楽園からの帰還
まだ日が出ている時間に、クラウスとレオナルドは外出した。
事の発端はレオナルドの携帯電話にかかってきたザップの助けを求める声だった。毎日クラウスの命を狙うザップが、今日に限って姿を見せないことを不思議に思っていた時、彼からの着信があったのだ。
救助要請を受けたクラウスとレオナルドが出かけて数時間が経過した。
二人の向かった先は豪拳オズマルドがオーナーを務める地下闘技場エデン。刺激を求めて日夜男達が闘い、勝敗を賭ける場所だ。ただ助けに行くだけならそれほど時間はかからないだろう。
だが、既に日は沈み、夜の闇がヘルサレムズ・ロットを包んでいる。先程事務所にいるディートリンデにレオナルドからもうすぐ戻るとの連絡が入ったのでそろそろか、と扉へ向き直れば、クラウス、レオナルド、ザップが入ってきた。
「お帰りなさいませ、クラウス様、レオさん、ザップさん」
にこやかな笑みを浮かべて三人を出迎えたディートリンデであったが、その表情のままでザップを見据える。
「ところでザップさん。クラウス様を急遽呼び出し、何時間も地下闘技場に拘束させ、あまつさえ負傷させたそうですね。それどころか、満身創痍のクラウス様の背後から襲いかかるなんて最低です」
普段控えめなディートリンデが、普段の口調で、普段の笑顔のままで、しかし普段よりも饒舌かつ辛辣にザップを罵った。
「うわ、普段何も言わねぇ奴から言われるときっついわ……おい、レオてめぇ! チクるなっつったろーが!! いつチクったんだ!? まさか旦那襲ってる時か!?」
今にも噛みつかんばかりにレオナルドに詰め寄るザップだが、怒気を感じて冷や汗を流す。怒気の発生源は、もちろんディートリンデ。
「ザップさん、本日は夜も遅いのでご自宅にお戻り下さいませ」
「つーかディート、こう言っちゃ何だけどな、旦那だってノリノリで闘ってたんだぜ!? しまいにゃ闘技場のオーナーとも闘ったんだぞ!」
確かに最初は借金返済のためにクラウスを呼び出し、借金をチャラにした。クラウスは当然勝利したが観客が彼の強さに熱狂し、試合を終えることが出来なかった。
やがて対戦を続けるうちに、初めは乗り気でなかったクラウスも次第に乗りに乗って試合を楽しんでいたのだ。自分だけが非難されるのは理不尽だとザップは訴えるが、
「そうなのですか、レオさん?」
「えっ!? えと、あー……まあ……」
(うわー、俺信用ねーな……)
日頃の行いはもちろん、性格や人徳を含めた結果がディートリンデの反応だった。
レオナルドも、にこやかに怒りを垣間見せるディートリンデを恐れ、彼女の問いに正直に頷いた。普段は穏やかなディートリンデが怒ることはないので、レオナルドは余計にビクビクしている。
「クラウス様の手当ては私が致しますのでご心配なく。レオさんもお気を付けて」
ディートリンデはにこりと笑いながらザップを見上げると、彼は逆らうことなく素直に自宅へ戻り、レオナルドも別れの挨拶を交わしてライブラをあとにした。
その場に残ったのは、クラウスとディートリンデの二人。
「遅くなるなら遅くなると連絡して下さいね」
「すまない」
「待つ方の身にもなって下さい」
「悪い」
「仕事上無傷でいられるとは思えませんが、出来る限り負傷しないよう気を付けて欲しいものです」
「……返す言葉もない」
クラウスは苦笑しつつも、心配性のメイドの気遣いが嬉しくもあった。昔から自分の世話を担い、同時に友人でもあり、今では大切な恋人だ。
「……私には戦う力はありません。ただ待つことしか出来ないからもどかしいんです」
「心配させてすまなかった」
クラウスはディートリンデを安心させようと抱き締めてやれば、彼女は気恥ずかしそうに遠慮がちにクラウスの服をきゅっと握る。
「お腹が空いた。夕食にしないか」
「傷の手当てが先です」
「わかった。……ああそうだ、君は明日休日にしよう」
「え?」
明日もメイドとしての仕事があるのに、とディートリンデがきょとんとした顔でクラウスを見上げれば、
「食事のあとはデザートが必要だ」
と言った。楽しそうに犬歯の突き出た口の端を吊り上げ、教養に満ちた瞳は情欲を孕んでいる。
「……もう、クラウスったら……」
いつも紳士として振る舞っている彼とは真逆の言葉に、ディートリンデはさらに恥ずかしがって視線をそらす。
もしかして、地下闘技場で闘い続けた影響で気分が昂ぶったのだろうか。
「たっぷりと味わってあげよう」
楽しそうに笑むクラウスは一人の男としてディートリンデを見つめた。
2015/07/25