第10話 トゥレ


 アイヌになりすましていた囚人は皆殺しにされ、杉元や女性達とで埋葬することにした。その中には樺戸監獄にいると思われていた贋作師の熊岸長庵もいた。
 土方もきっと今頃、熊岸が樺戸監獄にいないことを知ったかもしれないが、彼の死体を埋めているなんて夢にも思わないだろう。
 誰かに聞かせたら恐ろしいことになるので、今日の出来事は忘れるべきだ──全ての偽アイヌの埋葬を終えたあと、神妙な面持ちでモノアはそう言った。

 騒動が終息し、安全になったということで一か所に集められていた子供達が外に出てきた。
 また、囚人から解放してくれたお礼をしたいと女性達が申し出た。今の時期はトゥレというオオウバユリが採れるため、その料理でもてなしたいとアシパが通訳すれば、杉元や牛山の表情が綻んだ。
 小夜子には傷の手当てを施したがまだ目を覚まさない。ひとまずチセで寝かせると、杉元達はオオウバユリ採りに向かった。

 * * *

 ハルイッケウ(食料の背骨)というほど、ウバユリはアイヌにとって大事な食べ物だ。
 花の咲くオオウバユリは雄株と考えられており、種を飛ばして新しいオオウバユリになるため、雄株は絶対に採ってはいけない。料理に使うものは雌株だ。雄株の近くにある雌株を掘り起こし、ゆり根を一枚ずつはがして洗うのだが、この作業があるためオオウバユリの加工は川のそばで行われる。
 イウタニ(杵)とニス(臼)を使ってゆり根をつき潰したものに水を加えて袋で漉すと澱粉がたまる。アイヌのオオウバユリの最大の利用法は、この澱粉で団子を作ることである。
 漉した澱粉は一番粉と二番粉に分けられる。一番細かいものは胃腸の薬用として使うのであまり食べず、二番目に細かい方を普段食べる団子として使う。

 また、袋に残ったカスも捨てることはしない。
 発酵させて丸めて火棚に吊るし、オントゥレ アカム(発酵させたウバユリの円盤)という冬場の貴重な保存食にするのだ。ただし、これだけではカチカチで硬く美味しいものではないため、お粥に入れて食べるようにしている。

 今日は大事なお客様ということで、モノア達は一番粉を振る舞うことにした。
 まずはヨブスマソウという植物の茎の中に澱粉汁を流し込み、表面が焦げるまで火に当てれば、中の澱粉を蒸し焼きにしたクトゥマという団子が出来る。
 茎に切れ目を入れて傾ければ、くずきりのようにとろりとした団子が出てきた。

「いただきます」

「ヨブスマソウの香りがうつって甘くて美味い。ヒンナヒンナ」

 二番粉は丸く平らにしてフキの葉で包んで焼き上げ、サクラマスのチポ(筋子)を潰したものをかけて食べる。他にもヒグマなどの脂をつけたりもするという。

「うんうん。団子の甘さに筋子ダレのしょっぱさがあいまってとぉ〜ってもヒンナ!」

 杉元がそう言って味噌をつけても美味しいのではと曲げわっぱを取り出すと、アシパは勢いよく味噌に飛びついた。最初は見た目で避けていたのに、今となってはすっかり味噌の虜となっている。

「……ん」

 室内の隅に寝かされている小夜子が小さく声を漏らして目を開けた。すぐ隣で見下ろしてくる尾形と目が合う。

「起きたか」

 状況を確認しようと小夜子は周囲を見回せば、チセの中で布団に寝かされている。ちょうど食事時で杉元達は囲炉裏を囲み、コタンに来た時はほとんど見かけなかった女性が何人もいる。
 コタンの男は全員樺戸監獄の脱獄犯でアイヌのふりをして潜伏し、その中に贋作師の熊岸長庵もいたが囚人の放った毒矢で亡くなった。尾形はそう簡潔に説明すると、小夜子の頬に手をそっと添えた。

 小夜子がまだ茨城にいた頃、体調を崩して寝込んだことがあった。一緒に遊ぼうと約束していたので尾形が小夜子の自宅に来てくれたのだが、熱で寝込んでいるのであいにく今日は遊べないと母親が彼に告げると彼は帰ったという。
 直接謝ることが出来なかったと小夜子は落胆したが、しばらくすると尾形が再び訪問した。
 あげたいものがあるそうよ、と微笑ましげに声を弾ませる母親に通された尾形が持っていたのは、赤い山茶花が咲いた枝だった。体調が悪い時に食べ物を贈るのもどうかと思い、花にしたという。
 遊べなくなってごめんねと謝れば、尾形は首を横に振って小夜子の頬に手を伸ばした。熱で火照った頬にぴとりと添えられた手がひんやりとして気持ち良く、へらっと笑うと尾形もつられて笑った。

 昔のことを思い出した小夜子は、当時と同じようにへらっと笑う。

「えへ」

「……何笑ってるんだよ」

「昔、お見舞いに来てくれた時のこと思い出して」

 そういえばそんなこともあったな、と尾形は特に表情を変えることなく呟いた。それでも小夜子がへらへら笑うので悪戯してみようと思い、彼女の頬を軽くつまむと「いひゃい」と言う。何だか面白くてしばらく二人で攻防を続ける。

「頭殴られてちょっとアホになったか?」

「酷いなぁ。それが幼馴染みに言う言葉?」

「……幼馴染みだから言うんだよ」

 ぽつりと呟いた尾形の言葉に、小夜子はきょとんとしてじっと彼の顔を見つめる。
 こうやって自分の気持ちを素直に表現出来るのなら、杉元にも同じように接すれば関係改善にもなるだろうに。

「変なこと考えてるだろ」

「考えてないわ」

 自分の感情は表に出さないのに、相手の表情の変化には敏感なところも昔から変わらない。

「あ、気付いたか? 小夜子」

 尾形の後ろで賑やかに談笑していたアシパが、小夜子が目を覚ましたことに気付いた。彼女の言葉で杉元や牛山も小夜子のところへ来る。

「小夜子さん! 良かった、なかなか目を覚まさないから心配したよ」

「ずっと尾形が看ていてくれたんだぞ」

 杉元と牛山がホッと胸を撫で下ろすと、尾形はふんと鼻を鳴らす。

「お前らは粗雑そうだからな。特に杉元」

「何だと!?」

 嫌味をたっぷり込められた視線を向けられた杉元が尾形に噛みつこうとしたが、アシパに止められた。怪我人の前で喧嘩はするなとたしなめられたので、ぐっとこらえる。

「尾形、小夜子を看てくれてありがとう」

 アシパが尾形に感謝の言葉を伝えると、彼は何も言わずに目を伏せた。どういたしましてくらい言ったらどうだと再び杉元が食ってかかろうとしたが、小夜子が起き上がったので矛を収める。
 腹が減っただろうとアシパがクトゥマなどを差し出したので受け取り、いただくことにした。
 アイヌの女性達も小夜子が起きて一安心し、笑顔でたくさんのウバユリ料理を振る舞ってくれた。

 とても賑やかで楽しい時間はあっという間に過ぎ、モノア達が後片付けを始めたので小夜子も普段どおり後片付けをしようと立ち上がった時、ふらりとよろめいた。すぐ近くにいる尾形が受け止めたくれたため、床に倒れることはなかった。

「おっと」

「わっ……ご、ごめん……」

 小夜子は慌てて尾形から離れるが、すぐさまアシパがやって来て布団に戻された。出血量が多いことによる貧血だ。

「ほらもう……あんなに血が出ていたのに急に動くから。尾形、小夜子が動かないよう見張っておけ!」

 アシパの言葉に返事はしなかったが、尾形は言われたとおり小夜子の隣に座って見張ることにした。

「怪我人はおとなしくしておけってことだ」

 小夜子は患部を包帯の上からそっと触った。傷口が痛むだけで、骨や脳への損傷はない。頭部外傷の出血量は多いので、包帯の下の傷当ての布は何重にも折り重ねられている。
 そこまで考えて、小夜子は自分の周囲や枕元を見回した。髪をおろしているのでかんざしがあるはずなのだが、どこにもない。

「これか?」

 小夜子が探していたものは尾形が持っていた。けれど大切に使っていたかんざしは真っ二つに折れてしまい、もはやかんざしとして使うことが出来なくなっている。熊の檻の前で囚人に殴られた時に折れてしまったのだろう。
 それでも小夜子は尾形から折れたかんざしを受け取り、両手でそっと握り締めて目を伏せた。

「ごめんね、折れちゃった……」

「別にお前が謝る必要はないだろ」

 故意に折ったわけではないので小夜子のせいではない。それは小夜子自身もわかっているが、あの時警戒を怠らず囚人に気付いてさえいれば──少しでも振り返っていればかんざしを折られることはなかったのでは、と思ってしまう。

「……髪、切ろうかなぁ……」

 和人の女性は髪を長くすることが当たり前で、それが美人の条件ともいわれる。髪を短く切るなど女としての色気を捨てるという意味すら持つのだ。
 しかし、アイヌには髪を結う習慣がないため肩くらいまでの長さの人もいるし、そういう髪型も見慣れているので髪を切ることに抵抗はない。
 髪が長くて血を拭き取る手間をかけさせてしまっただろう。尾形から貰ったかんざしを使いたくてずっと髪を伸ばしていたのだが、もうかんざしを使わなくていいように短く切ってしまおうか。

「……似合わんからやめておけ」

「あ、酷い」

 ふんと鼻を鳴らす尾形の相変わらずの態度に小夜子は少し拗ねると、尾形に背を向けて布団に潜り込んだ。
 相手を気遣う言い回しをしないことはわかっているが、似合わないなんて言わなくてもいいのに。

 そのまま背を向けていた小夜子は早々に眠ってしまった。
 出血量が多く、立ち上がるとふらついていたので、平然と振る舞ってはいたが負担は大きかったのだろう。布団に潜ると規則正しい寝息を立て始めた。
 布団に流れる小夜子の髪を一房掴んで撫でる。艶のある滑らかな黒髪でよく手入れされており、家永が狙ったことにも合点がいく。こんなに綺麗な髪をばっさり切ってしまうなんてもったいない気がする。

「あ、小夜子はもう寝たのか」

 後片付けを終えたアシパが戻って来た。
 尾形はすぐに髪から手を離したがアシパに見られてしまい、彼女は少し笑んで小夜子の髪をそっと撫でる。

「小夜子の髪は綺麗だな。そういえば以前、アイヌの女は髪を結う習慣がないことを小夜子に羨ましがられたことがある」

 時間やお金をかけて手入れする必要がなくて楽だという意味だろう。しかし、小夜子が嫉みや皮肉で発したものではないとアシパはわかっている。

「でも小夜子は、髪の手入れは大変だが、かんざしを使いたいから切りたくないそうだ。私は小夜子の髪が好きだから切って欲しくない」

 もう一度髪を撫でてアシパは立ち上がる。

「さて、そろそろ寝よう。今夜は私が小夜子の隣で寝るから、尾形はゆっくり休んでいいぞ」

 五人全員で寝られるようモノア達が寝具を用意してくれた。アシパは自分が使う寝具を抱えて小夜子の隣に敷いたので、尾形は場所を譲る。

「…………」

 小夜子の隣にアシパ、その隣に杉元が布団を敷いた。尾形は杉元の近くで寝るのも気が進まないので牛山に場所を譲り、結局小夜子から最も離れた場所──出入口に近いところで寝ることになった。

 * * *

 翌朝、食事を済ませて出立の準備を済ませた杉元達は、昨日捕えた囚人・鈴川聖弘を取り囲む。この詐欺師は入れ墨の脱獄囚であった。
 コタンの女性達は、主犯はこの男だがこれ以上鈴川に関わりたくないという。

「面倒だ。殺して皮を剥いで行こうぜ」

「無抵抗の人間まで殺すのか?」

 この場で殺して皮を剥いで行くか、生かしたまま連れて行くか。
 尾形とアシパが対立し、杉元と牛山が判断しかねていると鈴川が口を開いた。

「網走から脱走した他の囚人の情報がある!」

「……ほお……」

 杉元の眼光が鋭く変貌した。
 一方、尾形はやはり信じることはせず疑いの眼差しを鈴川に向ける。

「どうだかな。お前、詐欺師だろう? 時間稼ぎの嘘かもよ」

「嘘なら舌を引っこ抜いてやるさ。閻魔様がやるか俺がやるかの違いだろ? 先を急いでいるから鈴川聖弘は連れて行く。土方歳三達と合流してからこいつの処遇を相談しよう」

 ここで鈴川を殺して皮を剥げば持ち運びが簡単になるが、それを安易に実行するのは愚策かもしれない。極悪人だが頭を使うので、何かに利用出来る可能性もある。ひとまず土方と合流して相談するのが賢い方法だろう。

 杉元達が出発するということでコタンの女性が全員集まったのだが、彼女達の多くがスーツ姿の男──牛山に熱い視線を注いでいた。

「ここは男がいなくなったからずっとコタンにいろと言っている。チンポ先生が大人気だ。熊に勝ったし、強い子供が出来ると言っている」

 チンポセンセイ、チンポセンセイ、と口々に言う女性達に小夜子は頭を抱えた。アイヌ語しかわからないのでその言葉の意味を知らずに言っていると思われるが、連呼されると聞いているこちらが恥ずかしくなる。

「アシパちゃん……何てもの教えたの……」

 年頃の女の子がそんな恥ずかしいことを言っては駄目だと注意したが、アシパは気に留めることなく、さあ行こうと元気に歩き出した。


2020/05/06

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