第26話 仲裁


 昼食時の繁忙な時間帯を過ぎた平日の昼下がり、紫乃はカフェ『スピカ』を訪れていた。若い夫婦が経営しているオープンテラス席もあるカフェで、妻のリタに日本の味を取り入れたメニューを考案したいということで、紫乃が助っ人として呼ばれたのだ。
 紫乃はカウンター席に座り、夫のピーターが作ったいくつかの試作品を食べてみる。なかなか美味しい。

「味はどんな感じかな?」

「美味しいですよ。どれもこのままメニューに載せてもいいくらいです」

 それは素直な感想だった。
 ピーターとリタは以前日本旅行をしたことがあり、その時食べた日本食が忘れられなくて、今回メニューとして提供したいという。いろいろなものを食べた中で印象強く、またアメリカでも有名すぎないものとして、鶏の竜田揚げ、ハンバーグ、カレーなどを試作してみた。
 また、抹茶を使ったデザートも考案したいということで、紫乃は抹茶のアイスやティラミスなども食した。
 ただ、デザート以外の試作品はどれも味が濃いめのものばかりだ。日本人よりも味にメリハリのあるものを好むのだから、それは仕方のないことではあるが。

「特に竜田揚げがいいです。揚げたてのサクサクした食感が美味しいですよ。それに抹茶のティラミスも」

「ああ、良かった。味付けはアメリカ人向けにアレンジしたんだけど、日本人の君にそう言ってもらえて安心したよ」

 紫乃が試食している間、ずっと緊張した面持ちで感想を待っていたピーターが破顔した。

「それにしても、よくこれだけ日本の料理を覚えていましたね」

「この人、料理のことになったら夢中になるのよ」

 紫乃の隣に座っているリタが苦笑する。

「素敵な旦那さんですね」

「うふふ、ありがとう。そういうあなただって素敵な婚約者がいるじゃない」

「僕もあの時ちらっと見たんだけど、彼かっこよかったね」

「いつ結婚するの?」

 楽しそうに笑いながらリタが尋ねてきた。

「来年の六月です」

「まあ! ジューンブライドね!」

「実は僕達も六月に結婚したんだ」

「ねえ、もし良かったら、結婚式の時に何か貸してあげましょうか?」

 欧米の結婚式の習慣として『サムシング・フォー』というものがある。
 サムシングオールド──先祖代々伝わった、あるいは家族から譲られたアクセサリーなどの古いもの。
 サムシングニュー──結婚式当日に新調するものであれば何でも良い、白い新しいもの。
 サムシングボロウ──幸せな結婚生活を送っている友人や隣人からハンカチやアクセサリーを借りること。
 サムシングブルー──目立たない場所につける、聖母マリアのシンボルカラーである青。
 この四つを身につけると幸せになれるという。

「はい。結婚している友人がいないから助かります」

「うふふ、いいのよ。私も紫乃みたいな可愛い子に使ってもらえると嬉しいわ」

「リタは昔っから人の世話を焼くのが好きだね」

 ピーターが苦笑すると、リタが恥ずかしそうに頬を染めた。
 昔からということは、二人は小さい頃からの知り合いなのだろうか。そのことについて訊いてみれば、やはり二人は幼馴染みだったという。

「とてもお転婆な女の子でね。いつも僕がトラブルに巻き込まれていたんだ」

「ピ、ピーター! 昔のことは忘れてって言ったでしょ!」

 昔はおとなしかった少年とお転婆な少女が、今では優しい夫と人懐っこく明るい笑顔の妻になっている。
 妻を大切に思いながらもからかうピーターと、夫にかわれていじけるリタ。そんな二人を眺めていた紫乃は、何だかダンテと自分とに重なって見えて微笑ましい気持ちになった。

「そういえば、お店の名前って何か由来があるんですか?」

「リタが乙女座だからね」

 なるほど。
 乙女座の一等星はスピカなので、それを店名にしたのだという。

「他にも候補を出したのに、ピーターったら『絶対スピカにするんだ』って聞かないんだから……って、あら?」

 リタが何かに気付いたらしく、店の入り口の方を見た。どうしたのだろうと紫乃もそちらへ視線を移せば、見慣れた紅玉色の瞳の黒猫が店の外に座り込んでじっと店内を見つめていた。

「何処かのおうちの猫なのかな?」

「あ、うちの猫です」

「まあ、紫乃をお迎えにきたのかしら。賢い子ねぇ」

 時間を確認してみれば、来店して結構な時間が経っていることに気付いた紫乃は席を立つ。

「すみません、長居しちゃいました。そろそろ帰りますね」

「あ、ちょっと待ってくれるかな。良かったら竜田揚げとティラミス持って帰って食べてよ」

 ピーターが紫乃を引きとめると、リタが竜田揚げとティラミスを容器に詰めて紙袋に入れ、紫乃に差し出した。

「ありがとうございます。今晩いただきますね」

「今日の試作品は近いうちにメニューに加えるから、また今度食べにきてよ」

「彼にもよろしくね」

「はい!」

 紫乃は笑顔で見送るピーターとリタに手を振って店をあとにした。

 * * *

「マハ、どうしたの?」

「ダンテがうるさくてかなわん」

 マハと話すために紫乃はなるべく人の少ない路地を選んで事務所へ向かっていた。
 マハによれば、いつものように一階リビングのソファーの上で丸まっていると、ベッドルームから出てきたダンテが何度も話しかけてきたという。最初のうちは無視を決め込んでいたのだが、ダンテの一方的なトークは収まることはなく、仕舞いにはちょっかいまでかけてくる始末。
 このまま事務所にいればくつろぐこともままならないので、つい先日キッチンの勝手口に取り付けられたキャットドアから外に出てきたのだ。
 経緯を聞いた紫乃は、マハの苦労を理解しつつもダンテの言動に苦笑する。

「ダンテ、無視されるのは嫌いだからね」

「それならば最初から相手にしなければ良いだろうに」

 お喋りで皮肉屋のダンテと、無駄口は叩かず紫乃以外とはあまり進んで触れ合わないマハ。基本的に彼らの相性は良いとはいえない。それでも大きな諍いもなく暮らしているのは紫乃が間に立つからだ。
 何だか、反抗期の子供を持つ母親になったようだ、と紫乃は複雑な気分になった。
 ちなみにトリッシュとマハは、トリッシュ自身が猫のように気紛れでマハとはあっさりとした関係なので問題はない。そんなトリッシュは、今は旅に出ているので不在である。
 ふん、と鼻を鳴らすと、マハは紫乃の肩に飛び乗り、狐の襟巻よろしく彼女の首元に丸まった。

 どうしたものかと思いながら歩いているうちに事務所に到着した。扉を開けて中に入れば、ダンテがいつものように事務机に脚を乗せて雑誌を読んでいた。

「ただいま、ダンテ」

「おかえり」

「リタさんとピーターさんからおすそわけ貰ってきたよ」

 今晩のおかずが増えたことに喜んでいる紫乃を見たダンテは、彼女の肩──いや、首元にマハがいることに驚いて彼を見つめた。それに気付いたのか、マハがダンテをちらりと見たかと思えば紅玉の瞳をすっと細めた。まるで、紫乃に触れていることを自慢しているかのように。
 それが何だか気に喰わないダンテは椅子から離れて紫乃の背後に立つと、彼女に乗っているマハを両手で抱えて床に下ろした。

「む、何をする」

「もう乗らなくてもいいだろ」

 一人と一匹が冷戦状態に入っている間、紫乃は『スピカ』で貰った竜田揚げとティラミスを冷蔵庫に入れると、

「そこ、喧嘩しないの。お裁縫の続きしてくるね」

 と言って自分のベッドルームへ上がっていった。

「…………」

「…………」

 自分達にかまうことなく二階へ上がった紫乃を見上げて、ダンテとマハは互いに視線を交わしたのち、ため息をついた。これ以上競り合っていても無駄なことだ。そう悟るとマハはソファーの上で丸まり、ダンテは再び椅子に腰掛けて雑誌を読み始めた。
 一階に取り残された一人と一匹。マハは我関せずといった様子で静かに目を閉じていたが、ダンテとしては落ち着かない。冷戦を解除して十分もしないうちに椅子から立ち上がると、紫乃のベッドルームへ向かった。

 * * *

 紫乃はダンテ用の浴衣を作っていた。
 自室のテーブルの上に広げた大きな浴衣に針を通す。男性用の浴衣の反物を探してみたが、多くが黒や灰色、紺、白などといった配色ばかりで、ダンテの好む赤系がなかった。それでもようやく見つけたのが、この臙脂色の生地に芥子色の細い格子柄が織り込まれた反物だ。
 男性用の反物はシンプルな色や柄ばかりなのが普通である。今までは別段気にしたことはなかったが、今回ばかりはそのシンプルなデザインしかないことを少しだけ恨んだ。それでも近年、少し派手な柄の反物が増えてきているのだが。
 まあ、無事ダンテに似合う反物が見つかったので一安心したので、今こうやって寸法して裁断した生地を縫い合わせているのだ。
 ちくちくと縫っているとドアが数回ノックされ、ダンテが中に入ってきてベッドに腰掛けた。

「ダンテ、どうしたの?」

 紫乃は手を止めてダンテを見れば、彼が手招きをしてきた。小首を傾げながらも浴衣と針をテーブルの上に置いて彼のところへ向かえば、ぐいっと手を引っ張られて両腕で抱き締められ、そのままベッドへ倒れ込んだ。

「ダ、ダンテ? 何かあった?」

 ダンテが無言のままこんなことをするのは何か理由があるからだ。紫乃が幼子を諭すかのような優しい声で話しかければ、ダンテが首元に顔をうずめてきた。

「……ただの自己嫌悪だ」

 まさか紫乃の肩に乗り、まるで自分が優勢だというようなマハに嫉妬したなんて口が裂けても言えない。そんなしょうもないことで紫乃を困らせてはいけないのだが、あのまま一階で時間を過ごすよりは紫乃に触れて自分を落ち着かせたかった。
 そんなダンテがマハと何かあったのだと察した紫乃は、彼の背中に手を回してぽんぽんと軽く叩く。

「もう……二人とも仲良くしてくれないと困るわ」

 苦笑して小さくため息をつく紫乃の声はただただ優しかった。それでもダンテは顔を見られたくないのか、顔をうずめたまま動かない。

「あ、ねえねえ、リタさんがサムシングボロウ貸してくれるって」

 話題を変えると、ようやくダンテが顔を上げた。

「ああ……サムシングフォーか」

「うん。結婚してる友達とかがいないから助かったわ」

「そういえば、サムシングオールドはあるか?」

「探してみないとまだわからないけど、確かお母さんが使った真珠のネックレスが実家にあったと思う」

「そうか」

 ダンテはそう頷くと紫乃を解放した。

「浴衣、あとちょっとで完成するから待っててね」

「……ん」

 ごろりと仰向けになったダンテの頭を撫でてやれば、気持ち良さそうに目を閉じる。
 紫乃はベッドから離れてソファーに腰掛けると、中断していた裁縫を再開した。


 あれからどれくらいの時間が経過しただろうか。窓の外を見ると空がオレンジ色に染まり始めていた。二、三時間は過ぎたであろう。
 だが、そのおかげで浴衣は完成し、紫乃は針刺しに裁縫針を刺すと、浴衣を持ってベッドで寝転がったままのダンテのところへ行く。
 ダンテ、と声をかけようとしたが、やめた。寝息を立てていたからだ。仕事では向かうところ敵なしのダンテが、無防備にも居眠りをしている。殺伐とした仕事に身を置く彼の穏やかな寝顔に、紫乃は小さく笑むと先程と同じようにダンテの頭をそっと撫でた。シルクのような銀の髪が、サラサラとして気持ち良い。

「……紫乃」

 ダンテの髪の柔らかさを楽しんでいると彼が目を覚ました。

「俺、寝てたのか……」

「ぐっすりとね。浴衣出来たから、ちょっと袖通してもらえる?」

 ダンテはベッドから起きて立ち上がり、浴衣を受け取って袖を通した。日本人よりも長身で体格が良いので通常よりも使用する生地の面積が多く、サイズの大きな浴衣となった。だが、しっかりと寸法を測ったのでサイズは過不足もなくちょうど良い。

「すげぇ、こんなのよく作れるな。これなら洋服も作れるんじゃないか?」

「うーん、和服と洋服じゃ服の構造や縫い方なんかが違うんだけど……この際だから洋裁の勉強もしてみようかしら」

「紫乃なら出来るさ」

 これだけ細かい作業が得意なのだから、和服だけでなく洋服の裁縫も習得することが出来るだろう。お世辞ではなく心からそう思ったダンテが洋裁を勧めると、紫乃は嬉しそうにありがとうと笑い、今度洋裁の本を買ってこようと言った。

「ねえ、今晩何食べたい? 好きなもの作るよ」

 ダンテは浴衣を脱ぎながらしばらく考える。

「んー……ピザがいい。デリバリーじゃなくて、紫乃の作った奴」

「わかった。トマト多めに乗っけてあげるね」

 夕食時には紫乃の作ったピザは好評で、ダンテだけでなくマハもいつもより多く食べていた。
『スピカ』で貰った竜田揚げも人気で、紫乃も作ってくれとダンテに頼まれたほどだ。
 ただ、抹茶のティラミスは苦味があるせいでダンテには受けなかった。


2013/08/09

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