第二十四話 前夜
ぬらりひょんから結婚式の日取りを聞いた翌日──夜はアメノミナカヌシノカミがぬらりひょんに会うため本家を訪れる日。
屋敷内は普段の生活を営みながらも、組の女性陣は式の準備で慌しく過ごしていた。
普段どおりといえば、リクオも同じである。氷麗の作った弁当を持って登校し、護衛である黒田坊達に見守られながら授業を受けた。
放課後になり清十字団の活動に巻き込まれないよう、清継の目を盗んで下校しようと教室を出ようとしたところ、
「奴良くん、何処に行くのかね?」
──捕まってしまった。
放課後は決まって清十字団の活動と称した、清継の妖怪探索に連行されることが多い。しかし、明日は牛鬼と千月との結婚式があるのだ。今日は何としても帰宅し、式に備えなければいけない。
「ごめんね、今日はどうしても帰らなきゃいけないんだ」
「ふむ……清十字団の活動よりも大事な用事とは何だい?」
尋ねられて、リクオは返答に困った。家が妖怪任侠一家というのはもちろん秘密である。組員が結婚するから、とは言えない。
「ちょっと知り合いの結婚式があるから、急いで帰らないと」
結婚式。その言葉に、清継ではなく女子三人が反応した。
「え、なになに? リクオくん結婚式に参加するの?」
「知り合いって誰なんだよ?」
「わー、いいなぁ。私も行ってみたいなぁ」
カナ、紗織、夏実が清継をはねのけてリクオにずいっと近寄る。ゆらは最近姿を見せないので、この場にいない。
ああ、そうだった。結婚という言葉に敏感なのは、男子よりも女子であった。そのことを失念していたリクオは、目をキラキラさせる三人にどう説明しようかと考えていると、護衛の中で唯一生徒に紛れ、リクオのそばに控えた氷麗がすかさず助け舟を出した。
「ほら三人とも、リクオ様が困っているじゃありませんか。さ、リクオ様、結婚式の準備で忙しいんです。今日はもう帰りましょう」
女子三人を蹴散らした氷麗は、リクオの手を引いて足早に教室から出ていった。その場に残された清十字団のメンバーは、ぽかんとした表情をするしかなかった。そんな中、清継がにやりと笑う。
「なぁーんか怪しい……よし、奴良くんの家に行ってみよう!」
かくして、本日の清十字団の活動は『奴良リクオを追跡し、結婚式について調査をすること』に決まった。清継、カナ、紗織、夏実、島の五人は珍しく意気投合し、奴良家を目指すべく学校をあとにした。
* * *
リクオは氷麗達護衛と一緒に本家へ帰り着いた。清十字団メンバーを振り切って無事帰宅出来たことでリクオは安堵し、ふうと息をつく。護衛としてついてきた氷麗達に「お疲れ様」とねぎらいの言葉をかけ、それぞれ解散した頃、聞き慣れた声がした。
「相変わらず立派な門構えだねぇ」
驚いて振り返れば、清継を始めとした清十字団のメンバーがずらりと揃っていた。
「ちょっ……何でみんなうちに来てるの!?」
幸い清継達のいる場所は玄関よりも離れた門の外側のため、敷地内の妖怪には気づいていない。だが、あまり長居されると妖怪がいることがバレてしまう。急いで門まで駆け寄り、清継達が敷地内に入らないように彼らの前に立つ。
「何でって、奴良くんが結婚式について話してくれないから、気になってこうやって皆で来たんじゃないか」
メンバーを代表して答えると、女子三人がうんうんと頷く。島は少々おどおどしながらも興味はあるようで、じっとリクオを見つめる始末。
──まずい、非常にまずい。
前もって彼らが訪れると知っていれば妖怪達に隠れているよう指示出来るのだが、今回はそうではない。何とかして追い返さないと。しかし、氷麗はいつもの着物姿に戻り、家事の手伝いに向かったため、先程のように助けを求めることが出来ない。
清十字団の活動不参加の理由を述べたのが仇になったことを痛感していると、清継達の後ろからさらに聞き慣れた声がした。
「リクオ様、お戻りになられたんですね。おかえりなさいませ」
買い物籠を手に提げた千月が、リクオと清継達を見やる。
「た、ただいま、千月さん」
そういえば、千月と清継達は初対面だ。千月が妖怪だということは知られてはいけない。清継が口を開く前に、リクオは千月に話しかける。
「ねえ、何処かに行ってたの?」
「はい。調味料が足りなくなったので、買い足しに行ってきたんです」
そうなんだ、とリクオが相槌を打つと、今まで静かにしていた同級生達がとうとう口を開いた。
「奴良くん、この美人さんは誰なんだい?」
「わぁ、綺麗な人……」
「和服美人って、こういう人のことを言うんだな……」
「いいなー、私も着てみたいなぁ」
「おおっ……」
目を輝かせて見つめてくるのは、リクオと同じ年頃の少年少女達。ああなるほど、と思いつつ、千月はにこりと微笑んだ。
「リクオ様のご友人の方々ですね。初めまして、千月と申します」
千月が自己紹介をすると、リクオはほっと胸をなでおろした。どうやら清継達のことを、『人間』としてのリクオの友人と認識してくれたようだ。正しい判断をしてくれた千月に内心で礼を述べたが、ひとつ気にかかるものがあった。それは、千月のリクオに対する呼称について。
「リクオ『様』……?」
カナが訝しげな表情で、千月からリクオへ視線を移す。そういえば、及川氷麗もリクオ様と呼んでいなかっただろうか。
「あ、えっと、みんな、結婚する人ってこの千月さんなんだ」
カナがこれ以上怪しまないよう慌てて話題を変えると、意外とあっさりと気を引けたらしく、カナを含めた清十字団全員が千月に注目する。
一方、千月は何故自分のことが話題になっているのかわからず、少し首を傾げる。友人達が家に来た理由をリクオが話せば、そういうことでしたか、とすぐに納得した。
それからは、花嫁になることを羨ましがられたり、ドレスなのか和服なのか聞かれたりした。さらに、自分達も参加してみたいと言い出したので、リクオはほとほと困り果てた。奴良家が妖怪任侠一家ということを知らない清継達を参加させることは出来ない。
どう断ろうかと考えあぐねていると、今度は千月が助け舟を出してくれた。
「申し訳ありません。身内だけで行うので、皆様をお呼びすることが出来ないのです」
「え、そうなんですか……」
「なんだ……せっかく花嫁姿を見れると思ったのになぁ」
「身内でやるなら仕方ないですよね」
残念そうに呟く女子三人を見かねた千月は、小声でリクオに耳打ちした。
「……明日お写真を撮って、ご友人方にお見せしてはいかがでしょうか?」
「いいの?」
「はい。せっかく楽しみにされているようですし、リクオ様の大切な方々ですので」
女性にとって『花嫁』というものは特別な対象だ。花婿と対になる式の主役であり、純白の衣装に身を包んだその姿は憧れである。花嫁姿を直接見れないのなら、写真を撮って見せてあげたい。そう思った千月は、リクオに相談を持ちかけたのだ。
「うん、わかった」
リクオは千月の気遣いに感心しつつ頷く。清継達へと向き直ってそのことを説明すると、女子達は喜び、清継は直接見れないことに少々不服ながらもまんざらではない表情になり、島も期待を込めた目でリクオを見つめ返した。
今日はもう日が暮れるのでと千月は清継達に帰宅を勧めると、彼らはそれぞれ自宅へ帰ってくれた。
「ありがとう、千月さん。最初はどうなることかと思ったけど、助かったよー」
自分だけでは清継達を上手く説得出来ることは出来なかっただろう。それに比べて、千月は丁寧に謝りつつ彼らが納得するような提案を出し、帰宅するよう促した。大人の対応だなぁ、とリクオは感心しきりっぱなしだった。
「たいしたことはしていません。さ、もう少しすればお夕飯ですよ」
買ってきた調味料を若菜に届けて、料理の仕上げをしなければ。門をくぐって敷地内に入った二人は別れたのち、千月は台所へ、リクオは自室へと向かった。
* * *
──夕食後。
ぬらりひょんが自室で煙管をふかしてくつろいでいると、やや離れたところの空間が揺らいだ。大人が一人通れるほどの大きさの楕円が出現し、その円はまるで水面のごとくきらめきいている。その『扉』の向こう側から千月が姿を見せ、少し遅れて一人の女性もやって来た。
腰よりも長い艶やかな黒髪は高い位置で結われ、華やかすぎない髪飾りがよく似合っているとぬらりひょんは思った。かすかな衣擦れの音をさせて千月と共に『扉』から現れたのは──
「お待ちしておりましたぞ、アメノミナカヌシノカミ殿」
「そなたがぬらりひょん殿かえ。娘からよく話を聞いておる」
千月の母・アメノミナカヌシノカミであった。普段からにこやかな表情で柔和な雰囲気だが、その普段より声が弾んでいることに千月は気づいた。よほど楽しみにしていたのだろう。
千月が微笑ましく思っていると、千月とアメノミナカヌシノカミはぬらりひょんのそばに座った。
「ふむ……さすがは魑魅魍魎の主の屋敷じゃのう。妖怪の数が数え切れぬ」
ゆるりと周囲を見回したアメノミナカヌシノカミに、ぬらりひょんは「ほう」と感心した。
「さすがですな。ここに来て間もないのに、すぐにおわかりになるとは」
もっとも、今はこの部屋には近づかないよう組員に伝えているため、妖怪の気配は遠ざかっている状態だ。いつもは小さな妖怪が天井裏に潜んでいるが、彼らの気配も感じられない。
アメノミナカヌシノカミが来ることは、千月や牛鬼、ぬらりひょん以外の組員は知らない。神が訪れることを知れば、好奇心旺盛な組員が黙ってはいないだろう。そのため、ぬらりひょんはただ『部屋には近づくな』とだけ言ったのだ。
「いやはや、お嬢さんも美しいが、母君もたいそう美しい」
「ほほほ、嬉しいことを言うてくれる」
──ぬらりひょんは初対面の女性を口説くのが習慣なのだろうか。
千月は、ぬらりひょんと初めて出会った時も同じような内容の言葉を贈られたことを思い出した。そういえば、息子の鯉伴は父親以上に女好きで、成長した鯉伴にも口説かれた記憶がある。もしかしたら、ぬらりひょんの血筋であるリクオも女性に対して甘いのかもしれない。
そんなことを千月が考えていると、誰かの足音が聞こえてきた。今夜は誰も近づくなと通達があったはずなのに、一体誰なのだろうという疑問は、開いたふすまの向こうの人物を見て吹き飛んだ。
「おいじじい、用事って何だよ」
ぬらりひょんの部屋にやって来たのは、白い髪に赤い瞳、紺色の着流しを身にまとった、夜の姿へと変わったリクオだった。
「よう、千月……って、あんた誰だ?」
リクオは祖父と千月以外に、見知らぬ人物がいることに気づいて視線を止めた。長い黒髪は背に沿って畳へ流れ、華やかな花模様が描かれた着物は見ただけで上質な生地だとわかる。この世のものとは思えないほどの美貌に、リクオはあっけにとられてぽつりと呟いた。
「……すげぇ美人だな。こんな綺麗な人、見たことねぇ」
その言葉に、千月は確信した。ああ、やはり彼も祖父と父の血をしっかり受け継いでいるんだな、と。
「はっはっは! なーに見惚れて突っ立っとるんじゃ。早くこっちに来んかい」
孫の反応が面白くてひとしきり笑ったあと、ぬらりひょんはリクオを自分の隣に呼んだ。
「いや、孫が失礼をした。こいつはわしの孫のリクオでして。リクオ、こちらの方はアメノミナカヌシノカミ殿と言ってな、千月の母君で神様じゃ」
「……は?」
神様という単語に驚き、ぽかんとした表情で祖父を見つめ返す。
数秒後、リクオは思い出した。千月の片親が神だと聞いていたことを。なるほど、母親が神様だったのか。
その後、納得したリクオを交えてぬらりひょんは会話を進める。
「うちの者には知らせてなかったが、リクオは跡継ぎですからな。申し訳ないが呼ばせていただきました」
「構わぬ。千月から話を聞いていて、どのような者か気になっていたからのう」
アメノミナカヌシノカミに対して、ぬらりひょんは子供や組について簡単に説明した。ぬらりひょんの息子・鯉伴は人間の女性との混血児で、さらに孫・リクオも人間の女性との間に出来た子であること。未来の奴良組三代目総大将になるため、跡目候補の若頭として襲名したこと。そして、つい先日までシマを荒らしていた四国八十八鬼夜行を退けたことを。
「ほう……四国といえば、神通力に優れた狸の妖怪であったか。見事なものじゃ」
アメノミナカヌシノカミが賞賛すると、リクオは少々照れくさそうに頭を掻くも、その表情は誇らしげであった。
それから、ぬらりひょんは組や家族のことを、アメノミナカヌシノカミは神地での暮らしのことを話した。また、朧の行方についての情報を一つでも多く欲しいということもあり、母子はぬらりひょんとリクオに朧のことも伝えた。
──時間はあっという間に過ぎ、時計の長針が軽く二周した頃、アメノミナカヌシノカミが時計を見上げた。
「さて……わらわはそろそろあちらに戻ろうかのう」
アメノミナカヌシノカミの言う『あちら』とは神地のことである。あまり長居しては、神地の屋敷にいる侍女達に心配をかけてしまうかもしれない。
そもそも、神は己の住まう神地を出ることは滅多にない。遥かな年月を見届けてきたアメノミナカヌシノカミが神地より出た回数など片手で足りる。本来、神は自ら進んで人間の世界に干渉する存在ではないのだから、当然といえば当然である。
そんな神がこうして自ら進んで人間界に姿を現したのは、妖怪と接点を持ったことに他ならない。妖狐である朧と出会い結ばれ、彼との間に娘の千月が産まれ、その娘が妖怪の男と結ばれる。これがもし千月が妖怪ではなく神として生きる道を選んだのなら、アメノミナカヌシノカミも魑魅魍魎の主といわれるぬらりひょんと談笑することもなかっただろう。
「いやはや、時間が経つのは早いものですな」
ぬらりひょんも時計を確認すると、あと三十分もすれば日付が変わる時刻であった。
式が始まれば、その場には奴良組の妖怪が勢揃いする。そんな妖怪達の前に神が現れたと知られれば彼らは驚き、余計な動揺を招いてしまうかもしれない。それを危惧したアメノミナカヌシノカミは、式の場には参列せず、別の部屋で見届けることに決めた。
「では母上様、おやすみなさいませ」
挨拶を終えたあと、アメノミナカヌシノカミは『扉』を通って神地へ戻り、千月も部屋を出て牛鬼の元へ向かった。広い部屋に残ったのは、ぬらりひょんとリクオの二人。
「リクオ、今夜くらいは見回りは休んだらどうだ? 明日は一日中忙しいぞ」
「他ならぬじじいがそう言ってくれるんじゃ仕方ねぇ。お言葉に甘えて、今夜はゆっくりさせてもらうぜ」
祖父と孫は互いに笑い合い、明日に備えて休息することを決めた。
2012/02/29
2023/07/07 一部修正
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