第14話 マムシ


「痛ぁ!」

 大雪山から下りて麓の森の中を進んでいく杉元達の耳に届いたのは、白石の叫び声だった。

「どうした、白石。オソマをしようとして肛門に小枝でも刺さったのか?」

「野糞してて金玉を笹で切ったんじゃないか?」

 アシパと杉元の言葉に、思わず小夜子は小さく苦笑する。白石は何か問題が起これば逃げ出し、ついこの間は第七師団に捕まる失態を犯したばかりで、二人からどう思われているかがよくわかる言葉だ。

「転んでヘビに頭咬まれた」

 大人の太腿あたりまで伸びた草をかきわけて出てきた白石の顔色は青ざめていた。坊主頭には確かに咬まれた痕があり、血が垂れている。彼はその証拠にとヘビを捕え、こいつにやられたんだと杉元達に見せた。

「ヘビ!? ぎい〜ッ!」

「大丈夫ですか、白石さん!」

 ヘビと聞いた途端、アシパが歯を食いしばり、今にも白目をむきそうなほどの拒絶反応を見せた。どうやら彼女はヘビが大の苦手らしい。
 小夜子は手当てをするため背負っている薬箱をおろし、収納しているガーゼなどを取り出し始める。

「おい、マムシじゃねえか! 毒あるぞ、それ!」

 白石が掴んでいるヘビはそれほど大きくはないが、頭の形が三角形をしたマムシであった。アオダイショウなどの毒のないヘビならまだ良かったが、と杉元が動揺を隠しきれずに白石を見つめる。
 その後ろでアシパが鼻息荒く、まくしたてるようにマムシの生死を確認すれば、白石がすぐに石で叩いて絶命させたと答えた。確かにマムシはぴくりとも動かず、だらりと垂れるその細長い体はぽいと投げ捨てられる。それを薬箱から顔を上げた小夜子が目で追った。

「咬まれたとこすげぇ痛くなってきた……毒で死ぬかも……アシパちゃん吸い出してくれ!」

「いろいろと気持ち悪いから嫌だ! マムシの毒では滅多に死なないから我慢しろ!」

 マムシに咬まれた白石は痛みで脂汗を流し、傷口は少し腫れ上がっている。毒で死ぬという話もあるため吸い出してもらおうとアシパにお願いしたが彼女は間髪入れずに拒否し、「日が落ちて暗くなる前に薬草を探してくる」と言い放ち、脱兎のごとく森の中に姿を消した。

「じゃあ、お前らでいいから吸い出してくれよぉ! 毒をチュッチュと!」

「……滅多に死なねえってよ」

「…………」

 次に白石は近くにいる杉元と尾形に毒を吸い出すようお願いしたが、これもまた拒否された。杉元は『滅多に死なない』というアシパの言葉を持ち出すが、ただ単に白石の──というより男相手にそんなことをしたくないのだろう。尾形に至っては無言で白石を見下ろす。

「まれに死んだのが全員頭を咬まれた奴だったらどうすんだよ! 網走監獄を知り尽くしていて潜入出来るのは俺だけだぞ! 俺が死んだら困るだろ? だから、ほら! 尾形ちゃん吸ってくれよ!」

 杉元にも拒否され、必死に尾形にすがりつく白石だったが、

「歯茎とかに毒が入ったら……嫌だから」

 やはり断られてしまった。
 どうすればいい、と焦る気持ちで失念していたがようやく気付いた。元医者がいるではないか。それも若い女性の。
 大いなる希望を、そしてわずかな下心を抱きながら小夜子へ視線を送るが、想像以上の光景を目にしてしまった。

「小夜子ちゃん──って、何でマムシ拾ってんのぉ!?」

 何と、捨てたはずのマムシの死体をあろうことか小夜子が拾い上げていた。

「皮と内臓を取り除いて乾燥させれば漢方薬になりますし、胆のうも薬として使えるので捨てちゃ駄目ですよ」

「滅多に死なないからって余裕すぎない!?」

「落ち着いて下さい、白石さん。毒の吸引しますから」

 一般的な応急処置として毒を吸い出す行為が挙げられる。ただし、口腔内に傷があるとそこから毒が吸引者にも入るため、傷のない場合のみ有効である。

 医療に詳しい若い女性が毒を吸い出してくれるということで、白石は傷口の痛みなんて屁でもない。さあ吸ってくれ、と鼻の下を伸ばして頭を小夜子に突き出す。

「やめておけ、小夜子」

「そうだよ、小夜子さん。白石だし大丈夫だって」

 ところが、躊躇なく毒素の吸引をしようとした小夜子を、尾形と杉元が引き留めた。普段は相性の悪い二人が珍しく同意見なので小夜子は少し驚きつつも、白石を案じる。

「でも、毒を出した方が……」

「いいからお前は下がってろ」

「あいつに近付いちゃ駄目だよ」

「ちょっとぉ! 毒吸い出してくれないと俺死んじゃう!」

 仲間の中で唯一小夜子だけが拒否せず毒素の吸引をすると申し出てくれたのに、尾形と杉元が結託して小夜子を遠ざけてしまったことに白石が文句を言った。

「下心丸見えなんだよ、この変態」

「小夜子さんが優しいからってつけ上がってんじゃねーよ、エロ坊主」

 毒で死んだらどうするんだよと白石は反論したが、本音を言い当てられて言葉に詰まる。さらに、尾形と杉元の冷徹な視線を浴びせられて縮こまった。

 それから杉元達はヨモギの煎薬を作るため、周辺に落ちている木の枝などを集めて焚き火を作り、簡易的な囲炉裏を組み立てる。湯を沸かすため水を確保しなければいけない。

「杉元さん、丸鍋を貸して下さい」

「どうぞ。それでヨモギを煮るのかい?」

「いえ、鉄製の鍋では薬草は煮ない方がいいんです。ヨモギを煮るのはアルミ鍋を使います」

 そう言いながら、小夜子は小ぶりなアルミ鍋を自分の荷物の中から取り出した。
 鉄や銅の鍋だと化学反応を起こして薬に影響を及ぼしてしまうため、土瓶などの焼き物や耐熱ガラス容器を用いるのが一番だ。しかし、旅の途中で割れたりしてはいけないので、小夜子は耐久性があって重量も軽いアルミ鍋を使っている。
 では丸鍋は何に使うのかと杉元が尋ねると、ヘビを捌く際に洗う水を汲むのだと答えた。

「でも、重いでしょ? 俺が水を汲んでくるよ」

「水汲みくらい平気ですよ。アシパちゃんが先に戻ってくるかもしれませんし、杉元さんは火を起こして、ここで白石さんと待っていて下さい」

 丸鍋とアルミ鍋を持つと、小夜子は杉元達に背を向けて歩き出した。この場所に来る時、小さな川を見かけたのでそちらに向かう。距離もそれほど離れていない。

「小夜子」

 後ろから声をかけられて振り向けば、尾形がこちらへやって来た。

「手伝ってやる」

「休んでていいのに。でもありがとう」

 移動中は追っ手の警戒をしてくれているので休んでいて欲しい気持ちはあるが、尾形本人が自発的に手伝いに来てくれたことが嬉しかった。もしかしたら杉元と一緒にいるのが嫌で来たかもしれないが、それでも構わなかった。
 ほどなくして川に辿り着いた。小夜子はしゃがみ込み、川に手を入れる。緩やかに流れる澄んだ川の水は気持ち良く、思わず顔が綻んだ。

「冷たい」

 百之助君も手をつけてみたらどう、と後ろを振り返ってみると、尾形は小夜子の右隣にしゃがんで片手を水の中に入れた。確かにひやりと冷たく心地よい。

「……あんこう鍋のこと、覚えていたんだな」

 何の前触れもなく尾形がぽつりと呟くと、小夜子はもちろんよと頷いた。

「それと、しいたけが嫌いなことも覚えてる」

「そのこと、あいつらには言うなよ」

「ええ、わかってるわ」

 尾形は『あいつら』と複数形で言い表したが、本当は杉元を対象にしているのではないかと小夜子は思う。ただでさえ相性の悪い相手なのに、苦手なものまで知られたくないのだろう。
 尾形が釘を刺せば、小夜子は顔を彼へ向けて小さく笑んで頷いた。

(……あ……もしかして……)

 尾形は小夜子の左側ではなく右側にいるため、すぐ右を向けば尾形の顔が見えて表情がよくわかる。左目が見えない小夜子に対する尾形なりの配慮なのだろうか。もし別の理由があるにしても、尾形の姿をすぐ視認出来ることには変わりない。小夜子は彼のささやかな気遣いに感謝しつつ、丸鍋とアルミ鍋を川に入れ、水を汲むことにした。

「小夜子、お前ヘビ捌けるんだな」

「ええ。動物の解体についてはアシパちゃんに教わったの」

 ヒグマやユなどの大型動物から、リスやウサギといった小動物の解体はアシパが先生である。しかし、アシパの大嫌いなヘビについては彼女の教えではないが。

「まあ、元医者なんだ。人も動物も腹の中の構造は大差ないだろうし、勝手がわかれば同じってことか」

「そんな身も蓋もない……」

 そこらへんにいる一般人なら人体どころか動物を捌くことに抵抗あるだろうが、医者として人体構造を学んだのであれば体の大きさは違えど同じ生物だ。臓器の構造を理解し、手順を踏めば解体するのも容易いなと尾形が包み隠すことなく言えば、小夜子は苦笑を浮かべた。

「そういえば、さっきは珍しく杉元さんと意見が一致したわね」

 小夜子が言っているのは、白石がマムシに咬まれた時に毒を吸い出そうとした時のことだ。
 尾形としては幼馴染みが変態野郎の肌に吸い付く姿を見たくないので止めに入ったのだ。杉元は単に白石が相手だから小夜子に吸引させたくなかったのだろう。

「……ま、そういう時もあるだろ」

 本音としては杉元と同意見という点が甚だ不満ではあるが、明らかな下心を持った相手に接触させたくない気持ちは理解出来る。ただ、それを口で説明するのも面倒なので適当な言葉を返す。
 小夜子としては、適当な言葉でも尾形が返答したので満足だった。彼の性格からしてきっと理由の説明が面倒くさくて適当な言葉を選んだものと思われる。無言を貫かれるよりよっぽど良い。

「さて、そろそろ戻りましょう」

 日が傾き始めたのだろう。森の中が少し薄暗くなってきた。
 小さいアルミ鍋は水を入れても重くはないが、丸鍋はずしりと重い。落とさないよう小夜子はしっかり力を込めて持ち上げる。

「貸せ」

 腕力や握力は男性には劣るが旅を続けているので体力はそれなりにあるし、何十kgもあるというわけでもないので小夜子でも持てる重さだ。
 尾形が持つと自ら言い出してくれたので内心嬉しく思いつつも、杉元に平気だと返答した手前、安易に頼りたくないとも思ってしまう。小夜子は意地を張ることになるとわかりつつも、やんわりと拒否をする。

「これくらい持てるわよ」

「ははっ、エゾシカの中で俺を押し返せなかったくせによく言うぜ」

 尾形が少し目を細めて笑った。小夜子は言い返そうとした口を開けたが、どう反論したら良いか言葉が思い浮かばず視線を泳がせる。

「それはそうだけど……」

 何も言い返せなくなった小夜子を見て尾形はふんと鼻を鳴らして丸鍋を持つと、彼女と一緒に杉元達の待つ場所へ戻ることにした。

 しばらくしてアシパも戻ってきた。ヨモギとショウブの葉を採取して火にくべて煙を当てれば、ヘビに咬まれた傷が良くなるという。もぐさのお灸のようなものだが、顔にも煙が当たるので白石は苦しげにむせてしまった。
 昔、家の屋根にヘビが入り込んだことがあるとアシパが話し出した。危害を加えることなく追い出すために、フチがヨモギを燻したことがあった。幼い自分が知らない方法でヘビを追い出してくれたフチの知恵は、今でも尊敬に値するものだ。
 小樽のコタンを出発して数ヶ月経過している。フチは元気だろうかと思いを馳せたのち、アシパは杉元に問うた。

「杉元、さっきのマムシの頭にヨモギの茎を刺してくれたか?」

 アシパが戻ってきた時、杉元はヨモギの茎をヘビの頭に刺してくれと手渡された。ヘビが苦手な彼女にとって近付きたくないため、杉元に依頼したのだ。
 杉元はアシパの言葉どおり、死んだヘビの頭にヨモギの茎を刺したことを思い出す。

「ああ、やっといたよ。あれどういう意味があるの?」

「悪さをしたマムシはああすれば生き返らないとフチが話してくれた。ヨモギは様々なおはらいの場面で使う魔除けの草なんだ」

 アイヌはヨモギを『ノヤ』と呼んでいる。『霊力のあるノヤ』『神のノヤ』とも呼び、病魔を追い払う清めの草としてきたのはそれだけ効果があったからだ。小夜子はそんなヨモギの煮汁をガーゼに染みこませ、腫れ上がった患部に湿布した。こうしておけば必ず良くなるのだ。

「白石さん、傷の痛みはどうですか?」

「さっきよりちょっと良くなってる」

 早速ヨモギの効能が表れ始めているとわかり、小夜子は胸を撫で下ろす。

「ねえ、アシパちゃん。ヘビのことなんだけど……」

 遠慮がちに小夜子はマムシのことについてアシパに相談を持ちかけた。アシパとしてはヨモギを刺した状態のまま自然に任せておきたいのだが、小夜子は漢方薬の材料になるため回収したいというのだ。
 ヘビが大嫌いなアシパにはおよそ考えたくもない提案だったが、街で売れば現金が手に入る。ちょっとでも路銀の足しになるのであれば、とアシパは渋りながらも首を縦に振った。
 小夜子はアシパに感謝を伝えると、ヨモギを刺されたマムシに両手を合わせたあと、早速解体作業に取りかかる。出来れば明るい時間帯に行いたいところだが、夜が明けてからでは時間が経ちすぎて腐敗が進んでしまうため、焚き火のそばで作業を行うことにした。

「でも、咬みついたのがただのマムシじゃなく、『サソモアイエプ』だったら……白石は助かっちゃいないんだろうなぁ……恐ろしい……」

「何だい? それは」

 おどろおどろしい雰囲気を漂わせるアシパに、杉元が問い返した。
 以前、白石が川に落ちて大きなイトウに食われたことがあった。その時にも同じ雰囲気でイワンオンネチェカムイというイトウの主のことを話してくれたっけ、と思い返しながら、再びアシパの話に耳を傾けた。
 サソモアイエプの話は次の通りだ。
 日高に住む猟師の兄弟がある夏に狩りへ行ったら、何とも言えない強烈な悪臭がして兄は全身が腫れ上がって動けなくなった。これはサソモアイエプ──『夏に言われぬもの』という大蛇の仕業で、胴体は俵のように太く、その姿を見た者は悪臭で髪が抜け落ち、全身が腫れ上がるというものだ。

「そんな馬鹿な」

「どんだけ臭いんだよ」

 アシパの話を聞いて、白石と杉元が半信半疑──どころか全く信じることなく、すぐそばにある黒く太い丸太に腰かける。
 尾形は地面に座り、静かにアシパの話を聞きながら小夜子の作業を眺めていた。ヨモギの茎を抜くと頭を切り落として血抜きを行い皮を剥ぎ、内蔵を傷つけないよう丁寧に捌いていく。無駄のない手馴れた作業は見ていて飽きないな、と尾形は心の中で呟いた。

「『夏に言われぬもの』とは、夏にその名を言うと出てきてしまうから恐ろしくて口にすることが出来ないという意味だ。だからアイヌ語の『ヘビ』を指す言葉を私は絶対言わないし、夏は絶対にムックリを鳴らさない。ムックリはヘビが集まるとフチが言っていたから」

「夜に口笛を吹くとヘビが来るみたいな話だね」

 アシパが真剣な表情で蛇について話していると、和人との共通点を見つけた白石がなごやかに笑う。その話だけで済ませれば良かったものの、その隣では杉元が口の先を細めてピーと口笛を吹いたものだからアシパが動揺をあらわにする。

「わあああ! やめろぉ!」

「アシパちゃんでもここまで苦手な生き物がいたとはなぁ。ぴっぴっ♪」

「やめろっ!」

 慌てふためくアシパを見た白石は、普段は大人びているけどやっぱり年頃の女の子だなと面白半分で口笛を吹き、アシパの平手打ちを食らう。
 口笛をやめるよう必死に言えば言うほど杉元と白石は地面に寝転がり、ふざけて口笛を何度も吹いてみせた。

「お二人とも、あまりからかっちゃ駄目ですよ」

 手早くマムシを捌き終えた小夜子が二人の男をたしなめた。
 ヒグマの方が遥かに強く恐ろしい動物のはずなのに、アシパはそのヒグマよりもヘビに対して恐怖と嫌悪を抱いている。大嫌いなヘビを呼び寄せる真似をしてからかうのもほどほどにと言えば、杉元と白石はようやく起き上がって口笛をやめた。

「大丈夫だよ、迷信だから」

「夜に口笛を吹くとね、景気が良いと思われて泥棒が寄ってくるからやめなさいって話だよ」

 ヘビに怯えるなんて可愛いなと微笑ましく思いながら、杉本と白石は再び丸太に座るため腰をおろす。だが、今まで確かにあったはずの丸太がなくなっていることに、二人は驚いて辺りを見回す。

「あれ? さっきまで座ってた丸太が……」

 そこまで言って白石は杉元の顔に違和感を抱いた。少し前まで何ともなかった杉本の顔は、焼いた餅のように丸みを帯びていた。まるで腫れ上がったような丸さだ。

「杉元、お前その顔どうした? お前もどこかヘビに咬まれたの?」

「え? いや……?」

 ヘビに咬まれたのはお前だろと白石に言い返そうとした杉元の視界に、一匹のヘビの顔が見えた。太く長い胴体は黒く艶やかな大木のようで、こんなに大きなヘビは見たことがない。

「ぎゃあああ!」

 巨大なヘビだ。先程まで杉元と白石が座っていた丸太はこのヘビの胴体だと思われるが、今はそんなことを悠長に考えている暇はない。アシパが真っ先に悲鳴を上げながら逃げ出し、尾形は無表情ながらも小夜子の手を引いて足早にアシパのあとを追い、杉元と白石もすぐさまその場を離れた。

 辺りはすっかり暗くなっている。一行は足元に注意しつつ森の中を進んでいく。その途中でアシパがアマニュウという植物を発見した。

「樺太ではこの草をヘビが嫌うと言われているので、帯や襟に挟んだり手にこすりつけたりするんだ」

 まっすぐに立つ茎の先に小さな白い花がたくさん咲いている。アシパはアマニュウの花を鉢巻きに挟んだり服の中に詰め込み、葉や茎を肌にこすりつけた。それほどまでに彼女はヘビが嫌いなのだ。

「しかし、本当にあんな大蛇が存在したとはな……」

 見たことのない大きさのヘビを目の当たりにした杉元は今でもドキドキした気分だ。

「この土地で毒のあるヘビはマムシだけだから、マムシの主かもしれないな。アオダイショウは良い守り神だけど、マムシは嫌われている。ウエペケレでは、マムシは盗賊が死んだ魂の成れの果てといわれている」

 ウエペケレとは民話のことだ。
 マムシにまつわる民話があるということで、アシパはその民話を話すことにした。

 ヘビは元々天上に住んでいて凶悪な性質だった。
 やがて地上が造られ、火の神アペフチカムイが天上からおりる時、ヘビは一緒におりたくて懇願した。
 火の神は自分と一緒に行けば焼けただれてしまうからと断ったが、ヘビは聞かなかった。
「どんなに苦しくても死んでもいいから連れて行って下さい」
 ヘビは稲妻に乗って地上へ飛び降りた。
 雷の神様カンナカムイはヘビの神様でもあり同一視されている。
 飛び降りた速力があまりに速く、地上に大きな穴が空き、ヘビはそこに住むようになった。
 その穴は地獄まで続いており、ヘビが人間に姿を見せる時は何か危害を加える時なので注意しなければならない。


 アイヌの民話ということで小夜子が雑記帳に書き記したあと、野宿するために寝床を整える。硬い地面にそのまま横になっては体が痛いので松の葉を敷く。
 焚き火にあたり、まず眠気が訪れたのはアシパだった。昼間は活発に動き回っているためか寝付きは良く、すぐに寝息を立て始めた。

「白石さん、もう一度湿布しておきますね」

 白石の頭に貼っていた湿布は大蛇騒ぎの際にどこかに落としたようなので、小夜子は再びヨモギの煮汁の湿布を白石の頭に貼りつけた。

 ほどなくして杉元と白石も寝息を立て始めた。それを見届けた小夜子は音をたてないよう静かに道具を片付ける。
 ふと空を見上げれば、森の木々の隙間から星空が見えた。群青の夜空に散らばる星粒は、いつ見ても心を穏やかにしてくれる。

「……寝ないのか」

 すぐ隣から小さく声をかけられた。松の葉の上に寝転び、三八式歩兵銃を抱え込むように丸くなる尾形が小夜子を見上げていた。

「もう寝るわ。百之助君こそ眠れない? それとも起こしちゃった?」

 小夜子も小声で問いかけるが、尾形からの返答はなかった。静かに道具を片付けていたが、うっかり物音をたててしまっただろうか。それとも気配に敏感で、物音はなくとも動く気配で起こしてしまっただろうか。
 いずれにせよ少しでも多く睡眠を取って欲しいという思いで、小夜子は「早く寝なさい」と尾形の頭に手を添えてゆっくり撫でる。

「おい、ガキじゃねぇんだから」

「あら、じゃあやめるわ」

 子供扱いされていると感じたのだろう。小夜子が手を止めて寝る準備を始めれば、尾形は黙り込んで彼女の動きを目で追った。アルミ鍋など、翌朝の食事で使いそうなもの以外は収納していく。
 頭を撫でられたい成人男性なんてそうそういないだろう。もちろん尾形も撫でられたいとは思ってもいなかったが、存外心地よいことに気付いた。肉体的にではなく精神的にだ。

 尾形は自分に視線を向けることなく、静かに片付けを続ける小夜子に手を伸ばし──彼女の服の袖を軽く引っ張った。

「どうしたの?」

 突然袖を引っ張られた小夜子は尾形に顔を向ける。子供扱いするなと言われたが、こうして相手の気を引くやり方は子供そのものではないだろうか。言葉と行動が一致していない矛盾に小夜子は思わず苦笑する。

「……いや……」

 小夜子が振り向いてくれた。それだけなのに尾形はどういうわけか満足する。
 何かを話しかけたいつもりはなかったので手を離して視線を小夜子からはずすと、再び頭に手を添えられた。
 尾形は自分で子供扱いするなと言ったものの、精神的に心地よいため今度はやめろとは言わなかった。小夜子もそんな尾形の心情を察したのかゆっくりと撫でる。

 そのあと、アルミ鍋などの道具を片付け終えた小夜子は丸めていたショールを広げた。冷えてきたら防寒具として使用するほか、野宿では体が冷えないようかけ布団のようにして使用することも出来る。小夜子は広げたショールを肩までかけて横になる。

「……なぁに?」

 隣で寝転んでいる尾形がじっと無言で見つめている。気付かぬふりを貫こうかと思ったが、どうしても気になったのでちらりと視線を向けたものの、やはり尾形は答えない。
 このまま待っていても埒が明かないので、もう寝ましょうと言うと、尾形は少し意地悪そうな笑みを浮かべた。

「腕枕してやろうか」

「結構よ」

 大雪山でユの中で一晩を過ごした時のことを思い出した。あの腕枕は狭いユの中にいたからで、充分な広さがあれば腕枕をしてもらう必要もない。
 尾形はからかっているだけで他意はない。そう結論づけた小夜子は、彼に背を向けて目を閉じた。

「おやすみなさい」


2020/11/18

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