第二十話 神の住まう地へ
ぬらりひょんに結婚報告をした翌日、牛鬼と千月はアメノミナカヌシノカミに会いに行くことにした。
「ところでどうやって行くのだ? 朧車でか?」
「いえ、ここから直接です」
「……直接?」
どういう意味なのかと牛鬼が疑問に思っていると、千月は手の平を上に向ける。すると燃え盛る炎が現れ、それが細長く大きな楕円をくるりと描く。二メートル程の炎の楕円が出来ると、円の内側が揺らぎ始め、まるで水面のように緩やかに煌めいた。
「炎は熱くありませんから安心してください」
牛鬼は、大人一人が難なく通れる楕円を縁取る炎を試しに触ってみる。確かに、千月の言う通り熱を感じられない。不思議なものだと思っていると、千月が手を差し出してきた。
「今から通る場所は神の住まう世界で、妖怪にとっては異質な空間です。はぐれると自力では出られないので、くれぐれも私の手を離さないでくださいね」
「わかった」
牛鬼は手を握り返す。
「では、行きましょう」
千月は神地への入り口に足を踏み入れ、牛鬼もあとに続いた。二人が神地に入ると、入り口となった楕円の『扉』は空気に溶けるようにして閉じられた。
* * *
「──千月が帰ってきたか」
女性はゆるりと顔を上げる。感じ取った気配は、娘と一人の妖怪。
「ふむ……もう一人いるようだの」
良い日になりそうだと思いながら、侍女を呼んで二人を案内するように伝えた。
* * *
千月に手を引かれて入った神地は、何とも不思議な空間だった。周囲はまるで水中のように揺らめいているが水に触れている感覚はなく、やわらかな光に満ち溢れている。
牛鬼には方向感覚すらわからないが、千月は迷う様子はなくまっすぐ前へ歩いていく。
やがて前方に、入り口と同じような楕円の形をした『扉』が見えてきた。
「あれが出口か?」
「はい」
入ってきた時と同じように、手を繋いだまま先に千月が『扉』をくぐり、続いて牛鬼も『扉』をくぐる。二人が出た場所は広い和室だった。
「千月様、お帰りなさいませ。牛鬼様、ようこそお越しくださいました」
部屋の外、障子の向こう側から女性が声をかけてきた。
「藤音、ただいま戻りました。母上様はどちらに?」
「中庭におられます」
「わかりました。すぐに行きます」
千月が障子を開けると、藤の花の髪飾りを身につけた和装の女性が現れた。
「藤音、こちらは梅若……牛鬼です。梅若、彼女は藤音といって私の世話係です」
千月が初対面の二人を紹介すると、藤音と呼ばれた女性がお辞儀をした。
「お初にお目にかかります。藤音と申します。こちらのお屋敷で千月様の侍女をしております」
「私は牛鬼と申す。藤音殿、ここは神地と聞いているが……」
牛鬼は周囲をぐるりと見渡す。
「はい。人間が暮らしている場所とは別の空間でございます」
挨拶を済ませたあとは、牛鬼と千月は藤音と一緒に、アメノミナカヌシノカミが待つ中庭へ向かうことにした。
「ところで藤音殿、名乗っていないのに何故私の名を?」
「千月様は昔からよく牛鬼様のことを話しておりましたので」
「こら、藤音!」
にこりと藤音が笑うと、千月は恥ずかしいと言わんばかりに藤音をたしなめた。けれど藤音は悪びれた様子はなく、逆に楽しんでいる。
「なるほど」
牛鬼も面白いことを聞いたと笑みを浮かべた。
やがて花や緑に囲まれた広い中庭に出た。屋敷から少し離れたところに、二人の女性が佇んでいる。一人は藤音のように花の髪飾りをつけ、似たような衣装を着ていたので、彼女も世話係だとわかった。
そして、もう一人は──
「アメノミナカヌシノカミ様、千月様と牛鬼様にございます」
藤音が恭しく声をかけると、侍女と一緒にいるアメノミナカヌシノカミと呼ばれた女性が振り返った。
長い髪を頭の高い位置で一つにまとめ、動くたびに華美すぎない髪飾りが揺れる。とても美しい女性であった。
「千月、よう戻った。久しいのう」
紅をさした唇からは、穏やかで優しい声が紡ぎ出された。
「母上様もお元気そうで何よりです」
「ほう……そちらの殿方が牛鬼殿かえ?」
「お初にお目にかかります」
「初めて対面したが、ほんに誠実そうで良い殿方じゃ」
アメノミナカヌシノカミはにこりと笑みを浮かべた。
「二人をここへ呼んだのはわらわじゃが、立ち話も不粋だの。屋敷に行くとしよう」
そう言ってアメノミナカヌシノカミは、千月と牛鬼を屋敷へ案内した。
アメノミナカヌシノカミに連れられたのは、中庭に面した部屋だった。広い中庭には桜の木があり、淡い色の花を無数に咲かせている。人の世界では春にしか花を咲かせない桜が、初夏を迎えたにもかかわらず、ここでは散ることなく咲き誇っている。
アメノミナカヌシノカミが座り、対面する形で千月と牛鬼も座る。
「用件はわかっておる。そなた達、結婚の報告に来たのであろう」
「何だ、わかっていたんですか」
千月が少し驚くと、アメノミナカヌシノカミは笑った。
「これでも母親じゃ。殿方を連れて帰ってきたのだから、それしかなかろう?」
面白そうに笑えば、それもそうですね、と千月は苦笑した。
一方、牛鬼はわずかに拍子抜けしていた。あらゆる日本の神の中でも特別格に位置するアメノミナカヌシノカミ。高貴で威厳ある雰囲気を持ちながらも、人間らしい親しみを感じる言動の神様。想像していた『神』とは何処か違うと思った。
「もう……驚かせようと思いましたのに残念です。……梅若?」
千月が牛鬼を見上げると、アメノミナカヌシノカミも牛鬼に視線を移す。
「想像と違ったようで戸惑っているようだの」
「いえ、そのようなことは……」
「ほほほ、良い良い。今までに会った外界の者達も同じ反応であった」
否定しようとした牛鬼を、アメノミナカヌシノカミは笑いながら許容した。
「牛鬼殿は捩眼山が拠点であったか」
「はい」
「あそこは自然豊かな場所。昔と変わらぬ良い地だ」
時代が進むにつれて人の手が加えられた場所が増える中、捩眼山は昔から変わらない。妖怪『牛鬼』としての言い伝えが語り継がれているため、人は無闇に立ち入ろうとはしないのだ。
「奴良組に加わっておるようだの。わらわも総大将にも会ってみたいのう」
ぬらりひょんの話は千月から聞いているが、実際に会ったことはない。
「そうだ。母上様、今度本家に来てはいかがですか? きっと総大将も喜びますよ」
結婚するとぬらりひょんに報告したら、本家で式を挙げればいいと言われたことを思い出す。そのことをアメノミナカヌシノカミに伝えると、嬉しそうに顔を綻ばせた。
「良いのかえ? 楽しみだの」
千月は、式の日取りが決まったらまた知らせに来ることも約束した。そして、アメノミナカヌシノカミは改めて牛鬼に向き直り、にこりと笑った。
「牛鬼殿、娘をよろしく頼むぞえ」
2011/08/23
2012/02/29 修正
2023/07/07 一部修正
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