穏やかな唄をあなたに


 紫乃は最近、ダンテから教わったものがある。それは、母親が幼子を眠らせる時に聞かせる子守唄だ。

「お袋がよく歌ってくれたんだ」

 ダンテの母エヴァは彼が幼い頃、なかなか寝付けなかった自分によく歌ってくれたのだという。
 紫乃はダンテの口ずさむ子守唄を聞く間、うっとりとして目を閉じる。恋人のテノールボイスが心地良い。それに加え、歌の曲調と歌詞に聞き惚れる。

「優しくて穏やかで、素敵な歌ね」

 エヴァの写真は、事務所の大きな机の上の写真立てに入れて飾られている。掃除の苦手なダンテであるが、その写真立てだけは埃をかぶったところを紫乃は見たことはなく、常に綺麗にされている。それだけで、ダンテがどれほど大事にしているかがわかる。

「ダンテが今も子守唄覚えていること知ったら、おば様きっと喜ぶわ」

「そうだな……それと、こんなに可愛い恋人が出来たって自慢してぇ」

 少ししんみりとエヴァの写真を見つめていたダンテだったが、紫乃の話題を出すといつもの調子に戻る。

「あはは、それは私も同じだよ。おじ様の息子と出会ったってお母さんが知ったら、たぶんびっくりする」

 かつてスパーダが魔界に反旗を翻した際、紫乃の母モリアンも魔界を去り、人間界へ侵攻した悪魔を倒していった。
 そんなモリアンも、スパーダとエヴァ夫妻から遅れること十数年後には一児の母となったわけだが、その時すでにスパーダの消息は不明でエヴァも故人となり、双子の行方もわからなくなっていた。そのため、紫乃と双子を会わせることが出来なかった、と紫乃は母親から聞いたことがあった。

「そういえば紫乃のお袋さん、何で俺達が生まれたこと知ってたんだ?」

「お母さんが『ゲート』を使って、出産後のおば様に会いに行ったんだって」

「……ってことは俺、紫乃のお袋さんに会ってたんだな」

「そうだね。『天使みたいに可愛かった』って言ってた」

 可愛らしい赤子に加え、スパーダ譲りの銀髪なのだ。『半分悪魔であることを忘れそうなくらい可愛かった』と顔を緩ませながら話す母親の顔を、紫乃は今でも覚えている。

「……でもね、おば様が亡くなってダンテ達の行方もわからないって知った時、お母さん凄く後悔していたわ。『もっと早く再会しておけば良かった』って」

 エヴァ達母子が悪魔の襲撃に遭った頃、モリアンは紫乃の父と日本に渡り、異国の暮らしに慣れようとしていた時期だった。慣れない土地での生活は毎日が忙しく、『ゲート』を使用すれば大概の場所なら移動することが出来ることもあり、いつでもエヴァに会えると思っていた。
 それが間違いだと気付いたのは、紫乃を産んだあとアメリカに赴き、エヴァの死と双子の行方不明を知った時だ。

「そっか……お袋のこと気にかけてくれた人がいたんだな。その事実だけでも嬉しいよ」

 ダンテは、まるで自分のことのように落ち込む紫乃の頭にそっと手を乗せて慰めた。

 * * *

 その日、ダンテは珍しく昼過ぎに起床した。前日は仕事が入らず怠惰な一日を過ごしたことは普段と変わりないが、早めに就寝したことで起床時間が早まってしまったようだ。

「……あー……早過ぎたな」

 ナイトテーブルの上の置き時計で時刻を確認したダンテは、はあ、と溜息をつく。今日も仕事の予定はないから夕方まで二度寝を決め込もうかとも思ったが、眠気で重い瞼を何とかこじ開け、ベッドから抜け出した。
 いつも同じベッドで寝ている紫乃は先に起き、きっと階下で食事の支度や掃除をしてくれていることだろう。
 一人でいてもつまらないので起床し、大きなあくびをしながら階段を下りて事務所フロアを見回すが紫乃の姿はない。それでも同じ建物内にいることは気配でわかる。
 どうやらキッチンにいるようだと察知したダンテがそのままキッチンへ向かえば、案の定紫乃はキッチンにいた。が、何やら椅子の上に爪先立ちの状態で立ち上がり、手を伸ばしている。その指の先にあるのは、棚の上に買い置きされている砂糖の袋。
 事務所のやや狭いキッチンは収納性に富んでいるとは言えず、何処にどんな物が収納されているかは家主のダンテすら把握しきれていない。というよりも、家事全般は紫乃に任せているので、ダンテが把握しなくても彼女に聞けば解決出来るのだ。
 そんな彼女は広くないキッチンの収容スペースを上手く活用し、様々な物を収めている。今まさに取り出そうとしている砂糖もその中の一つだ。
 ただ、棚の高さが天井ギリギリまである。あまり横に収納スペースが取れないので、縦方向に収納スペースを確保出来る棚を設置しているためだ。

「紫乃」

「あ、おはよ──」

 背伸びしたままの格好で紫乃がキッチンにやって来たダンテに振り向いて挨拶をしようとしたが、

「きゃ……!」

 バランスを崩して椅子から足を踏み外してしまった。紫乃は、そのまま後ろに倒れ込んでしまうかと思って目を瞑って衝撃に備えるが、どうも床に叩き付けられる感覚が訪れない。

「あ……れ?」

 目を開いて現状を確認すれば、ダンテの腕の中。どうやら、彼が受け止めてくれたようだ。

「一風変わった眠気覚ましだ」

 ダンテは小さく苦笑したあと、きょとんとしている紫乃を支えながら床に立たせる。

「ご、ごめん」

「いや、俺が下手に声かけなきゃ良かった」

 悪い、と謝ったダンテは椅子の上に立ち、紫乃の取ろうとしていた砂糖の袋を一つ取り出した。砂糖が置かれていた高さは、背丈のあるダンテが椅子に上がればすんなりと取れるが、背の低い紫乃は背伸びしてかろうじて取れる程度。

「昔買った物だからそのまま置いてたが……紫乃が取りにくいのなら買い換えるか」

「ううん、いいの。まだ壊れたりしてないから大丈夫よ」

「そうか? ……じゃあ、今回みたいに手の届かないところにある物を取る時は俺に言えよ」

「わかったわ。ありがとう」

「ところで、何作ってんだ?」

 キッチンには薄力粉や卵や牛乳、他にもイチゴやバナナなどのフルーツが用意されているのを見たダンテが小さく首を傾げた。

「パンケーキ作るの」

「甘いタイプの奴か?」

「うん。でも、ハムとか使う甘くない方がいいならそっち作るけど……って、イチゴつまみ食いしちゃ駄目だよ」

 砂糖の袋を開けていた紫乃がダンテに視線を移すと、彼はイチゴを口に運んでいた。放っておくと一個、また一個と食べられてしまうため、紫乃はイチゴの入った容器をひょいと取り上げる。

「すぐに作ってあげるから、ダンテは顔を洗ってきてちょうだい」

「イチゴが食べられないんじゃ動けない」

「普段ならまだ寝てる時間にわざわざ起きた人が言う台詞じゃないわ」

 ほら早くとダンテを洗面所に向かわせようとするが、なかなか動いてくれない。
 こんな時のダンテは大抵、

「紫乃のキスがあればいくらでも動けるんだがな」

 こんなことを要求してくる。

「……もう」

 恥ずかしげもなくキスをねだってくるあたり、やはり欧米人だなと改めて実感する。紫乃は頬を淡く染めながらダンテに軽くキスをすれば彼は満足気に微笑み、「イチゴ多めの甘い奴を頼む」と言い残してキッチンから出て行った。

 * * *

 フルーツたっぷりのパンケーキを食べたあと、ダンテと紫乃はリビングのソファーに腰掛けて寛いでいたが、しばらくするとダンテが紫乃に膝枕をねだってきた。それだけならいつもと変わらないのだが、今日は耳かきをプラスアルファされた。

「誰かに耳かきするなんてしたことないから、上手く出来るかどうか……」

「紫乃なら大丈夫さ」

 ダンテにそう言われると何でも出来てしまいそうな気がする、と笑うと、紫乃は膝に頭を乗せて横になったダンテの耳に手を添える。

「じゃあ、やるね」

 紫乃は、何事も行動に移す前にこうして一言声をかける。ダンテとしてはいつ実践されても良い心持ちなのだが、声の合図を発する彼女の、相手に対する気遣いが嬉しい。
 耳かきの先端をダンテの耳の穴に差し込んだ紫乃は、力が入り過ぎないようにそっと耳かきを傾ける。

「……ん」

 何度か内部を上下させていくと、ダンテが小さな声をもらした。痛みを与えてしまったのだろうか、と紫乃は少し慌てた様子で手を止める。

「い、痛かった?」

「その逆。結構気持ちいい」

 ダンテの返答は、紫乃の予想とは真逆のものだった。痛みがなかったことに紫乃が安堵していると、ダンテが続けてくれと催促したので、紫乃は再び手を動かし始める。
 そうやってしばらく耳かきをしていたが、今までじっと横になっていたダンテの手が紫乃の脚へ伸ばされ、ゆっくりと撫でてきた。

「何してるの」

「紫乃の耳かきがすげぇ気持ちいいから触りたくなってね」

 二つの関連性が見えない紫乃は、ダンテの言葉が理解出来なかった。そんな紫乃にダンテの悪戯心が刺激され、少し意地悪な笑みを浮かべて彼女を見上げる。

「俺のナカを紫乃が弄り回してキモチイイから」

 先程の関連性よりも理解に苦しんだが、数秒するとようやくその意味がわかり、紫乃は困惑した表情へと変わった。

「ち……ちょっと! 変な言い方しないでよ!」

 紫乃は、睦言を囁かれるよりも動揺している。これだからからかうのをやめられないんだ、とダンテは楽しそうにひとしきり笑ったあと、あることを思い出して再び紫乃を見上げた。

「そうだ。なあ、あれ歌ってくれよ」

「え?」

「子守唄」

 先日、ダンテより彼の母エヴァが歌ってくれたという子守唄を教えてもらっていたことを思い出す。

「おば様、本当に母親冥利に尽きるわね」

 エヴァが亡くなって結構な根月が過ぎた今でも、ダンテは彼女を大切に想っている。形に残っている写真と、ダンテの記憶に残っている子守唄。逞しく成長した息子にここまで大切に想ってくれているエヴァは、本当に幸せな母親だ。

 紫乃にとっても今や大切な存在である。柔らかく微笑むと、ダンテに教わった旋律と詩を紡ぎ始めた。

 蒼く広がる草原で
 種達は空を見上げる
 陽の光は雲に遮られ
 空は雪の涙を降らす
 それでも…
 私の種達はじっと待つ
 暗闇の季節が去り
 暖かな春が訪れるのを
 そして幼い種達は
 再び空を仰ぎ見る
 強く雄々しい芽を出して
 私の幼い種達は
 再び空を仰ぎ見る
 強く雄々しい芽を出して

 紫乃の歌声はソプラノ特有の澄んだ美しさを持ち、ダンテの聴覚を心地良くくすぐった。まだ小さかった頃、幼心に母親の歌声に安心感を覚えた記憶があるが、紫乃の歌声も同様に安らぐものだった。
 紫乃が一通り歌い終えると、気持ち良さそうに目を閉じて聴き入っていたダンテがまぶたを開ける。

「いい歌声だ。思わず寝てしまいそうだった」

「あはは、たぶん今日早起きしたからだよ。夜までまだ時間あるし、もう一眠りしたらどう?」

「んー、そうだな……紫乃はこのあと何か用事はあるか?」

 ダンテにそう尋ねられて、紫乃は今後の予定を頭の中で確認してみる。買い物は昨日済ませたし、掃除もダンテの部屋以外してあるし、洗濯物も既に干し終わっている。家事はもちろん、外出などの用事もないので、紫乃は首を横に振った。

「ううん、何もないよ」

「それじゃ、一緒に昼寝しようぜ。今度は俺が紫乃に耳かきしてやるよ」

 ダンテの言葉に、紫乃は魅力を感じずにはいられなかった。
 こうしてダンテと出会わずに日本で仕事を続けていたら、休日でもない限り昼寝なんて出来ないし、彼と一緒に暮らしている今でもいくら暇な時間が出来ても昼寝をしたことはなかった。
 紫乃が昼寝をしてもダンテは二つ返事で了承してくれるだろうが、生来真面目な性格のためか、紫乃自ら昼寝をするという選択肢がないのだ。
 ダンテからの誘いもあって、紫乃は彼と昼寝を決め込むことにした。

「うん。でも、夜になったらちゃんと起きるのよ。依頼の電話がかかってくるかもしれないから」

「OK」

 あれ、と紫乃は引っかかりを覚えた。ダンテのことだから、昼寝を長期化させて夜もぐうたら睡眠を貪り、休業日だと言って電話を放置するものだと思っていたのに。
 きょとんとした顔で身体を起こして立ち上がるダンテを見つめていると、その視線に気付いた彼が不思議そうに声をかける。

「紫乃、どうした?」

「あ……ううん、何でもない」

 小さい笑みを浮かべてダンテの疑問を解消させると、紫乃は彼と一緒に二階へと移動した。


 そしてその後、紫乃はダンテに耳かきをしてもらったわけだが、

「どうしてスカートの中に手突っ込んでるのよー!」

「紫乃の喘ぎ声のせい」

「喘いでなんかないわよ!」

「耳かきの間ずっと喘いでたろ」

「あ、あれは耳かきのせいで」

 ダンテが紫乃に耳かきをすると、気持ち良さのあまり小さく声を上げたのは事実だ。しかし、それは耳かきの際に生じる刺激によるもので、決して性的なものではないと紫乃が訴えるも、

「晩メシは好きなピザ選んでいいから」

 と言われ、ダンテにとって極上のデザートとして食されることになった。


2013/10/23

▼あとがき
3万ヒット記念アンケートの一つ、「膝枕しながら耳かき(子守唄付き)」でした。

DMCで子守唄といえばエヴァさんのアレですね。
ヒロインが膝枕しつつ、子守唄をダンテに歌うという内容です。
ヒロインが子守唄を歌うってことは、ダンテに教わるからで…
「エヴァさんの話を出すなら、この際ヒロインの母親も出してしまおう」ということで、前半部分にモリアンさんの話も織り込んでみました。

それと、子守唄は英語なのですが、歌詞をまるごと掲載するのを避けるため和訳にしました。
息子の未来を示唆するかのような歌ですよね。
DMCでも屈指の名曲だと思います。

Q.
ところで、裏でもないのにダンテさんがえろすを捨ててくれません。
どうしたらえろすを手放してくれますか?

A.
一 生 無 理

リクエストして頂いた望月様、ありがとうございました!
今後ともよろしくお願い致します。
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