第2話 始動


 通常、オンラインゲームはサーバーがシャットダウンすれば強制的にログアウトさせられる。ユグドラシルも24時になれば強制ログアウトになり、すぐに現実世界へ戻る──はずだった。
 目を開けても、まだ宝物殿にいるようだ。どうしてなのだろう。
 アーデルハイトは何が起こったのかと不思議に思い、コンソールを操作しようとしたが開かない。ますます困惑する。

「ど、どういうこと……?」

「如何致しましたか、アーデルハイト様」

 すぐ隣から耳障りの良い男性の声が聞こえてきた。驚いて顔をそちらへ向けると、先程まで前面を向いたままのパンドラズ・アクターの顔が、アーデルハイトへ向いている。

「え……え……!?」

「おお……どうやらこの私の声に聞き惚れているのですね!? 至高の御方をも惑わすほどの美声の持ち主だったとは……私は何と罪深き者!」

「な、何で……どういうこと……?」

 大袈裟な動きと舞台役者のような感情の籠った言い回しをするパンドラズ・アクターを、アーデルハイトは呆気に取られて見つめる。
 一体どうなっている。ユグドラシルのシステムでは、NPCが自我を持ったように喋ったり動いたりすることはあり得ない。あくまでNPCであり、プレイヤーに作られた存在なので、与えられた指示どおりに動くことしか出来ないのに。
 そこでアーデルハイトはGMコールのことを思い出した。ゲーム内で不具合に遭ったプレイヤーが運営に助けを求めるために用意された救済手段のことである。GMコールを使えば運営に繋がる──はずなのだが、どういうわけか繋がらない。

「GMコールが出来ない……!?」

 ではコンソールで何か操作を、と指で空中をトントンと叩く素振りをしたが、コンソールも表示されなかった。ログアウトも試してみたが、それも出来ない。

「……どうなってるの……」

「アーデルハイト様、何か問題でもございましたか?」

 パンドラズ・アクターとはまた別の男の声が近くから聞こえてきた。そちらに振り向くと、アーデルハイトの作ったNPCテオドールがこちらを見つめていた。

「ちょ、ちょっと待って……どうして二人が動いて……? そもそもログアウトも出来ないってどういうこと……?」

 まだゲームのアバターのまま宝物殿にいるということは、サーバーのシャットダウンが延期になったのだろうか。それならそれで自分でログアウトが出来るはずなのに。
 何が起こっているのだろうか。
 次に、アーデルハイトはモモンガへ伝言(メッセージ)を送ることにした。相手がログインしていれば電話のコール音のようなものが鳴り、ログインしていなければ音は鳴らない。
 今はその中間の、糸をのばして相手に届くかどうかを探っているような感覚だ。何て奇妙な感じなのだろうとアーデルハイトが違和感を覚えた頃、モモンガの声が聞こえてきた。

《──アーデルハイトさん!》

《あっ、繋がった……!》

 少し前に別れたばかりのモモンガの声に、アーデルハイトは胸を撫で下ろした。

《って、何か変な感じですね……?》

《そう、ですね……》

 モモンガに届いたのは確かにアーデルハイトの声だった。けれど、メッセージとは何かが違う感覚がした。アーデルハイトもすぐに気付き、歯切れの悪い返答をする。

《何だろう……耳元で聞こえているんじゃなくて……でもちゃんとアーデルハイトさんの声は聞こえているんです》

《うーん……》

 そこでアーデルハイトはハッとした。今の声は『声に出していない』。モモンガに今の声が聞こえたかどうか尋ねてみると、彼は聞こえたと答えた。次は反対に、モモンガが声に出さずにアーデルハイトへ呼びかけてみれば届いた。

 直接声に出さず、心の内で思ったことを相手に届けられるなんてまるで念話──テレパシーだ。

 試しにアーデルハイトはテオドールへ念じてみたが、彼は全く反応を示さなかった。モモンガに再度念じれば、今度は届いた。

《どうもこの念話は私とアーデルハイトさんにしか適用されないようですね》

《メッセージを送ったつもりなのに、サービス終了間際の特別変更なんでしょうか》

 何ておかしな変更だと内心で笑ったところで現状を思い出し、アーデルハイトはモモンガに異変を伝える。

《って、モモンガさん変なんです。ログアウト出来ませんし、GMコールも繋がりません》

 隣に座るパンドラズ・アクターの顔は何とも緊張感のない子供の落書きのようなものだが、何故かアーデルハイトを無言で見下ろしてくるだけで何も言わない。メッセージで通信中だと理解しているのだろうか。

《そちらも同じ状況ですか。サーバーダウンが延期になったとは考えにくいですしね……》

《それに、NPCと会話出来ているんですが! テオドールとパンドラが喋りました!》

 かくん、とパンドラズ・アクターが首を横に傾げた。何かを考えているしぐさとは思うが、何を考えているかまではわからない。

《はい、私の方でもアルベドが。とにかく、玉座の間にいるんですが、こちらまで来れますか?》

《ええ、すぐに行きます》

 やはりモモンガの方でも異変が起こっているようだ。アーデルハイトはメッセージを解除した。

「アーデルハイト様、取り込み中でしたか?」

「ちょっとね。でも終わったわ。どうしたの?」

「先程から思っていたのですが……今日は少しばかり開放的と言うか」

 どういう意味だろうと考えた直後、自分の格好を再認識した。上着を脱ぎ、シャツの襟元のボタンをいくつかはずしたため、首筋どころか胸元あたりまで見えている。

「ちょっ……は、早く言ってよ!」

 アーデルハイトはすぐにボタンを留めて襟元を正し、上着を着用する。

「隠すようなものではないのでは? むしろ眼福と言うのでしょうか。露出を増やされた方が宜しいかと」

「増やさない! 増やさないから!」

 羞恥心で焦る心を何とか落ち着かせると、アーデルハイトはじっとこちらを見つめているテオドールに話しかける。

「テオドール、玉座の間に行きましょう」

「かしこまりました」

「おお……行かれてしまうのですね。私はモモンガ様よりこの宝物殿を任された身。モモンガ様の許可なく出歩くことは許されません。アーデルハイト様、どうか私がご一緒出来ないことを悲しまないで下さい。私はここから出られませんが、心はいつもあなたと一緒です」

「あ、うん、どうも……またね、パンドラ」

 何だか凄く親しみを持たれていることに悪い気はしないのだが、今はすぐにモモンガと合流したいアーデルハイトは、パンドラズ・アクターと別れて宝物殿を出た。

 * * *

 リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを使えば、ナザリック地下大墳墓内のほとんどの部屋の行き来が可能である。アーデルハイトはリングの力でテオドールと一緒に玉座の間の扉の前まで転移して中に入る。赤い絨毯がまっすぐ伸びた先にある玉座に、モモンガが鎮座していた。玉座の装飾も相まって、彼はまさしく支配者然とした風貌だ。

「アーデルハイトさん、こちらまで来てもらってすみません」

「いえいえ、大丈夫です。それより、どうなっているんでしょうか……」

 ログアウト出来ない。GMコールが繋がらない。コンソールが出ない。NPCは意思を持ち、会話が出来る。アバターの表情が変化し、においを判別出来る。
 ゲームではありえないことが連続しているこの状況に、モモンガとアーデルハイトは困惑する。

「試しにアルベドに触れてみたら、脈があったんです。ゲームじゃそこまで作り込めないのに」

 アーデルハイトが女性である手前、アルベドの胸を揉んだことは伏せておく。流石にそんなことを言えば、ギルド長としての──いや、一人の人間としての信頼を損ねてしまう。

「本当に、どうなってしまったんでしょうか……まるで本当にゲームの世界に入り込んでしまったような……」

「アーデルハイトさん、パンドラズ・アクターはどうでしたか?」

 思案を巡らせているアーデルハイトに、モモンガが気になっていたことを尋ねた。

「とても面白かったですよ。私、何故か彼にとても親しみを持たれているようです」

「そ、そうですか……。親しみを持たれているのは、きっと毎日挨拶しに行っていた影響なんでしょうかね」

「かもしれません」

 アーデルハイトは自然な笑みがこぼれた。ゲームのままであれば、表情は変わることなく笑顔のエモーションアイコンを表示させるのに、今は現実世界のように自由に表情を変えることが出来る。

「ところで、テオドールはやけに静かだな。物静かな設定だったか?」

 モモンガの声が低いものになった。声色もそうだが、口調も威厳が感じられる。突然の変化に、アーデルハイトはわずかに戸惑う。

「申し訳ありません、モモンガ様。至高なる御方々を前にした嬉しさに、思わず打ち震えておりました」

 穏やかな好青年といった印象を受けるテオドールは、モモンガの前に跪いた。

「良い。お前はアーデルハイトの護衛であったな」

「さようでございます」

「ならば、警戒を怠らぬよう務めよ」

「かしこまりました」

 モモンガとテオドールのやりとりを黙って聞いていたアーデルハイトが、ようやくモモンガに話しかける。ただし、声に出すのは何だか憚られたのでメッセージで。

《……モモンガ、さん?》

《はい?》

他者に聞かれずに会話が出来るとは便利なものだ。アーデルハイトは突然効果が変わったメッセージでモモンガに話しかけた。

《どうしたんですか? 何だか今までと声も話し方も違うような……》

 これまでは爽やかな青年と思うような口調であったのに対し、テオドールと会話していた時は支配者に相応しいものであった。全く違う印象のモモンガに、アーデルハイトが戸惑うのも無理はない。

《どうもNPCからは支配者として忠誠を捧げる相手と認識されているみたいです。ですので、支配者たる器を彼らに示さないといけないと思って。というかぶっちゃけ心の中はテンパってます》

《じ、じゃあ、私も威厳ある口調で喋った方がいいですよね……うーん……》

 今のところ、テオドールもパンドラズ・アクターも、アーデルハイトやモモンガに対して逆らう言動は皆無だ。それでもゲームとは異なる事態に陥っている現状に、己が不利になるようなことは避けたい。
 NPCにとって創造主であるプレイヤーは文字通り主人だが、上位の存在に反目する可能性がゼロと言いきれない以上、モモンガは支配者として威厳を示すことを選んだ。
 アーデルハイトも同じように振る舞おうと思ったが、どのように喋ったら良いのかがすぐに浮かんでこない。
 しばし考えたのち、出てきた言葉は──

「テオドール、すまぬが儂の警護、ぬしに任せるぞ」

 何かの映画で威厳のある女性がこんな感じで喋っていたことを思い出したアーデルハイトが、素の状態より少し声を低くしてテオドールに改めて護衛を頼めば、テオドールは心底嬉しそうに跪いた。

「はっ。このテオドール、必ずアーデルハイト様の御身をお守り致します」

 アーデルハイトは生粋の魔法職、つまり後衛タイプで近接攻撃が苦手である。一方、テオドールは近接攻撃に対する攻撃・防御に長けている前衛タイプ。互いに一長一短の存在が組み合わされば──しかも創造主とそのNPCとなれば、コンビネーションは抜群に良い。

《モ、モモンガさん、こんな感じでいいんでしょうか?》

《はい、なかなかさまになっていますよ》

 慣れない話し方にアーデルハイトは戸惑いつつも、ロールプレイの一環だと思えば違和感は存外すぐに消え去った。

「さて、これから第六階層のアンフィテアトルムに向かうぞ。一時間後にはそこで各階層守護者達も集合の手筈となっている」

「承知した」

 モモンガとのメッセージは素の状態で、NPCの前では主人らしく威厳ある態度を取ろう。そう決めたモモンガとアーデルハイトは、テオドールと共にリング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力で第六階層まで転移した。

 * * *

 まずモモンガとアーデルハイトが最初にしたことは、超希少鉱石の体躯を持つゴーレム達への命令だった。これまでに会ったNPCは自分達に従順であったが、今後出会う者も同じように従順だとは限らない。万が一のことを考えての行動である。
 ナザリック内の設備、アイテム、魔法、ゴーレムなどが正しく機能するかどうかを確認することが先決だ。ひとまずゴーレムに警戒に当たるよう命令し、追加で自分とアーデルハイト以外の命令は聞かぬよう指示を出す。

「ひとまずは安心、か」

 モモンガは自分の手や身体を見つめた。肉も皮も内臓も血管も何もない骨だけの身体。もちろん神経も見当たらない。それなのに、五感は確かにある。

「骨の身体なのに、そんなに違和感がないんです。むしろしっくり来るというか……」

「現実世界じゃ、絶対にありえませんよね」

 筋肉がないと動くことも出来ないはずなのに、骨だけで動いているこの現状に、しかしモモンガはおかしいなどと思うことはなかった。
 今はもうゲームではないのだろうという考えを正式に採用する方向の二人は、それぞれ自分の身体を改めて見つめる。

「骨が動き回るなんて、どこの学校の怪談なんですかね」

 モモンガは自嘲すると、アーデルハイトの全身を今一度眺める。

「アーデルハイトさんはダークエルフでしたね。私と同じマジック・キャスターの」

「はい。前衛で戦うのはどうも慣れないので」

 アーデルハイトは苦笑する。ユグドラシルだけでなく、RPG作品でいつも選ぶのは魔法職だ。体力値は低いが、魔力が不足しない限り窮地に陥ることはない。性格的にも、前衛より後衛で戦況を伺う方が向いていると自分でも思っている。

「やっぱり美人が笑うと綺麗ですね」

 モモンガの何気ない一言に、アーデルハイトはきょとんとし、すぐにまた苦笑する。

「もう、モモンガさんは上手なんですから」

 そんなことはないとアーデルハイトが手をぶんぶん振って否定した。
 確かにアーデルハイトのアバターは綺麗系を目指して作ったが、アバターそのものになった今、美人だからと言われても反応に困る。誉め言葉を受けることに慣れていないため、自分に向けられた誉め言葉も社交辞令として受け取ってしまうのだ。

「でも、無課金派だったモモンガさんも課金勢になっちゃいましたね」

 モモンガの、左手薬指を除く九本の指に輝く指輪を見たアーデルハイトが言った。
 通常、ユグドラシルでは指輪は左右一つずつしか装備出来なかった。それを可能にしたのは課金というものだ。恒久的効果を持つ課金アイテムを使えば、全ての指に指輪を装備出来、なおかつその全ての力を引き出すことが出来た。
 彼が特別ということではなく、ある程度の強さを重視するプレイヤーであれば課金は当たり前のことだ。実際、アーデルハイトも課金を行っていたのだから。
 当初、モモンガはウルベルトやペロロンチーノ達と『無課金同盟』というものを結成した。これは、課金をすれば強くなるのは当然なので、課金せずプレイヤースキルで強さを補おうという理念で結成されたものだ。結局、メンバー達が課金に手を出したので『無課金』ではなくなったが。

「いやー、プレイヤースキルも大切ですが、やっぱり課金アイテムの強さにはかないませんでした」

 モモンガがどれだけ課金に夢中になっていたかというと、ある強力なアイテムを一つ出すためにボーナスを全てつぎ込んだほど。

「課金の魅力は恐ろしいですよね。私も新しいガチャが出ると課金していましたし」

「レア運の良さはいい方でしたね、アーデルハイトさん。羨ましい限りです」

「実は、ガチャの内容はほとんど確認せずに回していました」

「え、そうだったんですか!?」

「内容を見てガチャを回すと、どうも物欲が勝ってしまってレアが出にくい気がするんですよ」

「あー、それわかる気がします……」

 普通はどんなアイテムが出るのか事前確認はするものだが、アーデルハイトはそれをあえてしなかった。レアアイテムを欲しいと願ってガチャを回すと、欲しいものが出てこないことを経験上知っていたから、わざと確認しなかったのだ。
 モモンガも思い当たる節があるようで、わずかに苦々しい声になった。

「……って、ごめんなさいテオドール。あなたにはわからない話だったわね」

「いいえ、お気になさらず。アーデルハイト様もモモンガ様も、お互い気心の知れた間柄でしょうから、私に構わずお話を続けて下さい」

 そばでずっと口を挟むことなく控えているテオドールの存在を忘れていたわけではないが、ついユグドラシル時代のことに思いを馳せ、モモンガと二人だけで盛り上がってしまった。何だかテオドールを無視して会話を楽しんでいる気がして彼に詫びたものの、本人は気にした様子はなく、むしろもっと会話を楽しんでくれと言う。

「む……いかんな、口調が元に戻ってしまう」

「そ、そうじゃな……気をつけんと……」

 NPCの前では威厳ある態度でと決めた二人だが、ユグドラシル時代の話題になるとどうしても素の態度に戻ってしまう。気を引き締めないと、と二人が再決心した時、テオドールが発した言葉に硬直した。

「折角お二方は親しい間柄なのですから、態度を改めなくてもよろしいのでは? 無理に威厳を示したりせず、どのような話し方であれアーデルハイト様やモモンガ様はナザリックの頂点に立つ方に変わりはありません。ですので、態度一つで思い悩まなくてよろしいのです」

 物静かな性格だと思っていたテオドールが一気に吐露した気持ちに、アーデルハイトとモモンガはわが耳を疑った。困惑したせいで素の状態で慌てふためく。

「え、何この子、とんでもなく察する能力高いんだけど!?」

「主人の内情把握しすぎですよ。アーデルハイトさん、どんなキャラメイクしたんですか!?」

「わ、私は特別なことしてませんよ! 逆に私が知りたいくらいです!」

 テオドールは至極真面目な表情で二人を見つめるばかり。
 アーデルハイトが言ったとおり、タブラ・スマラグディナのような膨大な設定を組み込んだわけでもなく、NPCの性格に関わる内部パラメータ的なものがあるのかどうかも知らないので、本当に何も設定していない。設定として書き込んだもので思い浮かべた一文は『基本的には紳士的な性格で、物腰の穏やかな雰囲気を持つ』……いや、内情を察する能力には結びつかないか、とアーデルハイトは小さく唸る。

「いや……じゃが、立場上気軽な態度は取れんからな! テオドールの進言はありがたいが、やはりこれからは上位者として相応しい態度で振舞おう」

 動揺で思わず声が震えていることに、アーデルハイトは穴があれば入りたかった。

「と、とりあえず──行くとしよう」

 モモンガは咳払いをすると、本来の目的地である円形闘技場に向かうため、リング・オブ・アインズ・ウール・ゴウンの力を発動させた。


2017/05/13
2018/03/13 修正

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