第2話 出立


 谷垣が回復するまで杉元とアシパは山で狩猟を行っていた。狩猟で獲った動物の毛皮やオオワシの羽根を売り、現金に換えれば、金塊を追う旅の資金になるからだ。
 もちろん白石も遊んでばかりではない。街に行き、入れ墨の囚人について街で情報収集を担当している。
 何日か経過すると、寝たきりだった谷垣が自力で起き上がれるようになった。

「やっと寝たきりから抜け出せた」

「傷も化膿せずに良くなっていますので一安心しました」

 谷垣の左太腿のえぐり取った傷口は、薬草と素早い処置のおかげで化膿することなく治っている。
 改めて谷垣が小夜子に感謝を伝えると、白石がチセにやって来た。アイヌの紋様の入った服を着ている谷垣を見て、白石はきょとんとした顔になる。

「何かすっかりアイヌの村に馴染んでるな」

「おばあちゃんが俺の服を洗ってるんだ」

 谷垣のそばでは、小夜子が薬箱の整理をしている。
 谷垣が動けないのでコタンを離れるわけにはいかない。かといって暇を持て余しているのも時間がもったいないので、彼が休んでいる間は山で植物を採取したり、アシパの祖母に刺繍を教わったりして過ごしている。
 手先の器用な小夜子は衣服のほつれは自分で繕い、必要な小物なども作る。女性用の髪飾りなどの装具を作って売り、路銀の足しにすることもある。
 そんな小夜子が刺繍を学びたがるのでアシパの祖母は嬉しそうに教えてくれる。アシパが刺繍をしたがらないので孫が一人増えたようだと言っておおいに喜ぶのだ。

「ところで谷垣ってマタギだったよな? ちょっと教えて欲しいことがあるんだよ」

 白石はそう切り出して、入れ墨の囚人の一人である二瓶鉄造が連れていたリュウという猟犬を手なずけたいと相談したので、谷垣は助言を与えた。
 既にしつけも訓練もされた頭の良い猟犬でも、相手が自分より下位とみなせば命令や指示に従わない。重要なのは服従させることだ。本来、犬は服従する主人を求めており、むしろその方が心が安定するのである。
 どうやって早く服従させることが出来るかと問われれば、一緒に歩けば良いと答えた。ただ、目を合わせたり、話しかけることは絶対にしないように釘を刺す。犬の社会では、相手の顔を見つめて声をかけるのは下位の犬なのだから。
 引き綱を短く持ち、犬が動こうとする方向とは逆へ行くこと。犬に引っ張られて先導されるのは下に見られている証拠である。毅然とした態度で一緒に歩けば、どんな犬も短時間で主従関係が確立するのだ。
 マタギとしての知識を教えると、白石はすぐにチセを飛び出してどこかに行ってしまった。

「白石さん、犬を連れて狩りでもするんでしょうか?」

「さあな……」

 小夜子と谷垣は顔を見合わせて首を傾げる。
 このあと白石が牛山に捕まり、土方に刺青人皮の複製を作れと脅されることになるなど、二人には想像も出来なかった。

 * * *

 さらに日が経ち、谷垣が歩けるようになった。久しぶりに立ったせいで少しふらついたが、小夜子がすぐに支える。少しでも歩かないと足がなまって仕方ないので、谷垣はチセを出た。
 歩くついでにシタッという白樺の樹皮を集めることにした。焚き付けに必要なもので、たくさん持って町へ行けば売れるのだ。

「谷垣ニパ、足は大丈夫か?」

「ああ。無駄飯ばかり食っていられんからな」

 ニパというのはアイヌ語で旦那という意味だ。
 歩けるようになったのに何もせず世話になるのも義理に反する。恩返しのため、彼は生活の足しになることをしたいと自ら進んで山に入ったのである。歩行には支えとなる杖がないと心もとないが、じっとしているよりは幾分か谷垣の表情が明るい。
 コタンの子供達と一緒に樹皮集めに出た谷垣に、小夜子も同行している。何か採取出来るものがあればと思い、ついてきたのだ。

 しばらくして谷垣は籠に樹皮がたまってきたのでチセに戻ることにした。

「そろそろ戻るが、鳴海さんはどうする?」

「私はもう少しこの辺りを見てまわります」

 そうか、と短く返すと谷垣は子供を連れて山をおりていった。
 小夜子も樹皮をいくつか採取している。各地を渡り歩く時はなるべく宿に泊まることにしているが、野宿をすることもある。その際に樹皮を使って焚き付けるのだ。
 谷垣は今すぐにではないがいずれ軍に戻るだろう。そのあと杉元とアシパは金塊探しの旅に出るはずだ。二人の旅に同行するつもりなので、少しでも役立つものを蓄えておきたい。
 まだ雪が残っているのでめぼしいものはないが、何か見つかるかもしれない。そう思い、小夜子は山の中を見てまわった。

 谷垣と別れてどれくらい経過しただろう。
 そういえば小さい頃、よく野山を駆け回っていたことを思い出した。
 裕福な家庭の子供ならおとなしく習い事をする子もいるだろうが、小夜子は勉強も好きだが野山を駆け回ることも好きだった。
 そうやって外で遊んでいるうちに、周辺の畑で会った一人の少年と仲良くなった。その子は物静かであまり感情を出す性格ではなかったが、遊んでいるうちにそんなことは気にならなくなった。
 ある日、近くの山に入ったはいいが帰り道がわからなくなり、迷子になったことがある。幸いにも捜索隊が当日のうちに見つけてくれて無事に帰宅出来たのだが、親にはこっぴどく叱られた。
 翌日、少年の祖父母が小夜子の家に謝罪に来たことを覚えている。「うちの孫がお宅のお嬢様を連れ回して大変申し訳ない」と玄関先で土下座していた。本当は小夜子が少年の手を引いて山に入ったのだが、結果的に大切な一人娘を危険な目に遭わせてしまった孫に非がある、と。
 少年を引っ張って山に入ったことを小夜子は両親に説明していたので、彼も、彼の祖父母もお咎めなしとなった。逆に「娘が迷惑をかけてすまなかった」と少年と祖父母を気にかけたくらいだ。

 彼は元気にしているだろうか。少年の母親が亡くなった際、小夜子と両親も葬儀に参列した。その後は北海道に引っ越したので彼とは一度も会っていない。
 近所の子供達の中で一番仲が良かったのはその少年だった。あまり喋らない子だったが退屈なことはなく、嫌な顔をせずに遊んでくれるので、ほぼ毎日会っていた。当時は遊べて楽しい感情が勝っていたが、今思えば初恋相手だったなぁと少し照れくさくなり、小夜子は小さく笑った。

 昔を思い出しながら歩いていると、雪の上に鳥の羽根を一本だけ見つけた。オオワシの羽根だ。矢羽根に使うと良い矢が出来るのでアシパが帰ってきたらあげよう。
 あまりコタンから離れてもいけない。小夜子もそろそろ戻ろうとした時、銃声が聞こえた。今はアイヌも猟銃を使うので誰か猟に出たのだろう。そんなことを考えながらコタンに戻ると、アシパのチセの窓が全て閉じられている。雨風もないのにどうして、と疑問に思いながらチセに入ると、中でアシパの祖母とオソマが鍋をかぶって床に伏せていた。

「ただいま……って、何かありましたか?」

「……っ! 鳴海さん、伏せて!」

 緊迫した谷垣の声が発せられて、ただならぬ状態だとすぐに察して身を伏せる。
 鷲鉤のカパチの先に双眼鏡をくくりつけて窓の外に出したが、レンズの片方を撃ち抜かれてしまった。

「くそっ……鳴海さん、すまないがそちらの壁に穴を開けてくれ」

「わ、わかりました」

 谷垣は窓のない方の壁を指さして小夜子に指示を出すと、囲炉裏の燃えさしをゴザで包み始めた。いくつか手早く作り、それを窓の外へ放り投げると、ゴザが燃えて煙を出し始める。
 小夜子はアシパの祖母と一緒に、人が一人抜け出せるくらいの大きさの穴を開けた。どうやら窓の外に煙幕を張り、その反対側から逃げ出すつもりらしい。

「おばあちゃん、壁を壊してごめん。必ず戻って直すから」

「カムイウタ タニガキニパ エブンキネ ワ ウンコレ ヤン」

 谷垣が謝ると、アシパの祖母が彼の頬に手を伸ばしてペチペチと優しく叩く。
 ──神様、谷垣ニパをお守り下さい。
 谷垣は小夜子が通訳してくれる前に、アシパの祖母の言葉の意味を直感で理解した。彼女やオソマが攻撃されたわけではないが、巻き込んでしまった。それなのに谷垣を恨むことなく身の安全を願う様は、何と人情に厚い人物なのだろう。

「谷垣ニパ……リュウが安心するから寝るところに隠しとけって、アシパが……」

 オソマが白い布に包まれた長いものを両手に抱えて持ってきた。幼子が持つにしては重すぎるもので、ズルズルと引きずっている。
 まさかと思って包みを開ければ、中に入っていたのは二瓶鉄造が使っていた単発銃だった。

 * * *

 二瓶の猟銃を持った谷垣が戻ってきたあと、彼は約束どおりチセの穴を修復した。
 何となく聞きにくいことだと思ったが、小夜子は誰かに狙われているのかと尋ねた。彼は軍人だ。もしかしたら脱走兵として軍に追われているのかもしれない。
 小夜子の推測どおり、谷垣は同じ小隊の仲間を殺したと思われて狙われたらしい。狙撃した人物は撃退出来たのでひとまずチセに戻り、目立つということで軍服を脱いでアットゥというアイヌの衣服に袖を通した。意外と着心地が良い。
 谷垣がトンコリという五弦琴を、隣でオソマがムックリを演奏していると杉元達が戻ってきた。

「おかえりなさい」

「ただいま、小夜子さん」

 すっかりアイヌの生活に馴染んだ谷垣に驚きながらも、杉元は挨拶を欠かさなかった。
 小夜子に対する呼び方も、『鳴海さん』から『小夜子さん』へと変わっていた。アシパが小夜子、小夜子と呼ぶものだから、杉元にもすっかり小夜子呼びが定着したらしい。小夜子も呼び方についてはこだわらないので彼の好きにさせている。

「おお、小夜子じゃないか。久しぶりだな」

「キロランケさん、お久しぶりです」

 相変わらず立派な髭ですね、と小夜子が笑った。
 キロランケはアシパの父親の友人で、アシパとも親しい人物だ。日露戦争では第七師団に所属していたが鶴見中尉率いる隊とは別の隊で、それも今は除隊して暮らしているので誰とも関わりがない。
 キロランケが谷垣の顔を見ると、杉元や白石の雰囲気が一瞬にして緊張したものへと変わる──が、アシパの叔父かと首を傾げた。鶴見中尉と繋がることを避けたいために杉元達はどうしても警戒してしまうのだが、今回はどうやら杞憂に終わったらしい。

 一同は囲炉裏を囲んで座り、これからの予定を話し合った。
 まずアシパの父親を殺して金塊を奪おうとしたのっぺら坊は、アシパの父親だとキロランケが告げた。てっきりアシパの父親の仇と思ってのっぺら坊を追っていたのに、そののっぺら坊本人が父親だと聞いて小夜子は驚いた。
 金塊のありかと同時にのっぺら坊の正体を探るべく、目的地は小樽よりずっと東にある網走監獄だと決まった。その中で話題にあがったのは中間地点の旭川。ここには第七師団の本部がある。
 第七師団本部に鶴見中尉のことを密告してはどうだと白石が提案したが、すぐに谷垣が却下した。本部には聯隊長の淀川中佐がおり、彼は鶴見中尉の息のかかった人物だという。
 鶴見中尉は二〇三高地の無謀な正面突破で部下を死なせたくないため、淀川中佐に作戦の欠陥を何度も指摘したが全て揉み消された。それ以来、淀川中佐は鶴見中尉に逆らえなくなったらしいのだ。
 杉元達は明日の朝、出立すると決め、今夜は早めに休むことにした。

 * * *

「谷垣、フチをよろしく頼むぞ」

 網走に向けて出立するのは、杉元、アシパ、白石、キロランケ、そして小夜子だ。谷垣はまだしばらくコタンに残って世話になった恩を返すという。
 さすがに徒歩で向かうには難しいので馬を利用するのだが、小夜子は馬を持たないためキロランケの馬に乗せてもらうことにした。農耕馬なので体格はしっかりしており、脚も強い。

「キロランケさん、二人も乗って馬は大丈夫ですか?」

「問題ないさ。それより落とされないようちゃんと捕まっておくんだぞ」

 はい、と答えて小夜子はキロランケの後ろに乗り、彼の腰にしがみついた。小夜子も一人で馬に乗った経験はあるが、自分以上に馬の扱いに長けた人間が手綱を握ると安心出来る。
 ちなみに白石だけ立派な体格の馬が用意出来ず、小柄な道産子だった。初めのうちは不満そうにしていたらしいが、小夜子は何だか似合っていると感じた。

「まずは札幌に寄る必要がある」

 キロランケが言うには、札幌の鉄砲店に知り合いがおり、爆薬や武器を安く買えるとのことだった。網走での計画では、場合によっては荒っぽい作戦を要するかもしれないので武器を用意すべきだ。それに、知り合いの店なら足もつかない。用心するに越したことはない。

 途中で白石がうたた寝して落馬したりもしたが、何とか杉元一行は札幌に辿り着いた。北部開拓の中心地として計画的に作られた都市であり、小樽ほどの人口ではないが日露戦争の軍需で大きく発展していた。
 キロランケはまず先に鉄砲店へ立ち寄った。店内にはたくさんの鉄砲や弾丸などが所狭しと並べられている。
 鉄砲なんて扱ったことがないので、どれがどう違うのか小夜子にはわからないが、キロランケはいろいろな銃を構えたりしている。

「いつもは結構どこの宿も空いてるんだけどねぇ。中島遊園地でちょっとした北海道物産の品評会だか博覧会だかでね……」

 店主にどんな宿がいいか尋ねると、ちょうど今は催し物の影響でどの宿も満員らしいとの答えが返ってきた。他にあっただろうかと考えたのち、一つの宿の名前を思い出す。

「ああ、そうだ。近所に女将一人で管理してる洋風なホテルがあるんだわ」

 以前は老夫婦が経営していたがいつの間にか別の女性に変わっていたらしく、彼女が色っぽくて札幌で評判になっていると教えてくれた。
 美人女将という言葉に食いついた白石がそのホテルに行こうと急かすので、一行はそちらに向かうことにした。

 * * *

『札幌世界ホテル』と看板をかかげた洋館は立派な佇まいの二階建てだった。この規模のホテルを一人で管理するなんて大変だなと小夜子が考えていると、杉元を先頭にして玄関扉を開けて入る。しかし誰も出てこない。

「すみませーん、誰かいますか?」

 杉元が声を張って館内に呼びかければ、ほどなくして一人の女性が階段をおりてきた。長い黒髪を一つにまとめあげた黒いドレスを着た細身の女性で、口元にホクロがある。

「いらっしゃいませ。女将の家永です」

「白石由竹です。独身で彼女はいません。付き合ったら一途で情熱的です」

 噂の美人女将の登場に、案の定白石が頬を赤らめて真っ先に自己紹介を果たした。右手を差し出せばきちんと握手をしてくれた家永に、白石はさらに機嫌を良くする。
 案内しますと家永が杉元達を部屋まで連れて行く。古い建物で改築に改築を重ねた結果、館内は入り組んだ作りになってるのだと家永が説明してくれた。
 部屋割りは杉元とアシパ、白石とキロランケ、そして小夜子の三部屋となり、それぞれの部屋に入る。異国風の内装に、小夜子は少しばかり気分が高揚した。宿泊費をおさえるために安い旅館を利用することが多いので、このように立派なホテルは初めてだ。
 きっとアシパもホテルは初めてだろうが、ベッドで寝るのも初めてだろう。狩猟に出ている間は松の葉を敷いて地面に寝転がるので、きっとベッドの感触に落ち着かないのではなかろうか。
 調度品を眺めたりベッドに仰向けになったりして一息ついているとドアが数回叩かれた。廊下には杉元、アシパ、キロランケがおり、アシリパのお腹がぐうぐう鳴っている。そういえばそろそろ腹が空いてくる頃合いなので、一緒に食事に向かうことにした。
 白石の姿が見当たらないので、おおかた遊郭に遊びに行ったのだろうというのはアシパ談。年頃の女の子にだらしのない人間だと思われていることに、白石に男の矜持というものはないのだろうか。
 階段をおりて玄関前ロビーに行くと一人の男と出くわした。がっしりした体格でスーツを着用し、額には四角い形のタコがある。両耳が変わった形をしているのでアシパとキロランケが「シンナキサ」と言うと、男は振り返った。

「それは柔道耳ってやつだ。あんた相当やってたね? 俺は体質なのか、そんな耳にはならなかったよ」

「ほう……心得があるのかね?」

 杉元は男と握手をしたまま、しばらく動かなかった。
 類ない武道家が握手によって相手から得られる情報は手の感触だけではない。腕のブレから腕全体の筋肉の付き方を感じ取り、さらにもっと奥の腕や背中、足腰の状態、体幹の強さもわかるという。果ては強靭な体を作り上げた鋼鉄の意志までも。
 杉元と男は何も言わずにお互いの襟首を掴んだが、どちらも微動だにしなかった。けれど、杉元は表情を変えることはしなかったが内心驚きに満ちていた。対峙したこの男、重心が地の底にあるようだと感じた。まるで地球の奥まで根を張る大木だ。
 ふう、と息を吐き出して男が先に手を放した。

「このままでは殺し合いになる。こんなに強い奴は初めてだぜ、気に入った。おごってやる! 飲みに行こう!」

 * * *

 西洋料理を出してくれる水風亭という店に連れてこられた一行は、エゾシカ肉のライスカレーを味わうことになった。深みのある皿に白米が盛られ、エゾシカ肉や野菜を煮込んだ濃茶のルウがかかっている。においで美味しいものだとわかりそうなものだが、色のせいでアシパはオソマだと思い、顔がひどく歪んでいる。

「……オソマ……」

「アシパさん、それ食べてもいいオソマだから」

「杉元さん、食べていいオソマなんてありませんよ。というかオソマは食べちゃ駄目です」

 杉元の言葉に思わずツッコミを入れる小夜子も、アシパに食べるようすすめる。二人が食べているので、アシパは意を決して一口食べ──テーブルに突っ伏した。

「ヒンナすぎるオソマ……」

 ヒンナとは、感謝を表すアイヌの言葉で食事にも使われる。つまり、とても美味しいということらしい。オソマではなくカレーなのだが。
 それから柔道家の男は札幌ビールをたくさん持ってこいと給仕に注文し、ゴクゴクと飲み始めた。
 明治九年、開拓使によって札幌にビール醸造所が誕生した。明治時代後期のビールの値段は大瓶で十九銭だ。ちなみにカレーは六銭、あんぱんが一銭なので、ビールはなかなかの値段である。

「知ってるか? 札幌のビール工場を作った村橋久成っていうお侍さんはなぁ……函館戦争で土方歳三と戦った新政府軍の軍監だった……土方の野郎、戦争に負けたのは悔しいが、奴の作ったビールは美味しいってよぉ……」

 ビールを十数本も空にした男は既に酔っており、顔を赤くしながらそう言った。
 土方歳三の名前が出ると杉元とキロランケが怪訝な顔になる。男がもしもの話だと笑えば、二人は特に気にする様子もなく話題から興味を亡くした。
 ふと、アシパが隣に座る男の額のタコに手を伸ばす。彼女にははんぺんに見えたらしく、一生懸命にはぎとろうと力を入れる。

「みんな手伝えっ」

「こらこら取れないよ。こぶとり爺さんじゃないんだから……」

「アシパさん、おやめなさいって!」

 非礼な行為も、子供が行えば可愛らしいものだ。酔って気分が良いこともあり、男は怒らずに笑って済ませた。
 そういえば杉元よりも付き合いの長い小夜子がアシパをたしなめないことに疑問を感じてみれば、小夜子もビールを飲んで顔が赤くなり、テーブルにうつ伏せになっていた。あまり酒に強いわけではないらしい。

「お嬢ちゃん、いい女になりな。男を選ぶ時は……チンポだ」

「チンポは海で見たけど……ふふっ……」

「こらぁ、アシパちゃん……女の子がチンポなんて言っちゃ駄目よぉ……」

 シラフであったならしっかり叱っていただろうが、いかんせん酔っているせいでまともな判断力を失っている。小夜子もチンポって言ってるぅ、とアシパがニヤニヤ笑う。

「男は寒いと縮むんだよ? 伸びたり縮んだりするの! 知ってる?」

「大きさの話じゃないぜ〜? その男のチンポが『紳士』かどうか抱かせて見極めろって話よ」

「そのとーり!」

 男の言葉に、キロランケが力強く頷いた。彼も酔いがまわり、頬が紅潮している。

「よしっ、帰るぞ! チンポ講座終わり!」

「先生、ごちそうさまー」

 結局、全員酔っぱらってホテルに戻ることになった。アシパはうつらうつらし始めたので杉元が背負い、小夜子も足取りがおぼつかないのでキロランケに支えられた。衣服の上からでもわかるほどキロランケの腕は逞しかった。

「キロランケさん、ありがとうございます」

「気にするな。じゃあ、おやすみ」

 旅の道中、やはり男性と一緒にいると頼りになる。そんなことをしみじみと思いながら、小夜子は部屋に戻るなりすぐにベッドに横になった。


2020/01/30

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