第十五話 狐と狸


「千月様……ああ、何とお礼申し上げれば良いのか……」

 夜、千月は千羽の祠に足を運んでいた。参拝する人間が何年もいなかったため薄汚れ、植物のツタが絡み付いていた祠。それらを取り除き、祠の掃除を済ませたのだ。
 現在、本家では緊急総会が開かれている。家事の手伝いは足りているため、こうして祠の掃除に訪れたというわけだ。

「喜んでいただけて何よりです」

 千羽は泣き出しそうなくらい感極まっているようで、何度も何度も頭を下げている。あまり遅くなると本家の妖怪達に心配をかけてしまうので、そろそろ戻るとしよう。
 千月は千羽との別れ際にふと空を見上げると、空全体を暗雲が覆っていた。雲を挟んだ向こう側では、何かがうごめいている。そしてその流れは、西から東へ流れているように感じられる。

「千月様、何だか怪しい雲ですねぇ……」

 先日の袖モギ様の襲撃もあり、千羽も四国妖怪侵攻の件は知っている。
 ──もしかして。

「千羽殿は祠から離れないようにしてくださいね」

「え? あ、はい、それはもちろん……って、千月様はどちらに?」

 千羽が頷いた時には、千月はすでに狐の姿になり、空へ駆け上がり、闇に溶けるように黒狐の姿は消えた。

 ちょうど今、牛頭丸と馬頭丸が四国八十八鬼夜行の本拠地のビルに潜入している頃だ。二人は上手くやれているだろうか。
 そう思案していると、雲から地上に向かって大小様々な妖怪達が降りてきた。やはり、四国八十八鬼夜行の増援のようだ。
 牛頭丸と馬頭丸の力量を疑うわけではないが、わずかな不安と胸騒ぎを覚えた千月は姿を消したまま、妖怪が集まっているビルへ向かった。


 奴良組本家。
 緊急総会は終わり、妖怪達は敵勢力に対して臨戦態勢に入っている。
 祢々切丸のチェックをしているリクオを見て、牛鬼と木魚達磨は二人でしみじみと語り合っていた。

「本当に頼もしくなられた……」

「私達が望んでいた姿ですな」

「うむ……あの時の言葉……本当に実践されていて嬉しい限り。多少作戦が荒いですが見守りましょう」

 あの時の言葉とは、捩眼山でリクオが牛鬼に告げたものだ。

 ──いつまでも目を閉じてられない。この血に頼らなきゃいけない時もある。

 少しずつではあるが、着実に成長しているリクオに、表情には出さないものの、牛鬼は内心喜んでいた。

「あ、牛鬼様。千月様は出かけたみたいですよ」

 各自持ち場に戻るようリクオに指示された氷麗が牛鬼に気付き、声をかけた。

「千月が……?」

「千羽様のところに行くとおっしゃっていました」

緊急総会が開かれていたため、氷麗に伝言を頼んでいたと思われる。
祠に行ったのならとくに心配することもないだろう。

「そうか、わかった」

 * * *

 完成したばかりの巨大なビル。中に入れば一階はロビーで、三階まで吹き抜けになっている。ロビーには数多くの妖怪がひしめき合い、浮足立つ者ばかり。覇者の証だ、あの神宝を持つ玉章こそが主なのだ、と。

 千月は姿を消したまま、辺りを見渡す。牛頭丸と馬頭丸がいない。馬頭丸は狸の毛皮を身につけているので見つけやすい格好なのに。
 試しに二人の妖気を探ってみると、わずかながらも上方から感知することが出来た。

(敵の次の手と戦力を探るだけなのに……どうして上に……)

 余計なことはするなと牛鬼に念を押されたはず。もし敵の大将に見つかったら危険だ。二人を連れ戻すため、千月はビルの奥に進み、上の階を目指した。
 階をのぼっていくたびに、少しずつ牛頭丸と馬頭丸の妖気が近くなっていく。最上階付近までのぼった時、上の階からおぞましい断末魔が聞こえてきた。
 敵が仲間割れして同士討ちをしたとは考えにくい。牛頭丸と馬頭丸の仕業だろうか。焦る気持ちをおさえつつ、千月は更に階をのぼっていった。

 時を同じくして、ビルの外では数羽のカラスが闇夜に動いていた。

 * * *

 十七階までのぼると、三機あるエレベーターのうちの一機の、周辺の壁や床に鮮血が飛び散っていた。エレベーターの前を通り過ぎた頃、牛頭丸と馬頭丸の妖気が近くに感じられた。
 すぐそばに──
 そう思った時だ。今まで牛頭丸と馬頭丸の妖気だけだったのが、二人以外の妖気も感知された。速度を落とし、静かに部屋を覗き込む。

(牛頭、馬頭……!)

 捜していた二人は大きな妖怪に押さえ付けられ、その周囲を多くの妖怪達が取り囲んでいる。
 ──最悪の事態になっていた。

「ふん、わかってたよ。そろそろそっちから仕掛けてくる頃だろうってね」

「くそ……わらわら出やがって……」

 部屋の中央には一振りの刀があり、一人の青年が佇んでいる。どうやら彼が四国八十八鬼夜行を率いる大将のようだ。切れ長の目をした青年・玉章は、侵入者である牛頭丸と馬頭丸を見下ろし、刀を手に取った。

「ああ……これか。そんなにこの刀のことが知りたいのか? いいだろう……ちょうどいい、見せてやるよ」

『魔王招還』という文字が書かれた鞘から刀を抜いた玉章は、冷徹な笑みを浮かべた。
 その直後、千月は姿を消すことをやめ、玉章めがけて飛びかかった。


 突如現れた新たな侵入者に、玉章を始めとした部屋にいる妖怪達は驚きに包まれた。何せ、黒狐が玉章の背後から飛びかかり、彼の肩に噛み付いたのだから。

「……何者だ、狐」

 しかし千月は答えずに炎を出すと、二人を押さえ付けている大柄な妖怪・手洗い鬼に向けて放つ。

「うお……あちっ、あちぃ!」

 怪力自慢の手洗い鬼も、さすがに炎の熱にはかなわないようで、すぐに手を引っ込めた。

「牛頭、馬頭、逃げなさい!」

 侵入者の二人組に千月の意識が向いている隙を突き、玉章は彼女の首元を掴んで体から引きはがし、床に叩きつけた。その衝撃で、千月は一瞬息が詰まる。

「……っ」

「奴良組の者か……とんだ邪魔をしてくれたな。まあいい、お前にも味わってもらおう」

 玉章は肩から血を流しながらも痛むそぶりを見せず、魔王の小槌を構える。


 ──刀が振り下ろされる直前、

「千月様……!」

 馬頭丸が動いた。


2011/06/19
2023/07/06 一部修正

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