第19話 疑心暗鬼


 インカマッの話を聞いてからというもの、アシパの口数はめっきり減っていた。自分の知らなかった父親もそうだが、あのキロランケが父親を殺しただなんて簡単に信じられない。小夜子もにわかには信じがたく、静かにアシパと二人並んで海を見つめている。

 東の空がだんだん白んできた。そろそろ夜明けが近い。

「一晩中ここにいたのか?」

 谷垣とインカマッがやってきた。
 やや遅れて杉元達もアシパのところへ歩いてくる。

「あ! いたいた、アシパちゃんと小夜子ちゃんだ!」

「良かった、無事だったか」

 アシパと小夜子がバッタの襲撃を受けていないとわかり、杉元は一安心する。
 その後ろからアイヌの服を着た男が姿を現した。蝗害前にはいなかったキロランケだ。インカマッは彼の姿にびくりと体が硬直して驚愕の表情になる。

「──キロランケニパ」

「アシパちゃん」

 キロランケの名前を呼んだことで、小夜子はアシパが何を言いたいのかをすぐに察し、今ここで問い詰めるのかとわずかに焦って小さな声で引きとめる。しかし、アシパはちらりと小夜子を一瞥したのち、すぐに再びキロランケへと向き直った。

「キロランケニパが私の父を殺したのか?」

 アシパはキロランケを見据えて単刀直入に問う。彼女の質問で全員に緊張が走る。

「俺が? 何だよいきなり……」

 まさかこうもまっすぐ質問を投げつけるなんて。インカマッは冷や汗を流しつつ、証拠となるものを取り出した。

「証拠は馬券についた指紋です」

 キロランケによるウイルク殺害の証拠としてインカマッが提示したのは、苫小牧競馬場で購入された馬券だった。
 指紋は一人ひとり模様が異なるため、外国では既に数年前から犯罪捜査に利用されている。インカマッはあらかじめ苫小牧競馬場で杉元ら男性陣の指紋を採取して照合を依頼した。その結果、キロランケの指紋が数年前、ある場所で採取されたものと一致した。

「そこは、アシパちゃんのお父様が殺害された現場です」

 インカマッがキロランケを射抜くような視線で見つめてそう告げると、杉元達は息をのんでキロランケを注視する。

「遺品のマキリの刃に指紋がついていたそうだ。父とは何年も会っていないと言っていたよな?」

「おいおい、俺が犯人なら監獄にいるのっぺら坊は何者だよ?」

「極東ロシアの独立資金にアイヌの金塊を持ち出そうとしたあなたのお仲間の誰かでは?」

 疑惑の目を向けられて戸惑うキロランケとは対照的に、インカマッはまだとぼけるつもりなのかとでも言うかのような冷ややかな視線を向ける。

「──ちょっと待った」

 インカマッとキロランケ、どちらの話が本当なのだろう。全員が両者を静かに見つめる中、尾形が小銃の銃口をインカマッに向けた。

「この女、鶴見中尉と通じてるぞ」

「よせ! 何を根拠に……」

 すぐさま谷垣がインカマッを背にして守る。

「谷垣源次郎〜……色仕掛けで丸め込まれたか? 殺害現場の遺留品を回収したのは鶴見中尉だ。つまり、鶴見中尉だけが指紋の記録を持っている」

 鶴見中尉しか知りえない情報を持っているということは彼と通じているということ。まさかインカマッが鶴見中尉と接点を持っていたとは思ってもいなかった谷垣は、驚愕と困惑が入り混じった表情で振り返ってインカマッを見つめる。

「鶴見中尉を利用しただけです」

「たいした女だな? 谷垣よ」

 尾形とインカマッの間に緊張感が走るが、そこにキロランケが割り込んできた。

「俺の指紋と一致したなんて、鶴見中尉の情報を信じるのか? 殺し合えば鶴見中尉の思うつぼだ。この状況が奴の狙いだろ?」

 尾形の小銃に手を伸ばし、インカマッから銃口をそらしたキロランケはアシパへ視線を移す。

「アシパ、父親がのっぺら坊じゃないと信じたい気持ちはよくわかる。でも、あんな暗号を仕掛けられる男がこの世に何人もいるはずない。アシパだって、あの父親ならやりかねないと……そう思っているんだろ?」

 キロランケの言葉に、アシパは頭の中にある可能性を言い当てられて言葉に詰まった。
 インカマッとキロランケの話は、果たしてどちらが正しいのだろうか。

「白石、この中で『監獄にいたのっぺら坊』と会っているのはお前だけだよな?」

「本当にアシパさんと同じ青い目だったのか?」

 尾形と杉元がのっぺら坊について白石に意見を求めた。この面子の中でのっぺら坊と直接面識があるのは白石だけである。

「え? 俺は一度も青い目なんて言ってねぇぞ」

 あんな気持ち悪い顔、マジマジと見たことがないとやや青ざめた顔で白石が言った。耳や鼻は削がれ、顔の皮は剥がされ、髪の毛すらないのだから。
 それにおそらく他の囚人ものっぺら坊とは言葉を交わしたことはないだろう。彼は黙々と入れ墨を彫るだけで、脱獄の計画は土方歳三を通して入れ墨の囚人達に伝えられたのだ。

 のっぺら坊は、本当にのっぺら坊なのだろうか。ひょっとして全て土方歳三が仕組んだことなのではないだろうか。そんな疑念が生まれた一同に沈黙が訪れたが、ここにいても仕方がない。ひとまず移動しようということで釧路の街へ戻ることにした。

「俺の息子達は北海道のアイヌだ。金塊はこの土地のアイヌのために存在している。俺の目的はインカマッと同じはずだ」

 キロランケが落ち着き払った声で再び説得を試みるも、インカマッは閉口したままだった。

「それでどうするんだよ……みんな疑心暗鬼のままだぜ?」

「誰かに寝首をかかれるのは勘弁だな」

 白石は今後についてどうするのかと控えめに話を切り出し、尾形は誰も信用出来ないとでも言いたげに全員を見渡す。

「……行くしかないと思います」

 小夜子が静かに言うと全員の視線が向けられ、まず先に杉元が頷いた。

「そうだな、行くしかねえ」

 のっぺら坊がアシパの父親なのか別の人間なのかを確かめるには直接会うほかない。このまま旅の仲間を疑った状態で悶々とするよりも、網走監獄に向かって謎を解決した方が良い。

「インカマッとキロランケ、旅の道中もしどちらかが殺されたら、俺は自動的に残った方を殺す──なんてな」

 杉元は眼光を鋭くしてインカマッとキロランケを見つめたあと、冗談だといわんばかりに明るく笑い飛ばす。
 インカマッもキロランケも、杉元の言葉に嘘は含まれていないだろうと直感した。敵とみなせば躊躇なく殺す男なのだから。

 * * *

 釧路から北へ約30km行けば塘路湖があり、付近にはフチの二番目の姉の息子が住んでいるコタンがある。今夜はここで一晩世話になろうということで杉元一行はコタンに立ち寄った。
 杉元とアシパは塘路湖にぺカンペ採りに向かった。秋になるとたくさん採れる菱の実で、乾燥させれば保存食にもなる。
 小夜子はぺカンペ採りも気になったのだが、尾形に一緒に来いと言われたので、彼と二人で湖のほとりを歩いている。
 時折立ち止まり、双眼鏡で遠くを見つめる。今のところ第七師団の追っ手の姿は見えない。一行の中で唯一双眼鏡を持っている尾形が、こうして見張り役を担っているのだ。

「……あ」

「どうした?」

「ボタンが……」

 尾形がいつも身に付けている外套のボタンが取れかけていることに小夜子が気付いた。
 一番下のボタンなのでこのまま取れても問題ないと判断した尾形は「そんなことか」と特に気にしていない様子で歩き出そうとしたが、小夜子は彼を引きとめる。

「待って百之助君。ボタン付け直すから」

 休憩がてらボタンを縫い付けると言い、小夜子は腰掛けられそうな手頃な丸太を見つけてそちらに向かう。尾形は仕方がない、と彼女を追って外套を脱ぐと丸太に腰かけた。
 小夜子は巾着の中から裁縫道具を取り出した。巾着は小物をまとめて収納しており、櫛なども入れているものだ。
 ほつれた糸を取り除き、新しい糸でボタンを縫い付けていく。作業の手際は良く、隣で眺めているとあっという間に終わった。
 それだけでなく、外套の他のボタンも確認していく。いくつか糸が緩んでいるので、新しい糸でしっかり縫い付けていく。

「軍服のボタンは大丈夫?」

 ついでだということで、小夜子は尾形の軍服を確認する。ボタンは大丈夫そうだが、袖口の糸が少しばかりほつれている部分を見つけた。

「ここほつれてる。縫い合わせるから軍服脱いでちょうだい」

 言われて尾形は素直に軍服を脱ぐと小夜子に渡す。隣で手際の良い補修作業を見ているのも面白いが、ずっと見続けているのにも少し飽きてきた。丸太に仰向けで寝転がり、小夜子の膝に頭を乗せる。

「ちょっと」

 針仕事の最中にいきなり何するのと小夜子が抗議の声をあげたが、尾形は気にかける様子もなくじっと見上げてくる。

「いいだろ。俺は一晩膝枕したんだ」

 あの晩は足が動かせずに窮屈だったなと言い添えれば、小夜子は何も言い返せなかった。尾形の顔に軍服が覆いかぶさることのないよう気を付けながら袖口の補修を行った。

「…………」

 幼い子供が暇を持て余して母親の針仕事を見上げたらこんな光景なのだろうか。仰向けになって小夜子を見上げながら、尾形はぼんやりとそう思った。
 いつもあの男を懸想するばかりで精神を病んだ母親には、甘えたり甘やかされた記憶はない。父親には捨てられたので、身内から可愛がられたのは母方の祖父母だけだ。
 もしこれが一般的な家庭で当たり前の光景だとしたら──それはひどく羨ましいかもしれない。

「よし──出来たわよ、百之助君」

 綺麗に補修が出来て満足した小夜子が話しかけても尾形の反応がない。どうしたのだろうと見下ろせば、いつの間にか寝息を立てていた。
 常に周囲を警戒して眠る時でも小銃を手離さない尾形が見せる無防備な姿に小夜子は小さく笑み、彼の頭をそっと撫でる。
 尾形の家に父親の姿がないことは知っていた。何か事情があるのだろうと子供心に感じていたので尋ねたりはしなかった。どんな事実があろうと、鳴海小夜子にとって尾形百之助はかけがえのない大切な人なのだから。
 いつも周囲の警戒をしてくれているのだ。今はゆっくり休ませてあげよう。


2020/12/22

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