第8話 崖の上


 クレドが円卓の間から去ったあと、サンクトゥスはアグナスをそばへ呼んだ。

「アグナス。クレドはネロに勝てると思うか?」

 その問いに、アグナスは即答出来なかった。想像を遥かに上回る力を持っていたネロと戦ったのは、正確にいえば自分の作り出したグラディウスとビアンコ・アンジェロだ。自分自身が戦ったわけではないので、アグナスは言葉を濁す。

「判断の、む、難しいところです……ネ、ネロは簡単に倒せる相手ではなく、クレドの奴も、か、か、かなりの力がありますので……」

 クレドは実に気に食わない男だ。しかし、クレドの力量をアグナスは心の中では評価していた。

「閻魔刀はネロに奪われてしまったのか」

 サンクトゥスがぽつりとこぼせば、アグナスがびくりと身体を震わせた。閻魔刀がどれほど大事なものかは充分に理解している。奪われたことを咎められるのだ、と酷く怯えたアグナスは、すぐにでも這いつくばって許しを請いたかった。

「何事にも万全をもって対応すべきではないか?」

 サンクトゥスの言葉は、彼がクレドの勝利を信じてはいないことにアグナスは気付いた。つまり、クレドが失敗した場合の保険を求めている。
 だが、自分はネロを倒せるだろうか。人間の姿でも天使の姿でも、アグナスは戦闘向きの力は持ってはいない。技術局に所属していることからわかるように、アグナスは研究者タイプなので、クレドのような純粋な戦闘タイプではないのだ。だからサンクトゥスの言葉にすんなりと頷けなかった。
 いろいろ思案していたアグナスだが、そういえば、と思い出したことをサンクトゥスに告げる。

「ネ、ネロはクレドの妹と親しいようでした……うわごとのように名前を何度も呼んでおりました」

 アグナスの言葉に、サンクトゥスは笑みを深くした。それを見ただけで、アグナスはサンクトゥスが何を望んでいるのかを理解した。

「ああ、それと……紫乃のことも頼んだぞ。ダンタリオンとかいう悪魔が離れたところを狙えば容易いだろう」

 サンクトゥスは今まで話に出すことを控えていたことを口にした。
 ダンテと行動を共にする紫乃という娘は、昔、この城に滞在していたモリアンという悪魔の子供で、ダンテ同様かなりの魔力を有しているらしい。さらに空間を繋いで移動が可能となれば、莫大な魔力が必要な地獄門の起動など容易いと見立てている。
 紫乃が身に着けている銀色のブレスレットは魔具で、それが元の姿に戻ることもサンクトゥスは知っている。ダンタリオンという名前で、モリアンに仕えていた悪魔であることも。
 かつての主人の娘である紫乃とも主従関係にあり、彼女を守ることを第一としている。そのため、紫乃を捕獲する際、ダンタリオンが離れたところを狙えば良い。それが無理でも、ダンタリオンを引き離す方法は他にも考えることが出来るので、特に難しいことではない。
 幹部の中で紫乃を捕獲するように命じているのはクレドとアグナスのみ。他の幹部では正直捕獲出来るとは思えないので、クレドとアグナス以外はこの件について知らない。

 幹部といえば、一ヶ月前フォルトゥナへ突然やって来たグロリアという女もそうだ。女でありながらも鮮やかな動きで悪魔を倒す腕前は目を見張るものがある。
 サンクトゥスはグロリアが魔剣スパーダを献上してきたので幹部の座を与えたが、実際は彼女のことを信用していなかった。だからグロリアのいるところでは紫乃を捕獲することについて話したことはないし、クレドやアグナスには彼女には決して伝えないよう口止めをしている。

「仰せのままに、教皇様」

 クレドを信じきっておらず、こうして自分へ保険を要求してきたということは、クレドよりも頼りにされているのだ。そう思い、忠誠心を深めたアグナスに、サンクトゥスはさらに笑みを深めるのだった。

 * * *

 どれほどの時間が経過しただろうか。ネロが目を覚ますと、周りには誰もいなかった。

「……夢、じゃないよな……」

 少しぼんやりとした頭を覚醒させたあと、自分の右手を見る。刀身の長い刀が握られていた。それだけで、今までの出来事が夢ではなく現実に起こったものだと実感した。
 アグナスが閻魔刀と呼んでいたこの刀は、自分に力を与えてくれる。
 ふと、胸に手を当てる。あの時確かに動く鎧のランスに心臓を貫かれたはずなのに、傷はしっかりと塞がっていた。

「ますます人間じゃなくなってるな……」

 右腕が異形に変貌して以来、人間離れしたなと思ってはいたが、まさか心臓を貫かれてもなお生きていられるとは。
 ネロは、力が欲しい、と望んだ。悪魔に魂を売ったとしても、大切なものが守れるならいい、と。願ったとおり、ネロは力を手に入れた。デビル・ブリンガーと閻魔刀。その願いと引き換えに、人間ではなくなったことにネロは自嘲的に笑った。

「……夢が叶ったってわけか」

 呟き、立ち上がる。
 今更人間離れしたことを悩んだところで、以前の身体に戻るわけではない。ならば、これからやるべきことは──

「本部に戻るか……アグナスの話、クレドも知ってるはずだ」

 クレドから受けた任務は、ダンテと紫乃を追跡し捕獲することだが、アグナスの話が気がかりだ。教団は裏で何かよからぬことを企んでいることは明白だ。そのことについてクレドに問いただす方が先だとネロは考えた。
 研究所を出ようとした時、閻魔刀が青白く輝き、右腕に吸い込まれるように消えていった。一瞬消滅したようにも感じたが、それは違った。右腕に宿ったのだ。試しに右手が閻魔刀を握っているイメージを浮かべれば、すぐに閻魔刀が現れた。

「これも悪魔の力の賜物ってか? 便利なことだ」

 感心とも呆れともつかない溜息をつくと、ネロは教団本部へ向かうため、城からミティスの森へ抜ける道へと歩き始めた。

 * * *

 ダンテと紫乃とマハ、そしてダンタリオンは、切り立った崖の上から眼下に広がる広大な森を眺めていた。

「わあ……凄い景色」

「そうだな。けど、自然が豊かすぎるのも問題だな、ここは」

 隣に立つダンテの言葉に、紫乃は頷く。
 人間から見れば豊かな自然を保っているこの森は、さぞ素敵な場所に見えるだろう。だが、この豊かさは不自然なものだ。濃すぎる緑に、野生動物ではない生命体の気配が漂ってくる。
 ──つまり、悪魔が絡んでいる。

「悪魔が多すぎるな」

「均衡を取り戻すには、どれほどの年月がかかるのでしょうか」

 マハとダンタリオンも、森の中の現状を感じ取り小さく溜息をつく。
 ダンテが紫乃へ視線を移せば、彼女は崖の下を覗き込んでいた。かなりの高さがあり、うっかり落ちればまず命の保障はない。だが、それは普通の人間の話であって、悪魔の血が流れている自分達にとっては何の問題もない。

「紫乃、一緒にここから落ちてみるか? 俺が下で受け止めてやるぜ」

「えっ」

 まさかそんな提案をされるとは露ほどにも思っていなかった紫乃は、一瞬びくりと驚いてダンテと崖下を交互に見る。受け止めてくれるのはありがたい。けれど、ダンテが言うと冗談に聞こえない。
 ちょっとした軽口にも面白いほどに反応してくれる紫乃。そんな彼女の頬にリップノイズを立てて軽くキスをすれば、恥ずかしそうに笑ってくれた。

「もう、ダンテったら」

 そんな反応が可愛くて、次は唇を塞いでやれば、くぐもった小さな声を聴かせてくれた。

「ん……」

 始めは触れるだけのものが、次第に舌を絡め合うものへと変わっていく。

「ん、う……ふ……」

 わずかに声を漏らしつつ紫乃がダンテの胸板を軽く叩くと、ようやく解放してくれた。新鮮な空気を吸い込み呼吸を整え、ダンテを見上げる。

「今はお仕事中なんだから……マハとダンタリオンもいるのよ」

「悪い悪い。紫乃の唇と声が良くてつい」

 眉尻が下がった表情でたしなめられても怖くない。むしろその逆だ、とダンテは少しも悪びれていないかのように笑った。

「ダンテ、紫乃様を愛しているのはわかりますが、公私をわきまえて下さいね」

「主を困らせたらその頭に喰らいついてやるぞ」

 従順な二体の悪魔に諌められたダンテだが、

「続きは帰ってからだな」

 やはり悪びれることなく含みを持った笑みを浮かべた。
 紫乃は何度か仕事に同行させてもらったことがあるのだが、その時も仕事中であるにもかかわらず、何度もキスやスキンシップを求めてきたことを思い出した。
 仕事中は駄目だと注意しても、可愛いから、こんな仕事だから癒しが欲しくてね、と笑ってはぐらかされる。
 昔に比べて大人しくなったといつしか本人が言っていたような気もするが、歳を重ねても悪戯が好きな性格は変わらないようだ。
 紫乃は小さく溜息をつき、再び眼下の森へ顔を向けた。

「これだけ森が広いと、はぐれちゃったら大変そう」

「もしこいつらが紫乃とはぐれた時はどうする?」

 ダンテのいう『こいつら』とは、マハとダンタリオンのことだ。

「私が『ゲート』で合流出来ればいいけど……もし無理だったら、二人は必ずダンテと一緒に行動すること」

 紫乃の言葉にダンタリオンは頷いたが、マハは不服そうな視線をダンテに向けた。

「……ダンテと、か」

「そんな嫌そうな顔すんなよ」

「ダンタリオンは心配ないけど、マハは無鉄砲に別行動しちゃいそうだしね」

 苦笑する紫乃に、マハは何も言い返せなかった。
 気まぐれで変わっている──マハは自分でもそう評している。
 紫乃は、力をほとんど失い、悪魔として本来の姿を保てなくなった自分を救ってくれた命の恩人だ。彼女のためなら何だってしてやる。彼女に危害を加える存在は許さない。もし彼女がいなくなったら、すぐにでも捜しに行ってやる。
 盲目的な服従心だな、とマハは自分でも思う。それほどまでに紫乃は大切な存在となっていたが、マハの行動パターンは既に彼女に見抜かれていた。

「紫乃様から信頼されているのは嬉しく思いますが、私も紫乃様に何かあればマハと同じですよ」

 一見穏やかな雰囲気の優男に見えてしまうダンタリオンだが、彼もマハと同じように紫乃を大切に想っている。紫乃に万一のことがあれば、冷静さをかなぐり捨ててしまう可能性がある。
 ダンタリオンがマハ共々紫乃を見つめれば紫乃は、

「二人の気持ちは嬉しいの。でも、二人に何かあったら、私の方が心配でどうにかなっちゃいそう。だから、私がいない間は必ずダンテと一緒に行動すること」

 そう念を押した。

「……了解した」

「かしこまりました」

 主人の安全が第一なのだが、その主人からそう命令されてしまうと、マハとダンタリオンは承諾するしかない。
 そんなやり取りをしていると、離れた方向からあの少年の声が聞こえてきた。

「森が……」

 ネロは、別れる前まではなかった大剣を背負っている。見渡す限りの濃緑に驚いている彼は、やや離れた場所にいるダンテ達に気付いていない。
 ──先に動いたのは、相手に認識してもらえないのが嫌いなダンテだった。

「ふむ、何だこりゃ?」

 他者の存在に気付いたネロが辺りを警戒し、ブルーローズに手を伸ばし、構えると銃口をまずダンテに向けた。
 まるで今見たと言わんばかりに、両腕を広げて驚く仕草をするダンテに、紫乃は何ともわざとらしい言動だろうと呆気にとられる。
 次いでネロは紫乃を視界に捉えると、銃口をダンテから彼女へ移す。
紫乃をキッと見据え、狙いを向け終わるか否かの瞬間──

「う、わ……!」

 黒い獣が瞬時にネロへ飛びかかって来た。まるで鋼のような硬く鋭い爪をそなえた前足がネロの上半身を押し倒し、遠慮なく自重でネロを地面に押さえ付ける。
 外見からもわかるように、この獣は悪魔だ。ネロは、フォルトゥナの人間の中でも悪魔と対峙した経験が多い。これまで悪魔の突発的な動作に反応して攻撃を避けたりもしたが、この黒い獣はネロの対峙したどの悪魔よりも素早かった。
 身体を起こしたかったが、獣の自重と押え込まれているため、それも出来ない。
 獣が口を開け、ネロの首めがけて牙を突き立てようとした時──

「マハ!」

 紫乃のその一言で、獣はぴたりと動きを止めた。ちょうど獣の牙の先がネロの首に触れ、その部分の皮膚が少し窪んだところだ。制止の声があとわずかでも遅ければ、獣の牙は皮膚を突き破っていただろう。
 紫乃の前には、マハが飛びかかるのと同時にダンタリオンが彼女の前に立った。ネロの向けた銃口から庇おうとしたのだ。

「マハ、駄目よ。その人から離れて」

「主、この者は主に銃口を向けたのだぞ」

 ネロの首に牙の先を押し当てたまま、マハは紫乃に諫言する。
 この男は主人に銃口を向けた。主人を守るため、喉笛を食いちぎるには充分な理由だ。それなのに主人はやめろと言う。

「私は撃たれてないから大丈夫よ。マハ、離れなさい」

 やや強めの口調で命令すれば、マハはネロから離れて紫乃のところへ戻った。

「ありがとう、マハ」

 マハは自分を守るためにネロに飛びかかったのだ。それはわかっているので、紫乃はちょうど自分の頭と同じくらいの高さにあるマハの首を優しく撫でる。それからネロへ視線を移し、首に手を当てて傷の有無を確認している彼を気遣う。

「ごめんなさい、ネロさん。怪我はありませんか?」

 ネロの年齢がわからないので、失礼のないよう敬称をつけて呼びかけた。何だかくすぐったくて思わず笑みがこぼれそうになったが、それを誤魔化すため、ネロは無愛想な表情を作り、

「……何ともない」

 と答えて立ち上がり、服に付いた土を払い落とす。
 紫乃達のやり取りを眺めていたダンテは、不器用な坊やだな、と微笑ましく思うが、気持ちを切り替えて森へと視線を向ける。

「この森は『門』の影響か……。にしても、何処で坊やに追い抜かれたんだ? 城の見物に時間を使いすぎたのが原因か……」

 ダンテがネロと一戦交えて別れた時は夕方で、フォルトゥナ城の探索を始めたのは夜で、今は日付が変わった午前中。ダンテの言うとおり、城の探索に時間をかけすぎたのが最大の理由だ。広大な城内ということもあり、いろいろな部屋の探索をしたのである。
 おまけにモリアンが住んでいたこともあり、紫乃が母の足跡を知りたいがため探索にかける時間をさらに費やした。その原因の一つが自分であることに、紫乃は苦笑を浮かべるしかなかった。

「何が目的なんだよ?」

「悪いな坊や、今は忙しいんだ。あとで遊んでやるよ」

 ダンテはネロの問いに答えずに肩を竦めると、両腕を広げた状態で背中から後ろにゆっくりと倒れ、崖から落ちていった。

「紫乃も来いよ!」

 落ちていくダンテが叫んだ。
 やれやれ、本当に落ちなければいけないのか。紫乃は内心苦笑すると、顔を上げてネロを見る。

「ネロさん、キリエさんは無事ですか?」

「は? あ、ああ……」

 突然ダンテが飛び降りて呆然としていたネロは、そう頷くのがやっとだった。
 キリエの無事がわかると紫乃は「良かった」と微笑み、ダンテを追って飛び降りた。後ろ向きではなく普通に──というのが正しいのかわからないが、とにかくダンテのような変わった体勢ではないのは確かだ。
 続いて、金髪の貴族風の男も飛び降りる。彼は大歌劇場では見かけなかった。何処かでダンテ達と合流したのだろうか。
 最後に黒い獣──マハは足を止めてちらりとネロを一瞥すると、

「悪く思うな」

 と言い残すと、最後に飛び降りていった。
 紫乃を『主』と呼び、従っているということは、彼女を守るためネロに飛びかかってきたのだ。紫乃に敵意を向ける者には容赦しないが、その紫乃がやめろと制した以上、マハにはネロを襲う理由がなくなる。主人を守るためだったから「悪く思うな」と言ったのだろう。

「……何なんだあいつら……」

 おどけて人の質問に答えない男と、悪魔を従わせる女。素性はもちろん、目的すらも不明の二人にただただ驚くばかりだ。
 ネロはブルーローズをホルスターにしまうと、本部へ向かうため別のルートを進むことにした。

 * * *

 崖下に着地したダンテは頭上を見上げ、両腕を広げた。しばらくしたのち、腕の中へ吸い込まれるようにまっすぐ落下してきた紫乃を受け止める。

「よっ……と」

「ありがとう、ダンテ」

 地面におろされた紫乃は、マハとダンタリオンも着地してきたのを確認すると、森の木々を見渡す。フォルトゥナは『魔』の要素が強い土地だが、この森は異様なほどに緑が濃い。
 そんな紫乃の後ろ姿──特に臀部あたりを、ダンテはじっくりと見つめる。

「紫乃、今度から仕事の時はスカートに──」

「却下」

 即答だった。
 どうせめくれたスカートの中を見たいといったくだらない願望を抱いたのだろう。下心が丸見えの提案を瞬時に拒否した紫乃は、ダンテを振り返らず森の中へ入って行った。マハとダンタリオンは彼女のあとに続く。
 受け止めてくれると言った彼の頼もしさも、その下心の前だと霞むようだ、と紫乃は深い溜息をついた。

「ま、今のパンツ姿は尻のラインが見えるから、それはそれでいいんだが」

 ダンテが笑って歩き出せば、彼の目の前に『ゲート』が現れた。それに気付いて立ち止まろうとしたが、少し遅かった。ダンテは一瞬で先程までいた崖の上へ戻されてしまったのだ。

「お、おい、冗談だって! 本気にするなよ!」

 崖の上で良かった。あまりふざけると最悪、フォルトゥナの街へ戻されてしまうかもしれない。
 笑い飛ばしながら、しかし半分焦って冷や汗を流して崖を飛び降りると、ダンテは先を行く紫乃達を追いかけた。


2014/12/07

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