第20話 温泉旅館


 ──夜。
 杉元達はフチの二番目の姉の息子のチセで夕飯を済ませた。
 彼がもうすぐぺカンペの収穫時期になると話してくれたが、その表情は少し浮かない。本来なら喜ばしい時期なのに表情を曇らせる理由は、盗賊にぺカンペを奪われるかもしれないと不安に思っているらしいのだ。
 その盗賊というのは最近このあたりに現れ、真っ暗闇の中を松明も灯さず森を抜けて襲ってくる。全員目が見えない盲目の盗賊で、親玉の体には奇妙な入れ墨があるという。

「白石、何か心当たりは?」

 入れ墨の囚人なら白石が正体を知っているのではとアシパが問えば、案の定彼はその人物に心当たりがあると頷いた。

「噂には聞いてるぜ。おそらく手下の盗賊も全員網走の脱獄囚だ。暗号の入れ墨を持ってるのは親玉一人だけどな」

 白石の話によれば、盲目の盗賊達は硫黄山で苦役させられた囚人であるというのだ。この塘路湖から北へ約60km行けば、摩周湖と屈斜路湖の間に硫黄山がある。そこに派遣された囚人は無事に戻ることは出来ないといわれていた。
 アイヌ語でアトゥサヌプリ(裸の山)とも呼ばれるその山はかつて全道一の産出量を誇る硫黄鉱山で、火薬などの原料が採掘される場所であった。だが、絶えず吹き出す亜硫酸ガスは採掘者の目を侵すため失明する者が続出し、明治29年に囚人の採掘が中止されるまで、たった半年間で四十二人もガスで亡くなった。

「盗賊の親玉はその時の生き残りで、都丹庵士という。失明してからのっぺら坊に入れ墨を彫られたんだ」

 硫黄山は明治29年に閉山されたはずだったが、最近密かに操業が再開され、鉱山経営者に犬童典獄が囚人を貸し出して働かせている。
 白石が網走監獄にいた頃は、失明した者は帰ってこなかった。硫黄山で殺されたからである。おそらく盗賊となった都丹の手下は最近殺される前に硫黄山から逃げ出した囚人だろう。
 入れ墨の囚人の情報をまた入手出来たことに杉元は手応えを感じ、明日は屈斜路湖に向かうことにして就寝した。

 * * *

 塘路湖から北へ約60km進めば屈斜路湖があり、付近のコタンにいるまた別のアシパの親戚──フチの十三番目の妹の息子のチセで一晩世話になることにした。
 何か食べ物をということで杉元とアシパが捕獲してきたのはシマフクロウだった。コタンコカムイとも呼ばれているそれは目を撃ち抜かれていた。
 屈斜路湖畔のアイヌの言い伝えには、とある村長がコタンコカムイを解体している時に目を傷付けてしまい、次第に目が見えなくなったという話がある。このカムイを怒らせると目から光を奪うという迷信があるのだ。
 もちろん親戚もその逸話を知っているのでにわかに青ざめると、アシパは杉元が撃ったのだと申告した。射撃が下手な杉元が目を撃ち抜いたと知り、尾形がじっと見つめてくる。
 ほら、こうやって無言のまま対抗心を燃やしてくるから特に尾形には内緒にしておいてくれと言ったのに。相棒の素早い掌返しに杉元は絶句した。

 それからフクロウは解体され、みんなで食べることになった。心臓は生で食べるとコリコリして美味しく、気管や舌、脳みそはチタタで味わえる。
 我々が刻むものという意味のチタタはみんなで刻んで食べるのだが、どうやら谷垣はチタタをまだ食べたことがないという。

「チタタプ処女かよ源次郎ちゃん。チタタプってきちんと言えるかな?」

「チタタプ、チタタプ」

「おお、上手いじゃねぇか。ほんとに初めてか? あぁ〜?」

 白石と杉元が、ぎこちなさそうにチタタと言いながら刻む谷垣のすぐ横で茶化して楽しんでいる。谷垣が真面目な分、面白がっているようにも見える。

 細かく刻まれたチタタはメノコイタに盛られ、匙で杉元、尾形、白石へ一口ずつアシパによって与えられる。まるで親鳥から餌を貰う雛鳥のようだ。
 その後ろでチカパシがぽかんとした様子で眺めているので、小夜子は匙でチタタを掬って彼に差し出した。

「チカパシ君もどうぞ」

 両親を早くに亡くしたチカパシは家族というものに憧れている節がある。杉元達にチタタを食べさせるアシパの姿に、今は亡き母親を重ねたのかもしれない。

「い、いいの?」

「ええ」

 最初は遠慮がちにおずおずと一口食べたが、すぐに天真爛漫な笑顔へと変わった。二口目を食べると小夜子に抱きついてくる。

「えっへへ、やっぱり小夜子は優しいなぁ」

 アシパのコタンに寄った時、小夜子はチカパシとも遊んでいたので懐かれている。その証拠に、彼は胸の膨らみを狙って頬を擦り寄せてきた。子供相手に小夜子が怒らないことを知っているのだ。

「おっぱいもでかいし、俺の本当のお姉ちゃんだったらいいのに」

 おっぱいがでかいという言葉に杉元や白石が反応して横目で小夜子を見る。チカパシが頬を擦り寄せる彼女の胸は、インカマッよりは控えめながらも平均より大きい気がする。着物の下に豊かに実る房は実際どれくらいの大きさなのだろうか、とごくりと生唾を飲み込む。

「想像するのもほどほどにしておけよ」

 煙草を吸いながらキロランケが苦笑する。どういう意味だと尋ねる前にすぐ横から不穏な空気を感じてそちらを見れば、尾形が杉元や白石を睨みつけていた。相変わらず感情のない目だが、今だけは妙な威圧感を放っているようにも見える。
 幼馴染みの女性に対していかがわしい視線を向けられては、さすがに尾形も良い気分はしないな。杉元と白石はそう反省し、すぐに冗談だと愛想笑いを浮かべて尾形の視線から逃れる。
 ちなみに谷垣は小夜子から目をそらしていたおかげで尾形の鋭い眼光から逃れていた。真面目な性分が生きたというわけだ。

 チタタを食べ終わると、アシパがフクロウについて話をしてくれた。
 東に住むアイヌにとってコタンコカムイはヒグマより位が高いカムイとして扱われている。木のウロで捕まえた雛は村に持ち帰り、子熊より大切に育て、送る儀式は飼い熊送りよりも厳粛に行われる。シマフクロウは鮭を捕まえても皮が柔らかい喉の肉だけ食べて残すので、川魚が中心の地域に住むアイヌには大切に扱われているのだ。

 そして、コタンコカムイは村を守護するカムイで、闇の奥から忍び寄る魔物を大声で怒鳴りつけるといわれている。
 アシパの親戚曰く、もうすぐ新月になるので注意しろとのことだった。前の新月の時は隣の村が盲目の盗賊に襲われたのだという。
 いくらコタンコカムイがいるとはいえ、カムイに頼るばかりでは村は守れない。新月の夜に盗賊の襲撃があれば、村の男達は命がけで戦う覚悟だと告げたその時、フクロウが鳴いた。
 杉元達は小銃を持ってすぐにチセの外に飛び出す──が、盗賊の姿は見当たらなかった。イタチか何かの小動物が近寄ってきたのかもしれない。
 盗賊は用心深く、昼間は姿を現さない。集団で村ごと襲う時は必ず月の出ない新月の夜に襲ってくるのだという。

「新月までこの村で待ち伏せる必要はないだろう」

「確かに、奴らの寝床を見つけた方が手っ取り早い」

 尾形の言葉に杉元が同意した。昼間に奇襲をかければすぐに決着がつくだろうと言うと、アシパの親戚がもう少し歩いてみてはどうだと提案した。近くに和人が経営する温泉旅館があるのでそこの人間に聞けば何かわかるかもしれない、と。
 明日早速その温泉旅館に向かってみようということになり、一行はチセの中へ入って休むことにした。

 ──カン……カン……

 チセに入る直前、小夜子の耳に聞き慣れない音が届いた気がした。一度振り返ってみればアシパも怪訝な表情で周囲を見回している。
 盲目の盗賊の話を聞いて過敏になっているだけで気のせいかもしれない。二人は顔を見合わせると、気持ちを切り替えて就寝のためチセへ入った。

 * * *

 アシパの親戚に教わった和人の経営する温泉旅館へ到着した。まだ夕飯前で時間があるということで、小夜子は一足先に温泉を楽しむことにした。本当はアシパやインカマッも誘いたいのだが、傷跡を見て嫌な気持ちにさせてしまっては申し訳ないので一人で浴場に向かった。
 髪や体を洗い流し、湯船につかる。旅の道中、温泉に入れるなんて思ってもいなかったので小夜子はとても上機嫌だった。
 少し熱めの湯は旅の疲れを癒してくれる、と一息ついていると、脱衣所と浴場を繋ぐ戸が開いた。新たな入浴者はアシパとインカマッだった。
 裸のため、恥ずかしそうな様子のアシパの後ろにインカマッが立ち、アシパの肩を押している。きっとインカマッがアシパを入浴に誘ったのだろう。
 困惑気味なアシパだったが、小夜子の顔を見るといつもの強気な表情へと変わった。

「小夜子、一人で先に行ってしまうなんて酷いじゃないか!」

「女三人、裸の付き合いをしませんか?」

 一人から三人に増えても湯船は充分な広さがあるのでゆったり入浴出来る。
 アシパとインカマッが湯で髪や体を洗い流して湯船につかると、小夜子の顔や肩に注視する。

「小夜子さん、その傷は……?」

 小夜子の長い髪は手ぬぐいを頭に巻きつけてまとめている。普段隠している左目周辺の傷だけでなく、肩や二の腕の傷痕も晒されているため、どうしても目に入ってくる。
 インカマッが控えめに尋ねると小夜子は苦笑した。

「ああ、すみません。あまり気持ちの良いものじゃなくて」 

 すぐに上がりますからと立ち上がろうとした小夜子をインカマッが引き留めた。

「いえ、こちらこそごめんなさい。不躾でした」

「小夜子、もしかして体の傷も襲われた時に……?」

 体の傷のことは話していないにもかかわらず、アシパはすぐに理解したようだ。
 襲われたという不穏な言葉にインカマッが首を傾げる。彼女にはまだ何も話していなかったことに気付くと、小夜子は数年前のことを話した。顔や体の傷跡は強盗に襲われた時に出来たもので、左目は失明したのだ、と。
 話を聞き終えたインカマッは口元に手を当て、形の良い眉尻が下がった。

「まあ、そのようなことが……辛かったですね」

 両親を亡くし、一人で旅を続けている小夜子のことを、インカマッは他人事のようには思えなかった。

「でも、不謹慎かもしれませんが、今こうして旅をしているのが少し楽しいんです」

「男性もいて頼もしいですしね」

「谷垣さんといい雰囲気でしたね、インカマッさん」

 最近、インカマッは谷垣とよく一緒にいる。姉畑騒動のあとに釧路の街で再会した時のインカマッの素振りと、釧路の浜辺でお互い寄り添い合うかのように佇む二人を見て気付かない者はいないだろう。
 インカマッが谷垣と相思相愛の仲になっていることに、小夜子は自分でも驚くほど喜んでいることに気付いた。自分と同じく身寄りのない女の一人旅という共通点があるからだろうか。

「結構お似合いだと思いますよ」

「尻に敷かれるだろうな、谷垣は」

 やはりイカッカ・チロンヌ(誑かす狐)だ、とアシパがふふんと鼻を鳴らして腕を組む。
 谷垣との関係をはやしたてられたインカマッは言葉を詰まらせた。恋愛の話題は楽しいが、いざ自分が話題の中心になると恥ずかしいことこの上ない。照れ隠しのために小夜子へ顔を向け、話の矛先を変えさせる。

「そう言う小夜子さんだって、尾形さんとよく一緒にいるじゃないですか」

「幼馴染みで仲がいいだけですよ」

「そういえば、塘路湖では二人でどこに行っていたんだ?」

 第七師団の追跡を警戒するため、尾形はたびたびふらりといなくなることがある。その時はよく小夜子を連れて別行動をしており、先日の塘路湖でも二人は日中不在だった。
 単なる警戒のための見回りにしては時間がかかりすぎていたことを、アシパは怪しんでいたのだ。

「百之助君の外套のボタンとか服のほつれを直していたの。そしたら寝始めちゃって」

「へぇ〜? そういえばかんざしが新しくなったな?」

「あっ、そうです、実は気になっていたんですよ、かんざしのこと」

 偽アイヌ騒動があった村でかんざしが折れてからは三つ編みにしていた小夜子の髪型が、姉畑騒動のあとからかんざしを挿した髪型へと戻っていた。街に寄ってかんざしを購入する時間はなく、誰かが新しく作ったのだ。小夜子本人が作っている様子はなかったので彼女以外の誰か、と考えてすぐに浮かんだ顔は──

「尾形もなかなかやるなぁ!」

 無表情で何を考えているかわからない男の意外な贈り物に、アシパは心から感心した。どうやら小夜子が今まで使っていたかんざしも子供の頃に尾形が作ったものだというから驚いた。

「小夜子と尾形も結婚しろ!」

「もう、アシパちゃんってば」

 はやしたてるアシパをなだめようとする小夜子は、尾形と結ばれるという将来に憧れつつも、引け目を感じている部分もある。
 片目が見えず傷跡が残る体の女を抱きたい男なんているわけがない。ましてや強盗に襲われかけたので、抱かれることに抵抗を感じて性交渉を拒否してしまうかもしれない。それでは夫婦関係が上手くいくはずがない。

「私には結婚なんて夢のまた夢なの。──先にあがりますね」

 小夜子は湯船から出ると、脱衣所を湯で濡らさないようあらかじめ余分な湯を拭き取り、浴場から出て行った。

「男性が贈り物をするくらいですから、尾形さんと上手くいくのではと思いましたが……」

 あまり触れてほしくない話題だったのだろうかとインカマッが呟くと、アシパの表情がわずかに曇る。

「……小夜子、自分の将来の話になると避けるんだ」

 将来誰かと一緒になるのか。どこかに店を構えて薬を売ったりしないのか。フチも喜ぶからコタンに住んだらどうだ。
 アシパは何度か今後について訊いたことがあるのだが、どれも答えをはぐらかされたのだ。
 アイヌの風習に興味があるというのは本当だろう。話に出さないだけでどこかに落ち着ける場所があるなら良いのだが、将来の望みもなく、アイヌの調査を理由にあてのない旅を続けるつもりなのだろうか。
 ──それでは死ぬのを待っているだけではないのか。


2021/01/03

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