いつかは家族計画


 昨日あたりから下腹部に鈍い痛みを感じていた。
 時期的にも符合する、と思いながら紫乃はポケットティッシュ程度の大きさの用品を持ってトイレに向かう。念のため昨夜から準備していたのだが、やはりあの時期だった。
 ダンテと暮らし始めてから生活時間が一変したことで遅れてしまうかもと思っていたが、意外と無事で、大きな変化は現れなかった。不順でなければ女性に毎月訪れ、悩まされることも多い生理。

「一日目かぁ……」

 生理痛というものがある。それは個人差が大きく、特に痛みや不調のない者もいれば、動けないほどに強い痛みや吐き気などを持つ者もいる。
 紫乃は幸いにも軽い方で、軽い鈍痛を覚える程度だ。それでも生理中は常に鈍痛が続くので、不快なことに代わりない。
 紫乃はダンテのことを思い浮かべた。いつも愛を囁く彼は、一昨日から仕事で不在である。数日で戻るようなことを言っていたが、何日で戻れるかまではわからなかった。
 紫乃は生理中の行為は好まない。それはダンテも理解してくれている。生理中は単純に一緒に寝る程度で、彼は生理が終わるまで紫乃を無理に抱くことはしない。


 生理一日目は事務所で一人で過ごしたが、二日目でダンテが帰ってきた。期間としてはすぐに終わり、その反面報酬の高い依頼だったという。
 ダンテがシャワーを終えて食事をしようとキッチンと隣り合ったダイニングへ向かえば、食卓にはすでに食事が用意されていた。美味しい匂いに食欲を刺激されたが、紫乃の様子が普段と違うことに気付いた。椅子に腰掛けてホットココアを飲んでいるのだが、どうもだるそうな印象を受ける。

「紫乃、どうかしたのか?」

「え?」

「何かいつもと違うみたいだ」

 ダンテの言葉に紫乃は「ああ」と納得する。

「生理中なの。二日目」

 そう答えると、今度はダンテが納得する番となった。

「そういえば一ヶ月が経つな」

 前回生理のあった時期を思い出したダンテはリビングへ向かうと、ソファーに畳んで置かれていたブランケットを手に取った。
 彼女は、軽いとはいえ生理痛があることを知っている。動けないほどではないが、やはり鈍痛が続くのは辛く、期間中は行動力が落ちてしまう。そんな紫乃をいたわるかのように、ダンテはブランケットを広げ、彼女の腹部にかけてやる。

「暖めた方が痛みが軽くなるんだろ?」

 そんなに酷い痛みではないので気にすることもないと紫乃は何もしなかったが、ダンテの気遣いがとても嬉しかった。

「ありがとう」

 彼は気にするなと笑いかけると、自分の席に用意された食事をたいらげた。
 それからすぐにダンテは紫乃の手を取ると、まるで紳士のようにエスコートをしてキッチンからリビングのソファーへ移動する。
 程よく色褪せた赤い革張りのソファーに座ったダンテが、おいでと紫乃を自分の膝の上に座らせ、下腹部に掌をそっと押し当ててきた。初めてのことに紫乃は驚きダンテを見上げるが、彼は至極穏やかな表情でこちらを見つめてくる。
 わずかに照れ、どうしたのと訊くべきか逡巡していると、ダンテの大きな掌からじんわりとぬくもりがブランケットや衣服越しに伝わってくるのを感じた。

「これでもっと暖かい」

「ダンテ……」

 ブランケットとダンテの体温によって、痛みがちょっとやわらいだような気がする。

「確か二日目が一番きついんだよな」

「うん、そうだね」

 実際、二日目に突入すると前日より鈍痛が強くなった。
 それにしても、とダンテは考える。生理があるということは、毎月きちんと排卵があるということ。つまり、女性としての生殖機能は正常である。今まで避妊してきたので紫乃を妊娠させるようなことはなかったが──

(……子供、か)

 ダンテの世間一般的な年齢を考えれば、一人くらい子供がいるものだ。
 とりあえず今は紫乃との時間が楽しくて子供について深く考えたこともなかったが、彼女の子供なら可愛い子が産まれるに違いない。

「なあ、紫乃」

「んー?」

 ぽかぽかと暖かくなってぽやんとしていた紫乃にダンテが一つの提案をする。

「子供欲しくないか?」

「うん、可愛いよねぇ、子供」

「生理終わったら早速作るか」

「うん…………って、ええええ!?」

 首だけ後ろに向けて驚きの声を上げる。ダンテは今何と言ったのだろう。
 子供が欲しい。
 子供を作る。
 ……作る?

「紫乃に似た女の子がいいな」

「ちょっと、いきなりどうしたの!?」

「いや、俺もいい歳だし、子供の一人くらいいてもいいんじゃないかって思って」

 う、と紫乃は言葉に詰まった。確かに三十代後半に突入したダンテからすれば、子供が欲しくなるだろう。
 それにしても突然そんなことを言い出すなんて。

「いきなりね」

「生理について考えてたらそう思いついた」

 一体何処をどう考えればそういう結果に至ったのであろうか。

「で、紫乃は子供欲しくはないのか?」

「そ……そりゃ欲しいけど、今はまだ……」

 ダンテよりも一回りも年下で若い紫乃にしてみても、子供について考えたこともあった。だが、まだその時期ではないと先送りにしていたのだが、まさかここで話題に出るなんて。

「まあ、二人で決めることだからな。急ぐことはないさ」

 紫乃の気持ちに気付いてはいたが、やはり深くは考えていなかったようだ。
 年齢を考えると急がなければいけないと焦る男性もいるだろうが、妊娠ともなると女性の負担が大きすぎるので、こればかりは女性の意見を優先させなければいけない。
 そんなダンテの言葉に罪悪感を感じたのか、紫乃が申し訳なさそうに視線を落とす。

「ごめんね、ダンテ……」

「紫乃が気にすることじゃない。俺も本音としては、まだ紫乃と二人だけの生活を楽しみたい」

 頭を軽くポンポンと叩いてやれば紫乃は気持ちを持ち直したのだろう、首だけでなく身体ごとダンテに向き直る。その際、彼女の手がダンテの下腹部に当たってしまい、突然の刺激に反応してしまった。

「っ……」

 声にこそしなかったが不意に与えられた刺激は予想外に気持ち良く、はずみで息が漏れる。

「ダンテ?」

 下腹部に手が当たったことに気付いていない紫乃がダンテの顔を覗き込む。苦しい様子ではないが、何かに耐えているような顔。

「紫乃の手が当たってな」

 え、と自分の手元に視線を落としてみれば、確かにダンテの下腹部近くに手を置いていた。
 つまり刺激が与えられ、その場所が下腹部だということは──

「ごっ、ごめんなさい!」

 状況を理解した紫乃がすぐさま手をどけてダンテから離れようとしたが、彼本人がそれを阻み、紫乃を素早く両腕で包み込むように抱き締める。

「きついんだろ、動くなよ」

「でも……」

「もう少し紫乃とこうしていたいんだ」

 ダンテが囁くように言えば、紫乃は抵抗をやめて横向きのままダンテの膝の上に座り直した。

「紫乃、子供は男と女どっちがいい?」

「んー……どっちも欲しいけど、男の子がいいなぁ。ダンテに似てる子」

「俺に似た子なら、きっと紫乃の取り合いで大変だぜ」

「あはは、毎日賑やかになりそうだね」

 そんなやりとりをしていると、紫乃の目がとろんとなってきた。ブランケットと、ダンテの体温でぽかぽか暖められたおかげで睡魔が訪れたようだ。

「どした、眠いか?」

「ん……ううん、まだ大丈夫……」

 首をゆっくりと横に振りながらも、紫乃の瞼は閉じられ、ダンテの身体に頭を預けている。何とか瞼を開けようと睡魔と闘っているが、うつらうつらと舟を漕いでいるので、そろそろ本格的に眠りの世界へ足を踏み入れそうだ。
 そんな紫乃のあどけない表情にダンテは思わず笑みをこぼし、彼女を抱き上げる。

「紫乃、ベッドに行こうか」

「まだ……ダンテとお喋り、するの……」

「ベッドの中でも喋れるさ」

 ダンテと喋りたいからまだここにいたい、なんて可愛らしい理由に、ダンテは愛しさがこみ上げてきた。
 ベッドに入ったら紫乃はきっとすぐに寝てしまうだろうが、ダンテはそれでも良いと思った。すやすや眠る彼女の頬や髪を撫でながら静かで穏やかな時間を過ごすのも楽しいだろう。
 ダンテは紫乃を抱えて二階のベッドルームへ上がった。


2013/08/09
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