暗い森の中で


 オゼットは奥深い森の中で古めかしい井戸を見つけた。周囲には民家はなく、あるのは朽ちた小さな教会だけ。
 何の気なしに──いや、ちょっとだけ教会に興味がわいたので扉に手を伸ばす。すると、後ろから声をかけられた。

「ネエ、アナタ何シテルノ?」

 急に話しかけられたのでオゼットは驚き、慌てて後ろを振り返る。だが、想像していたよりも声の主は小さかった。
 明るい金の髪は後頭部の高い位置で一つにまとめられ、赤と黒の羽根のような飾りがついている。瞳は碧、肌は白。着ているドレスは少し特徴的なデザインで、頭の飾りと同じ赤と黒。
 一瞬幼子かとも思ったが、それほど幼くは見えない。けれど、子供にしては小さすぎる。人間の子供というより、人形に見えた。

「チョット、聞イテルノ?」

「え……あ、はい」

 人形が可愛らしい顔を不機嫌そうに歪めたので、オゼットは慌てて返事をする。

「マッタク……話セルナラチャント答エナサイヨ。ソレデ、何シテルワケ?」

 まだ不機嫌そうに愚痴をこぼすと、再びオゼットに問いかけた。

「この森に不思議な人がいるって噂を聞いて……」

「不思議ナ人?」

「あなた……じゃないよね……人形、だし……」

 おそるおそるといった具合でオゼットが探るように人形を見つめていると、人形は腰に手を当てて頷いた。

「ソウヨ、私ハオ人形。人間ジャナイワ」

 否定するどころか、あっさりと自分が人形であることを認めた。けれど、オゼットはそんな人形を不気味に思うことなく納得する。人間ではないことを堂々と言う方も言う方だが、それを受け入れてしまうオゼットもオゼットである。

「じゃあ、人はいないの?」

「イルケド……何カ用事ガアルノ?」

「用事っていうか……ちょっと会ってみたいな、って……」

「会ッテ……会ッテ、ドウスルノ? マタ前ミタイニ、私達ヲ晒シタリ殺メタリスルノ?」

 人形がオゼットをきつく睨みつけた。その眼光はとても鋭く、敵意すら感じる。
 晒したり、殺めたり。彼女と噂で聞いた人間は、以前迫害を受けたりしたのだろうか。人形の言葉に若干戸惑いつつも、オゼットは首を横に振った。

「いいえ、そんなことしないわ。話をしてみたいの」

「……話?」

 オゼットの返答に、人形は怪訝そうに形の良い眉を寄せた。それもそうだろう。オゼットが聞いた噂話は『テューリンゲンの森の井戸に不思議な人がいる』というもの。
 オゼットが来るよりも先にある男が森に入って井戸を見つけ、人影も確かに見たというのだが、気付いたら森の外にいたのだという。男の話を他の者は娯楽として聞いてはいたが「夢を見たんだよ」と本気で信じようとはしなかった。
 その原因は以前、テューリンゲンの森には魔女が住んでいたとの話があるので、皆それを恐れて森に近付こうとはしないのだ。

 しばらくの間、人形はオゼットを睨んでいた。けれど、彼女は尻込みする様子はなく、逆に何としてでも話をしたいのだと人形を見つめ返してくる。そんなオゼットに、人形はやがて諦観したように溜息をついた。

「私ヲ見テモ驚カナイシ、メルト話ガシタイナンテ……アナタ、トテモ変ワッテルワネ」

「あはは……よく言われるわ」

 変わり者だからこそ森へ入ったの、とオゼットは苦笑する。
 それよりも、この人形は『メル』と口にしたが、これはオゼットが会いたいと思っている人間の名前なのだろうか。気になったので早速訊いてみることにした。

「『メル』っていうのが、あなたと一緒にいる人?」

「ソウ。メルハ私ノコト大事ニシテクレル。私、メルヲ愛シテルノ」

 にこりと微笑む人形は、まるで恋する乙女そのものだ。

「アナタハ私達ニ危害ヲ加エソウニナイカラ、特別ニメルト会ワセテアゲル。デモ、メルハ渡サナイカラ」

 少女が恋焦がれる相手ということは、人間は少年か、それとも大人の男性か。いくら人形といっても自我があるのだから、好きな相手がいてもおかしいことではない。
 オゼットがそんなことを考えていると、第三者の声が聞こえてきた。

「エリーゼ、何処に行ったんだい?」

 男性の声だ。オゼットが反応するよりも早く、人形が声のした方向を振り向いた。

「メル!」

 人形が弾んだ声で男性の名前を呼んだ。
 メルと呼ばれた男性は、森の木々の合間から姿を現した。長い黒髪はところどころ白い房があり、後ろで一つに束ねられている。そんな髪とは対照的に、肌はまるで屍人のように白い。着用している服は、森に住むには似つかわしくないものだ。貴族の服ような格好だったが、貴族の服にしては変わったデザインだとオゼットは思った。

 じっくりと見つめているオゼットの視線に気付いたのか、男性は人形を抱き上げるとオゼットをちらりと見る。

「エリーゼ、あちらのお嬢さんと知り合いなのかい?」

 人形はエリーゼというらしく、男性は血色のない顔をエリーゼに向けた。

「今出会ッタバカリヨ。メルト話ガシタインデスッテ」

 エリーゼが答えると、男性は再びオゼットを見る。

「私と話がしたいのかな?」

 男性の目の下には隈があり、それがよりいっそう彼の不健康そうな外見に拍車をかけていた。

「は、はい……」

 冬の冷たさを持つ月のような瞳に、オゼットはわずかに気圧される。だが、ここで退いてはいけないと気持ちを持ち直し、スカートを指先で軽くつまみ、小さくお辞儀をした。

「初めまして、オゼットと言います」

「私はメルヒェン・フォン・フリートホーフ。こちらは人形のエリーゼ」

 軽い挨拶を済ませると、メルヒェンは不思議そうにオゼットを見つめた。

「それにしても、死んでもいないのに私に会えるなんて、君は運がいいのかもしれない」

「え?」

 無表情だったメルヒェンが小さく笑いながら発した言葉に、何やら不吉な単語が含まれていたような気がした。オゼットがそのことを聞き返すが、彼は何でもないと答える。

「ところで、私と話をしたいということだが、どんな話をお望みかな?」

 そう尋ねられて、オゼットは小首を傾げた。

「えっと……いろいろ考えていたんですが……」

「忘レチャッタノ?」

「……うん」

「呆レタ……」

 メルヒェンに抱かれたエリーゼが溜息をついた。変ワリ者ノオ馬鹿サンダワ、と罵るエリーゼを、メルヒェンは優しくたしなめる。

「エリーゼ、そんなことを言ってはいけないよ。ではオゼット、私で良ければ話相手になってあげよう。話しているうちに、君の聞きたかったこともきっと思い出せるだろう」

 オゼットは再びメルヒェンの瞳を見つめたが、今度は先程のように冷たくは感じなかった。それどころか、好奇心をくすぐるような彼のミステリアスな雰囲気に惹かれ始めていることに、オゼットはまだ気付いてはいなかった。


2013/11/10
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