第5話 夕張にて


 野山の雪はすっかり解けて緑の世界が広がっている。春になったのだ。
 プクサというギョウジャニンニクは、アイヌにとってなくてはならない食材だ。フラルイキナ(におい強い草)ともいい、臭くて病魔が逃げ出すと言われているので、枕の下に置いたり玄関や窓に吊るしたりもする。生で食べると美味しく、やわらかい新芽が味わえるのは今の時期だけだ。
 杉元はアシパからプクサの新芽を手渡された。モシャリと口に含んで咀嚼すれば、わずかな辛味を感じるが美味しい。
 プクサはとても精力がつく食材だ。働きながらたくさん食べれば、どんな病気にも効くので、顔の傷も早く治るだろう。
 他にもアシパは、日当たりの良いところに生えている二枚の葉のプクサだけ採れと言った。根を採るとカムイが怒って病気にするといわれており、次の年は生えてこなくなるという。

「自然を壊さないようにしているのよね。理に叶った言い伝えだわ」

 小夜子もプクサの新芽を採って食べようとしたら、杉元が手招きして味噌の入った曲げわっぱを取り出した。味噌をつけて食べたらきっと美味いと言いたいらしい。試しに少量の味噌をつけて食べてみれば、杉元の考えたとおり抜群に美味しかった。
 ふと視線を感じてそちらを見れば、アシパがじっと見つめていた。プクサに味噌をつけて食べて再び顔をあげると、だんだんこちらに近づいてきていることに気づく。
 最初はオソマだと言って非常に嫌っていたのが今となっては味噌の虜となり、ことあるごとにねだってくるのだ。

「杉元のオソマは何にでも合うなぁ! ヒンナヒンナ!」

 オソマじゃないって、とたしなめても彼女はヒンナを連呼しながら満面の笑みでプクサに味噌をつけて味わった。

 プクサの他にも、コロコニ(フキ)やマカヨ(フキノトウ)もこの時期に採れる春の食材である。
 フキの若葉は生で食べられ、アイヌの子供達が選びながらおやつにする。だが、口の周りが黒くなるのでフキを食べたことがわかってしまう。
 フキノトウは大きくなっても葉と花をちぎって茎を焼き、皮をむいて鍋に入れるとフキより美味しい食材となる。

 アイヌにとっての季節は冬と夏だけが交互に来る。春と秋はその隙間にちょっとだけくっついているものだ。
 冬は山へ狩りに行く『男の季節』で、氷が溶けて水になるとマッネパという『女の季節』が来る。この時期に山菜や野草などの青物をたくさん採り、乾燥させて保存食を作る。またやって来る長い冬の間、ひもじい思いをせず安心して暮らせるよう夏の間に備えるため、これからどのコタンも女達は忙しくなる。

 三人がコタンに戻ると、キロランケと白石がサクラマスを捕まえてきた。

「ああ〜、杉元フキ食べたでしょ!」

「白石も食べたね?」

 サクラマスをかかげた白石の口の周りは黒く汚れている。彼もフキを食べたのだと一目でわかった。

「アシパちゃんも……」

 白石がアシパの顔を見れば、顔全体が黒く汚れていたので驚いた。

「ええ〜? アシパちゃん食べすぎ!」

「ごはんが入らなくなるからからやめなさいって言ったんですけど、聞かなくて」

 小夜子が困った子ですと言い、なごやかにみんなで笑ったあと、食事の支度が始まった。
 切り身にしたサクラマスと焼いて皮をむいたフキノトウの茎、フキとギョウジャニンニクを入れて塩で味付けして煮込めば、春に食べる汁物で一番美味しいイチャニウ(サクラマス)のオハウの完成だ。

「いただきます!」

 杉元や小夜子が待ってましたとお椀によそいだ汁をすすり、具材を食べる。

「美味い! 辛かったプクサがすげー甘くなってる」

 長い冬は乾燥した食材で乗り越える。そのため、今はどのコタンでも新鮮な青物が食べられるのがとても嬉しい季節であり、フキも甘くてほろ苦い春の味だ。

 たくさん食べておおいに盛り上がったあと、イタドリの若芽やヨモギといった傷に効く薬草を小夜子が調合し、アシパが杉元の顔の傷──日高で斃した赤ヒグマに負わされた傷に塗り込んだ。他にも熊の油も毎日塗られている。
 しっかり薬を塗ったことを確認すると、アシリパは早々に眠ってしまった。

「俺は傷跡なんてどうだっていいんだけどな」

「傷が増える前の顔が気に入っていたのかな?」

 キロランケは、ぐっすり眠るアシリパをちらりと見る。
 そのかたわらで小夜子は傷の手当てに使った道具や薬草を片付ける。

「確かにもともとモテそうな顔ではあるよな。さすがに結婚はしてないんだろ? 地元にいい人くらいいるんじゃねぇのか?」

 白石の何の気ない質問に、しかし杉元は答えを返さなかった。

「……あれ? 否定しないね? ひょっとして金塊が欲しいのもその女が関係してんのかい?」

「白石、もういいだろ、その話は」

 あまり詮索するものじゃないぞとキロランケがキセルを吸ってやんわりとたしなめた。
 確かに過去を話したがる人間はあまりいない。辛い過去ほど秘密にしたがるものだ。小夜子も過去をまだ誰にも話したことはないのだから。

 * * *

 杉元一行は夕張に到着した。
 手持ちの現金を増やすために、早速薬売りの男性に日高で斃した赤ヒグマの胆のうを売ることにした。

「なあ小夜子さん、ヒグマの胆のうっていくらぐらいで売れるんだ?」

「そうですねぇ……平均でだいたいこれくらいでしょうか。もちろん重さによって変わりますが」

 持ち歩いているそろばんをパチパチと弾いて見せれば、杉元は「ほうほう」と相槌を打った。
 旅の道中、狩りで手に入れた毛皮や売り物になりそうなものは街で現金に換えるのだが、足元を見て安く買い取ろうとする商売人もいるので、相場を知っておけば相手の言いなりにならずに済む。
 今回は薬売りが相手なので、同業者の小夜子にこうやってあらかじめ相場を聞いているのである。

「でも気を付けて下さい。アシパちゃんが売りに行くと安く見積もられるかもしれませんよ? 私が交渉しましょうか?」

「いやいや、心配ご無用だぜ小夜子ちゃん」

「だいたいの相場がわかればいいんだ」

 知識を持つ相手なら足元を見られないので安く買い取られることもないと言ったのだが、白石と杉元は大丈夫だと答えた。

「あそこに甘味処があるから、小夜子はちょっとそこで休憩していてくれ」

 キロランケに駄賃を渡され、近くの甘味処を紹介された。あとは任せろと言い残すと、男性陣はアシパと一緒に薬売りの男を見かけた場所へ向かった。
 ──この時の小夜子は、三人がアシパを使って美人局をするとは思ってもいなかった。

 その後、街から一度離れた一行は、食事のため川でウクリペというカワヤツメを獲ることにした。
 アイヌはどうやってヤツメウナギを食べるのかと杉元が尋ねれば、背割りにして乾燥させたものを焼いて食べるだけという。
 白石の提案でヤツメウナギは蒲焼きにしようということになったので醤油、砂糖、酒でタレを作る。熊の胆が高く売れて白米もたくさん購入出来たので、今回の食事は少し豪勢だ。

「それにしても、あの男の人には悪いことしたなぁ……」

 アシパ相手に足元を見て熊の胆を安く買い取ろうとした薬売りの男は災難であった。子供だと甘くみれば悪人ヅラの男三人に絡まれ、がっつり高値で買い取らされたのだ。美人局に遭った彼にとっては厄日だろう。
 小夜子を連れて交渉しなかったのは、子供だけの方が相手には下に見られやすいからである。つまり、初めから美人局で高額の金をむしり取る予定だったのだ。

「子供だと思って足元見た奴なんだし、気にしなくていいんだよ」

 杉元の言葉に小夜子は苦笑する。まあ、確かにあの薬売りは足元を見過ぎだと思うので自業自得というべきか。おかげで白米をたくさん買えたのだから。
 白樺の樹皮で作った四角い器に炊いたご飯をよそって蒲焼きを乗せ、すりおろした山わさびを薬味にすれば、カワヤツメのうな重の完成だ。食感はウナギより少しばかりかたいものの、ぷりぷりしていて美味しい。見た目はウナギに似ているが、骨は全部軟骨なのでコリコリしている。
 食事の間、キロランケがアイヌの逸話を一つ教えてくれた。神様が獲った熊を解体して石狩川を舟で運んでいたら転覆してしまい、流されたヒグマの腸がウクリペになった。だからヤツメウナギには骨がないのだ、と。

「白石も体の関節がぐにゃぐにゃなのは、ヒグマのチンポが白石になったからかもな!」

「やだぁアシパさん!」

「そんなこと言っちゃいけませんっ」

 恥じらいもなくチンポと言うアシパに、杉元と小夜子がすかさずたしなめた。

 * * *

 食事を済ませた一行は再び夕張の街へ戻り、杉元・白石の二人組と、アシパ・キロランケ・小夜子の三人組に分かれて入れ墨のことについて聞いてまわった。
 そうすぐに囚人の情報が集まるとは思っていないので、ひたすら聞き込みを続けていると炭鉱から地響きのような轟音が夕張の街に届いた。

「またガスケだ」

「今のは久々にでかかったな、山が揺れたぞ」

「大非常だ!」

 ガスケとはガス爆発、大非常というのは大事故だという意味である。石炭が生成される際、メタンガスが発生するので石炭の層には大量のガスだまりが存在する。そのため、掘削作業中に噴出しては爆発事故が頻繁に起こるのだ。住民達は不安げに山を見上げる。
 小夜子はアシパ、キロランケと共に、炭坑へと続く出入口に駆けつけた。野次馬がぞろぞろ集まっているのに、いくら周囲を見渡しても杉元と白石の姿がない。

「……まさか、杉元さん達は中にいるのでは……」

 爆発事故で火災が起こった時の消化方法は、坑道を密閉する他ない。物が燃えるには酸素が必要だ。その酸素を取り入れないために通気を遮断するのである。たとえ坑道内に逃げ遅れた者がいても、だ。
 もしかして何らかの事情で坑道内に入り、爆発に巻き込まれたのではと不安な気持ちが大きくなった時、野次馬がざわついた。

「誰か出てくるぞ!」

「逃げ遅れた奴か?」

「すげぇ! あの旦那、二人も助け出したぞ!」

 炭坑の出入口から出てきたのはスーツ姿の大柄な男だった。彼は肩に二人の男を担ぎ上げている。それは杉元と白石で、スーツの男は不敗の牛山だった。生き残った人間を助け出すなんて、とその場にいた全員が歓声をあげる。

「よお嬢ちゃん達、また会ったな」

「……チンポ先生ェ……」

 アシリパがとろんとした目で牛山を見上げ、既に干からびたはんぺんを取り出した。もはや彼女の中では牛山は心の師匠に昇華しているのかもしれない。

「はんぺん、まだ持ってるぅ!」

「アシパちゃん、それは捨てなさいね……」

 札幌で拾ったはんぺんを持っていたことに衝撃を受けた杉元は思わず叫び、小夜子は後生大事に持っていてももう食べられないので早く捨てるように言った。
 ひとまず牛山はアシパと小夜子の前まで行き、担ぎ上げていた二人をおろして水を飲ませて落ち着かせる。

「ところで、何であんたがこんなところに……」

 杉元と白石は爆発に巻き込まれたことで顔も服も煤で汚れていた。このままにさせているのもあんまりだと思った小夜子は汲んできた水を柄杓で手ぬぐいにかけてしぼり、先に杉元の顔の汚れを拭き取る。風呂に入って洗った方が汚れは取れるだろうが、とりあえず今は顔だけでも綺麗にしてあげたい。

「連れと夕張に来ていたがふらっといなくなってな。捜していたらお前らがトロッコに乗ってるのを見つけたんだ」

「連れ?」

 牛山が坑道の出入口に目配せすると知った顔が姿を現した。

「しょうがねぇ、そいつら連れてついてこい」

 面倒くさそうに髪をかき上げる、小銃を持った軍服の男。鶴見中尉のところにいた兵士だ。

 小夜子は杉元が使った手ぬぐいを水で洗い流して絞ると、次は白石の顔を拭いてあげる。爆発に巻き込まれて散々な目に遭ったにもかかわらず、彼は小夜子に顔を拭かれて鼻の下を伸ばす。

「はぁ〜……小夜子ちゃんの手ぬぐいだぁ……」

 兵士は白石が口にした名前に反応し、そちらを見やる。
 白石は女から手ぬぐいを取り上げて頬ずりをしている。洗うので返して下さいと女が白石と攻防をしばらく続けていたが諦め、新しい手ぬぐいを取り出して水で濡らした。

「もう、白石さんったら……あとで返して下さいね」

 呆れた人ですねと女は軽くため息をつきながら手ぬぐいをしぼって折り畳む。彼女のかんざしに見覚えがあった。十数年前、仲の良かった少女に贈ったもので、どんな模様がいいか祖母に尋ねて作ったかんざしだ。

「顔を拭くのにどうぞ。汚れが取れますよ」

 濡らした手ぬぐいを差し出した女は髪で左目を隠しているのではっきりとした顔立ちはわからないが、名前とかんざしで一人だけ心当たりがある。

「……鳴海小夜子か?」

 名前を呼ばれて小夜子は一瞬戸惑ったが、顔立ちで何となく誰かがわかった。小さい頃、あちこち連れ回して遊んだあの少年だ。
 茨城にいたはずなのに、どうして北海道にいるのか。
 ──ああ、陸軍兵士の格好をしているので日露戦争から帰ってきたのだろう。
 成人男性として成長した姿に、再会出来た喜びよりも驚きが勝り、名前を呼ぼうにも上手く声が出ない。

「……百之助君?」

 それでも何とか発した声には、幼馴染みへの懐かしさが滲み出ていた。


2020/02/17

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