第十七話 暗闇に包まれた部屋で


 本家の屋敷が見えてきた。庭には妖怪があちこちに散らばっている。四国八十八鬼夜行の襲撃に備えての警備だろう。
 千月が敷地内に降り立つと、近くの妖怪が集まってきた。

「誰だ?」

「四国の奴か!?」

 一人が疑い出すと、周囲の妖怪全てに警戒の色が広がった。そういえば、本家の妖怪は千月の狐の姿を知らないのだ。警戒してしまうのも無理はない。

「千月です。牛頭と馬頭は無事ですか?」

 声を発すると、妖怪達はキョトンとした表情を見せる。聞き慣れた千月の声に安心した彼らは警戒をとき、いつものひょうきんな顔に戻った。

「何だ、千月様かぁ」

「牛頭と馬頭なら、鴆殿がすぐに治療してくださいました」

「今は休んでいるはずです」

「そうですか、ありがとうございます」

 妖怪達に礼を言うと、千月は狐の姿のまま部屋へ直行した。


 魔王の小槌に斬られてついた傷口からは、まだじんわりと血が滲み出ていた。呪力を持つ妖刀で出来た傷は、どうしても治りが遅くなる。
 さらに、千月は妖怪の血も流れているが、死や怨念などの穢れを嫌う神の血も流れている。そのため、傷口がなかなか塞がりきらない。滴り落ちるほどの血は出ていないが、他の者に気付かれないようにしないと。
 そんなことを考えていると、本家で寝泊まりする際、牛鬼や千月にあてがわれた部屋の前に着いた。千月は獣の前肢で器用に障子を開けて中に入る。誰もいないので明かりもなく、静寂に満ちている。
 千月にとって、逆にこの静寂がありがたかった。治癒に集中することが出来るからだ。
 人間にとっては真っ暗闇でも、妖怪には問題なく活動出来る明るさである。千月は部屋に備え付けられてあるタオルを引っ張り出すと、それをくわえて部屋の隅まで持って行って畳の上に敷いた。万が一畳に血が付いてはいけないとの配慮だ。
 傷のない側を下にして横たわり、両目を閉じる。

(こうやってじっとしているだけでも、だいぶ楽になりますね)

 すぐにでも牛頭丸と馬頭丸のところに向かいたいが、せめて傷口が塞がり、血が止まってからの方が良い。牛鬼がこの部屋にいないということは、おそらく二人の看病についていると思われる。
 ──つまり、傷を治すのは今しかない。
 三羽鴉と別れた時よりも痛みは軽くなっている。このまましばらく安静にしていれば傷口は塞がり、牛鬼に知られることなく済む。そう考えながら、千月は少しの間眠ることにした。


 千月が眠っていた時間は、ほんの十数分くらいだろうか。何かの気配を感じて目を開けた。
 すぐそばでこちらの顔を覗き込んでいたのは──

「……梅、若……」

 今一番顔を合わせたくない相手だった。千月が屋敷に戻ったあと、庭にいた妖怪から報告を受けたのだろう。彼の名を呼ぶが返事をしない。眉間の皺が、これ以上ないくらいに深く刻まれている。

 ……ああ、怒っている。
 千羽の祠に行ったはずなのに傷を負って帰ってきた婚約者。怒って当然だ。牛鬼にどう声をかけようか悩んでいると、牛鬼の方から話しかけてきた。

「……千月」

 普段から低い声が、一段と低くなっている。
 牛鬼は手を伸ばし、そっと傷口に触れた。少量だが、ぬるりと血液が指先を濡らす。

「牛頭馬頭と共にお前を斬ったのは、玉章とかいう狸らしいな」

「そう、ですが……」

「そうか、お前から直接聞けて良かった。……少し外出してくる」

 てっきり説教の一つや二つが飛んでくるのかと思った千月は、肩透かしをくらった気分だった。しかし、呆然としてはいられない。外出してくるという牛鬼からは、殺気が放たれていた。何とかして彼を止めなければ。

「梅若、待ってください」

 声をかけただけでは牛鬼の足は止まらなかった。何度呼びかけても、彼は聞く耳を貸さない。千月は立ち上がって人の姿になると、牛鬼の前に回り込む。

「梅若、待って! 落ち着いてください!」

 牛鬼を押し戻そうと試みるが千月よりも身長が高く体も鍛えているため、女性の力ではびくともしない。

「梅若っ……!」

「千月……」

 更に呼びかけると、ようやく歩みが止まった。千月は胸を撫で下ろし、牛鬼を見上げる。

「私の勝手な行動が招いた結果ですから、どのようなお叱りもお受けします。ですから、己を見失わないでください」

 懇願する千月を見下ろす牛鬼からは、次第に殺気が消えていった。愛する人が傷付き、己を見失ったとは。まるで、さらわれた珱姫を奪い返しに行った四百年前の総大将のようではないか。
 あの時のぬらりひょんが自分で、血の気多いと諌めた自分が千月。総大将のことをとやかく言えたものではないな、と牛鬼は小さく笑った。

「すまない。傷の具合はどうだ?」

「っ……もう少し休めば大丈夫です」

 千月の表情に、ほんのわずかな変化が見られた。眉を寄せて、痛みを堪えるような表情。それを牛鬼は見逃さなかった。

「……失礼する」

 牛鬼は断りを入れると、すぐに千月の着物の帯を解き始める。

「え、ちょっ……梅若……!?」

 突然のことに驚き困惑する千月の身につけている帯締めや帯に手をかけ、素早く解く。着物の衿をめくれば、白い長襦袢の脇腹の部分に赤いシミが出来ていた。
 先程まではほぼ塞がっていた傷口から出血している。傷が開いたようだ。その原因が自分にあると思った牛鬼は目を伏せた。

「私のせいだな……すまない」

「少し休めば治りますから」

 だから気にしないでと、千月は優しく笑いかける。

「鴆殿のところに行ってきます。あ、捩眼山のお屋敷用に軟膏もいただいてきますね」

 手元に薬がないので鴆に治療してもらい、ついでになくなりかけた軟膏を新しく貰ってこよう。千月が部屋を出ようとすると、牛鬼に呼び止められた。

「待て。傷薬はあるから、処置は私がやろう。持ってくるからここで待つように」

「え? あ……はい」

 鴆に処置してもらわなくて良いのだろうかと疑問に思いながらも千月は頷き、おとなしく牛鬼の言葉に従った。

(まあ、薬があるなら鴆殿に看ていただかなくても心配ありませんね)

 鴆に看てもらうのが一番なのは牛鬼もわかっているのだが、他の男に千月の肌を見せたり触れさせたくはなかったのだ。我ながら器が小さいものだと自嘲しつつ、牛鬼は傷薬や包帯を取りに牛頭丸のいる部屋へ向かった。

 手当てを済ませたあと、千月は寝間着に着替えて朝まで休むことになった。


2011/06/30
2023/07/06 一部修正

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