第22話 新月の奇襲


「小夜子さん、小夜子さん」

 夕食を済ませた小夜子が部屋に戻るため廊下に出るとインカマッに呼び止められた。いつも微笑みを浮かべている彼女だが、ことさらにこやかに笑んでいるようにも見える。

「はい、何ですか?」

「尾形さんと何かありましたね?」

 インカマッが弾んだ声で耳打ちしてきた。語尾が疑問形になってはいるが確信している物言いに、小夜子は驚いて目を丸くする。

「……わかるんですか?」

「男性方は気付いていないようでしたが、あれだけ何度も小夜子さんを見ていたんですもの」

 食事の際、小夜子は尾形の隣に座ることが多いのだが、今日の夕食ではチカパシの両隣に小夜子とインカマッが並び、尾形とは少し離れていた。
 白石が「両手に花とは羨ましいねぇ」と茶化せば、チカパシがふふんと鼻を鳴らす。そんな無邪気なチカパシに表情をなごませつつ箸が進む中、尾形が何度も小夜子へ視線を寄越していたことをインカマッは思い出し、少し観察すればわかりますよとにこりと笑った。
 ちなみにアシパも気付いていないようだと言い添えられた。彼女は現在、杉元が按摩の施術中なのでそばについている。

「告白したんですか? それともされたんですか?」

「まあ……告白、されて……え、えっと……その……」

 次第に尻すぼみになっていく声に、インカマッは瞼をぱちくりとさせる。

「もしかして尾形さんとオ──」

 オチウしたんですか、と続けようとしたインカマッの口を小夜子は慌てて塞いだ。
 オチウとはアイヌ語で人間同士の性行為のことである。近くには誰もいないが、アイヌ語がわかるキロランケやチカパシに聞かれると恥ずかしいことこの上ない。

「なっ、成り行きというか、まさか事に及んでしまうなんてそんなつもりじゃ……」

 いつもは優しくてしっかり者でアシパの良き姉の立場である小夜子の慌てふためく姿にインカマッは呆気にとられたものの、小さくふきだした。

「お風呂で『結婚は夢のまた夢』なんて言っていたので心配だったんですけど、大丈夫そうですね」

 そういえばそんなことを言ったなと小夜子は少し前のやり取りを思い出す。尾形と男女の仲に進展するなんて夢にも思っていなかったので、あの時の言葉に嘘はない。
 ──生きるのを諦めたって言うならその命、俺に寄越せよ。
 よくよく考えたら求婚の意味にも聞こえるかもしれないセリフに、小夜子は一人赤面する。

「あっ、あの、このことは他の人には内緒に……」

「わかっていますよ」

 私も谷垣ニパとオチウしましたし、とインカマッが照れくさそうに告げる。
 天涯孤独の身であり、一人旅をしていたこと、旅仲間の男性と恋仲になったこと。いくつも重なる共通点を持つ二人は、無闇に人に言いふらしたりはしないと互いに約束を交わすと、にこりと笑い合った。

 似た者同士だと意気投合したあと、アシパのところへ向かえば、杉元は男性陣と共に風呂場へ向かったという。先程まで杉元に按摩の施術を行っていた老人が廊下を歩き始めたので、アシパが声をかける。

「一人で大丈夫か?」

「付き添いましょうか?」

 目が見えないと不便なのではと小夜子も心配して按摩に尋ねたが、彼は大丈夫だと穏やかに笑む。

「ありがとう。夜道はお嬢ちゃん達より得意だよ。真っ暗でも転がって行った小銭だってすぐ拾えるんだから」

 手に持った長い杖を持って歩く老人の両目は閉じられている。
 目が見える人はどうしても目を頼ってしまうが、目が見えないと目以外で見ることが出来るのだという。

「そうだ、お嬢ちゃん達。夜の下駄の音に気を付けなさい」

「下駄?」

「夜になるとこの辺りに出てくる盲目の盗賊さ」

 他の者は下駄の音だと証言するが、あれは違うと按摩が続けた。ある晩、彼もその音を聞いたことがあり、下駄ではなく舌の音だと告げた。舌を鳴らした音の反響でものを見るのだ、と。

「舌を鳴らすってどんな風に?」

 音について疑問に思っていたことがあるアシパはどのようにして舌を鳴らすのだと問えば、按摩は口を開き、舌の先を上顎につけて弾いた。

 ──カンッ!

 按摩が舌を鳴らした直後、アシパは駆け出した。先日、森の中から聞いたことのない音と同じだったからだ。
 あの音の正体は舌を鳴らしたものだったのか。屈斜路湖に来た時からずっと盲目の盗賊に見られていたのだ。

「アシパちゃん!」

 按摩が鳴らした舌の音が、屈斜路湖のコタンで聞いたものと同じであったことに小夜子も気付いてアシパを振り返るが、小柄で普段から狩猟であちこち動き回っている彼女の足は速く、もう旅館の外に出て行ってしまった。
 小夜子は自分の荷物は部屋に置いているので、取りに戻っては時間がない。このまま外に出るしかないか、と考えているとインカマッが灯りのついたランタンを二つ持ってきて、片方を小夜子に差し出した。

「小夜子さん、これを。私はお風呂場の様子を見てきます」

「ありがとうございます。私はアシパちゃんを追いかけます。気を付けて下さいね」

 そう言って小夜子はインカマッと別れ、森の中へ向かったアシパを追いかける。
 パァン、という銃声が聞こえた。軽めの音なので小銃ではなく拳銃の類だと思われる。杉元達は拳銃を持たないので盗賊が撃ったのだろう。
 木々が立ち並ぶ暗闇の中を、ランタンの灯りを頼りに進む。アシパはどこに行ったのだろう。そもそもこちらの方向で合っているのだろうか。

「アシパちゃん」

 声を出すと盗賊に居場所が知られてしまうかもしれないが、呼びかけないと彼女と合流出来ない。
 声は抑えつつも草木をかきわけて森の中を進んで行けば、低い声で名前を呼ばれた。これは──尾形の声だ。
 どこから、と辺りを見回すと離れたところに小さな火が見えた。樺皮の灯火をアシパが灯しているのだが、彼女のすぐ近くに槍のようなものを持った男が近寄っていた。盗賊だ。

「たいまつに近付くな! 銃を持ってる奴がいるぞ!」

 別の盗賊──都丹がたいまつの燃えるにおいを察知して叫んだ直後、小銃の銃声が響き渡る。アシパに近寄っていた手下の盗賊の頭から血が噴き出し、彼女の持つたいまつの火を消した。
 狙撃されたのだと小夜子が理解した直後、都丹が小銃の銃声が聞こえてきた方へ向けて拳銃を連射する。

「……っ!」

 都丹の撃った弾にランタンが撃ち抜かれて灯りが消え、別の弾が右の足首あたりをかすめた。

「ガラスが割れた音……それに、女……?」

 都丹がぽつりと呟く。たいまつを持つ者とは別に、ランタンを持った人間がいたのか。ランタンが壊れたすぐあとに、小さいが確かに女の呻き声も聞こえた。
 自分達が襲いかかっている相手は男だけ。子供と犬もいたがあれらには手を出していないし、出来れば女を撃つこともしたくない。

 ガサガサ、と草をかきわける音が聞こえてきた。アシパが盗賊から離れるため移動を始めたのだ。

 敵に銃を持った人間がいる以上、無闇に近付くことは避けた方がいいだろう。そう判断した都丹は小夜子に構うことはせず、草をかきわけて移動するアシパを追うため、その場から離れた。

「……何も見えんな……」

 尾形は拳銃の弾が飛んできた方向へ小銃を構えてみたものの、暗闇で敵がどこにいるのかすらわからない。装填した弾は残り四発なので無駄撃ちは出来ないな、と銃口を下ろす。

「小夜子」

 近くで立ち尽くす小夜子に声をかけた。灯りが消えて暗闇に目が慣れていない彼女は不安そうな表情だったが、尾形の声を認識するとすぐさま安堵の垣間見えるものへと変わった。

「百之助君」

 小夜子の目が次第に暗闇に慣れてきた。周囲の草木がどのようなものかぼんやりと見えてきたのと同時に、隣にいる尾形の格好に目を疑う。

「は、裸……!?」

「入浴中に襲われたんだ、仕方ないだろ」

 前を隠せるものがないなと小夜子は困惑しつつも、用心して小銃を隠していた尾形に改めて感心した。武器があるとこんなにも心強い。
 一方、尾形は銃をそばに置いていなかった杉元達に内心舌打ちをしていた。盲目の盗賊の襲撃があるという話を聞いていたにもかかわらず、銃を隠し持っていなかったばかりに手ぶらで交戦するハメになったのだ。

「……っつ……」

 草木に身を隠してしゃがんでいる小夜子は、体勢を変えるためそっと右足に重心を移した拍子に傷口が痛み、声が漏れ出てしまった。

「どうした?」

「さっきの流れ弾がかすって……」

 右足首に手を伸ばすと、指先にぬるりとしたものが触れた。血だ。ランタン以外何も持たずに旅館を出たので血をぬぐうことも出来ない。

「その体勢は足に負担がかかる。腰を下ろして座ってろ」

 腰を浮かせてしゃがむ体勢では足の負担になるだろうから、地面に座ってじっとしていろと尾形が言った。いささかぶっきらぼうな印象を与える言い方だが、彼なりに気にかけているのだ。
 小夜子は尾形の言葉に従って地面に座り、顔を上げて辺りを見渡した。暗闇に目が慣れたとはいえ、夜目がきくわけでもないので周囲の様子はほとんどわからない。
 だが、暗闇に支配された森は完全に静寂が満ちているわけではなかった。わずかに吹く風が木々の間を通り抜け、葉を小さく揺らしていく。

「みんなは大丈夫かしら……」

「さあな」

 行商を始めてから野宿をした経験はあるが、やはり夜の森は飲み込まれそうな感覚に襲われて不気味だ。今夜は新月なので闇の濃さが最も増している。
 時折、樹木の葉が揺れ動く音が大きく響き渡る。小夜子は思わず両手を握った。

「怖くないか?」

「怖くない……って言えば嘘になるけど、百之助君と一緒だから平気」

 暗闇を怖がっていると思っていたが、小夜子の声は存外落ち着いていたことに尾形は口角を上げる。

 尾形と小夜子が合流してどれくらい時間が経っただろうか。森の中の暗闇がわずかに薄れてきたことに気付いた尾形は、奥で動く一人の人影をとらえた。杉元達はではないことを確認して発砲すれば、弾は盗賊の胸元に当たる。
 夜明けだ。森全体が徐々に明るくなっていき、暗闇に紛れていた盗賊達の姿があらわになる。
 それでもまだ薄暗く、尾形が遠くにいる拳銃を持った都丹の頭を狙うもわずかにはずれ、耳の集音器を片方壊すだけにとどまった。

「もうちょっと明るければ外さなかったのに……あと二発か」

 小夜子ものんびり見ているだけではない。周囲に敵がいないか、何か異変は起きてないか警戒のために辺りを見渡せば、脇目もふらずに森の中を走る盗賊を見つけた。

「盗賊が逃げていく……?」

「奴らの寝床に向かってるのか? 小夜子、追いかけるが歩けるか?」

「ええ」

 小夜子は立ち上がると、尾形のあとを追うため歩き出した。右足首の傷はまだ痛むが歩くことは出来る。何よりここで一人にさせられるほうが不安だ。
 大きな音を立てないよう注意しながらしばらく歩けば、『待合旅館』と書かれた寂れた木造家屋に辿り着いた。もちろんすぐに中には入らずに様子を伺う。

「尾形と小夜子さんだ」

 少し遅れて杉元とアシパもやって来た。
 盗賊から奪った槍のような長い棒を持った杉元は、尾形と同じく素っ裸である。入浴中に襲撃を受けたので致し方ないが、目のやり場に困った小夜子はすぐに顔をそらす。

「あっ、ごめんね小夜子さん!」

「い、いえ、今回は仕方ないですから」

 杉元を見ないようにしている小夜子の顔は赤い。そんな彼女を尻目に尾形は小さく溜息をつく。

「何恥ずかしがってるんだよ。もう実物を見て中にも入れ──」

「ちょっと……!」

 小夜子は思わず声量が大きくなりそうなのをこらえて尾形の口を塞ぐ。幸いにも杉元は言葉の意味を理解しかねて首を傾げる。
 一方、アシパは視線を下に落とした。小夜子の足首の傷に気付いたのだ。

「小夜子、足から血が」

「ああ、盗賊の撃った弾がかすめちゃって。大丈夫よ」

 まだ痛みは残っているものの、傷はそれほど深くはない。小夜子はたいした傷ではないのでそんなことよりも盗賊を、と杉元とアシパの意識を廃旅館へ向けさせる。

「……都丹庵士と手下二名が廃旅館に入って行った。あそこが奴らのアジトだ」

「銃を取りに戻っていたら逃げられるな……このまま突入して一気にカタをつけよう。アシパさんと小夜子さんは外で待機してくれ」

 杉元はそう指示すると尾形と二人で正面玄関に張り付き、戸を少しだけ開けて中を伺う。明かりがないのでほとんど何も見えない。

「暗いな……飛び込んで窓を開けるぞ」

 二人は室内に入って近くの窓に駆け寄り、窓を開けようと力を込めるがびくともしない。目を凝らせば窓は内側から板が打ち付けられていた。

「駄目だ、窓は板が打ち付けられて……」

 杉元と尾形が窓を確認していると、外から入ってきた戸が何の前触れもなく閉まり、アシパと小夜子に緊張が走った。

「杉元!」

「百之助君!」

 中に入った二人が閉めたわけではないと思うので、何かの拍子で閉まるような仕掛けがあったのか、それとも中から盗賊が閉めたのか。
 何にしろじっとしていられない。アシパはすぐに建物の奥へ回り込み、中に入れる場所がないか探ってみれば裏手の戸が開いた。これで中に入れる。

「小夜子はここにいろ」

 足を怪我しているので危険だと言うと、アシパは中に入っていった。
 小夜子も中の様子は気になるが、左目が見えない視野の狭い自分が行っても足手まといにしかならない。それならおとなしく外で待機していよう。
 ただ、静かに待っているのも手持ち無沙汰なので、廃旅館から少し離れて森で薬草を探すことにした。外傷に効く薬草があればいいのだが、と周辺を探し回った結果、ノコギリソウを見つけた。ノコギリのような細長いギザギザした葉で、揉んで傷口に塗れば止血効果がある。
 しかし、採取出来た枚数は少ないので自分よりも杉元に使おうと決め、葉を持って廃旅館へ戻ろうとした時、声をかけられた。

「おや、お嬢さんは確か……」

 老爺ながらも威厳のある声──土方歳三のものだった。

「土方さん? それに永倉さんと、牛山さんも」

 足元の草を踏み分けて現れた土方の後ろには、永倉と牛山の姿も確認出来た。
 まさかこんなところで再会するとは。驚きつつも、どうも鳴海小夜子ですと律儀に会釈すれば、夕張以来だなと土方が口角を上げる。

「ん? 小夜子さん、怪我してるじゃないか」

 牛山が小夜子の右足首の怪我に気付くと白いハンカチを取り出して「失礼するよ」と断りを入れてしゃがみ込み、傷口に巻こうとした。
 白い綺麗なハンカチを汚してしまうので小夜子は慌てて断るが、牛山は気にするなとハンカチを傷口に巻き付ける。洗って返さなくていいからなと笑う牛山は、性欲さえ暴走しなければ本当に紳士的で好印象な男性だ。

「ところで、お前さんはどうしてこんなところに?」

 永倉の問いに、小夜子は現在起こっている事態を説明した。盲目の盗賊の襲撃に遭い、森の中で仲間とはぐれてしまったが、廃旅館に盗賊が逃げ込んだので追い詰めている状態だ、と。
 すると、土方が再び口の端を吊り上げた。どうやら彼らは都丹庵士を追って来たらしい。己の陣営に都丹を引き入れるつもりだろうか。
 本来ならば杉元陣営に属する小夜子とは対立関係ではあるが、土方達の強さは聞き及んでいる。ここは彼らの協力を仰ぐ方が賢明だろう。
 小夜子は案内しますと言い、土方達を廃旅館へと導いた。


2021/01/27

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