第二十五話 祝言
土曜日、大安。天気は快晴。
朝になると本家組員の大半の動きはおとなしくなるのだが、今日は朝になっても彼らの活動は静まることはなかった。何せ、今日は牛鬼と千月の祝言が行われるのだから。
特に忙しく動くのは女性陣だった。若菜を筆頭に毛倡妓達は、宴の席で大量に消費される酒や料理の準備や、会場となる部屋のセッティングに追われていた。
* * *
昼が過ぎ、夕方に差し掛かった頃。白無垢に綿帽子姿の千月を、アメノミナカヌシノカミは正面からじっくりと見つめる。
「ほんに綺麗だこと」
愛娘の花嫁衣装に、母は目を輝かせてうっとりした。
「母上様……そのように見つめられては恥ずかしいです」
照れくさそうに笑いながらも、千月は母親に花嫁衣装を見せることが出来たので嬉しく思っていた。本当は父親の朧ともこの日を迎えたかったのだが、彼の行方の手がかりは未だ掴めない。いつか再会出来ることを、千月とアメノミナカヌシノカミは信じている。
「あの……千月さん、入ってもいいかな?」
閉じられた襖の向こう側からリクオが声をかけてきた。
「どうぞ」
「失礼します」
一言断りを入れてリクオが部屋に入ってきた。彼の手にはカメラが握られているのを見て、千月は昨日の出来事を思い出した。リクオの友人達に、花嫁衣装を撮影してあげると提案したことを。
部屋に入ったリクオは千月からアメノミナカヌシノカミに視線を移す。
「あ……千月さんのお母さん、ですね?」
やや遠慮気味に尋ねると、アメノミナカヌシノカミはこくりと頷いた。
夜の姿のリクオは昨夜アメノミナカヌシノカミとは会っているが、昼の姿で会うのは初めてだ。少しばかり緊張してしまう。
「ほほほ、夜の姿とは打って変わって、昼の姿は可愛らしいものじゃ」
夜の姿と比べて、昼の姿は背も低く顔つきも幼い。その違いが面白く、アメノミナカヌシノカミは楽しそうに笑んだ。
「千月さん、清継くん達に見せる写真撮ってもいい?」
「はい」
撮影許可をもらったリクオは早速カメラを構える。白無垢に綿帽子をかぶって畳に座り、やや恥じらいながらも微笑む花嫁。しっかりとシャッターを押して写真に収めたリクオは千月にありがとうと伝え、部屋を出た。
それから日没まで、母と娘は談笑しながら式が始まるのを待った。
* * *
夜。
大部屋には奴良組傘下の妖怪が大勢集まり、上座には牛鬼と千月が座している。やがて鬼火が灯ったことにより、式は始まりを告げた。
「それではこれより、牛鬼組組長・牛鬼と千月様の婚礼の儀、とり行いたいと存じます」
四百年前のぬらりひょんと珱姫の祝言の時と同じく、進行役は鴉天狗だ。昔に比べて彼の背は縮んでしまっているが、その世話好きな性格は昔と変わらない。
「それでは固めの盃を」
新郎新婦の前に小中大の盃が置かれた。
まず小盃にお神酒が三回注がれ、牛鬼、千月、牛鬼の順に三度飲む。次に中盃を、千月、牛鬼、千月の順に三度飲む。最後に大盃を、小盃の時と同じ順に三度飲む。
──これにて夫婦固めの盃が無事に終わった。
「ここに一組の夫婦が誕生したこと、不肖ながらこの鴉天狗、確かに見届けましたぞ!」
声を高らかにして鴉天狗が宣言すると、神妙な面持ちで見届けていた妖怪達より歓声混じりに拍手が起こった。
「では、花婿より誓いの言葉をいただきたとう存じます」
一同の視線が、鴉天狗から牛鬼へと移る。
「今日のよき日に私どもは、ご列席いただきました皆様方の前で夫婦の契りを固く結ぶことが出来ました。これからは相和し、相敬い、夫婦の道を守り、苦楽をともにして歩んでいくことをここに誓います」
牛鬼が畏まった口調で誓いの言葉を述べれば、固めの盃の時以上の歓声と拍手がわき起こる。さて次は、と鴉天狗が式を進めようとするが、妖怪達の歓声はおさまることはなかった。
「おーい、酒持ってこーい!」
「めでてぇことに酒は欠かせねぇしなぁ!」
「あと美味いもんも忘れんなよぉ!」
もはや式は中断となり、宴会へともつれ込んでしまった。
「あらあら……」
「まったく、宴会好きな奴らだ……」
千月は苦笑し、牛鬼は呆れてため息をついた。四百年前の祝言では、固めの盃のあとに奴良組に属していない妖怪の乱入で中断になったことを牛鬼は思い出した。当時は牛鬼も血気盛んであったため喧嘩を止めることはせず、妖怪を仕置きして喧嘩を助長させ、その場にいた全員で珱姫の怒りを買ったものだ。
まあ、奴良組の妖怪は宴会好きなのだから仕方ない。
「こらお前達! また式を中断させおって!」
再び式を中断させられた鴉天狗は憤慨した。自分が担当する式を中断させられて怒って怒鳴る鴉天狗であったが、酒を飲んだ妖怪に宴会に引きずり込まれてしまい、怒声は悲鳴に変わった。
酒を楽しむ妖怪の中には一ツ目入道の姿もあった。今は反リクオ派の中心的存在であるが、もともとは義理堅い性格で牛鬼ともよく盃を酌み交わした仲で、元反リクオ派として計画を練り合った相手だ。牛鬼がリクオ派に転じて以来、一ツ目入道とは対立することもあるが、酒の席ともなればその垣根は崩れ去る。
「なーに呆けたツラしとるんじゃ。お前らも飲め飲め」
今まで静かに式の進行を見守っていたぬらりひょんが、いつの間にか酒を楽しんでいた。手に持っている徳利が、ぐいっと牛鬼に差し出される。
「そ、総大将……」
「牛鬼、わしの酒が飲めんのか? ほら、早く飲め」
断るに断れず、牛鬼が渋々盃をぬらりひょんの前に出そうとした時、
「あ、牛鬼様いけません!」
「酒は飲んでも飲まれるなー」
牛頭丸と馬頭丸が、宴会を楽しむ妖怪達を押しのけて牛鬼のもとへやってきて盃を取り上げる。……が、酒を断られたと判断したぬらりひょんはムッとし、盃を取り上げた牛頭丸に視線を移す。
牛鬼から盃を取り合げたということは、牛頭丸も飲みたいのではないか。そう結論づけたぬらりひょんは、じーっと牛頭丸を見つめる。
「ほぉ、牛頭丸も飲みたいのか。いっぱい飲め飲め」
「え? いや、俺は別に……ちょっ、やめ……」
「何だ、そうだったの? じゃあ僕も一緒に飲むから牛頭もいっぱい飲もうよー」
「ちょ、てめ、馬頭やめ……牛鬼様ぁぁぁ!」
先程、酒は飲んでも飲まれるなと言ったのは何処のどいつだ。
ぬらりひょんと馬頭丸の標的になった牛頭丸の断末魔は、宴会の喧騒に飲み込まれた。
「……あまり無理はさせないでくださいねー……」
無駄だと悟りつつも、そう言えずにはいられない千月だった。
他にも、夜の姿になったリクオや首無、青田坊、黒田坊などお馴染みのメンバーが宴会を楽しみつつも、喧騒に飲まれているのが確認出来た。首無は下戸なので酒を断っている。
台所で料理の手伝いをしていた氷麗や毛倡妓も、いつの間にか宴会の只中にいた。おそらく酒や料理を運んできた際、酔った妖怪にからまれて台所に戻れず、宴会に巻き込まれたのだろう。大変そうだなと思いつつ、千月は奴良組の喧騒をにこやかに楽しんでいた。
* * *
しばらくして宴会の喧騒から離れた牛鬼と千月は、アメノミナカヌシノカミと同じ部屋に移動していた。
「義母上様、お騒がせして申し訳ありません……」
「気にすることはない。とても賑やかで良い組ではないか」
きちんと最後まで式を行いたかったのだが、なにぶん妖怪の集まりである。こういったものは周囲に示す形だけのものだ。必要最低限のやりとりとして固めの盃を済ませ、新たな夫婦が誕生したと認知出来れば良いだけで、儀式を重要視していない妖怪も少なくない。
人間の定めた堅苦しい儀式は、妖怪の性分にはあまり合っていないことがよくわかる。
祝言が中断されたことを良く思っていないのではないかと危惧した牛鬼だったが、神地では決して味わうことのない賑やかさを楽しめたとアメノミナカヌシノカミは笑った。
「牛鬼殿──娘のこと、改めてよろしく頼むぞえ」
「いえ、こちらこそ……」
アメノミナカヌシノカミがゆるりと頭を下げてきたため、牛鬼は少々慌ててしまった。これまで土地神などといった身近な神はいたが、今目の前にいる神は次元が違う。八百万の神の頂点とでもいうべき、はるかに高位の存在なのだ。緊張しないわけがない。
そんな牛鬼の態度をすぐに察知した千月は、緊張をやわらげるため、そっと彼の手に自分の手を重ねた。
新婚の仲睦まじさを見届けたアメノミナカヌシノカミは、二人に別れを告げて神地へと帰っていった。
結局、この日の宴会は夜更けまで続いた。
2012/05/15
2023/07/07 一部修正
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