第3話 占い師


 小夜子は夢を見ていた。北海道に引っ越して自宅にいた頃の夢だ。両親が健在だったころの夢はぼんやりと薄れていき、やがて意識が覚醒して目を覚ます。自宅兼診療所は洋風の造りだった。ホテルも洋室なので昔を思い出して夢を見たのだろうか。
 そんなことを思い返していると何やら騒がしい物音が連続して聞こえ、直後、ドアが勢いよく叩かれる。

「おい、小夜子! 起きてるか!?」

「は……はい、起きました」

「今すぐ荷物をまとめてホテルから逃げるぞ!」

 キロランケの切羽詰まった声に眠気は完全に消え去った。小夜子はすぐに身支度を整えて薬箱を背負って部屋を出れば、ちょうど隣の部屋からキロランケがアシパを抱えて出てきた。

「キロランケ! 小夜子さん! 荷物を全部まとめろ!!」

「アシパが気を失っている」

「地下は火の海だ! すぐに脱出するぞ!」

 奥の廊下から杉元が慌てた様子で走ってきた。キロランケは杉元にアシパを渡し、部屋の荷物を手早くまとめる。
 何とか階段で下におりようとした時、慌てふためきながら走ってきた白石がこう言った。「爆薬を袋ごと火の中に落としちまった」と。昼間、鉄砲店で購入したばかりの爆薬が詰まった袋だ。量が多いので火が付けば建物ごと吹き飛ばせるだろう。
 何としてでも急いで外に出なければ。必死になって玄関扉に辿り着いて外に出た直後、ホテルが爆発した。まさに間一髪だ。轟く爆音でアシパが目を覚ます。

「はっ……チンポ先生は?」

 一行は、轟音を響かせて崩れ落ちていくホテルをただ眺めることしか出来なかった。
 アシパはチンポ先生と絶叫し、どこから飛んできたのか地面に落ちた白いはんぺんを拾い上げる。四角い形はまさにあの柔道家の額のタコにそっくりだ。

「警察や軍も集まってきてるぞ。面倒になる……ひとまずずらかろう」

 周辺住民がどうしたんだと集まってきた。騒ぎを聞きつけて警察や軍が来れば、宿泊していた杉元達は事情聴取で足止めをくらうし、第七師団にも居場所を知られてしまう。それは何としても避けなければいけない。
 とりあえず夜が明けるのを待つことにした。

 * * *

 東の空が明るくなったので、杉元達は再びホテルへ向かった。
 キロランケが野次馬から聞き入れた情報では、消防も警察も死傷者は見つけられなかったという。入れ墨の囚人・家永が宿泊客の拷問や解体に使っていた地下室も瓦礫で埋もれてしまった。
 家永と、同じく入れ墨の囚人のチンポ先生こと牛山の二人の死体があるとすれば地下室ではないかとキロランケが推測するが、杉元は否定した。爆発の直前まで二人とも二階にいたと白石が証言していたのだ。
 アシパは牛山が気になるのか、昨夜拾ったはんぺんを取り出してじっと見つめる。

「白石の野郎、買ったばかりの爆薬を吹き飛ばしやがって……今頃あの鉄砲店は目をつけられているかもしれないな」

「爆薬はやはりキロランケさんが管理しておいた方が良いのでは……」

 もう少し遅ければ全員爆発に巻き込まれていたのだから、工兵としての経験があるキロランケが持っていれば安全だろう。
 そういえば白石はどこに行ったのだとアシパが呟いた。どうせススキノにでも行っているんだろうと杉元が言うと返答があった。

「だがそのススキノで俺は囚人の情報を掴んできたぜ!」

 ひょっこりと瓦礫の間から顔を出したのは、爆発以降行方がわからなくなっていた白石だった。彼は網走の計画が上手くいく保証がないのだから、道すがら囚人の情報を入手すればそちらへ向かうべきだと提案した。
 遊びに行ったススキノで手に入れた情報によれば、日高に囚人がいるとのことだった。

 * * *

 杉元一行は日高に向かう途中、苫小牧に立ち寄った。手持ちの現金が少なくなってきたので、罠で狐を捕まえてその皮を売るためである。古い油樽の内側に向けて三寸釘を打って仕掛ければ、狐が底に残った油を舐めようと頭を突っ込み、釘に引っかかって抜けなくなる罠だ。
 小夜子はこれまでの行商で稼いだお金をあてがうと申し出たのだが、杉元達が反対した。小夜子個人の所持金なのだから持っておくように、と。もしもの時に頼るかもしれないが、出来る限り使わないでくれと言い添えれば、小夜子はわかりましたと頷いて引き下がった。
 アシパが言うには、狐の皮は一枚一円で売れる。カワウソも同じ程度で、ヒグマなら今年は五円、エゾリスはもっと安く二十銭ほどらしい。
 狐一匹で酒が六升変えるなと言った白石に、杉元が顔をしかめた。キロランケの爆薬を台無しにした人間が言う言葉かよ、と。
 反省の色を見せずにとぼける白石に、キロランケが追い打ちをかける。

「それにな杉元、この男は札幌で──」

「キロちゃんそれ言わないでぇ!?」

「アシパと小夜子から金借りて、競馬で全部スッったんだぜ」

「きゃはあああ! 言っちゃったああああああっ!!」

 声高な叫び声とは逆に、白石の顔色は青ざめて冷や汗が流れ落ち、がたがた震え出した。

「あのお金、博打に使ったのか……しかも私だけではなく小夜子にも借りて……」

「白石さん、囚人の情報集めに使うって言ってたのに……」

「樽の底の油舐めろ」

 仲間に借金した挙句、全て博打に使ってまだ返していないと知った杉元は、狐狩りに使った油樽を白石にかぶせ、アシパはストゥで両足を何度も叩いて制裁を加えた。

 勇払のコタンには、アシパの祖母の弟で六人いる兄弟の末っ子の男性がいるので、彼の家に泊まらせてもらうことになった。
 小夜子は以前、このコタンを訪れたことがある。アシパの親戚がいるということで彼女に紹介されて大叔父の世話になったのだ。大叔父に挨拶をすると、彼は久しぶりに会えた小夜子を笑顔で歓迎した。
 それから大叔父は、最近は思いがけない人が来る、この間も不思議な女が現れて村に居ついている、とアシパに伝えた。過去や未来が見えるというその女のせいで、村のみんながおかしくなっているのだとも。
 アシパが大叔父のアイヌ語を通訳していると、ちょうどその女がこちらに向かってきた。名をインカマッというらしい。

「素敵なニパ達がいらっしゃいますね」

 赤地に白い紋様の服をまとい、狐の襟巻を身につけ、アイヌの女性らしく口の周辺に入れ墨を彫っている。なだらかに吊り上がった切れ長の目は狐の印象を与えるが細面の美女だ。

「白石由竹です! 独身で彼女はいません!」

 家永にも同じことを言ってお近づきになろうとしていたので、これは白石がナンパする常套句のようだ。実際、小夜子も初対面の時に言われた。

「あら、頭から血が出ていますよ?」

「釘のついた油樽をかぶせられたんです!」

「私、傷のある男性にとても弱いんです。そちらの兵隊さんもとても男前ですね」

「そりゃどうも」

 切れ長の目を細めてにこりと笑うインカマッに、杉元の頬がほんのり赤くなる。

「スギモト オハウ オ オソマ オマレ ワ エ」

「んまあ! 臭くないんですか?」

 杉元は汁物にウンコを入れて食べる、とアシパがアイヌ語で言えば、インカマッは驚いて首を傾げた。
 アイヌ語がわからない杉元だが、『スギモト』『オハウ』『オソマ』の単語を並べたので直感した。アシパは自分がウンコを食うと紹介したのだ、と。

「アシパさん! また俺がウンコ食うって言ったでしょ!?」

「言ってない」

 杉元が慌てて問いただすも、アシパは澄ました顔で否定した。

「ちょっと待って。あなた達は……小樽から来たんじゃありませんか?」

 インカマッの言葉に白石がどうしてわかるのと驚く一方、アシパは安易に信じたりはしなかった。大叔父の親戚が小樽に多いと誰かに聞いたんだろう、と杉元に耳打ちする。

「私、見えるんです。あなた達は誰かを……あるいは何かを探している」

「嘘でしょ!? 凄い、そのとおりです!」

 やはり白石は簡単にインカマッの言葉を信じてドキリとした。
 インカマッは占いが得意だという。『ニウオク』といい、アイヌはことの大小にこだわらず判断に迷った時は占いで物事を決める。その結果は神の意志として疑うことなく従うのだと説明してくれた。
 鞄から取り出したのは『シラッキカムイ』という、占いに使う狐の頭骨だった。柳の木の削りかけで作った木幣という祭具の包みの中には、真っ白な獣の頭骨が入っていた。インカマッの先祖から代々伝わるもので、最も霊力の高い白狐の頭である。

 インカマッが説明している間、小夜子は鉛筆と雑記帳を取り出して書き留めていく。文字だけでなく、今取り出した祭具や頭骨の絵も簡単にだが描き添える。

「占う時はまず下顎を頭の上に乗せます。ゆっくり頭をさげて落とし、下顎の骨が落ちた具合で物事を占います。歯が上になれば良い兆しです」

 あなた達の探し物が見つかるかどうか占いましょう。
 そう言って、インカマッはゆっくりと頭をさげた。杉元もアシパも、下顎の骨に注目する。小さな白い骨はそのまま落下し──

「歯が下を向きました。希望は持てません。不吉な兆候を感じます。予定は中止すべきでしょう」

 一行は占いの結果に神妙な顔になって言葉が出てこない。
 それでもただ一人、アシパだけがはっきりと告げた。

「何にでも当てはまりそうなことを、あてずっぽうで言っているだけだ。私は占いなんかに従わない。私は新しいアイヌの女だから」

「そうですか。あくまで占いであって、指示ではありませんから」

 頭骨を鞄の中にしまって立ち上がったインカマッはあっさりと受け流すが、改めてアシパを見つめてこう言った。

「ところで……探しているのはお父さんじゃありませんか?」

 まさか父親のことを言い当てられるとは思っていなかったアシパも、さすがに緊張した面持ちへと変わる。
 だが、インカマッはあてずっぽうですのでお気になさらずと言って立ち去っていった。

 その後、予定どおりアシパの大叔父のチセで休ませてもらったのだが、朝になると白石の姿が消えていた。馬も見当たらないのでどこに行ったのかと村中を探してまわったが、やはりいない。
 しばらくしてキロランケが情報を入手した。白石はインカマッと苫小牧競馬場へ向かった、と。

 * * *

 杉元、アシパ、キロランケ、小夜子はすぐに競馬場を訪れた。一発当てることを夢見た人間が大勢いる中、ようやく白石を見つけて駆けつければ、お守りや魔除けの道具を身につけていた。人相もがらりと変わっている。

「おう、貧乏くさいのがいると思ったらお前らか」

「白石てめぇ、アシパさんと小夜子さんに借金があるくせに競馬で博打とはいい度胸してんな?」

「借金? ああ、いくらだっけ? 二円? 三円?」

 杉元がつかつかと歩み寄ると、白石は昨日までは持っていなかった紙幣をぽいっと投げ捨てた。

「おら拾いな」

 お金を投げ捨てるとは何という男だ。杉元が慌てて拾い集める間、アシパが容赦なくストゥで制裁を加える。

「目を覚ませ白石! 占いで博打を打つなんて必ず痛い目にあうぞ! この狐女にたぶらかされるな!」

「誰が狐女だ! インカマッ様と呼べ!」

「息がくさいっ」

 白石が身につけている木の枝のようなものは、イケマの根である。とても嫌なにおいがするので魔除けに使われる植物だ。葬儀の時に歯で噛んで息を吹きかけて魔除けにしたり、矢に吹きかけると獲物にまっすぐ飛んでいくといわれている。
 そのイケマの根を噛んだ白石の息はとても臭く、アシパが思いきり顔をしかめた。

「インカマッさん、もっとアイヌの占いについて教えて下さい」

「いいですよ」

 アイヌの占いについてはまだ目にしたことがないので、小夜子にはとても興味を惹く内容だ。鉛筆を握り締めてインカマッに話しかける。
 好奇心が強く、純粋な知識欲が行動原理ともいえる小夜子に、アシパは相変わらずだなと苦笑した。

「……あなた、お友達の身を案じていますね」

 雑記張に書き留めている小夜子の顔をじっと見つめていたインカマッがぽつりと呟いた。

「え……」

「だいぶ昔に別れた男の子です」

 身の上話を全くしていないのに言い当てられて小夜子はドキリとした。

「そのお友達とまた出会えるかどうか占ってみましょうか?」

 切れ長の目をにこりと細めるインカマッの言葉に小夜子がどう返事しようか考えていると、競走に出る馬を観察していたキロランケの呟きに思考を遮られる。

「……次に勝ちそうなのは三番か四番だな」

 三番や四番は背中や尻の形が良く、歩く調子も軽い。
 一番と二番は目に光がなく、毛の艶も悪い。
 五番も舌を出してハミを嫌がっていて集中していない。
 六番は気持ちが焦っており、勝ちたい気持ちが前に出すぎているのが歩き方でわかる、と説明した。

 果たして馬に勝ち負けがわかるのだろうかという杉元の疑問に、キロランケはわかると答えた。実際に競走馬が走ったあと、負けた相手の顔を凄い顔で睨み付けるそうだ。

「俺は小さい頃から馬に乗って育った。馬に詳しいから日露戦争でも工兵部隊の馬の世話を一手に任されていたくらいさ」

 馬を見つめるキロランケの瞳は真剣で優しさに満ちていた。彼の言葉に偽りはないように小夜子は感じられた。

 キロランケはさらに馬や競馬場の様子を見て回ると言ったあとに戻ってくると出で立ちが変わっていた。騎手の服を着用し、肩に届く髪は一つにまとめられ、立派な髭は綺麗に剃られていた。

「ちょっと事情があって、最終レース三番の馬に乗る。儲けたきゃ賭けろ。俺が勝つぜ」

 白石が競馬予報の紙を広げてみれば確かに二着と予想される強い馬らしいが、白石よりも体格のあるキロランケでは重くて馬が速く走れないのではないだろうか。最終レースの一着予想をインカマッに頼むと、結果は三番は勝たないと示した。

「白石、もうそこまでにしておけ。占いというのは判断に迷った時に必要なものだ。私達のこの旅に迷いなんかない。だから占いも必要ない」

 アシパは年若いながらも豪胆で賢く、杉元や小夜子が驚かされることも多い。そんな彼女の言葉は妙に説得力があった。
 そうだ。網走を目指すと決めたのだから、迷いを持ってはいけないのだ。

「さすがね、アシパちゃん」

 小夜子がアシパの頭を優しく撫でると、彼女は嬉しそうに顔を綻ばせた。
 ──が、インカマッが六番の馬が勝つと言えば白石が全額賭けると言い出して聞かなかった。挙句の果てには白石は所持金をインカマッに手渡し、買ってきてくれと頼む始末だ。
 アシパはインカマッを追いかけて買いに行かせるのを止めようと思って彼女を捜しに行き、杉元は暴れる白石を羽交い絞めにしてその場に押さえつけた。

「杉元、お前は金が必要だから北海道に来たんだろ? いくら必要なんだ? 金塊二万貫じゃないだろ? 命なんか賭けなくても稼ぐ方法が目の前にあるじゃねえか!」

 白石の言いたいことはわかる。実在するかもあやふやな金塊に命を賭けるよりも、安全で一気に金を増やす方法があるならそちらの方が良い。そんなこと誰もがそうだ。

「必要な額の金が手に入ったから『いち抜けた』なんてそんなこと、俺があの子に言うとでも思ってんのか!」

 ただの金稼ぎだけではなく、アシパの父親のことを探る旅でもあるのだ。一緒に見つけようと約束したのに、金だけ手に入れて「はいさようなら」など言えるはずがない。
 杉元はアシパと出会ってまだ二ヶ月程度の付き合いだが、相手を裏切るようなことは出来ないと告げると、白石はバツが悪そうに視線を落とした。

 最終レースが始まった。三番には騎手の服を着たキロランケが跨っている。
 各馬一直線に並んでスタートした──直後、キロランケは隣の騎手の鞭に顔を打たれて出遅れてしまった。他の騎手も殴られて落馬させられる。
 キロランケは馬を操り、落馬した騎手を踏まないよう馬を飛び越えさせたものだから、小夜子は驚愕と感心で思わずキロランケの走りに魅入り、レースを見守った。
 隣ではアシパがインカラマッが購入した券を改めて確認している。どれもこれも六番だ。本当に全部六番を買ったのかと呆れていたが、一枚だけ三番予想が混ざっていたことに気付いた。
 ──結果、キロランケの乗った三番の馬が一着となった。

 レース終了後、キロランケが戻ってきた。綺麗に剃った髭が早くも生え始めている。

「さっさとずらかるぜ。今頃大損したヤクザの親分が俺を捜してる」

 競馬場を仕切るヤクザは八百長でがっつり儲けるはずだったのに、別の馬が勝利したことで大損を喰らって怒り狂っていることだろう。それでもキロランケは勝ちたがっていた馬を見事一着に出来たので満足した表情だ。
 そういえば白石は、とあたりを見渡すと、負けて所持金を全て失った事実を受け入れがたいのか笑い声をあげて踊っている。放っておけばそのうちコタンへ戻ってくるだろうというアシパの言葉で、杉元達は一足先に競馬場を去った。

 教訓。
 博打に夢中になってはいけない。


2020/02/04

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