女性が見えた。
 ──彼女は、既に絶命していた。
 せめて梅若丸だけでも救わなければ。千月は牛鬼の動きを止めるため、地面を隆起させて足と足の間に割り込ませた。それはまさしく檻のようだ。

「梅若丸!」

 千月が叫ぶも、梅若丸は反応を見せない。聞こえてないのだろうか。
 もう一度呼びかけようとした時、牛鬼がこちらを睨みつけた。

「何だ、妖狐の子供かぁ? あとで喰ってやるから──」

 子狐だと甘く見た牛鬼の言葉は、最後まで続かなかった。槍のように鋭く尖った地面が、腹を貫いたからだ。

「っ……貴様ぁぁ……!」

 爪を千月に向けようとするが、大地の檻はがっしりと牛鬼を捕らえ、身動きを許さない。
 千月が牛鬼の口へ視線を戻すと、先程は前歯辺りにいた梅若丸が、今は奥の方にいる。手を伸ばすその様は、再会した母に触れたい、ひとりの子供だった。

「いけません、梅若丸! そちらは……!」

 何度も呼びかけるが、梅若丸は振り向こうとはしない。
 やがて母の骸を抱いた梅若丸は牛鬼の腹を突き破る。
 ──魔道に堕ちた瞬間だった。
 梅若丸が腹を突き破って出たため牛鬼は息絶え、巨体は地面に力無く倒れ込んだ。
 母を抱いた梅若丸は地面に降り立った。彼は千月が出会った時とはまったく別の様相だった。高い位置で一つにまとめられた髪はほどけ、整った顔立ちはまるで鬼のように変わっている。

「ひっ……」

 やや離れた場所にいる二人組の女性を梅若丸が睨めば、彼女達は恐怖に顔を引きつらせた。母を喰らった牛鬼の次は、山に誘い込んだ自分達が標的だ。危険を感じて逃げ出そうとしても、恐怖で体が動かない。
 二人の女性も、牛鬼に続いてその命を絶たれることとなった。

「……梅若丸……」

 母を殺した牛鬼に対する憎悪で霊障にあてられた梅若丸は、もう人間ではなくなっていた。千月が静かに名を呼ぶと、彼はゆっくりと振り向く。
 狐のままではわからないだろうと思い、人の姿に変わってみる──が、彼に変化は見られない。

「千月です。おわかりになりませんか?」

 そっと歩み寄って話しかけるが、彼は反応を示すことはない。それどころか千月が手を伸ばせば、手の甲に痛みが走った。妖と化した梅若丸の鋭い爪で切り裂かれたのだ。
 母の骸を胸に抱いたその姿は子の情念を感じさせる。しかし、彼はもう人ではない。
 千月の手の傷口からは、ポタポタと血が流れている。そんな傷の痛みよりも、理性を失い拒絶され、救えなかったことによる胸の痛みの方が上だった。

「……申し訳ありません。私がもっと早く来ていれば、このようなことには……」

 下手に刺激すれば、次は手の甲だけでは済まないかもしれない。まさに一触即発。それでも千月はゆっくりと近付き、梅若丸の後ろからそっと抱きしめた。

「いつでも構いません……いつか私のことを思い出したら、先日出会った時のようにまた笑顔を見せてください」

 それが明日になるか一年後になるか、それとも何百年もあとになるかはわからないが、彼の笑顔をもう一度見たい。

「私が生きている限り、お待ちしております」

 梅若丸にそう伝えると千月は彼から離れ、暗闇へと消えていった。

 * * *

 その後、妖怪となった少年は山の妖怪を引き連れて人里を襲い、母の菩提を弔うために死体を積み上げる。
 やがていつしか牛鬼と呼ばれるようになり、配下の妖怪達も増えて一大勢力を築き上げた。
 しかし、奴良組との抗争に負けて配下に下る。

 それからはるか未来。
 一人の少年が妖となってから、奴良組総大将の孫として三代目を継ぐか継ぐまいかの問題が浮上した頃、奴良組本家に、一人の着物姿の女性が訪れた。


2011/04/01
2023/07/06 一部修正

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