第十二話 千羽鶴の神様
深夜──
千月は目を覚ました。
「…………」
何だろう。変な夢を見たわけでもなく、誰かに起こされたわけでもない。ただ、胸騒ぎを感じた。
同じ部屋には牛鬼が寝ている。若菜の計らいにより、牛鬼と千月は同室になったのだ。
千月はそっと布団から出て普段着に着替えると、牛鬼を起こさないよう静かに部屋を出た。
外は雨が降り続いている。玄関に立てかけてある傘を一本拝借した千月は、屋敷から繁華街方面へ向かった。
* * *
──胸騒ぎがして落ち着かない。
繁華街に向かう途中、通りがかった小さな神社を覗く。境内は静まりかえり、神気がまったく感じられず、社の中を見ても土地神がいない。
「どうして……」
隅には、着物の切れ端が落ちている。普通、土地神が社から遠く離れることなど考えられない。ということは、この神社の土地神は四国妖怪に襲われたのだろうか。
千月は境内を出て、再び繁華街方面を目指した。
* * *
街中にはまだ活動している人間もいた。昔ならみんな寝静まる時間なのにと千月は心の中で呟く。
千月のいる場所からは離れているが、新しく完成したビルからは妖気が感じられる。奴良組はこのような建物は建てないので、四国妖怪の拠点になっている建物なのだろう。
だが、今は土地神を襲う四国妖怪の行方を追うのが先だ。
先程拾った着物の切れ端から感じ取った千月をもとに四国妖怪を追おうしたが、微量のためそれは出来なかった。諦めて探索を再開しようとした時、見覚えある人物の姿を捉えた。
「黒田坊殿……?」
笠をかぶり、黒い法衣を身にまとった奴良組特攻隊長・黒田坊だ。
「千月様!」
黒田坊も千月に気付き、駆け寄ってきた。
「こんな時間にお一人でどうされました?」
「ちょっと胸騒ぎがして……」
四国妖怪の攻め込みに加え、土地神の姿が見当たらない。何か知らないかと神社で拾った着物の切れ端を黒田坊に見せると、彼の表情が険しくなった。
「それは……!」
「ご存知なのですか?」
「ええ……浮世絵総合病院の裏山にある小さな千羽鶴の祠に、四国妖怪が現れました。そいつは守り神殺し専門で、その場に居合わせたリクオ様のご学友に呪いを……」
近くにいながら守れなかったと悔いる黒田坊。
「千羽鶴の、祠……」
祠ということは、神様がいる。会ってみたいと思った。それに、リクオの友人の容態も気になる。
「病院はあちらにあります。拙僧は引き続き四国妖怪を探します」
黒田坊は病院のある方向を指差したあと、すぐに走り去ってしまった。
千羽鶴の祠と、呪われたリクオの友人。
千月はひとまず、四国妖怪が現れたという浮世絵総合病院へ向かうことにした。
* * *
病院の敷地内にある裏山。
微弱ながらも神気を感じ取って少し奥へ進めば、目当ての物が見えてきた。草が伸び放題に生え、蔦が巻き付いている小さな祠があった。鈴や鈴緒は薄汚れてはいるものの、信仰されていた名残が伺える。
そしてその祠には、千羽鶴が捧げられていた。
「……あなた様は……」
頭上から声がしたので見上げれば、30cmにも満たない小さな男性が浮かんでいた。背には折り鶴の翼があり、顔につけた紙には『千羽』の文字が書かれていた。
「私は千月と申します。あなたが千羽殿ですね?」
「はい。あなた様は神……なのでしょうか……」
神気と妖気を感じ取った千羽は少々戸惑いを見せつつ、千月を伺う。
「親が神と妖怪なんです」
「あ、なるほど」
千羽が納得したあと千月は、ところで、と話題を切り替える。
「先程黒田坊殿から、こちらに四国妖怪が現れたと聞きました。リクオ様のご学友が襲われたとも……」
「ええ……小生は願掛け程度の力しかなく、あの少女を助けることも出来ません。黒田坊殿が来なかったら……」
そこまで言うと千羽は言葉を飲み込んだ。例え想定の事態でも、最悪な出来事は口にしたくないのだ。
「千羽殿、私は呪いを解くことは出来ませんが……助力は出来ます」
だから諦めないでくださいと千月は優しく微笑んだ。
助力とは一体どんなことなのだろう。疑問に思っている千羽の頭の上に千月が手をかざすと、千羽の中に清浄な神気が流れ込んできた。
「……これは……!」
量にしてみればわずかなものだが、千羽にとっては充分な神気だった。
「おや……千羽様にお参りかい?」
後ろから声がしたので振り返ると、細身の老婆が車椅子に乗ってやって来た。傘をさしていないため、髪や服は雨に濡れている。千月は自分が持っている傘に老婆を入れてあげた。
「ありがとう」
老婆は車椅子からおりると祠の前に膝をつき、パンパンと手を合わせる。
「千羽様、千羽様、お久しぶりでございます」
この人は──
知っている。この女性を、自分は知っている。
千羽が半ば呆然としている間も、老婆は祠に向かって手を合わせていた。
孫も元気になりました。ここ最近はお参りも出来ず申し訳ありません。
そこで一度言葉を区切り、深く息をする。
「あの子をお救いください……あの子が自分で折った千羽鶴だけど、あの子を……助けてください」
どうやら、呪いを受けたリクオの友人の祖母のようだ。千月は千羽を見上げると、彼はただ静かに老婆を見つめていた。
「ひばり殿……ずっと憶えていてくれたのか。こんなに年老いるまで、私のことを……」
千羽の脳裏に、何十年も前の記憶が浮かび上がってきた。セーラー服の女子学生が、自分の祠に手を合わせている記憶。
──これ以上の喜びは、ない。
「千月様」
呼ばれて千月は千羽を見上げた。老婆──ひばりには千羽の声や姿は認識されておらず、ただただ孫の無事を祈っている。
「ひばり殿を早く病院へ連れて行ってあげてください。小生はあの娘の元へ向かいます」
今なら千月から受けた神気と、ひばりのあつい信仰心とで、彼女を救ってあげられる。千羽の決心を読み取った千月は頷くと、ひばりを車椅子に乗るよう促した。
「お婆様、お風邪を召しますから病院に戻りましょう」
「でも……」
「お孫さんは必ず助かりますから」
祠から離れることを躊躇うひばりは、千月の言葉を聞いて驚いた。
「夏ちゃんのこと知ってるのかい?」
「お孫さんのお友達の知り合いなんです」
再び車椅子に乗るよう促すと、今度は何も言わずに乗ってくれた。千月は車椅子を押して祠を離れ、病院へ向かう。
「お婆様のお名前、ひばりさんって言うんですね。千羽殿から聞きました」
良いお名前です、と車椅子を押しながらひばりに話しかける。
「あれまぁ……もしかして千羽様が見えるのかい?」
「はい。ひばりさんが自分のことを憶えていてくれて、とても喜んでいましたよ」
「そう……そうかい……」
年若い頃から何十年もの間、千羽様の祠にお参りをしていた。自分には千羽様の姿も見えないし、声も聞こえない。しかし、こうやって千羽様の意志を知ると、熱いものがこみあげてきた。
「千羽様のことを教えてくれてありがとう。ええと……」
「申し遅れました。私は千月と申します」
千月はひばりと対面するように車椅子の前方にしゃがむ。
「千月さん。本当にありがとう」
千月の手を握り締め、何度もありがとうと繰り返す。
病院に着いた頃、ひばりはふと気付いた。雨に濡れていた服や髪が、いつの間にか乾いていたのだ。不思議に思ったが、病室に戻るよう千月に促されたので従うことにした。
(体が冷えて体調を崩してはいけませんからね)
明日になれば孫が元気になるのに、祖母が体調を崩して寝込んではいけない。そう思った千月が水を操り水蒸気にさせて乾燥させたのだ。自然を操ることが出来る千月にとっては、これくらいのことは朝飯前だ。
やがてひばりに気付いた看護師に千月が事情を説明し、ひばりを預けることにした。
それからほどなくして、千羽の力により夏実は意識を取り戻した。この知らせをひばりが耳にしたのはすぐのことだった。
2011/05/30
2023/07/06 一部修正
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