第1話 終了


 YGGDRASIL(ユグドラシル)──
 Dive Massively Multiplayer Online Role Playing Game、通称DMMORPG。疑似体験型大規模多人数同時参加オンラインRPGといった意味で、仮想世界をまるで現実のように体験出来るオンラインゲームだ。
 そのDMMORPGで爆発的な人気を博したタイトルが、自由度が異様なほど広いと有名なユグドラシルだ。それは、意図的に作成しない限りは全く同じキャラクターが出来ることはまずないと言われたほどである。
 だが、そんな人気も永久に続くことなく、サービス開始十二年で終了を迎えようとしていた。

 ナザリック地下大墳墓、第九階層にある円卓の間。ギルド《アインズ・ウール・ゴウン》のメンバーのログイン地点兼ホームポイントで、巨大な黒曜石の円卓に四十二の椅子がぐるりと等間隔に並べられた部屋だ。
 ギルド長のモモンガの椅子の後ろには、ギルド武器『スタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウン』が輝きを放っている。
 たくさんある椅子はほとんどが空席で、今はたった三人しか座っていない。一人はギルド長であるモモンガ。もう一人はヘロヘロ。そして最後の一人はアーデルハイトだ。

「本当にお久しぶりです、ヘロヘロさん。最終日とはいえ、本当に来てもらえるなんて正直思ってもいませんでしたよ。アーデルハイトさんもこんばんは」

「いやー、本当におひさーです。モモンガさん、アーデルハイトさん」

 モモンガはギルド長としてずっとログインを続けていた。ギルド最盛期は四十一人全員で埋まっていた席だが、今はほとんどが引退して賑やかさからはかけ離れている。
 ヘロヘロは古き漆黒の粘体(エルダー・ブラック・ウーズ)と呼ばれるスライムの中で最強に近い種族だ。
 会話は音声で交わされており、モモンガは好青年の印象であるのに対し、ヘロヘロは生気の感じられない男性のものだった。

「こんばんは、モモンガさん。ヘロヘロさん、お疲れ様です」

 アーデルハイトは声を発し、笑顔のエモーションアイコンを表示させた。
 ユグドラシルではキャラクターの服装や装備は作り込めるが、表情は変化させることは出来ない。そのため、感情を表すエモーションアイコンはコミュニケーションツールのひとつとなっている。

「リアルで転職されて以来ですから、どれくらいですかね……二年くらい前ですかね?」

「あー、それぐらいですね……うわ、そんなに時間が経ってるんだ……やばいな、残業ばかりで最近時間の感覚がおかしいんですよ」

「それ、かなり危ないんじゃないんですか?」

「ヘロヘロさん、大丈夫ですか?」

 モモンガとアーデルハイトがヘロヘロの身を案じつつ声をかけた。

「体ですか? 超ボロボロですよ。流石に医者にかかるまではいかないですけど、それに近いレベルでやばいっす」

 現実世界のヘロヘロはブラック企業に努めているようで、生気のない声は疲労をこらえて発しているというのがひしひしと伝わる。

「無茶苦茶逃げ出したいですよ……でも食べるためには稼がなきゃいけないわけで、奴隷の如く鞭打たれながら必死に働いていますよ」

「うわぁ……」

 モモンガは頭を引き、ドン引きしているリアクションをとる。

「まじ大変です」

 低く覇気のない声は、どんな言葉よりも実感のある辛さが込められていた。
 それからしばらくは、現実世界の仕事の愚痴を中心とした話題が続いた。始めのうちは三人が交互に愚痴をこぼしていたが、やがてヘロヘロの愚痴が流れ出し、モモンガとアーデルハイトが聞くというものへ変わっていった。

 仮想世界で遊んでいるのだから、現実世界の話は避けて欲しいと思うプレイヤーは多い。だが、この場にいる彼らはそうは思っていなかった。
 ギルド《アインズ・ウール・ゴウン》は社会人の集まりであるため、自然と仕事の愚痴が話題にのぼることが多く、メンバー達もそれを受け入れていた。だから、今のように愚痴がメインのお喋りは、《アインズ・ウール・ゴウン》では日常的な光景だ。

「あー……すいません、愚痴ばっかりで。二人に会えたからかな……つい……」

 現実世界ではあまり愚痴を言えないため思わずたまっていた愚痴をこれでもかとばかりに垂れ流したことに、ヘロヘロは二人に対して謝罪する。

「気にしないで下さい。そんなに疲れているのに、無理を言って来てもらったんですから。愚痴くらいだったらいくらでも飲み干せますって」

「そうですよ。人間、ストレスを抱えすぎて内側に閉じ込めたままだと壊れてしまいますから。だから、時々でもいいから愚痴は外に出すべきですよ」

「ほんとありがとうございます、モモンガさん、アーデルハイトさん。こっちも久しぶりに仲間に会えて嬉しかったです」

「そう仰ってくれると、こちらとしても嬉しいですね」

 仲間に会えて嬉しいのは、モモンガとアーデルハイトも同じだった。現実世界が辛くても、ユグドラシルにログインすれば気の合う仲間と冒険出来るのだ。

「ですけど、そろそろ……」

 ヘロヘロが触腕を動かし、空中に表示されたコンソールを操作する。

「確かに、もう時間ですね」

 あと少しで、ユグドラシルがサービス終了を迎える。

「すいません、モモンガさん」

「本当に、残念です……楽しい時間はあっという間ですね」

「最後までご一緒したかったんですけど……流石にちょっと、眠すぎて」

「来てくれただけでもありがたかったんですから、ゆっくり休まれて下さい」

 次第に抑揚のなくなっていくヘロヘロの声に、アーデルハイトが気遣いの言葉をかける。

「モモンガさんは……ギルド長はどうされるんですか?」

「私はサービス終了の強制ログアウトまで残っていようかと考えています。時間はまだありますから、もしかしたら他のメンバーが戻ってくるかもしれませんし。アーデルハイトさんはどうされますか?」

「私も最後まで残ります。ギルドにいた期間は一番短い新参者ですが、メンバーとは加入前から交流があったし、自分なりにギルドへの愛着もありますから」

「そうですか。でも正直、ここがまだ残っているなんて思ってもいませんでした」

 ヘロヘロの何気ない一言に、モモンガは顔を歪めた。それは現実世界で、だが。ユグドラシルでは表情や口は動かすことが出来ないので、この時ばかりは表情変化機能がないことがありがたかった。
 みんなと共に作り上げたギルドで、だからこそ必死になって維持し続けてきたのに、仲間の一人からそんなことを言われれば形容しがたい感情が生まれてしまう。
 言葉を発さないモモンガを、アーデルハイトは静かに様子を伺った。ギルド加入前から親交のある彼の心情は、ある程度は理解している。どれだけギルドを、メンバーを大切にしているのかを。
 だが、そんなモモンガの感情も、

「モモンガさんがギルド長として、俺達がいつ帰ってきてもいいように維持してくれていたんですね、感謝します」

 というヘロヘロの言葉で霧散した。

「……みんなで作り上げたギルドですから。誰がいつ戻って来てもいいように維持するのが、ギルド長としての仕事ですからね!」

「そんなモモンガさんがギルド長だからこそ、俺達はこのゲームをあれほど楽しめたんでしょうね。次にお会いする時は、ユグドラシルUとかだといいですね」

「Uの噂は聞きませんが……でも、そのとおりだといいですね」

「その時は是非! じゃ、そろそろ睡魔がやばいのでアウトします……最後にお会いできて嬉しかったです。お疲れ様です」

「──こちらもお会い出来て嬉しかったです。お疲れ様でした」

「お疲れ様です、ヘロヘロさん」

 三人はエモーションアイコンの笑顔を表示させた。

「また何処かでお会いしましょう」

 ヘロヘロはその言葉を残し、ユグドラシルの世界からログアウトした。

 円卓の間に静寂が訪れる。
 先程までヘロヘロがいた席に顔を向けたまま、モモンガはぽつりと呟く。

「今日がサービス終了の日ですし、お疲れなのは理解出来ますが、折角ですから最後まで残っていかれませんか──」

 もちろん返答はない。ヘロヘロは既に仮想世界から現実世界へと戻ったのだから。

「モモンガさん……」

 ユグドラシルから去っていくメンバーをまた一人見送ったモモンガを、アーデルハイトはそっと見守ることしか出来なかった。

 モモンガは、ヘロヘロがいた席からゆっくりと円卓を見渡す。自分の席と正反対の位置にはアーデルハイトが座っている。新参者だからと言って自らギルド長から遠い席を選んだアーデルハイトが、心配そうにこちらを見つめている。

 またお会いしましょう。
 またね。
 いつか何処かで。

 そんな言葉を別れ際に何度も聞いた。しかし、それが実際に起こることはなかった。誰もユグドラシルには戻ってこなかった。

「何処で、いつ、会うのだろうね……」

 モモンガの肩が小さく震え、ずっと心の内に閉じ込めていた本心が一気に溢れた。

「ふざけるな!」

 怒号と共に、握り締めた自身の骨の拳を円卓に叩きつける。それを攻撃とみなしたゲームシステムが、モモンガの素手攻撃力や円卓の物理防御などの事柄を計算した結果、彼の手元あたりに『0』の数字が浮かび上がった。

「ここはみんなで作り上げたナザリック地下大墳墓だろ! 何でそんなに簡単に棄てることが出来る!」

「…………」

 真向いのモモンガが、ユグドラシルから去った仲間に向けて怒りを露わにしたことに、少なからず驚いて言葉を発せられなかった。

「……いや、違うか。簡単に棄てたんじゃないよな」

 現実と空想、どちらを取るかの選択肢を突きつけられ、現実を取っただけだ。みんな生活がかかっているんだから、ずっと空想ばかりを追うばかりでは駄目だ。

「誰も裏切ってなんかいない。みんなも苦渋の選択だったんだよな……」

 モモンガは自分に言い聞かせるように静かに呟いたところで、ようやくアーデルハイトの様子に気がついた。じっとして動かず、声を出すこともせずただ静かに自分を見つめていることに。

「あ、すみませんアーデルハイトさん。みっともないところを見せてしまって」

「いいえ、気にしないで下さい。かつての仲間が去っていく寂しい気持ちは、私も同じですから」

 一時の感情にまかせて怒号を発し円卓を叩いた言動にモモンガは羞恥と気まずさを感じたが、アーデルハイトの言葉に多少なりとも気が楽になった。
 そうだ。何も残されたのは自分だけではない。彼女も同様なのだ。

 モモンガは椅子から立ち上がり、壁に飾っているスタッフ・オブ・アインズ・ウール・ゴウンを手に取った。
 七匹の蛇が絡み合い、それぞれに色の異なる宝石を口にくわえたその杖は、一目見ただけで一級品だとわかる。各ギルドが一つしか所持出来ないギルド武器というもので、これが破壊されるとギルドの崩壊を意味する。そのため、最も安全な場所に保管されることが多い。

「結局、その武器の能力を発揮することなく終わりますね」

 アーデルハイトも立ち上がり、モモンガのそばまで歩み寄る。

「みんなで力を合わせて作ったこと、今でもはっきりと思い出せます」

 ギルド武器を作るためにチームに分かれて材料集めに向かい、どんな外見にするかで意見が分かれ、各員の提案を集約し、少しずつ作り上げたあの日々。何人ものメンバーがリアルを犠牲にしたものだ、と楽しい冒険の数々が蘇る。

「そろそろ終了になりますし、最後くらいはそれを持って威厳を示してもいいと思いますよ」

 アーデルハイトがモモンガにそう言った。

「え……」

「ここのNPC達のほとんどは主人がいないわけですし。ギルド長のモモンガさんが主人となって指揮してみてはいかがですか?」

 ギルドで城以上の拠点を持つギルドにはいくつかの特典が与えられ、そのうちの一つに本拠地を守るNPCが作成出来る。
 ここナザリック地下大墳墓は表層より下は第一から第十までの階層に分かれており、各階層ごとに守護者となるNPCが配置されている。他にも執事やメイドなどがNPCとして作られている。
 ただ、そのほとんどのNPCの創造主たるプレイヤーがユグドラシルを去ったため、実質的な彼らの主人はモモンガだろう。

「でも、アーデルハイトさんもNPCからしてみれば主人たる存在なんですし、アーデルハイトさんもいかがですか?」

「いえいえ、私は新参者ですし、そんな権限ありませんよ。それより、私はあの子のところに行ってきます」

 NPCにとってはギルドメンバーに従うのは当たり前なのだが、アーデルハイトは生来の性格が控えめで謙虚なためか、モモンガの提案にはやんわりと断りを入れる。

「あ……相変わらず好きですね、あいつのこと」

「はい!」

 モモンガが若干──いや、かなり引いたが、アーデルハイトは特に気にする素振りはない。
 アーデルハイトが『あの子』、モモンガが『あいつ』と呼ぶ存在は、宝物殿の守護を任せているNPCだ。作成したのはモモンガで、当時彼がかっこいいと思うものを詰め込まれた存在である。ただ、そのかっこいいと思っていたのが今やモモンガの黒歴史になっているので、モモンガはなるべく他者の目に触れさせたくないのだが、悲しいことにアーデルハイトのお気に入りNPCとなってしまった。
 アーデルハイトはログインするたび、まずはそのNPCに会いに行き、挨拶をするのが日課になっている。それほどまでに彼女のお気に入りだ。

「だってドイツ語に軍服で敬礼もする設定なんですよ! サービス終了日に言うのもあれですが、作ってくれてありがとうございます、モモンガさん」

「は、はあ、どうも……」

 そういえば、アーデルハイトは軍服などの制服系が好きだった。そのため、彼女のアバターは軍服に似せた服装で、彼女の作ったNPCも軍服だ。

「それじゃあ、あの子に挨拶して来ますね!」

 アーデルハイトは円卓の間を出て、扉の前で執事やメイド達と待機していた自作NPCのテオドールに声をかける。

「テオドール、おいで」

 軍服を身にまとい、帯剣しているバードマンは会釈して目を伏せたのち、顔を上げて主人のあとを追った。

 宝物殿はどことも繋がっていない独立した部屋だ。ギルド《アインズ・ウール・ゴウン》がため込んだ数多の宝や金貨の山、武器などが保管され、最奥には霊廟がある。
 万が一ギルドメンバーがリングを奪われた場合に備えて、この宝物殿はデストラップが多数仕掛けられ、非常に難解なパスワードの解除、そして霊廟へはリングをはずさなければ入れないという仕組みになっている。
 リングで宝物殿に転移し、見慣れた後ろ姿を視界に入れたアーデルハイトは、自然と早足になるのがわかった。

「こんばんは、パンドラ」

 黄色の軍服や軍帽、軍靴に身を包んだそのNPCの頭部は、つるりとしたものだった。目と口は黒い丸い形状で、大ぶりの手は指が四本しかない。
 パンドラズ・アクター。モモンガが作ったNPCで、宝物殿の領域守護者だ。しかし、ソファーに腰かけたまま動かない。NPCだから簡単なAIしか設定されていないので、特定の行動以外で動いたりしないし、喋りもしない。それでもアーデルハイトは好きなNPCなので、パンドラズ・アクターの隣に腰かけ、構わず話しかける。

「今日でユグドラシルが終わってしまうわ……あんなにみんなで賑やかに騒いだのに、何だかとても寂しい」

 異形種ではないアーデルハイトは最後にギルドに加入したため、ギルド加入期間は一番短いが、ギルドメンバーとは加入前からよく遊んでいたので楽しかった記憶を呼び起こす。

「あなたのことをモモンガさんは隠したがってるみたいだけど、私はそんなことしなくてもいいんじゃないかって思うの。こんなに立派な服装なんだから、もっとみんなに見てもらった方がいいわ」

 モモンガが自ら黒歴史だと言いたい気持ちはわからないでもないが、それでも立派な身なりのこのNPCを隠さなくても、とアーデルハイトは少しばかり不満を漏らす。

「今更だけど、コートもいいなぁ……」

 アーデルハイトは自分とテオドールの服装は軍服にしたが、コートを羽織ったりはしていない。一方、パンドラズ・アクターはコートも着用しているので、このNPCを初めて目にした瞬間、「コートのこと忘れてた!」とショックを受け、周りのメンバーに笑われたことを今でも覚えている。

「いつかあなたのコートを着てみたいと思ってたけど、それはやっぱりモモンガさんの許可がいるし……叶わない夢だったな」

 NPCの装備を移動させるには、創造主たるモモンガが任意で装備の取り外しを行わなければいけないが、そのささやかな夢は叶うことなくもうじき終了となる。

「……ああ……あとちょっと、か……」

 時刻は23時59分12秒。残りわずかでサービス終了となる。
 アーデルハイトは自分の軍服の上着を脱ぎ、じっくり眺める。別売りのクリエイトツールを使用して作成したお気に入りの衣装で、細部の刺繍などこだわった部分がいくつもある。
 ゲームデータならいくらでも作れるが、いざ実際に刺繍を本格的に始めようとすると難易度が高い。
 ちなみに上着を脱ぐと白いシャツを着ている。きっちりと留めていた襟元のボタンをいくつかはずした。窮屈ではないが、気分的なものだ。

「明日は休みだし……簡単な刺繍から始めてみようかな……」

 どうせ現実世界はディストピアで屋外で遊ぶことなど出来ない。室内でじっくり打ち込める趣味として、刺繍でも始めてみようと決めた。いつかゲームで作った自分のアバターの衣装を作るのも楽しいだろう。
 いつ衣装が完成するか見当もつかないが、目標はないよりはあった方が良い。

 時刻は23時59分48秒。
 ちょっとした気まぐれが、アーデルハイトを突き動かした。パンドラズ・アクターの右手を両手で持ち上げ、ふらふら揺らしたり、長い指を折り曲げたりして遊ぶ。最後に彼の頭部まで持ち上げ、敬礼のポーズを取らせる。何をやっているんだ私は、と自分の行動に小さく笑った。

 23時59分55秒……56秒……57秒……58秒……59秒……

 アーデルハイトは瞼を閉じ、視界は黒に染まる。


2017/05/13
2017/05/28 修正



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