第1話 金塊の話


 日露戦争が終結してまだ記憶に新しい明治時代後期。
 小夜子は小樽付近にあるアイヌのコタン(村)を訪れた。ここは数年前からたびたび訪れる場所で、今も小さな女の子に手を引かれている。
 女の子の名前はオソマ。アイヌ語で『糞』という意味を持つ。アイヌの風習では、幼子には病魔除けのために汚い名前を与えるのだ。

「オソマちゃん、何か変わったことはなかった?」

「アシパがシサ連れてきた」

 アイヌの少女アシパは小夜子がこのコタンに滞在する間、世話になる老婆の孫娘だ。裁縫や織物よりも山で狩猟をする方が好きで、小夜子もそれに付き添うことがある。
 今までアシパが和人の客を連れてきたことはない。驚いた小夜子がオソマに聞き返そうとした時、離れたところに何人もの人だかりが出来ているのを見つけた。彼らの中心には担架に寝かされた人がおり、そばには男が二人立っている。
 あの見慣れない三人が、オソマが言ったアシパが連れてきた和人なのだろうか。一人は軍帽をかぶり、一人は坊主頭、そして担架に寝かされている一人は顔色が悪い。
 和人の隣にいるアシパは、彼女の叔父と何かを話していた。家の外の様子が気になったのか、アシパの祖母も顔を出す。

「シンナキサ!」

 人だかりのところまで向かうと、オソマが坊主頭の男を指さした。物怖じしない性格の女の子で、小夜子も初対面の時に同じことを言われたことを思い出す。
 シンナキサとはアイヌの言葉で『変な耳』という意味だ。アイヌは耳が丸く厚いが、和人はそうではない。見慣れない耳だとオソマは言っているわけである。

「マカナックルさん、どうしたんですか?」

「おお、小夜子か。ちょうどいいところに来てくれた」

 アシパの叔父マカナックルに声をかけると、強張った表情が少しほぐれた。

「このシサがアマッポにかかってな。来たばかりで悪いが手当てを頼む」

 アマッポは狩猟用に仕掛けられた毒矢だ。
 なるほど、担架の男はアマッポの毒矢を受けたのか。アイヌの毒は解毒方法がないため、傷口の周りの肉ごとえぐり取ってしまわないと死んでしまう。存命している様子を見るに、アシパが応急処置を施したのだろう。

「わかりました。すぐにチセの中へ」

 小夜子はアシパの祖母に断ってチセに入り、背負っていた薬箱をおろす。いくつもある引き出しを開け、調合用の道具などを取り出した。
 すぐにアシパ達もチセに入り、マカナックルが担架の男を布団に寝かせる。

「小夜子、ヨモギの葉はあるか? ウドの茎もあればいいのだが」

「どちらもあります」

 ヨモギの葉は痛み止めになり、ウドの茎を煎じた汁で洗えば化膿止めになる。
 小夜子は薬売りとして薬草をいくつも持っているが、外傷に有効な薬草は多めに持ち歩いている。旅の途中、怪我をしないともいえないからだ。
 手当てが済むと、マカナックルは男に声をかけて励ました。話の内容から、どうやら男は強いと有名な日露戦争帰りの陸軍第七師団の兵士らしい。
 小夜子が道具を片付けて一息ついた頃、マカナックルが礼を述べる。

「ありがとう、小夜子。薬草の代金を払おう」

「いえ、お気になさらず」

 売り物とは別に持っているのでお代は不要だと説明すれば、マカナックルは再びありがとうと告げた。

「あのぉ、ところで……」

 近くで手当てを見守っていた二人の和人のうち、坊主頭が遠慮がちに声をかけた。
 そういえば自己紹介がまだだと気付き、小夜子は居住まいを正す。

「申し遅れました。鳴海小夜子と申します。薬売りとしてあちこちを旅しています」

「白石由竹です! 付き合ったら一途な独身ですっ!」

「俺は杉元佐一だ」

 坊主頭の男は白石由竹、軍帽をかぶった男は杉元佐一と名乗る。
 たった今手当てを済ませた男も名乗るかと思って彼を見る。最初は黙っていたが、お前も自己紹介くらいしろと杉元が目配せしたので口を開いた。

「……谷垣源次郎」

 谷垣が名乗って満足した杉元は再び小夜子に視線を移す。

「鳴海さん、行商人にしては随分手際のいい手当てだったが……」

「元医者なんです」

 この時代、女性の社会的地位は低く、医者は男の職業という認識が当たり前である。女が医者になるなんて生意気だと声を荒げる人も少なくないのに、小夜子は若くして医者になったということに杉元は感心する。

「でも、一人旅だと危なくないか?」

「小夜子は私の姉も同然だ。だからこのコタンに定住するよう言ったのだが聞かなくてな」

 薪を抱えて戻ってきたアシパも杉元の言葉に頷いた。
 姉と慕ってくれるアシパには悪いが好奇心には勝てないのだ。ごめんねと謝れば、アシパは諦めた笑みを返す。

「旅をするのに何か他に理由でも?」

「アイヌの文化に興味があるんです。いろいろなアイヌの方に風習などを聞いてみたくて」

「へえ、アイヌに」

 アイヌの文化や伝統は口伝のため文字を持たない。子細な文献や資料がないので小夜子は自分の足で各地を巡ってアイヌ文化を自身の雑記帳に書き留めていると言うと、杉元は女性一人で凄いなと感心した。

「さて、鹿肉もたくさんあるし、食事にしよう」

 鍋で作ったのはユオハウ。プクサキナ(ニリンソウ)とプクサ(ギョウジャニンニク)の入った鹿肉の鍋である。暖かい栄養たっぷりの食事に、杉元達はとても美味しそうに食べていく。

「鹿肉は煮込んでもヒンナだぜ!」

「確かにヒンナ」

 熱々の具材をハフハフしながら飲み込み、鹿肉の旨味が溶け出した汁をすする杉元と白石がヒンナを連呼する。
 男性二人の気持ちの良い食べっぷりに小夜子は目を細めた。その隣で、アシパが「クックック」と笑い声を漏らす。

「杉元、またオソマ入れなきゃいいけど……」

「……杉元さん、オソマ入れちゃうんですか?」

「えっ!? いや、ちが……」

 アシパの言葉を真に受けた小夜子が怪訝な顔になる。いけない、本当にオソマを入れるのだと誤解している。

「杉元、この鍋にまた……オソマ入れなきゃいいけど……」

「あ……ああ……味噌ね……」

 アシパが杉元をチラチラと見れば、彼はしばし呆気にとられたが彼女の真意を悟り、ハッとして曲げわっぱを取り出した。蓋を開ければ味噌が詰まっている。

「またか杉元ぉ! お前は本当にオソマが好きだなぁ?」

 たはー、と呆れた様子を見せるアシパは、仕方のない奴だなと言いながら味噌を混ぜた。
 味噌が美味しいものだと判明したので味わいたい気持ちはわかるが、知り合ったばかりの、それもアイヌ語がわかる女性の前でオソマが好きだと言わないで欲しい。誤解を招く言い方はやめてもらいたいものだ。

「ああ、味噌のことだったんですね。杉元さん、失礼しました」

 やや気恥ずかしそうに小夜子が目を伏せると、杉元は慌てて気にしてないと返した。
 ほら、変な気を遣わせてしまったじゃないか、と杉元がアシパに若干の恨みを込めた視線を送るが、彼女は気づくこともなく味噌入りのユオハウを堪能していた。
 谷垣は自分で起き上がるのは辛いため、オソマが後頭部に手を添え、アシパの祖母が匙で少しずつ食べさせた。そのかたわらでは、子熊が白石の頭に噛みついて離れないので、チセの中はさらに笑い声が溢れて賑やかになった。

 次にアシパの祖母は鮭のルイペを出してくれた。
 まな板と鉢とお盆が一体化した紋様が彫られているメノコイタに、薄く切られた鮭が並べられている。一見すると刺身に見えるが、食べてみるとそうではないことがわかる。半分凍っており、口の中でとけてトロトロになる食べ物だ。きりりと整った杉元の顔が、口内のルイペのようにとろける。
 生の肉や魚を立木にぶらさげて凍らせたものをルイペと呼ぶ。『とけた食べ物』という意味で、寒い時期にしか食べられない。

「美味しいでしょう? 鮭のルイペ。私はアイヌの食べ物でこれが一番好きです」

 とろりとした鮭の味に破顔した小夜子に、杉元も白石もつられて笑う。
 ルイペに舌鼓を打つ面々に、アシパの祖母が鮭にまつわるウパクマ(言い伝え)を話してくれた。

 神の魚がいるおかげで、私達は生きている。
 でも、ある時から神の魚が川をのぼってこなくなった。
 男達が砂金を採って水を汚したせいだ。
 同じことが日高、釧路、白老、あちこちで起こった。
 砂金は村の代表が船を使い海を通って一か所に集められた。
 それが何年か続いたので鮭は獲れなくなり、生活は苦しくなった。
 アイヌは話し合い、砂金を採るのをやめた。
 争いの元となる砂金はそのまま隠され、話すことも禁じられた。
 やがてみんな年老いて、金塊のありかを知る者はこの村の年寄り一人だけになった。


 アイヌにとって鮭は『神の魚』『本当の食べ物』と呼ぶほど食生活の中心である。
 アイヌは文字を持たないため、叙事詩や神話などをいろいろな口承文芸で歴史や精神を伝えてきた。

 小夜子は鉛筆と雑記張を取り出し、アシパが通訳する前に祖母の言葉を書き残していく。ただ目で見て耳で聞くのではなく、文字や絵で残しておきたいのだ。

「その年寄りものっぺら坊に殺された……」

「いやいや、ちょっと待て。それが例の埋蔵金ってことか? 北海道各地から何年もかけて集められたって?」

「このウパクマは私も初めて聞いた」

 杉元、白石、アシパらの表情はどこか神妙な雰囲気を漂わせている。

「ばあちゃんの言い伝えが本当なら、俺達が聞かされていた二十貫よりもっとたくさんあるんじゃねえのか?」

 白石がもしかしてという言葉に、しかし谷垣が静かに否定した。

「……桁が違う。そのばあさんの言うように、埋蔵金の話はあちこちのアイヌの間で密かに伝わっている。俺達を率いている中尉は情報将校で、情報収集や分析能力に長けている」

「……鶴見中尉か」

 杉元が眉を寄せて一人の人物の名前を出した時、小夜子が控えめに会話に参加する。

「……あの、アイヌの埋蔵金、って……」

 杉元やアシパ達がハッとして小夜子に視線を向けた。そうだ、彼女は金塊争奪戦には無関係だ。巻き込んではいけない。

「ほ……ほら、どこにでもある伝承みたいなもんさ」

「そ、そう! そういうのって何かワクワクしねぇか!?」

 杉元と白石が慌てて誤魔化すが、小夜子はじっと谷垣を見つめる。出会ったばかりでまともに会話も交わしていないが、谷垣が嘘をつく人間には見えない。
 ましてや上官が情報将校だと告げた谷垣、鶴見という人物の名前を出した杉元の言葉をはっきりと聞いた。聞き間違いなどではない。
 オソマは自分のチセに戻ったので、この場にいる人間で最年少はアシパだ。その彼女が最も落ち着き払い、男達の取り繕う様を静観している。
 助け舟を頼む、と杉元は相棒に目で訴えるも、期待通りの言葉を発してはくれなかった。

「小夜子は口が堅い。安易に秘密を口外したりしない。私は小夜子を信頼している」

「……アシパさんがそう言うなら……」

 青い瞳の小さき相棒は杉元をまっすぐ見据えた。年下ながらも利発で賢い彼女が信用のおける人物だと言うなら、自分も小夜子を信じよう。

「おいおい、いいのか? 命にかかわるかもしれねぇんだぞ?」

「俺も反対だ。彼女は関係ないだろう」

 いくらアシパと仲が良いとはいえ、金塊とはかかわりのない小夜子を巻き込んだ責任は取れないと白石と谷垣がなおも反対するが、それでも小夜子の決意は変わらなかった。

「アイヌの埋蔵金の噂は聞いたことがあります。殺されたアイヌの中にアシパちゃんのお父さんがいたので本当なのでしょう」

 小夜子はアシパのコタンだけでなく、他のアイヌのコタンにも立ち寄ったことがあり、その際に埋蔵金の噂を耳にしたことがある。アシパ本人からも父親が殺されたと聞いているので、金塊があることは確かだろう。

「アシパちゃんは大事な妹です。その子を連れて行くなら私も同行します」

「小夜子……」

 お互い血は繋がらないが本当の姉妹のように仲が良い。相手のことを想うからこそ危険を孕む話にも関与するのだ。
 それに、と小夜子は続ける。

「医学に詳しい人間がいると便利じゃないですか?」

 もしかしたら旅の途中で怪我をしたり、体調を崩してしまうかもしれない。そんな時、医学に詳しい者がいれば対処が可能だと小夜子が追加してきた。
 小夜子の決意とアシパの信頼は確固たるものだ。いざとなれば女の方が腹が据わるのだから、男はかなわない。杉元達は諦め、小夜子に金塊の話を隠さず話すことにした。

 網走監獄の囚人にはのっぺら坊という人物が暗号となる入れ墨を彫り、全て集めると金塊のありかがわかるというのだ。脱獄した白石曰く、アイヌが北海道各地から集めた砂金は二十貫であったが、谷垣の上官・鶴見中尉の推測ではその千倍はあるとのことだった。
 殺されたアイヌの中にアシパの父親がおり、彼の遺体は苫小牧で発見された。金塊のありかを知るのっぺら坊が捕まったのは支笏湖。金塊の一部を持ち出したが、その重みで舟が転覆したのではないかと考えられている。支笏湖は日本で二番目に水深が深い湖なので、真偽を確かめる術はない。
 杉元が刺青人皮を取り出して広げた。曲線や漢字が組み合わさったそれに小夜子は驚く。

「それが刺青人皮、ですか」

「ああ、剥がすことを前提にしたものだ。やっぱり地図なのかねぇ?」

「この文字覚えてる。後藤のおっさんだろ」

 酔っぱらって女房子供を刺し殺した情けないオヤジだ、といつものお調子者の口調がなりをひそめる。
 杉元はもう一枚の刺青人皮を取り出したが、白石はその刺青に見覚えはなかった。
 それから白石は出会いたくない囚人のことも教えてくれた。
 まずは牛山辰馬。『不敗の牛山』の異名を持つ男だ。十年間無敗の柔道家だったが師匠の妻に手を出してしまい、激怒した師匠を殺し、十人の門下生の手足を折った囚人だ。
 また、津山という男も出会いたくないという。白石とは面識はないが、三十三人を殺した人物である。

「……そいつは我々が殺した。津山を捕まえるのに三人犠牲にしたが、最後は鶴見中尉が奴を仕留めた」

「鶴見って奴もかなりのくせ者だな? 旭川の第七師団本部を乗っ取るとか言っていたらしいが……」

 まさか東京に攻め込んでクーデターを起こすのかと白石が尋ねるが、谷垣は口を閉ざした。顔にじんわりと浮かんだ汗を小夜子が手ぬぐいで拭き取る。

「金塊がたんまりあるんなら、お仲間と山分けして遊んで暮らそうって発想にならんのか? なんだって第七師団を乗っ取ろうなんてことを……」

「……旅順攻囲戦だろう」

 白石の疑問に、杉元が静かに答えた。
 旅順攻囲戦。ロシア軍の旅順要塞に手こずっていた陸軍大本営は早期攻略を急かし、最強と言われた第七師団を投入した。多数の犠牲を出しながらも二〇三高地の山頂に国旗を突き立てた小隊長は鶴見中尉であった。
 勝利はしたが旅順攻囲戦に投入された一万の将兵は、二〇三高地を陥落させた頃には半分以下にまで減っていた。作戦参謀長でもあった元第七師団長の花沢幸次郎中将は、手柄を立てようと正面突破に固執し、多数の将兵を戦死させたと揶揄され、帰国後は自責の念から自刃した。
 政府部内では花沢中将が自刃したのは部下達の落ち度とし、勲章や報奨金はおろか、陸軍の中での第七師団は格下げ扱いされ、冷遇された。
 谷垣がそう語る間、杉元は口を真一文字にして視線を床に落としていた。

「お前らが何のために金塊を見つけようとしているのかは知らんが、鶴見中尉の背負っているものとはおそらく比べ物にならんだろう」

 最後にそう語った谷垣は目を閉じ、治癒と休息のため睡眠を取ることにした。


2020/01/24



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