第6話 江渡貝剥製所
尾形は杉元一行を連れて江渡貝剥製所へ向かっていた。
道中、尾形と小夜子の関係について矢継ぎ早に質問が飛んでくる。
「小夜子さん、こいつと知り合いだったのか?」
「というか小夜子、この男といつの間に知り合ったんだ?」
「もしかして鶴見中尉と繋がっていた……なんて言わないよな?」
「さっき百之助『君』て言ってたよね? 君!? いいなぁ、俺も由竹君って呼ばれたいなぁ……」
杉元、アシ
リパ、キロランケが我先に問いかけた。
何だか一人だけ質問ではないが、それでも次から次へと畳みかけてくる仲間に、小夜子ではなく尾形が不機嫌そうに一蹴する。
「うるせぇぞ、お前ら黙れ」
「百之助君とは幼馴染みなんです。子供の頃によく一緒に遊んでいたんですが、私が北海道に引っ越したのでそれきり会っていませんでした」
「ほんとに? ほんとにぃ!?」
後ろで一人だけ声高に騒ぐ白石を尾形がじろりと睨む。尾形だけでなく、杉元達も白石の声をうるさく思っているらしく、アシ
リパがストゥを取り出して白石に制裁を加え始めた。
背が伸びたなぁ、と小夜子は尾形をちらりと伺うように見る。目と眉や表情を表に出さない顔つきは昔と変わらないが、身長はしっかり自分を追い越していることに、何だか感慨深くなる。
「……何だよ」
小夜子の視線に気づいた尾形は、白石から小夜子へ視線を移す。
「私と同じくらいの身長だったのに大きくなったねぇ」
「そりゃそうだろ」
自分より背が高くなった尾形を見上げる。昔はなかった下顎の縫合痕が気になって手を伸ばして触れてみようと思ったが、触れることなく縫合痕のやや手前を小夜子の指先がかすめた。
「……?」
一体どうしたのかと尾形が目で問えば小夜子は小さく笑む。それが尾形にはごまかしているようにも見えた。
「顎のところ縫合痕があるけど、骨割れたの?」
「ああ。誰かさんのおかげで川に転落した時にね」
目をわずかに細めた尾形が、ちらりと後ろを見る。その視線の先──杉元は何も言わずに尾形を睨み返す。二人の間に流れる空気が変わったことに気付いた小夜子は、この話をこれ以上させてはいけないなと感じて話題を変えることにした。
「ねえ百之助君、軍服を着ているってことは軍に入隊したの?」
「ああ」
「その銃、遠いところを撃てるものでしょ? 昔から銃撃つの上手だったもんね」
「『だった』じゃなくて今もだ」
「もー、すぐそうやって揚げ足を取るのも昔と一緒。それじゃ友達も恋人も出来ないわよ?」
「余計なお世話だ」
何も知らない人間が聞いても昔話に花を咲かせているだけなのだが、杉元達からすれば敵陣営の人間と仲良く喋っているのだ。動揺がおさまらず、誰も口を挟もうとはしない。
「ところで小夜子はどうして杉元らとつるんでる? それにその格好は何だ?」
小夜子の親は医者なので、てっきり彼女も医学の道に進んだものだと思っていた。それが行商人のような格好で杉元達に同行しているのはどういうわけかと尾形が尋ねると、彼女は尾形からそっと視線をはずした。
「医者にはなれたんだけど、アイヌに興味があったから各地をまわれる薬売りになったの」
「…………」
嘘ではないが、尾形が無言になったので小夜子は少し気まずくなる。
「──なあ尾形、あの建物か?」
尾形と彼の幼馴染みとの会話に水を差さないよう気を遣って静かにしていた牛山が、前方に見えてきた建物に気づいた。それは緑色の外壁の建物で、正面玄関の柱に掲げられた看板には『江渡貝剥製所』と表記されていた。
* * *
江渡貝剥製所で動物の剥製を作っていた青年・江渡貝弥作は、人間の死体を用いて人間の剥製も作っていた。鶴見中尉はそれを利用して、刺青人皮の贋物を作らせたと尾形は説明する。
「贋物は、おそらくこの六体の剥製を利用して作られた」
「何てこった、気色悪い……」
剥製なので動くわけはないのだが、まるで今にも動きだしそうな精巧な作りをしている。
不敗の牛山も、さすがに人間の剥製を作っていたということに驚きを隠せなかった。牛山だけでなく、杉元達も唖然としている。
鶴見中尉の指示で作られた刺青人皮の贋物は江渡貝により持ち出された。その江渡貝は爆発事故に巻き込まれて死亡したことは確認出来たが、彼に同行していた月島の姿はどこにもなかったことを、尾形は告げる。
「剥製屋の坊やと一緒にいた月島軍曹は屈強な兵士だ。坑道から月島軍曹の死体が出なければ、六枚の贋物が出回ってしまうことを想定しなければなるまい」
贋物の刺青人皮がまだ坑内にあるのか、それとも月島が生き延びて鶴見中尉の元へ持ち帰ったのか。前者ならまだ良いが、後者であれば非常に厄介なことになる。
「へえ……人間の皮も剥製で残せるのね……」
誰もが人間の剥製に驚いて動けないでいる中、小夜子ただ一人が平然と剥製を間近で観察している。これを見て驚かないとはさすがは医者だなと尾形は小さく笑うと、牛山へ顔を向ける。
「ジジイは呼んだか?」
「ああ、もうすぐ来るはずだ」
牛山が頷いた時、扉が開いて一人の老人が部屋に入ってきた。
「贋物か本物か……この忘れ物がどっちなのか判別する方法を探さねば」
長く伸びた髪や髭は白く、肌は皺だらけだが精悍な顔つきで、野心を抱いた鋭い眼光が印象的な老人だ。彼は右手に猫を抱え、左手に刺青人皮を持っている。
「爺さん、あんた……見覚えがあるような……」
老人の顔をじっと見つめた杉元が記憶を辿る一方、白石はまずいと冷や汗を流した。
辺見和雄の刺青人皮を手に入れたあとに寄った鰊番屋で、一人の老人と出会った。それがこの老人──土方歳三だ。土方と通じていたことが判明すれば杉元は躊躇せず自分を殺すだろう。
思い出させてはいけない。白石は咄嗟に杉元の思考を中断させるべく口を挟む。
「いや……会ったことあるわけねぇ。こいつは……土方歳三だぞ」
土方歳三もまた金塊を狙う敵陣営である。名前が出た瞬間、杉元、尾形、キロランケが殺気立って身構えたが、当の土方本人は気にする様子もなく猫を床におろすと白石へ目配せする。
「久しぶりだな、白石由竹。お友達を紹介してくれんのか?」
内通していたことがバレたらどうするんだと白石が焦る一方、杉元は鰊番屋の老人ではなく別のことを思い出していた。
「ひょっとして……キロランケの村に来たってのはこの爺さんか?」
──小蝶辺明日子という和名の娘を捜している。
以前、キロランケの村を訪れた老人はそう尋ねたことをちょうど思い出したのだ。小蝶辺明日子というのはアシ
リパの戸籍上の名前である。
「そうだ」
「アンタに会ったら聞きたいことがあった。のっぺら坊は土方歳三だけに伝えた情報があるはずだ。あんたをある程度信用しているのか……大きな目的が一致しているのか……アイヌに武器を持たせて独立戦争を持ちかけられたか?」
杉元はそこで一度言葉を切った。軍帽のつばで土方から目元を隠すようにやや顔を俯かせて口の端を吊り上げ、まるで鎌をかけるかのように問う。
「のっぺら坊は、本当にアイヌかな?」
「ほぉ……そこまで辿り着いていたか」
「のっぺら坊も出し抜こうって魂胆かい? アイヌの埋蔵金で蝦夷共和国でも作るのか? 土方歳三さん」
「私の父は──」
「手を組むか、この場で殺し合うか──選べ」
かたわらで杉元と土方の会話を聞いていたアシ
リパが口を挟もうとした。が、すぐさま土方が遮って腰に差している和泉守兼定の柄に手をかけた。殺気を放ち、すぐにでも刀を抜けるように構える。
杉元も小銃の上帯(銃身と木製ストックを固定する部品)のあたりを握った。この広くない室内では、発砲するより打撃武器にした方が有効なのだ。
二者の間に緊張が走る中、尾形はアシ
リパの後ろ姿を見つめる。
(今、土方はこの子供の言葉を遮った……『私の父』? まさか……のっぺら坊の娘なのか?)
──グキュルルルル……
「刺青人皮を持っているなら我々が買い取ろう。一緒に国を憂いてくれとは言わん」
土方より少し遅れて、もう一人老人が姿を現した。頭部は禿げ上り、口元に白い髭をたくわえている彼は永倉新八。新撰組元隊士で、最強の剣士と謳われた人物だ。
「刺青を売った金で故郷に帰り、嫁さんでも貰って静かに暮らせる道もあるが、若いもんにはつまらん道に聞こえるかね?」
「のっぺら坊に会いに行って確かめたいことがある。それまでは金塊が見つかってもらっちゃ困る」
杉元はアシ
リパとの約束を果たすために、何としてでも網走に向かわねばならないと言う。
──グルルッ……コロコロ……
「会いに行くだって?」
牛山が杉元の言葉に反応して聞き返す。
──コロコロコロコロ……
「っ……なぁにコロコロって!?」
先程からずっと鳴り続けている音で緊張感は崩壊した。杉元が思わず叫ぶと、札幌で生死不明となっていた家永カノがひょっこり顔を出した。
ずっと鳴り続けていた音の正体はアシ
リパの腹の虫であった。
「私が何か作りましょうか?」
「家永生きてた!」
「お話の続きは食事の席でされてはいかがでしょうか?」
家永の提案でひとまず休戦状態となり、食事をすることにした。
* * *
家永と小夜子は三角巾とエプロンを身につけ、台所で料理を始めた。
家永に請われて料理の手伝いをしている小夜子は、この場にいる唯一の大人の女性ということで手伝いを頼まれたと思っていたのだが、実は標的として狙われていた。
家永カノは外見は女性だが、その正体は老爺で入れ墨の囚人である。肌は白く瑞々しいので小夜子は最初は老爺だと言われても信じられなかったが、『同物同治』を実践していると本人が告げたので納得した。体の不調部と同じ部位を食べれば回復するというものだ。
「ああ……確か中国医学の……」
「ご存知なの?」
「医者でしたから。同物同治は聞いたことがあります」
「まあ! 私も医者なの。嬉しいわ」
料理の準備を進めながら家永と話すが、男性だなんて信じられない。声も仕草も女性そのもので、頭が少し混乱してしまう。
家永は囚人だが名医でもある。小夜子も医者だと知ると目を細めて小夜子に、すすす、と体を寄せる。
「鳴海さんの肌、とても綺麗ね。髪も艶があって……声も素敵だし……」
「い、家永さん?」
「ホテルではアシ
リパちゃんの青い瞳に夢中だったけど、あなたも素敵ねぇ……」
まるで想い人に寄り添うように腕を絡めてこようとする家永に、小夜子は不穏な空気を感じ取って反対方向に逃げる。が、逃げた分だけ距離を詰められ、すぐに壁際まで追い詰められてしまった。
同物同治で食べるのは食用家畜のものだが、家永の言葉ではまるで人間を用いるように聞こえるのは気のせいだろうか。
「あ……あの……」
「何だか後輩が出来たみたい。ねえ、食事が終わったら医学について一緒に語り合いましょう?」
「ええと……名医のお話を聞けるのは大変ありがたいのですが……」
ぐいぐい迫る家永の化粧は見事なもので、口元のホクロと鮮やかな口紅が妖艶さを増している。積極的すぎる家永に戸惑っていると、
「俺も混ぜてくれよ」
尾形の声が聞こえた。
「幼馴染みに手をかけられちゃ夢見が悪い」
尾形は家永の後頭部に小銃の銃口を突きつけて薄ら笑いを浮かべるが、その目は笑っていなかった。
「冗談ですよ……そんなに殺気立たないで下さる?」
笑顔を張りつかせて家永が離れると、小夜子はホッと胸を撫で下ろす。
「まったく……家永程度に気圧されてどうするんだ。タマでも蹴り上げろよ」
「あはは……ありがとう、百之助君」
女の外見をしていても、体は男なのでついている。その急所を狙えばいいだろうと呆れる様子を隠すこともなく尾形が溜息をつく。
口数は多くないのに相変わらず歯に衣着せぬ物言いだ。小夜子は苦笑しつつも礼を述べた。
それから料理が再開されたのだが、尾形は家永を監視するため台所に残ることにした。効果は抜群で、尾形が来てからは家永は小夜子に話しかけはするが接触することはなくなった。
ずっと立っているのも暇だろうと小夜子が刻んだ漬物を箸で摘んで尾形の口元に運べば、彼は何も言わずに口を開けて咀嚼する。
「美味しい?」
「ん」
小夜子が作ったものではないのだが、わざわざ自分のために差し出してくれることが何となく嬉しい。
返事というには短い頷きであったが、小夜子にとっては関係ない。口数は少ないけれど、きちんと反応を返してくれるのだから。
尾形はカリカリした食感と塩気を楽しみながら、料理が完成するまで台所で小夜子の働く様子を眺めていた。
食事の時間が始まった。
白いテーブルクロスをかけた長いテーブルの中央にアシ
リパが座り、彼女の右側には杉元、白石、キロランケが、左側には土方、永倉、牛山、尾形が座る。
家永と小夜子が作ったものはなんこ鍋。夕張を含む空知地方の郷土料理で、炭鉱夫の間で広まった鍋料理だ。腸を味噌で煮込んだ、いわゆるモツ煮である。
「おい家永……この肉、大丈夫なやつだろうな?」
札幌のホテルで宿泊客を解体して食べていた家永が作ったとなれば、何の肉を使ったのだろうか。不安になった白石が尋ねると、家永は正直に答えた。
「ご安心下さい。『なんこ』とは方言で馬の腸という意味ですから、馬のものを使っています」
家永がにこやかに微笑む一方、キロランケがふきだした。大の馬好きの彼にとっては最も食べたくない食材だろう。
「おい小夜子、一緒に作ったんだろ? 止めてくれよ……」
「ごめんなさい……お肉が馬しかなかったんです」
馬が好きなことは知っているのに、何故なんこ鍋を作らせたのか。恨みを込めた視線を送られ、小夜子は平謝りする。
全員になんこ鍋が行き渡ったので、家永と小夜子も食事を始めた。
「……ところであんたら、その顔ぶりでよく手が組めているな。特にそこの鶴見中尉の手下だった男」
アシ
リパを挟んで土方とは反対側に座る杉元が、お椀の汁をすする尾形をねめつける。
「一度寝返った奴はまた寝返るぜ」
「杉元……お前には殺されかけたが、俺は根に持つ性格じゃねえ。でも今のは傷ついたよ?」
食事の席で剣呑な空気が生まれて誰も口を開こうとしなかったが、白石が食事中に喧嘩するなと仲裁に入ってくれた。
小夜子は杉元と尾形がどんな経緯で険悪な関係になったのかまでは知らないので、口を挟むことはしない。静かに食事をしていると、左隣に座る尾形が空になったお椀を小夜子に差し出した。無言のまま差し出したせいか小夜子は気付かなかったが、お椀を顔の正面まで出せば彼女はようやく気付き、なんこ鍋をよそって彼に渡す。
そんな尾形と小夜子のやり取りを横目で見ていた牛山が、思わず尾形に一言注意する。
「尾形、『よそってくれ』ぐらい言ったらどうだ?」
「いいんですよ、牛山さん」
「小夜子もこう言ってるし、別にいいだろ」
尾形に反論されると思っていたのだが、小夜子本人が先に口を開いたので牛山はそれ以上諫めることはしなかった。
ずっと静かに食べていた土方は食事を終えて湯呑みのお茶をすすると、いずれにせよ、と続ける。
「坑内に月島軍曹の死体がないか確認するまで夕張から動けんが、死体がなければ絶対に判別方法を見つけなくてはならなくなる」
「私……思い当たる人物がいます」
もし贋物が出回れば判別方法のわからない今、圧倒的に不利になる。見分けるにはどうすれば良いか全員が閉口している中、家永が心当たりがあると口を開く。
「贋物を見抜けそうな人物が?」
そのような人物を知っているのかと少し驚いた様子で永倉が聞き返せば、家永は頷いて一人の人物の名を挙げた。
「熊岸長庵という男です」
「熊岸長庵……あの贋札犯か!」
名前を聞いて白石が反応した。熊岸とは収監中に顔を合わせたことがある白石は、彼の顔を思い浮かべる。
家永によれば、昔から美術が好きであったため、美術商を通じて熊岸と知り合ったという。贋札作りで有名だが彼は美術家でもあり、あらゆる美術品の贋物を作ってきた贋作師でもある。この男なら何か判別方法を見つけられるかもしれない。
刺青人皮は美術品ではないのだが、何もないよりはいいだろう。
熊岸とはどこに行けば会えるのか問えば、家永はこう答えた。
「月形の樺戸監獄に収監されています」
2020/02/24
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