第23話 看病


 紫乃が寝込んでから丸一日が経過した。ダンテは何度か体温計で紫乃の体温を測っているのだが、由摩の言葉通り、紫乃の熱はなかなか下がらなかった。
 それでも一日経てば38℃を下回るまでになった。そのためか、最初より幾分楽になったようで、紫乃の容体は緩やかであるが落ち着きを見せていた。
 けれど、紫乃の意識はまだ戻らないので気が抜けないな、とダンテが何度目かの体温の計測を終えて体温計を手に取ろうとした時だった。

「……ん……」

 小さなものだったが、確かに紫乃の声が聞こえた。彼女の顔を覗き込めば、まぶたが微かに動いたのを確認出来た。

「紫乃!」

 名前を呼んでやればゆっくりとまぶたが開かれ、数回瞬きしたあとダンテを見上げる。

「……ダン……テ……? ここは……」

 何故ここで寝ているのだろう、と紫乃は考えたが、まだぼんやりとした頭は上手く働かない。

「昨日、高熱を出してレディがうちまで送ってくれたんだ」

 紫乃は昨夜の出来事の記憶の断片を拾い上げていく。そういえばデパートでレディと出会い、熱があるとか何とかでタクシーに乗せられた。
 その前は、雨の中傘をささずに街の中を歩いていた。
 さらにその前は、事務所を飛び出した。
 そう、確か、無理矢理迫ってきたダンテに恐怖を感じたから。
 ようやく全てを思い出したはいいものの、ダンテへの恐怖心も蘇ってしまった。身体が反射的に動き、ベッドから抜け出して彼とは反対側へ逃げる。だが、まだ熱は下がりきっていないため足はよろめき、バランスを失って倒れてしまいそうなところを、素早く反応したダンテに抱き止められた。

「紫乃……昨日はあんなことしてすまなかった」

 静かに、けれどいつもの軽さはなく、弱々しい声音でゆっくりと紡ぎ出されるのは謝罪の言葉。

「紫乃と仲良く喋ってる不良どもに嫉妬しててな……つまらない理由でお前に乱暴しちまって、本当に申し訳ない」

 アメジストの瞳はダンテには向けられていない。熱のせいもあるが、彼に対する恐怖心がまだ払拭しきれていないため視線をそらしている。

「……かった……」

「……?」

「怖かった……ダンテの目、冷たくて怖かった……」

 小さく震える声に、ダンテの胸は締め付けられた。自分の中では嫉妬心が燃え盛っていたのに、その表情は感情を読み取れないほど冷たいもので、紫乃を怯えさせてしまった。
 彼女を守らなければならないのに、何てことをしでかしたんだ、とダンテは激しく後悔した。

「俺が悪かった、すまない……」

 紫乃を抱き締めたダンテはただ謝ることしか出来なかった。
 一方、紫乃は戸惑いながらも、謝罪を繰り返すダンテに次第に恐怖心が薄れていくのを感じていた。軽口を叩くのが常で皮肉も交える普段の態度からは想像もつかないほど、今の彼は弱々しい。

「……もう、あんなことしない……?」

「ああ、絶対にしない。昨日、紫乃がいなくなって気付いたんだが……俺、お前がいないと駄目だ」

 職業柄、特定の相手と関係を持つことをしなかったのだが、紫乃と出会ってからというもの彼女に惹かれ、時間を共に過ごすことが当たり前となった。一度安寧を知ってしまえば、それと別れることなど考えられない。

「これからも俺に笑いかけてくれよ、darling」

「……うん」

 紫乃の顔を覗き込めば照れくさそうに笑い、ようやく紫の瞳がダンテへ向けられた。そのことに普段の調子を取り戻したダンテは紫乃に軽く口付けると、彼女を抱え上げてベッドへ戻す。

「まずは救急用品を揃えるとするか。由摩に聞いたところ、体調崩したら治るまで時間がかかるみたいだしな」

「……迷惑かけてごめ──」

「おっと、謝るのは無しだぜ。その代わりに早く治して、また美味いもん食わせてくれよ」

 紫乃は悪くないんだから、と言った時、ダンテの腹の虫が鳴った。

「あー……そういえば昨日から何も食ってねぇな。紫乃を看ていたくて忘れてた」

「ダンテ……」

 からから笑うダンテとは対照的に、紫乃はただ苦笑するしか出来なかった。食事も作れず、自分の看病で食事の時間も取れなかったのだと思うと心から笑えなかった。
 そんな紫乃の心情を察したダンテは、また謝ってしまいそうな彼女が口を開くより先に動く。

「レディがチキンスープを作ってくれたから、温めて持ってくる」

「うん。ダンテはピザのデリバリーをどうぞ」

「んー、いや、いい。冷蔵庫の中にあるもので済ませるさ」

「じゃあ、冷凍ピザがあるよ」

「OK、少し待っててくれ」

 もしもの時に冷凍食品はとても役に立つ。デリバリーのものよりも味の質は劣るかもしれないが、準備に時間がかかったり緊急時には大助かりなので、紫乃は前もって冷凍ピザを買い置きしておいたのだ。

「……あ、そういえばマハ……」

「…………やべ、忘れてた……」

 二人のことを気遣ってずっと一階のソファーにいたマハのことを、ダンテは思い出した。昨夜から何も食べていないので、おそらくマハも腹を空かせているだろう。

「マハもピザ食うよな?」

「うん、大丈夫だと思う」

「よし、準備してくるからちゃんとおとなしく寝てろよ」

「ん」

 紫乃の肩を軽く押して横にさせ、額にそっとキスを落とすと寝室から出て行った。

 * * *

「ほら、口開けて」

 温めたチキンスープをスプーンで掬ったダンテが、紫乃の口元へ運ぶ。しかし、まさかダンテがそんなことをするなんて思ってもみなかった紫乃は、恥ずかしくて口をしっかりと閉じたまま、スプーンとダンテを交互に見る。

「早くしないとスープが冷めちまうだろ」

「……自分で飲めるよ」

 そんなやりとりをしている二人のそばで、マハは冷凍ピザを頬張っていた。紫乃の手料理以外を食べるのは腑に落ちないが、今回ばかりは致し方ない。味気ない冷凍ピザでも空腹を満たせるのだから、文句を言わないでおこう。

「病人は病人らしく、看病する奴の言うこと聞いてればいいんだって。ほら」

 再度口を開けるよう促すが、紫乃はやはり開けようとしない。自分で飲みたいのでダンテの手からスプーンを取り上げようとするも、あっさりと阻止されてしまった。

「強情だねぇ」

「ダンテ、絶対今の状況楽しんでる!」

「……仕方ないな……」

 そう呟くと、ダンテはスプーンを引き戻し、掬ったスープを自分の口に含めてしまった。彼の行動を読み取れない紫乃が首を傾げていると、おもむろにダンテが腕を伸ばして後頭部に手を添え、唇を重ねてきた。
 突然の出来事に驚いているとダンテの舌が侵入して、紫乃の口腔内にスープが流し込まれる。このまま口の中に含んでいても仕方ないので、紫乃はスープを飲み下した。

「っ……何するの……」

「何って、紫乃がスープ飲んでくれねぇから口移し」

 けろりとした態度で答えるダンテに、紫乃は「なんて男だ」と心の中で慌てふためいた。
 ダンテとしてはスプーンで飲ませるより口移しの方が役得なのでまた実践しようとしたが、紫乃に阻まれてしまった。

「わー! 待って! わかった、スプーンで、スプーンがいい!」

 あたふたと動揺する紫乃に、口移しが出来なくなって残念だとダンテが笑った。
 再びスプーンで掬ったスープを紫乃の口元へ運んでやれば、今度は素直に口を開けて飲んでくれた。それでもまだ恥ずかしさは抜けておらず、ダンテを直視することなく視線は落としたままだった。
 だが、スープを飲んでくれればそれで構わない、とダンテは紫乃の口元にスープを運ぶ。

「そうだ。熱が下がったらいいものやるよ」

「いいもの?」

「その時になるまでのお楽しみだ」

 ダンテは含みを持った笑みを浮かべつつ、暖めた冷凍ピザを食べた。

 * * *

 紫乃が寝込んでから二日目の夜。
 体温を測れば37℃まで下がっていた。

「だいぶ下がったな」

 最初は39℃を超えていたというから、ここまで下がれば安心出来る範囲だ。
 体温を測っている間、紫乃は手持ち無沙汰だったので、ベッドの上で丸くなったマハを撫でながらレディ宛てのメールを作成していた。内容はもちろん、事務所へ送ってくれたことやスープを作ってくれたこと、熱もだいぶ下がったことについて。

 −−−−−−−

Sub:連絡遅くなってごめんね
Text:
一昨日は事務所まで送ってくれてありがとう。
熱もだいぶ下がって、チキンスープも美味しかったよ。
お薬や体温計を買ってきてくれたってダンテから聞いたよ。
今度タクシー代やお薬のお金渡すね。
ダンテとはちゃんと仲直りしたよ。
ずっと看病してくれてるんだけど、何だか過保護なくらいに世話してきて、スープ飲む時なんかダンテが飲ませてくれるんだよ。
子供じゃないのに……
それじゃあ、またね。

 −−−−−−−

 返信はすぐにあり、メールボックスを開ける。

 −−−−−−−

Sub:気にしないで
Text:
熱は下がったのね、安心したわ。
看病をダンテだけに任せるのはちょっと心配だったんだけど、その様子だと大丈夫そうね。
戦い以外じゃ全く役に立たない人だから紫乃も大変でしょうけど、普段怠けてるんだし、この際思いっきりコキ使いなさい。
あのダンテが食事の面倒までみてるなんて想像もつかないわね……
でも、それほど大事にされてるってことよ。
あと、お金の件ならたいした額じゃないから心配しなくていいの。
ちゃんと治してくれるのが一番のお返しになるんだから。
おやすみなさい、良い夢を。

 −−−−−−−

 レディからの返信に、紫乃は思わずくすりと微笑んだ。ダンテに対する評価がわずかに辛辣であったり、働かせろと書かれてあったり。
 レディらしい内容だと思っていると、不思議に思ったダンテも携帯電話の画面を覗き込んできた。

「レディからの返信か? 何て書いてるんだ?」

「『戦い以外じゃ全く役に立たない人』とか『普段怠けてるんだし、この際思いっきりコキ使いなさい』とか」

「うわひでぇ」

「レディは人を見る目があるではないか」

 ドライな性格でサバサバとした言動のレディのことだ、ある程度の文言は覚悟していた。確かに他人に自慢出来るような私生活ではないし、仕事の依頼が入るまでダラダラ怠けているが、実際それを指摘され文章にまでされると結構きついものがある。
 そんなダンテを、マハがくつくつと喉の奥で笑った。

「でも、ダンテから大事にされてるってわかってるみたい」

「紫乃のためなら火の中水の中、何処へだって飛び込むさ」

 照れくさそうに紫乃が笑えば、ダンテも笑みをこぼす。

「今晩寝たら、明日には治りそうだな」

「うん、たぶん大丈夫だと思う。ダンテ、ありがとう。つきっきりで疲れてるでしょ」

「全然。むしろ紫乃とずっと一緒にいられて良かった」

「マハにも迷惑かけてごめんね。治ったら美味しいごはん作ってあげる」

「うむ、楽しみにしているぞ」

「それじゃ、今夜も早めに寝た方がいいな」

 椅子から立ち上がり、おやすみ、と紫乃の額にキスを落とそうとしたダンテを紫乃が待ってと声をかけて止めた。

「今晩……一緒に寝てくれる?」

 これは、熱のせいなのだろうか。自分から誘うことのなかった紫乃が、一緒に寝て欲しいと訴えかけている。もちろんまだ熱が下がりきっていないので手を出すつもりはないが、純粋に甘えてきた彼女のお願いを無下にすることなど出来なかった。
 ダンテはにんまり笑うと紫乃の背中と膝裏に手をかけて抱きかかえる。
紫乃のベッドより、自分のベッドの方が大きくゆったりと休めるからだ。

「OK, My darling」

 二人で寝れば、その分一人当たりのスペースは狭くなってしまうが、元々が大きいサイズなのだからさしたる問題はない。
 それよりも、彼女の心地よい暖かさに包まれながらまどろもう、とダンテは自分の寝室へと向かった。
 二人を見送ったマハは定位置となった場所──リビングのソファーへ移動し、眠ることにした。


2013/07/19

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