万聖節の前夜、名も無き男と
一年のうち、決まった日、街のとある木の下に男が現れる。彼は地面にうなだれるような体勢のまま、その場でじっとして動かない。街の人間はその男のことが見えないのか、気にする様子もなく日々を過ごしている。
だが、オゼット以外にも男が見えている者がいる。オゼットの双子の弟、ジョニー・リバモアだ。
「ハロウィンの夜にだけ現れるなんて変だよな」
ジョニーは子供達のリーダー格であり、面倒見の良い少年だ。
「今夜も現れるかしら」
「たぶんな。もう一人の方も出てくるだろ」
ジョニーの言う『もう一人の方』というのは、うなだれた男と同じく必ずハロウィンの夜に見られる黒いマントの男のことだ。
「私、今日こそマントの人に話しかけてみるわ」
「女にしちゃ度胸あるよな、お前」
ジョニーが苦笑すると、オゼットは誇らしげに胸を張った。姉も弟に負けないくらいしっかりしており、姉弟揃って子供達から頼りにされている。
「俺も一緒に行って話してみたいが……」
オゼットだけでなく、ジョニーもマントの男のことが気になっていた。遠目でしか見かけたことはないその男は、夜の闇のせいか、白い肌は死人のように血色が悪い。何よりも特徴的な部分は、黒い髪の一部が褐色になっていること。
数えるほどしか目にしていないその顔は、何故か知っている気がすることを、姉弟は感じていた。
「レニーの面倒見なきゃいけねーしな」
「あの子、凄く楽しみにしてるもんね」
レナード・リバモア──通称レニー。少し前にこの山間の街へ引っ越してきた若い夫婦の一人息子である。
生まれつき病弱なレニーは毎日をベッドの上で過ごしてきたが、ハロウィンの夜だけお祭りに参加することを許されたらしい。
オゼットとジョニー姉弟とレニーは同じリバモアという姓だが、同じ家族というわけではない。だが、不思議と三人は実の姉弟のように仲が良い。そのため、オゼットとジョニーはお祭りの間、レニーの両親から息子を頼まれた。
「まあ、あんまり長くはしゃぐのもいけねーしな。あいつらがちゃんと寄り道することなく来てくれりゃいいんだけど」
子供達の中には大人しい子、利発な子、ぶっきらぼうな子、口の悪い子などがいる。そんなマイペースな集団の中で、一番心配なのは食いしん坊のマックスだ。貰ったお菓子をその場で食べかねない。食べるのに夢中で、帰る時間が遅れることが充分考えられる。
「マックスには要注意だね」
「そうだな」
姉弟は顔を見合わせて笑った。
「やっぱりジョニーは狼男の仮装をするの?」
「ああ。男はいつだって死せる餓狼の自由を求める生き物なんだぜ」
ワオーン、とジョニーは遠吠えする狼の真似をする。
「オゼットこそ魔女になるんだろ?」
「ええ。リリーとお揃いにするの」
再度顔を見合わせると、娯楽の乏しい街で騒げる数少ない夜に向けて、姉弟は仮装の準備を始めた。
* * *
十月三十一日。今夜はハロウィンで、街の子供達はお化けや魔女に扮して各家庭を回り、お菓子を貰う。
オゼットは魔女の格好になると、街のとある木の近くへ向かった。うなだれた男と、マントの男を捜すが、何処にも見当たらない。
まだ宵闇になって間もなく、時間的にも早かったか、と半分諦めかけた時、木の下に見慣れた姿が姿を現した。
うなだれた男だ。彼は木の根元にうなだれたまま、ぴくりとも動かない。
「あの……」
オゼットは思いきって話しかけてみたが、やはり反応がない。自分とジョニーにしか見えていないので、この世の存在ではないのかもしれない。
普通なら不気味で近付こうとはしないだろうが、怖いという感覚はない。うなだれた男を見つめているオゼットの背後から、男性の声が聞こえてきた。
「その男に話しかけても無駄だよ」
振り向けば、近くの木の幹に背中を預けて立っている男がいた。全身を覆う黒いマントに、血色の悪い肌、それに特徴的な髪の色。
黒いマントの男だ。
「……死んでる、から?」
「そう。君は随分と度胸がある」
「弟にも言われたわ」
夜しか現れない二人の男は幽霊だろうか、とオゼットはずっと思っていたことを尋ねた。
「やっぱりあなた達は幽霊?」
「まあ、そういう類のものだ。その男はハロウィンの夜に殺されてね。残された恋人と子供に会いたいがために、ずっとその木の根元でそうやっているのさ。会話出来るわけがないのに」
オゼットはうなだれた男と、マントの男を交互に見る。格好は全く違うのに、髪型と顔つきは何となく似ているように見えた。
「あなた達は……同じ人?」
「……どうだろうね」
マントの男はこの話題についてはおしまいだとでも言うかのように一度目を閉じると、別の話を始めた。
「そういえば、弟と言っていたけれど……」
「ジョニーっていうの。お母さんと一緒に暮らしてるの」
「父親は?」
「わからないわ。私達が生まれる前に遠いところへ行っちゃったんだって」
「君達の母親はきっと強いんだね」
「そうよ。私、お母さんのこと大好きよ。銀色の髪が綺麗で、お月様みたいな優しい笑顔が素敵なの」
銀色の髪、月のような笑み。
マントの男は、ずっと昔にそのような女性に会ったことがあるような気がした。だが、曖昧な記憶で、外見が似ている人間はいても不思議ではない。
取っ掛かりは些細なものだが、無性に気になって仕方ない。男は少女に、母親の名前を聞いてみることにした。
「……君の母親の名前を聞いてもいいかい?」
「ディアナっていうの。名前も素敵でしょ」
まるで自分のことのように誇らしげに告げる少女だったが、男はディアナという名前を聞いた途端、既に失われた心臓が止まったような感覚に襲われた。
ディアナ。銀色の美しい髪。月の微笑み。
男の脳裏に一人の女性の顔が浮かび上がった。少女の発したキーワードに一致する人物が、一人だけいることに、男は自分でも驚きを隠せなかった。
何故知っている? 自分の名前すら曖昧なのに、これほどまでに覚えているものなのか?
男は額に手を当てて蘇りつつある記憶に困惑した。そんな男の異変に、オゼットは心配そうに彼を見上げる。
「大丈夫? 黒マントさん」
「……ああ……ところで、何だい『黒マントさん』って」
「だって、あなたの名前知らないもの。私はオゼットよ」
「……忘れた」
「あ、自分だけ教えないつもりね? 酷いわ!」
「そういうわけじゃない、思い出せないんだ……ザ・ハロウィン・ナイトとでも呼んでくれればいい」
「……変な名前ね」
困ったように視線を落とす男を見て、オゼットはこれ以上追及することをやめた。今聞かなくても、思い出してくれた時にでも聞けばいい。
「……父親のこと、聞いてもいいかな」
ぽつりと零した男の言葉に、オゼットは頷くと、母親から聞いた父親のことを話し始めた。
「アイルランドからアメリカへ移住したあと、戦争中に足を撃たれちゃって……だから松葉杖が欠かせなかったから、お母さんとても心配してたの」
男はちらりと木の根元にうなだれた男へ視線を送るが、すぐにオゼットへと視線を戻す。彼女はどうやら自分の父親のことを聞かれるのが嬉しいらしく、さらに話し続けた。
「でね、お父さんの名前、シェイマスって言うの。お母さん、今でもお父さんのこと好きって言ってるわ」
「そうか」
「黒マントさん……私達のお父さん、じゃ……ないよね?」
やはりザ・ハロウィン・ナイトと言うのはおかしな感じがするので、オゼットは黒マントさんで通すことにした。
覗き込んでくる少女の瞳は、月のように優しい煌めきを宿している。通常であれば心が安らぐはずなのに、何故か男の心は揺さぶられた。
子供は異変に敏感だという。少女に自身の変化を察知される前に、男はかぶりを振った。
「……ありえないよ」
そうやってオゼットが男と会話を交わしていると、子供達の賑やかな声が聞こえてきた。
「こら、太るわよマックス」
「人間には糖分が必要なんだ」
「人間? 豚の間違いじゃねぇの?」
「家畜の安寧……」
マギーが注意すると、マックスがお菓子食べたさに開き直り、ベンが罵り、オリビアがぽつりと呟く。そんないつもと変わらない友達のやりとりに、オゼットは小さく笑った。
「お友達が行ってしまうよ、小さな魔女さん」
「嫌だわ。子供扱いしないでちょうだい」
「早く行かないとお菓子が貰えなくなるぞ」
「えっ……」
「ほら、やっぱり子供だ」
「もう、からかわないで!」
口の端を吊り上げてくつくつと笑う男にオゼットは拗ね、仮装した友達の一行の元へ向かおうと背中を向けたが、すぐに足を止める。
「ねえ、また会いに来てもいい?」
「……気が向いたら、話し相手になってあげよう」
男がそう答えると、オゼットは嬉しそうに微笑み、友達のところへ駆け出して行った。
* * *
「あっ、オゼット! 何処に行ってたのよ?」
マギーが最初に見つけて手を振る。
「まさか俺達よりお菓子いっぱい貰いに行ってたんじゃねーか?」
ベンが疑いの眼差しを向け、
「こらベン、オゼットがそんなことするわけないでしょ!」
リリーがベンをたしなめ、
「お菓子ぃ……」
マックスが物欲しげに見つめて、
「何だか嬉しそう……」
オリビアが首を傾げ、
「まさか衣装の準備が遅れたとか?」
ウィルが苦笑し、
「魔女の格好、似合ってるね」
クリスが仮装姿を褒め、
「こうやって間に合ったんだし、いいんじゃない?」
トムが口癖を言う。
いつもと違う夜なのに、メンバーはいつもと同じやりとり。何だか変な感じがして、オゼットはくすくす笑った。一体どうしたんだと子供達に詰め寄られたが、何でもないわと適当にはぐらかした。
「それで、あいつとは話せたのか?」
唯一事情を知るジョニーが小声で尋ねるとオゼットは頷いた。
「ええ。名前が思い出せないから黒マントさんって言ったら、何とも言えない顔されちゃったわ」
そう答えたオゼットの顔はやはり嬉しそうに緩んでいる。それが不思議で、ジョニーも他の子供達と同様に首を傾げた。
「嬉しそうだな、オゼット」
「そう? ……黒マントさんがお父さんだったらいいな、って思っただけ」
「そっか……次は俺も話してみてぇな」
「ねえ、二人とも何話してるのー?」
すぐ後ろからあどけない少年の声が聞こえてきた。姉弟が振り返ると、ぼろぼろのシーツお化けが、ひらひらと生地をはためかせて見上げている。
オゼットは自分がやって来た方向をちらりと見るが、闇に同化するかのような黒いマントの男の姿は何処にも見当たらない。
「おかしな幽霊さんがいたんだけど、どっかに行っちゃった」
「えっ、幽霊?」
「きっとレニーの姿にびっくりしちゃったのよ」
「そ、そうかな? 僕、そんなに怖い?」
「そんなわけねーだろ、ファッキンカボチャ頭!」
お化けの仮装をした甲斐があったなぁ、とレニーが照れくさそうに言うと、ベンがすかさず罵声を浴びせる。ベンの口の悪さは今に始まったことではないが、あまり度が過ぎないよう注意しなければ。
「さ、行こうぜ」
ジョニーはワオーンと楽しそうに狼の真似をしながら、子供達を連れて近くにある家の扉を叩いた。
「Trick or Treat!」
* * *
遠ざかって行く子供達の声を聞きながら、男は曖昧な記憶から名前を引っ張り出していた。
「シェイマスだか、ウィリアムだか……」
もう遠い昔のことさ、と自嘲気味に笑う男だが、少女とまた話せる日が来るのだろうか、と再会を待ち望んでいる自分がいることに気付いた。
「……月も星も、綺麗だな……」
夜空を見上げれば、満月が浮かんでいる。月の光で周囲の星々は存在が薄れてはいるが、確かにきらきらと煌めいている。
「人生なんてロクなもんじゃねぇが……」
男は、とてもあやふやな記憶を手繰り寄せてみた。生前は大半が苦労ばかりで良いことなんてごくわずかだ。それでも確かに幸せな時もあったことを思い出す。
「ディアナ……ジョニーに、オゼットか……」
今度オゼットに会えるのはいつだろうか。男は子供達の楽しそうな声に耳を傾けながら、一人でハロウィンの夜の心地良さを味わっていた。
2014/09/07