第一話 夕暮れに出会う
一人の少年が旅をしていた。出発地は比叡山、目的地は京都。もっと歩けば琵琶湖が見え、集落もある。大人の足であればまだ先に進めたのだろうが、まだ十二の子には長い道のりである。
ここは森の中。そろそろ日没が近いので、寝る場所を探さなければいけない。
幸いにもこの近辺で賊が出るという噂は聞いていない。妖怪の噂も、聞いていない。
とりあえず、完全に暗くなる前に寝場所を確保しよう。疲れきった足を引きずるようにして、木々の合間を行く。
ガサリ──
薄暗い静かな森に物音が鳴り響く。夜盗か、妖怪か。
少年に緊張が走り、物音がした方向を警戒する。
「誰だ」
相手が襲いかかってきても逃げられるように、慎重に気配を探る。
しばらくして木の陰から出てきたのは小さな少女だった。癖のない艶やかな黒髪、白く柔らかな肌、澄んだ瞳。着物の柄は地味だが綺麗な色合いで、旅をするような格好ではない。
「……何故このようなところに? 旅をしているようには見えないが……」
「あ……いえ、その……」
少年が訝しむと少女は言葉に詰まる。もしかして迷子なのだろうかと問えば、少女は違うと首を横に振った。何か事情があるのかもしれない。
あたりがだいぶ暗くなってきた。早く野宿出来そうな場所を見つけねば。
無駄かもしれないと思いつつ、少女に尋ねてみることにした。
「もう夜になる。もしこの辺りで野宿が出来そうな場所を知っているなら教えて欲しい」
すると、少女はゆるりと周囲を見回し始めた。相手は自分と同じか、あるいはいくつか年下に見える少女なのだ、知らなくとも無理はない。
少年が諦めて、手間を取らせて悪かったと少女に詫びようとした時だ。少女が、宵闇迫る森の奥を指差した。
「こちらに。ついてきて」
少女に導かれて辿り着いたのは、少しひらけた場所だった。背の高い木々よりも低木や草が生え、小さいながらも澄みきった川がある。
少年を案内すると「少し待っていてください」と残し、少女はすぐに森の中に姿を消した。
しばらくして戻ってきた少女は、果実を両腕に抱えていた。
「これ美味しいんです。どうぞ」
「ありがとう」
少女からいくつも果実を受け取ると、少年は包みを開き、握られた飯を少女に差し出した。
「私は大丈夫ですから」
「果実をいただいた、その礼だ」
「……ありがとうございます」
最初は遠慮していた少女だが、少年の好意をありがたくいただくことにした。握り飯を受け取り、二人並んで座る。
「そういえば、まだ名乗ってなかったな。梅若丸という」
「私は千月です」
互いに名乗った梅若丸と千月は食事をしながら、軽く談話をした。
梅若丸は、幼い頃に父を亡くし、菩提を弔うために比叡山の寺に入ったこと。しかし、賢さゆえに寺で学ぶ同僚達に妬まれ、寺には自分の居場所がないことを悟り、優しい母のもとへ戻る途中であること。
「千月は……近くの里の子か?」
「はい、そんなところです」
出会ったときのことを思い出した梅若は聞いてはいけないものかと思い、遠慮がちに千月の顔を伺うと、意外にもあっさり答えが返ってきた。
それから食事を終わらせた二人は、明日に備えて眠りについた。
一夜明けて、森に朝日が差し込んできた。梅若丸が目を覚まして辺りを見回すと、昨夜隣で寝ていた千月の姿が見当たらない。
「千月……?」
パチ、と小さな音が聞こえる。そちらを見やれば、小さめのたき火があり、細い枝に魚を刺して火のそばに立て掛けてある。
「あ、起きたんですね。おはようございます」
「おはよう……その魚は、千月が?」
「はい。美味しいですよ」
千月の言ったとおり、川魚は丸々としており、寺に入ってからは質素な食事だった梅若丸にとっては、久々のご馳走であった。じっと魚を見つめていると、千月の眉尻が次第に下がっていった。
「……もしかして、お魚はお嫌いですか?」
「いや、ずっと寺にいたから、こんなご馳走は久しぶりで」
本当に何年ぶりだろう。優しい母と過ごした日々が懐かしい。その母に会うためにも、今は京都へ急がなければ。
「良かった」
にこりとした千月の笑顔は、これまでの旅の疲れが癒されるようだと梅若丸は思った。
それから二人は並んで食事を始めた。
* * *
朝餉を取り、発つ準備を済ませた梅若丸は、改めて千月に向き直った。
「もう行ってしまうのですね……」
名残惜しそうに呟き、うつむいた。梅若丸は聡明で会話も楽しく、この時間がずっと続けばいいのに。
しかし、自分のわがままで彼を引き止めてはいけない。
「千月……本当にありがとう」
千月がいたから助かった、と梅若丸は笑ってくれた。
二人が休んだ場所は、人が通る道から少し離れたところにある。梅若丸が迷わないように、千月は道に出るまで彼を案内することにした。
「こちらです」
千月が手を差し出すと、梅若丸がしっかり握り返してくれた。
気持ちの良い朝の森を、子供二人が歩いていく。やわらかな朝日は木々の間から漏れ、地面を踏み締める音や、草木の触れ合う音が周囲に響いている。
しばらくして道に出ると、千月と梅若丸は改めて向き直った。
「梅若丸、道中お気をつけて」
「千月も元気で」
朝日が満ちる森で、二人は別れた。お互い無意識に再会を祈りつつ。
それが、近いうちに叶うとは知らずに。
2011/04/01
2023/07/06 一部修正
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