Tea party beyond the world[1]


 日中、紫乃はふと事務所内で変わった気配を感じ取った。それは不快なものだったり不穏なものではなく、ただ『変わっている』と思える気配だった。
 発生場所は何処だろうと事務所内を探っていると、それはキッチンから強く漂ってきていることに気付く。

「ここから……?」

 キッチンをぐるりと見渡して、気配は一番奥──
 勝手口の方から漂ってきていた。

「……羽根?」

 勝手口の前へ歩み寄ると、床に白い一枚の羽根が落ちていた。白鳥のような白い羽根を拾い上げる。不思議な気配はこの羽根から放たれているようだ。

「まるで天使の羽根みたい」

 純白の羽根はふわふわとしていて、何かの力を感じる。それは魔力と、それに清浄な力も感じると紫乃が思った時、羽根が淡く光り出した。
 同時に自分の内側で『力』が引き寄せられる感覚が起こる。まるで互いに引き寄せ合う磁石の磁極のように。

「な、何……!?」

 その感覚は自分でも抑えきれなかった。紫乃は不思議な羽根が原因だと察しながらも、羽根を手放すことはしなかった。
邪悪な力ではなく、清浄な力を感じたからかもしれない。
 自分の力──つまり『空間を繋ぐ能力』が発動し、紫乃は『ゲート』をくぐった。

 * * *

 人気のないスラム街に住み着く者は大抵無法者と相場が決まっているものだが、その店舗兼住居に住まう二人はそうではなかった。

「今日はピザ作ってあげようかな」

 ディーヴァがうふふと笑った。
 掃除が一段落したので身に付けていたエプロンを脱いでリビングのソファーに腰掛けると、腰まで伸びたエメラルドティントの髪がふわりと揺れた。
 家主であり命の恩人である彼は、二階のベッドルームで熟睡中だ。だから建物内の掃除がはかどり、こうして落ち着いて休憩をしているのである。

「やっぱりサンデーも作っちゃおう」

 彼の二大好物は、ピザとストロベリーサンデー。
 いつもと少し変わったトッピングで味の違いを楽しむのもいいかも、と今夜の献立を考えている時、何かの気配を感じ取った。それは、まるで悪魔が人間界に現れるように唐突なもので。
 ディーヴァはソファーから立ち上がり、気配のする方へ向かう。おそるおそるという表現が当てはまるほどに慎重な足取りでキッチンへ向かい、中をそっと覗き込んだ。

「だ、誰かいるの……?」

 いつも使っているキッチンだが、いつもと違う光景が目の前にあった。
 キッチンの奥にある勝手口の前に、一人の見知らぬ女性が立っている。自分のように腰まで伸びた髪は黒く、彫りの深くない平面的な顔の作りは東洋人そのものだ。ブラウスとスカートといった身なりは、スラム街にあまり似つかわしくないほど、女性の格好はきちんとしたものだった。
 女性はキッチンをキョロキョロと見ていたが、やがて少女に気付いて紫の瞳を向けてきた。

「えっと……ここは何処なのかしら」


 紫乃はリビングのソファーに案内され、淹れたての紅茶が少女より差し出された。

「ありがとう」

 一緒に用意された角砂糖を一つ入れてスプーンで混ぜ、紅茶を一口飲む。ふわりと鼻腔をくすぐる紅茶の香りが、無意識に緊張で強張った身体と精神をリラックスさせた。
 ただ、少女と出会ってからは自分の内側で何かがざわめいているような感覚が続いており、こればかりは紅茶でリラックスさせることは出来なかった。

「驚かせてごめんなさい。私は紫乃って言うの」

「いえ……あたしはディーヴァです」

 ディーヴァと名乗った少女は極めて薄い緑色──というよりも銀髪に近いような色合いで、瞳は透明感のあるエメラルド色だった。
 また、二人は互いの年齢を確認し合えば、紫乃は二十三歳、ディーヴァは十六歳であった。

「ディーヴァちゃん十六歳ってことは、高校二年生……アメリカだからソフモアね」

「そうなの。でも、紫乃さんが二十三歳だなんて……もう少し若いかと思っちゃった」

「あはは、アメリカにいるとよく言われるわ。日本人だし実年齢よりも低く見られるの」

「え、そうなの? 実はあたしの母方の祖母も日本人だったの」

 意外な共通点が見つかったことで、二人の間に何かが芽生えた瞬間だった。

「ディーヴァちゃんの髪、凄く綺麗ね。ペールグリーン……よりも薄い……」

「エメラルドティントっていう色なの」

「へえ。何だかダンテの銀髪にエメラルドが加わったみたいな色」

 紫乃は何の気なしに素直な感想を述べたのだが、そこでディーヴァの表情に変化があった。今まで柔らかな笑みを浮かべていたが、紫乃がダンテの名を出すと意表をつかれたような、目をぱちくりとさせて紫乃を見つめる。

「ダンテのこと、知っているの?」

 今度は紫乃が目を瞬かせる番になった。どうやらディーヴァもダンテのことを知っているらしい。

「えっと……まず、ここは『Devil May Cry』よね?」

「ええ」

「ダンテっていうのは、ここの店主で……」

「はい」

「半分人間で」

「半分悪魔」

 淀みなく応答するディーヴァに、紫乃はしばらくの間言葉を失った。

 この建物は『Devil May Cry』であることに間違いはないようだ。自分が見慣れた事務所の構造や雰囲気はどことなく似通っているし、ジュークボックスや大きな事務机もある。
 しかし、『Devil May Cry』の支店が存在するなんて聞いたことがない。
 窓の外の景色はスラム街で、人間どころか猫の子一匹いない。そんなすさんだ場所に建ち、店内の構造や雰囲気からしても、ここは確かに『Devil May Cry』で間違いない。

『ダンテ』という人物についても二人の認識は共通していた。半分人間で、半分悪魔。赤いコートを羽織り、背には長い大剣を携え、白と黒の二丁拳銃を相棒だと言う銀髪の男。
 ただ、二人の認識には決定的な違いがあった。それは、ダンテの年齢についてだ。

「私の知るダンテは三十代後半なの。不精髭を生やして、結構がっしりとした体格で、悪戯好き」

「あたしの知るダンテはまだ二十歳手前で、ズボラで、背は高いけどがっしりはしていないわ」

「……どういうことなの?」

「……どういうことかしら?」

 二人同時に首を傾げる。
 ここは確かに『Devil May Cry』で、店主はダンテである。だが、店内をよく観察してみれば紫乃の見慣れた店内とは違っている。それに、ダンテの年齢に差がありすぎる。
 ディーヴァが嘘をついているとは思えない。
 紫乃は今までの出来事の整理も兼ねてディーヴァに説明することにした。

「事務所のキッチンで不思議な力を放つ羽根を拾ったの。そうしたら私の能力が発動しちゃって……」

「能力?」

 ディーヴァが訊き返すと、紫乃は自分の能力について話した。自分もダンテのような半魔で、魔力を用いて『ゲート』を通じて別の場所へ移動することが可能なのだ、と。

「それでその『ゲート』が出てしまって、気付いたらここのキッチンにいたの」

「そうだったんだ……」

「これがその羽根よ」

 紫乃は手の中に包み込むようにして持っている羽根をディーヴァに差し出した。白い羽根から魔力と清浄な力を感じることに、ディーヴァは驚きを隠せなかった。

「何だか天使の羽根みたい……」

「え?」

「あたし、天使の血筋なの。その羽根から感じる力が天使のもの……でも、魔力もあるみたい」

 紫乃はディーヴァが天使だという告白に驚きつつも納得していた。この世に悪魔がいて魔界があるのだ。天使がいても不思議ではない。
 ──ああ、だから胸がざわめいていたのか。
 悪魔と対する存在は天使である。悪魔は貪欲に天使を狙い、天使は悪魔を清浄なる力で退ける。
 自身の中に悪魔の血が流れているので、紫乃はディーヴァと出会ってから胸のざわめきを感じていたのだ。
 だが、悪魔は天使を襲うのだろうが、紫乃にはディーヴァを襲おうなどという衝動は生まれなかった。別の世界軸の住人だからだろうか。

 それにしても、とディーヴァは心の中で眉をひそめた。天使の血族なのだから天使の力を持ち、力が発動すれば翼を出せるが、それは自分の意志ではコントロールすることが出来ず、感情が高ぶった時でないと翼は出せない。最近は翼を出したこともないので、紫乃の持っている羽根が自分の一部であるとは言えない。
 だから何故天使の力を有し、同時に魔力も有する羽根があるのだろうかと疑問が浮かんだ。何かの偶然で、天使と悪魔の力を有した羽根が発生したのだろうか。

「へえ、ディーヴァちゃん天使なんだ。可愛いし、何だか納得」

「そ、そんなことは……」

 可愛いと言われてディーヴァは気恥ずかしそうに首を横に振った。

「うーん、それにしてもこれはどういうことかしら……」

 紫乃は顎に手を当てて考え込む。この店は自分のいたスラム街と同じ場所にあり、外の景色や建物は多少の違いはあるが、やはりここは『Devil May Cry』だ。
 店内の様相にも差があり、何より一番の差はダンテの年齢だ。自分の恋人は三十代後半だが、ディーヴァの知るダンテはまだまだ若いという。
『ゲート』で通り抜けた先は確かにアメリカのスラム街にある『Devil May Cry』なのだが、紫乃の知る『Devil May Cry』ではない。
 同じような世界──つまり、パラレルワールドに迷い込んでしまったのかもしれない。

「パラレルワールドって奴かしら?」

「並行世界、かぁ」

 紫乃がいた世界と並行して存在するのが、今いる世界──パラレルワールドなのだろうか。ディーヴァにとっては、異なる世界の住人である紫乃が自分の世界にやって来たことになる。

「……あんまり深く考え込んでも仕方ないわね。悪魔がいて、天使もいるんだもの。パラレルワールドに迷い込むこともあるわ」

 紫乃は意外とあっさりと現実を受け入れ、明るく笑った。

「ねえ、こちら側のダンテはいるの?」

「今寝てるんだけど……ちょっと見る?」

 やはり日中はどちらのダンテも就寝中らしい。
 ディーヴァが少し悪戯っぽく笑ったので、紫乃は彼女の言葉に甘えてダンテの部屋へ向かった。
 人間より五感が優れているダンテが足音で起きてしまわないよう、そろりと静かに階段をのぼり、ドアを開けて気配を殺したまま室内へと進入する。服などがあちこちに乱雑に放置された部屋は、紫乃の知るダンテと同じだ。
 大きなベッドには一人の男性が寝転がっていた。二人でそっとベッドに近付く。
 上半身裸で寝る銀髪の男。その点は紫乃の知るダンテと変わりなかったが、明らかに今目の前にいるダンテの方が若かった。それにスレンダーというか、基礎となる骨格は頑丈そうなのだが、筋肉量が違っていた。

「若いなぁ」

 小さな声で紫乃が呟けば、ディーヴァはうふふと笑った。
 起きている時は悪戯好きな表情を見せるダンテは今、両目を閉じてすやすやと眠っている。その寝顔は、普段の彼からは想像出来ないくらいにあどけない。

「寝顔が子供みたい」

「そうね」

 二人で顔を合わせて笑っていると、ダンテが小さく身じろぎした。このまま部屋に居続ければ起こしてしまうだろう。
 二人は来た時と同じように足音を立てないように退室した。




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