第5話 忠誠の儀


 空中に溶けるように、プライマル・ファイヤーエレメンタルが消えていった。周囲に立ち込めていた熱気も急速に薄れていく。桁外れの破壊力と耐久力を持つプライマル・ファイヤーエレメンタルだったが、周囲にいるだけでも受ける炎ダメージを完全無効化し、見事な回避を披露したアウラの前では、たいした相手ではなかったようだ。
 もし一撃でも当たればアウラの体力は奪われただろうが、マーレというドルイドがそれを許すはずがない。バフとデバフを使い分け、アウラを支援していたのだから。
 前衛と後衛の役割分担をしっかりこなした見事な戦い方だった。

「見事だ。二人とも素晴らしかったぞ」

「ありがとうございました、モモンガ様。こんなに運動したのは久しぶりです!」

 モモンガの心からの感嘆の言葉に、アウラとマーレは嬉しそうに笑い、顔についた汗を拭う。それを見たモモンガはアイテムボックスを開いた。取り出したのは魔法のアイテム、ピッチャー・オブ・エンドレス・ウォーターだ。食事や喉の渇きはユグドラシルにはシステムとして存在していたが、アンデッドであるモモンガには不要のものだった。そのため、個人では一切使わなかったアイテムだ。
 ガラスのような透明な材質のピッチャーには新鮮な水が入っており、水滴が無数についている。中の水が冷えていることがよくわかる。
 次いで取り出したグラスに水を注ぐと、アウラとマーレに差し出した。

「アウラ、マーレ、飲みなさい」

「え? そんな悪いですよ」

「そ、そうですよ。水ぐらいならボクの魔法でも……」

 上位の存在に対する遠慮と謙遜と恐れ。そんな二人の態度に、モモンガは苦笑する。

「この程度、気にするものでもないだろう。いつもよく働いてくれていることへの、ささやかな感謝の表れだ」

 ふわー、とも、ふえー、ともいう、形容しがたい声を漏らした双子は、照れた様子でグラスを受け取った。

「あ、ありがとうございますモモンガ様!」

「モ、モモンガ様に注いでもらえるなんて!」

 そんなに喜ぶことだろうかとモモンガは内心首を傾げる。
 今度は二人とも断ることなく、水を飲み始めた。アウラは一気に飲み、マーレはグラスを両手で抱えて少しずつ飲んでいる。性格の違いがよくわかる飲み方だった。
 アーデルハイトとテオドールもどうかと聞くと、アーデルハイトも少し喉が渇いていたようで、一杯飲むことにした。テオドールは大丈夫だという。

 水を飲む三人を見ながら、モモンガは自分の喉に手を当てた。頸椎に薄皮がついたような感触がある。
 この体になってから、喉の渇きを覚えていない。睡眠欲もだ。アンデッドがそんなものを感じるわけないか、と妙に納得してしまった。
 何気なくアーデルハイトを見る。アウラほどではないがこくこくと飲み、そのたびに喉が動く。最後の一口を飲み終えると、唇に残った水を舌でぺろりと舐めとる。美人なだけに、なかなかセクシーな仕草に見えた。

「もう一杯いるか?」

 三人に尋ねれば、一杯で充分だという答えが返ってきたので、グラスを受け取り空間の中にしまい込んだ。そんなモモンガを何気なく見ていたアウラがぽつりと呟いた。

「……モモンガ様ってもっと怖いのかと思っていました」

「ん? そうか? そっちの方がいいならそうするが……」

「いえ、今の方がいいです! 絶対いいです!」

「なら、このままだな」

 勢いのあるアウラの返答につられたのか、マーレも呟いた。

「……アーデルハイト様も、も、もっと高貴で、ぼ、ボク達の手の届かない上の存在かと……」

「儂は自分で高貴とは思ってもおらんかったな……では、もっと高貴であるよう心がけるべきじゃろうな」

「あ、い、いえ、そのままで、今のままがいいです!」

 マーレが慌てて首をぶんぶんと横に振る。

「も……もしかして、あたし達にだけ優しいとか……」

 ぼそぼそと呟くアウラに何を言えばいいのかわからないモモンガは、彼女の頭を撫でるように数回叩く。

「えへへへ」

 まるで大好物を前にした子犬のような雰囲気のアウラを、マーレは羨ましげに見つめていた。その視線に気づいたアーデルハイトは、マーレの頭を軽く撫でてやれば、マーレは気持ちよさそうに両目を閉じて撫でられる感覚を楽しむ。

「おや、わたしが一番でありんすか?」

 廓言葉が聞こえてきた。口調のわりには若い声だ。
 姿を現したのは、柔らかそうなボールガウンを身に着け、スカート部分は大きく膨らんでいる。フリルとリボンのついたボレロカーディガンを羽織り、レース付きのフィンガーレスグローブを着けていることで、ほとんどの肌が隠れている。
 白蝋のごとく白い肌、銀色の髪、そして真紅の瞳の十四歳程度の少女だ。幼さと美しさが入り混じっている。まだ成人には程遠い外見年齢には似つかわしくないほど、胸は大きく盛り上がっていた。

「転移が阻害されてるナザリックで、わざわざゲートなんか使うなっての。闘技場内まで普通に来たんだろうから、そのまま歩いてくればいいでしょう、シャルティア」

 先程まで子犬のような純粋さを振りまいていたアウラが、敵意むき出しの感情を少女に向けた。隣のマーレが震え出し、少しずつ姉から離れていっている。なかなかに賢い子だ。
 シャルティアと呼ばれた少女は、まっすぐモモンガに駆け寄り、抱きつく。

「ああ、我が君。わたしが唯一支配出来ぬ愛しの君」

 シャルティアの濡れた舌が己の唇をぺろりと舐める。妖艶な美女がやれば非常に似合う仕草だが、彼女では年齢が足りない。そのちぐはぐしたものが微笑ましくもある。それでも女性慣れしていないモモンガにとっては充分な妖艶さだ。
 こんなキャラだったか、という疑問が浮かぶ。だが、この少女を設定したペロロンチーノならやりかねない。エロゲーをこよなく愛する、「エロゲーイズマイライフ」を豪語する人物だったのだから。
 そんな駄目人間ともいえる男に設定された彼女こそが、シャルティア・ブラッドフォールン。ナザリック地下大墳墓第一から第三階層までの守護者であり、真祖(トゥルーヴァンパイア)だ。

「いい加減にしたらどう?」

「おや、チビすけ、いたでありんすか? 視界に入ってこなかったからわかりんせんでありんした」

 アウラが隠すことなく表情を歪ませる。が、シャルティアは構うことなくマーレに話しかける。

「ぬしも大変でありんすね、マーレ。こな頭のおかしい姉をもって。早く離れた方がいいでありんす。そうしないと、ぬしまで頭がおかしくなってしまいんすよ」

 マーレの顔色が一気に悪くなった。自分をだしに、姉のアウラに喧嘩を売っているとわかったためだ。

「うるさい、偽乳」

「な……何で知ってるのよ!」

 アウラの爆弾発言に、シャルティアの口調が変わった。キャラ崩壊というやつだ。間違いだらけの廓言葉は、今はどこにもない。

「一目瞭然でしょー。変な盛り方しちゃってさ。何枚重ねてるの?」

「うわ、うわー!」

 シャルティアは、アウラの言葉をかき消そうとぱたぱたと必死になって手を振る。年相応の表情だ。

「そんだけ盛ると、走るたびに胸がどっか行くでしょ」

「くひぃー!」

「図星ね! くくく、どっかに行っちゃうんだ! だから急ぐけど走らない方法のゲートを使ったんだー?」

「黙りなさいこのチビ! あんたなんかないでしょ!」

「あたしはまだ七十六歳。これからだもん。それに比べてアンデッドって成長しないから大変よね」

 アウラが余裕のある態度を見せれば、シャルティアはぐっと言葉に詰まる。

「今あるもので満足したら? ぷっ!」

 さらにシャルティアを煽って嘲笑すれば、シャルティアの我慢の限界が訪れた。

「おんどりゃー! 吐いた唾は飲めんぞ!」

 アウラとシャルティアのやりとりを静かに見ていたモモンガとアーデルハイトは、仲裁に入るべきか迷う。アウラとマーレを設定したぶくぶく茶釜と、シャルティアを設定したペロロンチーノは姉弟で、時折仲の良い喧嘩をしていた。まさにこんなふうに。

《あの二人がいるみたいですね、アーデルハイトさん》

《ええ、本当に》

 モモンガとアーデルハイトが懐かしい記憶に浸っていると、低い声が聞こえてきた。

「騒ガシイナ」

 シャルティアの次に姿を現したのは、冷気を放つ異形だった。2.5mはある巨体で、二足歩行の昆虫を思わせる。長い尾や全身からは、氷柱のような鋭いスパイクがいくつも飛び出している。二本の腕で白銀のハルバードを持ち、残りの二本の腕でメイスとブロードソードを持っている。
 ナザリック地下大墳墓第五階層守護者、コキュートスだ。

「御方々ノ前デ遊ビスギダゾ……」

「この小娘がわたしに無礼を──」

「事実を──」

 再びシャルティアとアウラが睨み合い始めた。さすがに呆れたモモンガは、低い声で二人を叱責する。

「シャルティア、アウラ、じゃれあうのもそれぐらいにしておけ」

「申し訳ありません!」

 びくりと二人の体が跳ね、慌てて首を垂れて謝罪する。そのタイミングは、今までいがみ合っていたとは思えないほどぴったりだった。

「喧嘩をするなとは言わんが、ほどほどにするべきじゃぞ」

 モモンガは喧嘩をすることを咎めているのではない、場をわきまえろという意味で言ったのだ。反省してくれるのなら過剰に怯えることもない、とアーデルハイトが二人の頭をそっと撫でてやれば、緊張が解けるのがわかった。

「よく来たな、コキュートス」

「オ呼ビトアラバ即座ニ」

「この頃、侵入者もなく暇ではなかったか?」

「確カニ……」

 モモンガの問いに、コキュートスは下顎をカチカチと鳴らした。その音はスズメバチの威嚇音に似ているが、きっと笑っているのだろう。

「トハイエ、セネバナラヌコトモアリマス。サホド、暇トイウコトモゴザイマセン」

「ほう……せねばならぬこととは?」

「鍛錬デゴザイマス。イツイカナル時デモオ役ニ立テルヨウニ」

 そういえば、コキュートスは性格もコンセプトデザインも武人という設定だったことを、モモンガとアーデルハイトは思い出す。ナザリック地下大墳墓において、武器の使い手という区分では、第一位の攻撃能力保持者でもある。

「それは私とアーデルハイトのためにか。ご苦労なことだ」

「ソノ言葉一ツデ報ワレマス」

 モモンガより賜った一言が、コキュートスの忠誠心をより向上させた。
 ちょうどその時、闘技場の入り口から歩いてくる影が二つ見えた。先に立つのはアルベドで、その後ろにデミウルゴスが付き従うようにモモンガ達のところにやって来る。

「皆さんお待たせして申し訳ありませんね」

 デミウルゴスは優雅に一礼をした。
 身長は1.8mほどの浅黒い肌。東洋系の顔立ちで、オールバックに固められた髪は黒く丸眼鏡をかけている。三つ揃えのスーツを着用し、しっかりネクタイまで締めている。第一印象はやり手のビジネスマンや弁護士などの職業を思わせる外見だ。紳士の装いをしていても、後ろには銀色のプレートで覆われた尾が揺れ、先端には六本の棘が生えている異形種だ。
 彼こそが、ナザリック地下大墳墓第七階層守護者、デミウルゴス。

 そして、デミウルゴスを率いるようにお淑やかに歩く美女は、守護者統括アルベド。白いドレスで身を包み、同じく白い手袋を着用し、艶やかな黒髪をなびかせている。腰から生えた黒い翼と、頭部のこめかみあたりから前方へ湾曲した白い角で、異形の者だとわかる。
 アルベドは微笑み、モモンガとアーデルハイトに対して深くお辞儀をした。

「これで皆、集まったな」

「モモンガ様、まだ二名ほど来ていないようですが……?」

 一同を見渡したモモンガに、デミウルゴスが控えめな声で問う。

「その必要はない。あの二人はどちらも特定状況下での働きを優先して配属された守護者だ。今回のような場合には呼ぶ必要はない」

「さようでしたか」

「……我ガ盟友モ来テイナイヨウデスナ?」

 コキュートスの一言に、シャルティアとアウラがぴしゃりと硬直し、アルベドですら微笑みが引きつっているように見える。

「……あ、あれはあくまでも、わた……わらわの階層の一部の守り手に過ぎぬ」

「そ、そうだよねぇ」

 シャルティアの裏返った声に、アウラがこくこくと頷いた。

「儂も……アレはちょっと……」

 アーデルハイトが呟く声が聞こえてきた。心の底から絞り出すような、掠れた声だった。

「恐怖公か。そうだな、領域守護者にも知らせた方が良いな。では、各階層守護者よ、紅蓮やグラントにも伝達しておくように」

 ナザリック地下大墳墓の役職の守護者には二種類ある。一つが、モモンガの目の前に今いる、一つまたは複数の階層を任されている階層守護者。もう一つが、各階層の一部分を任されている領域守護者。
 簡単にいえば、領域守護者は階層守護者の管理下で一区画を守っている者だ。その数はある程度いるため、ありがたみがないということで、基本的に守護者といえば階層守護者を指す言葉である。

「では、至高の御方々に忠誠の儀を」

 アルベドの言葉で、一斉に守護者各員とテオドールが整列した。全員の表情は硬くかしこまったものになり、少し前まで見せていたおどけた雰囲気は欠片もない。

「第一、第二、第三階層守護者、シャルティア・ブラッドフォールン。御身の前に」

 最初に胸元に手を当てて深く頭を下げたのはシャルティア。

「第五階層守護者、コキュートス。御身ノ前ニ」

 臣下の礼を取ったシャルティアに続き、コキュートスも同様の礼をする。

「第六階層守護者、アウラ・ベラ・フィオーラ。御身の前に」

「お、同じく、第六階層守護者、マーレ・ベロ・フィオーレ。お、御身の前に」

 二人のダークエルフが頭を下げる。その動きは息ぴったりだ。

「第七階層守護者、デミウルゴス。御身の前に」

 デミウルゴスが優雅に、かつ非常に心のこもった礼を見せた。

「アーデルハイト様の近衛、テオドール。御身の前に」

 テオドールが恭しく頭を下げる。

「守護者統括、アルベド。御身の前に」

 他の守護者同様に跪くが、アルベドだけはそこで終わらず、頭を下げたままよく通る声で続ける。

「第四階層守護者ガルガンチュア及び第八階層守護者ヴィクティムを除き、各階層守護者及び近衛テオドール、御身の前に平伏し奉る。ご命令を、至高なる御身よ。我らの忠義を全て御身に捧げます」

 七つの下がった頭を前に、モモンガとアーデルハイトはすぐには動けなかった。
 跪く面々に感動しているわけでもなく、忠誠心の高さに慄いているわけでもなく、どうすれば良いかわからない──そう表現するのが妥当だろう。
 あまりに混乱しているせいで、モモンガは特殊能力を発動させたり、オーラを放ったりしている。アーデルハイトも、表情は引き締まった真面目なものであるが、モモンガと同様にプレッシャーを放つくらい内心パニックになっていた。

「……面を上げよ」

 何とかテレビや映画などで目にした光景を思い出し、こういう場面で最も相応しい行動を取れば、跪いていた各員が一斉に頭を上げる。

「ではまず……よく集まってくれた。感謝しよう」

「感謝なぞおやめ下さい。我らはモモンガ様とアーデルハイト様に忠義のみならず、この身の全てを捧げた者達。至極当然のことでございます」

 アルベドの返答に他の守護者が口を挟むことはなかった。流石は守護者統括というべきだろう。
 モモンガは押し潰されそうな感覚に襲われた。支配者らしく振舞わねばという重圧だ。自分の命令一つで今後が決まる。迂闊に言葉を発せないモモンガは迷いが生まれる。己の決定で、ナザリック地下大墳墓が崩壊するのでは、と。

「……モモンガもそうじゃが、儂も迷っておる。己の言葉一つで、ぬしらの未来を振り回してしまうかもしれぬ、とな」

 重圧で守護者達に続きの言葉を言えないモモンガを気遣い、アーデルハイトが代わりに守護者に心情を告げた。すると、アルベドがアーデルハイトの言葉に同意する。

「お迷いになるのは当然でございます。モモンガ様やアーデルハイト様からすれば、私達の力など取るに足らないものでしょう。しかしながら、モモンガ様とアーデルハイト様よりご下命頂ければ階層守護者各員、いかなる難行(なんぎょう)といえども全身全霊を以て遂行致します。造物主たる至高の四十二人の御方々──アインズ・ウール・ゴウンの方々に恥じない働きを誓います」

「誓います!」

 アルベドの声に合わせて、他の守護者やテオドールが唱和する。彼らの声は力に満ちていた。
 そんな守護者を前に、モモンガとアーデルハイトはNPCが裏切る可能性がないことを確信した。もしもの時に備えて行動するのは当たり前だが、過剰なくらいNPCの裏切りを常に考えていたことに、二人は心の中で詫びた。これほどまでに厚い忠誠心を向けてくる彼らを疑っていたことを。
 同時に、感動が込み上げてくる。ギルドメンバーが作ったNPCが、これほどまでに素晴らしいと知って、胸が熱くなる思いだ。あの黄金の輝きは、今なおここにある。皆の想いの結晶、苦労して作った実がここにあることに喜びを覚えた。
 先程までの不安は跡形もなく消え、モモンガの口からギルド長としての言葉が滑り落ちた。

「素晴らしいぞ、守護者達よ。お前達なら私とアーデルハイトの目的を理解し、失態なくことを運べると強く確信した!」

 モモンガは一度言葉を区切り、守護者やテオドールの顔を見渡して再び口を開いた。


2017/05/19

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