第二十六話 京都からの来訪者


 奴良リクオが奴良組総大将代理として四国八十八鬼夜行を返り討ちにしたという話は、妖怪任侠の世界で急速に広まっていった。それと同時に、弱まっていた奴良組の『畏』の威光も再び回復し、一時奴良組を離れていった者の中で、帰る者が増えた。
 逆に敵対勢力の存在は、リクオの勢いを脅威と感じていた。
 それは妖怪だけには限らず──

 * * *

 奴良組本家は、様々な妖怪達で今日も賑やかだ。広い敷地内を自由に闊歩する妖怪、池で釣り糸を垂らす妖怪、屋根の上でのんびりと過ごす妖怪。
 各自の時間を過ごしている妖怪達に、鴉天狗が集合するよう声を響き渡らせた。

「皆の者、集合!」

 庭に姿を現したのは鴉天狗とその子供三人。彼らの手には何やら層になった黒い物を持っていた。
 一体どうしたのだと妖怪達が鴉天狗親子の元に集まる。氷麗や首無も彼らの元へ行けば、黒い物を手渡された。

「ただいまー」

 明日から夏休みだ、と学校から帰宅し嬉しそうに笑みをこぼすリクオが目にしたのは、庭で行列を作っている組員だった。

「おかえりなさい、リクオ様。さあ、どうぞ」

 氷麗が出迎えと同時に黒い物を差し出してきた。どうやら羽織らしく、氷麗がリクオの肩にかける。
 状況を呑み込めないまま、鴉天狗の「せーの!」というかけ声で、羽織に袖を通した妖怪達が一斉に同じポーズになった。羽織の背には『畏』の文字と菱形の模様が描かれている。

「何これ!? 恥ずかしいよ!!」

「何言っているんですか、リクオ様! これくらいやった方がいいんです!」

「いけてますいけてます!」

 揃いの羽織とポーズに羞恥心を感じて頭を抱えるリクオに、氷麗や首無がそんなことはないと説得する。
 これは揃いの羽織を着用し、結束を固めようという意味で鴉天狗が用意したものだ。そのことが気に食わない一ツ目入道をはじめとした反リクオ派はやや離れたところから、羽織を着用した組員達を冷ややかに見つめる。

「いいですかリクオ様、妖怪で大事なのは『畏』を集めることです」

 鴉天狗がリクオに、『畏』を集める大切さを説き始めた。
 現在、奴良組の団体数は70で、遠い昔、百鬼夜行と言われた頃には遠く及ばない。さらにその中で、奴良組の威光が届く数は40ほど。行方知れずや常時欠席者も多いのだ。この浮世絵町内でさえも威光が届かない者がいる。

「何とかしてそんな奴らを再び奴良組に戻し、再興しましょう。四国のように、もし『関西』が攻めてくるようなことがあれば、我々はおそらくひとたまりも……」

「わかってるよ、鴉天狗。僕は必ず奴良組の百鬼夜行は再興する。でも、これから入る奴は僕が相応しいか見極めるから!」

 鴉天狗の言葉を遮ったリクオは、決意に満ちた瞳を鴉天狗に向けた。その表情からはもう揃いの羽織を恥ずかしがる様子は消え、団結力が上がる羽織だねと朗らかに笑った。

「皆様どうなさいました?」

 家事の手伝いをしていた千月が休憩ついでに庭先に出てみれば、多くの妖怪達が黒い羽織を着用している光景に出くわした。それに気付いた牛鬼が一枚の羽織を千月に差し出す。

「若が百鬼夜行の再興を約束して下さったのだ。結束を固めるために、鴉が羽織を用意したそうだぞ」

「そうでしたか。ありがとうございます」

 千月は羽織を受け取り、すぐに肩にかけた。生地は黒一色で、背に菱形の模様と『畏』の文字というシンプルなデザインだ。
 そういえば牛鬼組の年若い部下二人は何処にいるのだろうと周囲を見渡してみれば、樹上に彼らの姿を確認出来た。きっと牛頭丸と馬頭丸は着たがらないだろう。そんな二人組にも着せようと、羽織を持った牛鬼と千月は部下のいる木へ向かった。

「けっ……浮かれやがって……だから奴良組はなめられんだよ」

 リクオに反発する者は一ツ目入道だけではない。牛頭丸もその中の一人だ。木の上でリクオを見下ろし、愚痴をこぼしていた。

「俺達牛鬼組はあんなことしなくても固い結束で……」

 ふと視線と気配を感じてすぐ下を見れば、羽織を持った牛鬼と、羽織を肩にかけた千月がこちらを見上げていることに気付いた。

「って、牛鬼様、その三枚の羽織は一体!?」

「千月様、肩にかけてるし……何でこっち見てるんですか!?」

「ほら、お前達もこれを」

「一緒に着ましょう。ね?」

 樹上の牛頭馬頭コンビと樹下の牛鬼組夫婦の、羽織を巡る攻防が展開される一方、鴆は揃いの羽織を貰った嬉しさのあまり吐血し、ぬらりひょんや木魚達磨は浮かれる組員に呆れて溜息をついた。それでも奴良組に若い勢いが出てきたことに、ぬらりひょんは素っ気ない態度を見せながらも内心満足そうに鼻を鳴らした。

 * * *

 夕暮れにもなれば、昼間せわしなく鳴いていた蝉もおとなしくなり、西の空は茜色に染まる。これから先は妖怪達の領分だ。

 リクオは、連絡の取れなくなったクラスメイト・花開院ゆらを捜して廃ビルに向うと彼女を見つけた。学校を休み続けていたゆらは、ここで陰陽師としての修業を一人で行っていたという。
 空腹のゆらにリクオが菓子を渡した。以前、彼の祖父からも菓子を頂いたことを思い出す。二人とも優しくしてくれた。妖怪との繋がりをわずかに疑いつつも、優しい彼らが妖怪と繋がるわけがない。

 ──もしも妖怪なら、倒さなくてはいけない。

 妖怪は絶対悪と教わったゆらが葛藤していると、二人の人間がやって来た。一人は人相の悪い和服の男で、もう一人は高身長で無表情の男だった。
 ゆらの兄・花開院竜二と、花開院魔魅流で、両名ともに腕の立つ陰陽師だ。
 何故彼らがこの町にとの疑問に、妖怪退治だと答えた竜二がリクオを襲い、ゆらがリクオを守ったことで兄妹の陰陽術がぶつかり合うも、長続きはしなかった。兄が妹を打ち負かしたのだ。
 だが、妹への余りの追い打ちにリクオが我慢出来ず妖怪の姿へと変わり、ゆらを庇った。始めは竜二が優勢に立っていたが、しばらくして優劣が逆転した。負傷した竜二は、簡潔に魔魅流へ指示を出す。

「やれ、魔魅流。さっさと始末しろ」

 竜二の言葉に従い、夜の姿のリクオに魔魅流が飛びかかった。

「奴良君!」

「闇に……滅せよ」

 魔魅流の手がリクオの顔の直前まで伸びた時、紐が魔魅流の手を絡め取り、動きを止めた。

「はい、そこまでだ」

 暗くなり始めた廃ビルに、青年の声が静かに広がった。
 紐を操っているのは首無で、魔魅流を厳しい視線で見据える。

「その手を引っ込めるんだ、浮き世の人よ。でなきゃ、ただじゃあ……すまないよ」

「何だ、もう一匹妖怪か? はっ!」

 紐は細いながらもしっかりと魔魅流の腕に絡まり、動きを封じている。
 首無の姿を確認した竜二は、鼻で笑うと攻撃を仕掛けようと動いた──その時だ。

「牛鬼様、あれは何です?」

「あれは陰陽師という、妖怪から人を守る役目を負った能力者だ。よぉく知っておけ」

 首無に続き、牛鬼組も姿を現した。だが、人間の動きを封じたりする素振りはなく、様子を伺うだけだ。

「強いんですかね」

「牛頭……その爪をしまえ」

 牛頭丸は面白がって背中から大きな爪を生やし、人間へ向ける。牛鬼は、それ以上茶化すなと釘をさす。

「おいおい、こっちもかよ……」

 竜二が牛鬼達に振り返る。直後、妖気の大きさに男二人と少女は気圧された。いつの間にか、周囲を大小様々な妖怪達に包囲されているではないか。

「でたらめな数じゃねぇか」

「お兄ちゃん、これ百鬼夜行や」

「百鬼夜行!? ふざけるなよ。だとすればこの中に……」

 百鬼夜行なら、それを率いる大将がいるはずだ。そいつはどれだ──いや、捜すまでもなく目の前にいた。つい先程まで自分達と交戦し、妹の友人という妖怪だ。

「俺は関東大妖怪任侠一家・奴良組若頭。ぬらりひょんの孫、奴良リクオだ」

「ぬらりひょんの……孫、だと……!?」

 青田坊や黒田坊、毛倡妓に三羽鴉といった主力組員がそばにいる彼こそが奴良組若頭であり、ぬらりひょんの孫だということに、竜二は元から悪い人相を更に歪ませた。

「大丈夫ですか、リクオ様」

 怪我を負ったリクオの隣に千月がしゃがみ込み、治癒を施す。

「気にすんな、たいした怪我じゃねぇ」

 心配そうに顔を覗き込んでくる千月に、リクオは大丈夫だと笑みを返す。それでも心配だった千月はリクオの頬に手を当て、治癒を施す。

(何だあの女……妖怪? ……いや、妖気だけじゃねぇな)

 リクオの頬に当てた手が淡く光っている光景に、竜二は眉をひそめた。治癒能力を持っている妖怪──にしては、纏う雰囲気や力が妖気だけではないことを察知する。

「みんな待って! ずるいですよ、置いていくなんて」

 ぱたぱたと軽い足音をたてて遅れてやって来たのは氷麗だった。しかし、慌てて来たせいで、その格好は人間時のものだ。慌てたついでに転倒してしまい、妖怪とは思えないほど間の抜けた登場となってしまった。

「及川……さん?」

「……ん?」

 人間への擬態を解いていないため、氷麗はゆらに正体を明かしてしまうこととなった。彼女ら二人共に衝撃を受けている間、魔魅流が動いた。首無の放った紐が断ち切られ、再びリクオに襲いかかったのだ。

「妖怪ぬらりひょん……滅すべし」

 けれど、またしても魔魅流の手はリクオには届かなかった。奴良組の特攻隊長である青田坊と黒田坊が魔魅流を押さえ込む。 

「やめろ魔魅流、そこらへんにしとけ!」

「……やめない。妖怪は見逃さない」

「冷静になれよ。この数に勝てると思うのか?」

「勝てる」

 竜二が魔魅流に退けと言うが、魔魅流は聞く耳を持たなかった。そんな彼に言葉だけではおとなしくならないと判断した竜二は、式神を用いて魔魅流の動きを制限させた。

「やめろって言ってんだ。二人じゃきつい。大体、俺達はゆらに伝えることがあって来たんだろ」

 目的を忘れるなと竜二は魔魅流を叱責し、ゆらに向き直る。

「訃報だ、ゆら。秀爾と是人が死んだ──奴らが動き出したぞ」

 竜二の言葉に、ゆらは目を見開いた。
 奴とは花開院家の宿敵であり、京都の妖を束ねる大妖怪・羽衣狐のことだ。さらに、花開院家が京都に張っている八つの結界のうち、二つを破ったことも伝えた。

「当主・花開院秀元は魔魅流を本家に加え、修業中の身であるお前まで呼び寄せた。言っている意味がわかるな?」

 まだ中学生で陰陽師としては未熟な妹だが、理解出来ない年齢でもない。竜二は言葉を曖昧にすることなく、率直に現状を述べた。

「事態は思ったより悪い方向に進んでいるぞ。ゆら、京に戻ってこい」

 竜二は祢々切丸をリクオに向けて投げ、「二度とうちには来んじゃねぇ。来ても飯は食わさん!」とぬらりひょん宛の言づてをリクオに告げた。どうやら竜二の祖父からの伝言らしい。
 祢々切丸を大事にしろと言い残すと、竜二は魔魅流を連れてリクオ達に背を向けた。

 祢々切丸は妖怪だけを斬る陰陽師の刀だ。何故妖怪のリクオが所持しているのだろうか。
 これがもし祢々切丸ではなく他の刀であれば、リクオから攻撃を受けた際、致命傷を喰らっても不思議ではなかった。それなのに祢々切丸だけを所持しているということは、人間の命を奪うつもりがないということか。
 妖怪のくせに恩情をかけたのか、と竜二は苦虫を噛み潰したような顔になった。

「竜二、結界を二重に仕込んでいたのに、何故奴らを倒さない?」

「口出しをするな、魔魅流」

 まだ不服そうな魔魅流に、竜二はそれ以上言うなと制する。

「人間の血に敬意を払うのはこれが最後だ──ぬらりひょんの孫。灰色の存在も、俺は認めんぞ」

 陰陽師は正義の白、妖怪は悪の黒──この二つに分けられる。だから妖怪は絶対悪で、徹底的に滅すべき存在だ。
 だから、妖怪と人間の混血であるリクオは、竜二にとって許しがたい相手だ。今回だけは人間の血に免じて自分から身を引いたものの、リクオを認めたわけでないと竜二は呟き、奴良組の前から姿を消した。

 町に突然やって来て若頭を襲い、用事が終わればあっさりと手を引いた陰陽師達に、妖怪達は呆気にとられる他なかった。

 * * *

 奴良組本家。
 百鬼夜行から戻った妖怪達が各々の時間を過ごしている中、ある部屋からは悲鳴とも怒号ともとれる少女の声が聞こえてきた。

「嫌ぁー! 嫌や! 何で妖怪なんぞに治療されなあかんねん!」

 花開院ゆらの声だ。彼女は修業と兄から受けたことによる傷を治療するため、リクオの意思で奴良組本家へ連れてこられた。
 陰陽師なので妖怪からの施しは不要だと喚くのも無理はない。

「私も嫌です! でも若のご命令なんだから仕方ないでしょ!」

「何が若や! 妖怪のくせにいけしゃーしゃーと学校来て!」

 リクオからゆらの傷の手当てを任された氷麗と千月であったが、なかなか手当てをさせてくれないゆらに二人は手を焼いていた。
 どうも氷麗とゆらは、妖怪と陰陽師という関係のため折り合いが良いとは言えないようだと、千月は二人を交互に見つめて察した。

「ゆらさん、お願いですから手当てをさせて下さい」

「だから、妖怪に手当てされたくないんや!」

「ちょっと! 私だけならまだしも、千月様のことそんな呼び方しないでちょうだい。えらーい神様の血を継いでいるんだから!」

 まるで自分のことのように胸を張る氷麗は、姉自慢をする妹みたいで可愛いらしい、と千月は小さく笑む。
 一方、ゆらは怪訝な表情を浮かべる。

「は……神様……?」

「そう! アメノミナカヌシノカミ様っていう、とっても偉い神様」

「有名ではないので、ご存知ないかもしれませんが」

 日本神話に登場する神は、アマテラスやツクヨミ、スサノオあたりが有名だが、アメノミナカヌシノカミはそれほど有名ではないため、ゆらが知らなくても無理はない。千月は苦笑した。

「少しの間、じっとしていて下さいね」

 千月がゆらの頭の上にそっと手をかざす。ゆらは思わず肩を竦ませるが、危害を加える様子はない。緊張しつつ何をするのかと待っていれば、ちょうど頭のてっぺんから穏やかなぬくもりを感じた。その感覚は日光で暖められた春のそよ風のように全身に広がっていく。ほどなくして傷の痛みは鎮まり、傷口も幾分か塞がっていた。

「あくまで自然治癒力を高める程度ですが、やらないよりは早く治りますよ」

 まだ緊張した面持ちのゆらを安堵させようと、千月はにこりと笑った。

「妖怪、と……神様の……?」

 千月からは確かに妖気が感じられる。が、妖気と一緒に別の気配が伝わってくる。妖気のように身体が竦むようなものではない。禍々しさのない、清流のような感覚。
 心地良いその感覚にゆらがぼーっとしている間、千月は手早く傷口に薬を塗りガーゼで覆い、包帯を巻き終えた。
 最後に包帯を巻いたのが氷麗だったせいか、ゆらは我に返って氷麗に敵意を向けた。

「滅したる──ガボォ!」

「黙ってて!」

 式神を召喚しようと札を構えるも、氷麗が作りだした氷塊で口を塞がれてしまった。
 女の子なのにこんなに傷だらけになって、と溜息をつく氷麗に対して、ゆらは屈辱を感じていた。

「えーかげんにせんかい! もうええっちゅーねん!」

 敵意と屈辱で限界に達したゆらは、部屋を飛び出して庭へ向かった。

「もう! せっかく千月様が手当てして下さったのにお礼の一つも言わないで!」

 何て礼儀知らずな人間なの、と憤慨する氷麗を、千月はなだめる。

「まあまあ、陰陽師なのですから仕方ありません。あの子と接し続けていれば、いずれ妖怪への理解も示して頂けるでしょう」

「そうでしょうか……」

 人間と妖怪は、対極的な存在だ。陰陽師が妖怪を理解し、友好的な態度をとるとは思えない。
 問題が問題なだけに、たやすく解決するものではない。だが、ぬらりひょんと珱姫、鯉伴と若菜のように、もっと多くの妖怪と人間が互いに歩み寄れる時が来れば良いのに。千月はそう願わずにはいられなかった。


2017/04/02
2023/07/07 一部修正

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