第七話 再会と約束


 牛鬼は夢を見た。
 まだ梅若丸だった頃、一人の少女と出会った。生活上、母以外の異性とはあまり会話を交わした覚えはなく、話の合う同年代の子もいなかった。
 しかし、少女は違った。少々遠慮気味なところもあったが穏やかな雰囲気で、一緒にいると落ち着いたし、会話も多すぎず少なすぎず、ちょうど良かった。
 その後、捩眼山で牛鬼によって母を殺され、自分も人ではなくなった。
 人間から見れば凄惨ともいえるその場所に、あの少女がいたことを覚えている。近付いてくる少女の手に傷を負わせたのも、覚えている。あれは、妖となった自分を見て欲しくなく、近くにいたらいつ命を奪うかわからないからだ。それなら、初めから近寄らないようにとわざとやった。
 やがて少女は山を去り、これ以降姿を見ることはなくなった。

 月日は流れ、武闘派集団の牛鬼組と呼ばれるようになると、奴良組との抗争が起きた。牛鬼は負けたものの総大将に気に入られ、親になると言われてひどく嬉しかったのを今でも覚えている。
 奴良組傘下に入ればさらに賑やかになり、組員が家族のように感じられた。

 ──ここで、夢は終わる。

 * * *

 まぶたを開ければ、木の天井が視界に広がった。上半身を起こして縁側を見れば、髪の短いリクオがこちらを見返してきた。

「あ、起きた?」

 どうやら朝になると人間に変わってしまうというのは本当らしい。今は人間だが、夜になれば妖怪になってしまうのは、昼のリクオは自覚しているという。昨夜のことも、旧鼠も、蛇太夫も、カゴゼも、自分がやったことを覚えている、と。

「怖いけど……本当は平和でいたいけど、守らなきゃいけない仲間もいる。この血に頼らなきゃいけなう時もあるって知ったから……」

 リクオは立ち上がり、牛鬼にいつもの明るい笑顔を見せた。

「だから僕は、牛鬼が百鬼夜行にいてくれたら嬉しいよ」

 謀反を起こした自分と対峙し、全力でぶつかり、自分を上回ってなお認めた。やはり、リクオは三代目に相応しい器の持ち主だ。

「そうそう。きみに用事があるのは僕だけじゃないんだ」

「……?」

 牛鬼が疑問に思い、リクオを見上げれば、部屋の奥の方に視線を移す。誰かいるのだろうかとリクオとは反対側に顔を向ければ、着物の女性が静かな寝息を立てていた。

「これはどういう……」

「それは本人から聞いた方がいいと思うよ」

 にっこりと笑みを浮かべるリクオに、牛鬼は黙り込んだ。
 あの顔は理由を知っている。絶対知っている。

「牛鬼と牛頭丸の手当てをしたの、千月さんだよ。つきっきりで看病してくれてたけど、疲れて寝ちゃったんだ」

 リクオは、旅行の途中だからみんなと合流しないと、と部屋を出た。そばに控えていた黒羽丸とトサカ丸に、本家に戻るよう指示すると、牛鬼に別れを告げて屋敷を出ていった。

 外で小鳥が鳴いている。何とも寝覚めの良い朝だろう。
 ──すぐ隣で眠る女性を除けば。
 牛鬼はじっと女性を見下ろす。リクオは確かに千月と呼んでいた。牛鬼の記憶の中で、千月という名前の女性は一人しかいない。

「千月……」

 牛鬼が千月の頬にそっと触れると小さく声を漏らし、ゆっくりと目を覚ましたので、すぐに手を離して様子を伺う。彼女は数回まばたいたのち、緩慢な動きで牛鬼を見ると、慌てて飛び起きた。

「あっ……寝てしまいました! 申し訳ありません!」

 寝ていたため、少しばかり乱れた髪を撫でつけると頭を下げた。

「いや、構わない」

 千月は頭を上げたが、視線は落としたまま。睡眠を促したリクオの姿がない。何処に行ったのかと牛鬼に聞けば、学友のところに戻られたと返答があった。

「…………」

「…………」

 千月は牛鬼を見ることが出来ず、若干混乱していた。
 駄目だ。夜中にあれほど何を話そうか頭の中で考えていたのに、いざ本人が目の前にいると何を話していいかわからない。
 ──ああ、まずは名乗らないと。

「あの」

「あの」

 呼びかけが重複したせいで、二人は驚きつつもお互い吹き出す。

「すまない」

「いえ、こちらこそ」

 ひとしきり落ち着いた頃、牛鬼から話しかけてきた。

「リクオから聞いた。私と牛頭丸の手当てをしてくれたそうだな。礼を言う」

「傷の具合はいかがですか?」

「痛みもない。これなら早く治りそうだ」

 良かった、と千月は胸を撫で下ろす。

「ところで……名は千月か?」

「……はい」

「野宿した時、食べ物もくれた千月か」

「はい。……覚えていてくださったのですね」

 ぬらりひょんの言った通りだった。
 もちろんだとうなずいた牛鬼は、千月の右手に視線を落とす。傷跡は残っていないが、綺麗な白い肌を傷つけてしまったのだ。牛鬼はひどく後悔していた。

「傷をつけてすまなかった」

「気にしないでください」

 大丈夫だからと笑う千月に、牛鬼は幾分救われた。

「しかし、千年も経つとお互い歳を取るものだな」

「そうですね。梅若丸は随分逞しくなられて……」

「懐かしい名だ。お前こそ、美しくなったな」

「もう、お上手ですね。以前も総大将から口説かれましたが、やはり慣れるものではありませんね」

 改めて誉められると、何だかくすぐったいものがある。照れ隠しとしてぬらりひょんに口説かれたことをこぼすと、牛鬼が反応した。

「……総大将に?」

 聞き返されたので、千月は反射的にうなずく。

「ええ。総大将と初めて──」

 出会った時に、と続けるつもりだったが、牛鬼に遮られた。

「千月、もう伴侶はいるのか」

「……おりませんが……」

「ならば、総大将と私なら、どちらを選ぶ?」

「えっと……」

「今は亡き珱姫殿をあれほど愛し抜いた総大将が再び奥方を娶るとは思えんが……。千月、やはり総大将を選ぶのか?」

 矢継ぎ早に繰り出される牛鬼の問いに戸惑いつつも、千月は冷静に頭の中で整理する。

 ぬらりひょんに口説かれたと話す。
  ↓
 伴侶の有無を確認される。
  ↓
 未婚と答えたら、ぬらりひょんと牛鬼の二択を迫られる。
  ↓
 奥方を娶る話になる。

 つまり、婚姻を結ぶなら、どちらを選ぶのか、ということ。

「お、落ち着いてください。確かに総大将に口説かれましたが何百年も前の話で、きっぱりと断っています」

「…………何?」

 たっぷり五秒を数えた頃、牛鬼の眉間の皺が三割増しになった。どうやら勘違いと気付いたようだ。千月に掴みかかる勢いが急速に鎮静化し、はぁと深く息をついて額に手を当てる。

「……今のは忘れてくれ」

 冷静で思慮深く、幹部の中でも意見を重用されるほどの男が、勘違いで取り乱す姿はかなり珍しい。微笑ましく思うと同時に嬉しくもあった。牛鬼の言動から察すれば、どうやらお互いの気持ちは同じ方向のようだ。

「いいえ、忘れません。初めて会って千年も経つんです……いつかあなたが私以外の女性と結ばれるのでは、と内心恐れていました」

 牛鬼が千月に顔を向ける。

「では……」

「ご迷惑でなければ、あなたのそばにいさせてください」

 牛鬼が手を差し出してきた。何だろうと思いつつ握り返すと勢い良く手を引かれ、布団の上まで軽々と引き寄せられる。

「きゃっ」

 見上げれば、すぐ近くに牛鬼の顔があった。

「これまでに何度も本家を訪問していたそうだな。そのたびに総大将から千月のことで聞かれた」

「それは……もし覚えていなかったらと思うと怖くて」

「それで千年もすれ違いを続けていたのだな、私達は」

 長いな、と牛鬼は苦笑する。

「ああ、そうだ。約束がまだだったな」

 約束──
 一瞬何の約束だろうと考えたが、すぐに思い出した。

「千月、これから共に歩んでくれ」

 いつも寄せている眉間の皺がなくなり、緩やかな孤を描く。誰にも向けたことのないくらい、愛情ある優しい笑みだった。
 千月と牛鬼の気持ちが、ようやく一つになった。牛鬼は千月の顎に手を添えて上を向かせ、顔を近付ける。

「ん……」

 二人の唇がそっと重なり、離れる。

「緊張しているのか? 可愛い奴だ」

「梅若丸っ……」

 今までに何度もからかわれたが、やはり慣れない。

「その名を呼ぶのも千月だけだな。梅若で構わん」

 愛しい人だけが呼ぶ名前。何と嬉しいことだろう。
 牛鬼と千月は幸福感に包まれ、互いを優しく抱きしめた。

 * * *

 その後、ようやくささ美から解放された馬頭丸が牛鬼を案じて部屋に駆け込めば、女性と抱き合っているのを見てしまった。驚きのあまり牛頭丸を叩き起こしに行けば、軽く殴られた。
 二人で再び牛鬼のいる部屋に向かえば、牛鬼より事情を説明された。女性が妖狐で、牛鬼とは相思相愛の関係であること。最初は信じられなかったが、牛鬼が嘘をつくわけがない。
 千月は牛頭丸・馬頭丸に受け入れられたのち、他の牛鬼組組員にも紹介された。
 そうして、捩眼山の屋敷に新たな住人が増えることになった。


2011/04/26
2023/07/06 一部修正

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