第22話 謝罪と後悔


『Devil May Cry』を飛び出した紫乃は、ただひたすら走り続けていた。スラム街にいてはどうしてもダンテのことを思い出してしまうので、足が自然と街中へ向かった。
 夕食時の街は、外食目当てに飲食店のメニューを見て回る人達や、仕事帰りの社会人が行き交っているので速度は緩くなり、人の波に逆らうように徒歩へと変わる。
 土砂降りの雨のせいで通常よりも人通りの少ないストリートをとぼとぼ歩いていると、周囲からの視線が痛いほど突き刺さってくる。そういえば傘もささずに歩いていた、と改めて気付いた。
 紫乃は人目を避けるため、建物と建物の間の路地に一時避難する。

「……っ」

 スラム街を離れれば良いと思っていたのに、立ち止まっただけでダンテのことを思い出してしまい、涙が溢れてくる。
 今まで見たことのない、感情の読み取れない冷徹なアイスブルー。紫乃の気持ちを無視した強引な行為。愛情の全くない行動にただただ恐怖を覚え、身体も心もダンテを拒絶した。先程の無理強いを思い出すだけで身体が硬直し、心が悲鳴をあげる。
 とにかく、今はこの場所から離れたかった。
 紫乃は再び歩き出すと路地から抜け出し、雑踏に紛れて街中を歩いたあと、近くにある商業ビルの中に入っていった。目的などない。ただ何となく入ったに過ぎない。雨に濡れているとはいえ夏の気温は高く、涼みたいという気持ちもあったかもしれない。
 やはりずぶ濡れだと周囲の客がギョッとした顔で紫乃を見るが、それに構うことなく店内に入り、休憩場所となっている広いスペースに設置されたベンチにすとんと腰掛ける。
 アパレル関連や雑貨のテナントが数多く出店している一階フロアには友人や家族連れ、カップルなど様々な人で賑わっている。夕食時を過ぎていたため胃が空腹を訴えるが食欲などわくはずもなく、紫乃は呆然とした様子で顔を俯かせた。


 それからどれほど時間が経っただろう視界がぐらぐら揺れて、頭は靄がかかったようにぼんやりとして、まともな思考が出来ない。そんな紫乃の元に一人の人間が近寄ってきて立ち止まった。

「紫乃? こんなところで何してるのよ?」

 女性の声だ。それにしても聞いたことのある声だ、とぼんやりとした頭で考えながら顔を上げると、やはり彼女は見知った人物だった。

「……レディ……?」

 目の前で、サングラスをかけ、袖を肘あたりのカフスで止めた夏らしいイエローライムに薄いドット柄のシルクブラウスと、白いパンツ姿のレディが紫乃を見下ろしていた。
 デビルハントには欠かすことの出来ないカリーナ=アンはさすがに店内には持ち込んでおらず、代わりにアパレルショップの紙袋を手に提げている。どうやら仕事ではなく、ショッピングをしているようだった。

「ちょっと、ずぶ濡れじゃない。どうしたのよ?」

 レディがショッピングを楽しんでいると紫乃の姿を見つけた。この時間帯に一人でいることをおかしく思い、まだショッピングの途中であったがすぐに紫乃のところへ来てみれば、ずぶ濡れであることに驚いた。
 レディを見上げる紫乃の表情は虚ろで生気が感じられなかった。ぼんやりとした様子の紫乃を不審に思ったレディは、紫乃の額に手を当ててみた。濡れた身体を拭きもせず、冷房の効いた店内にいたのなら──
 そう考えた予想は外れて欲しかったのに、嫌なものほどよく当たる。

「やだ、すごい熱!」

 手が冷房で冷えているせいもあるが、それを差し引いても紫乃の額は熱かった。レディは携帯電話を取り出すと、電話帳から『Devil May Cry』の番号を選択する。

「すぐ事務所に戻るわよ。ダンテに連絡するから」

 それまでぐったりしていた紫乃がダンテの名を聞いた途端、再び顔を上げてふるふると力なく首を横に振る。

「ダンテは、だめ……」

「駄目って……私の家よりダンテのところの方が近いでしょ」

 あれほど見ている方がうんざりするほどダンテと仲睦まじかった紫乃が彼は嫌だと言っていることを疑問に思いながらも、レディはそのまま発信ボタンを押した。
 早く出てくれればいいんだけど。あのぐうたら男は何コールで出るか考えていると、一コール目が終わる前に繋がった。

≪デビルメイクライ!≫

 焦りを感じる声はダンテのものだった。やはり二人の間に何かあったのだと察しつつ、レディは手短に現状を報告する。

「ダンテ、レディよ。いい? 落ち着いて聞いて。今、デパートにいるんだけど、紫乃がすごい熱なの。すぐにそちらに送るから、バスタオルと着替えの用意をお願い」

≪あ、ああ……わかった≫

 レディはダンテの返事を確認するとすぐに通話を切り、紫乃をベンチから立ち上がらせる。

「……レディ……」

「事務所に戻りたくないっていうのは聞かないわ。喧嘩でもしたんでしょうけど、今は事務所でしっかり休まないと許さないわよ」

 この場から動くことを拒否しようとした紫乃だったが、熱で身体に上手く力が入らない。そのままレディに支えられて店外に出ると、近くに停車中のタクシーに乗り込む。

「ちょっと待っててもらえるかしら? すぐ戻るから」

 運転手にそう言って、レディはタクシー乗り場から離れてすぐ近くのドラッグストアへ入った。どうせあの事務所には救急用品なんて置いてないだろう。レディは薬や体温計などを購入すると足早にタクシーに戻って発車させ、『Devil May Cry』へと向かわせた。

 * * *

 レディからの連絡を受けたあと、ダンテはキッチンに放置されていた紫乃の携帯電話の画面を見下ろしていた。由摩と対面を済ませてからは、もしもダンテが由摩と連絡を取る日が来た時に困らないようにと、紫乃が由摩の名前をローマ字で電話帳に追加登録している。
 そのため、着信履歴画面には日本語で由摩と書かれた下部に彼女の名前がローマ字で表示されているためダンテにも由摩だとわかり、発信ボタンをすぐに押せた。
 コール音が五回ほど鳴ったあと、由摩の声が聞こえてきた。

≪もしもし、紫乃? 由摩よ≫

 日本語で応対してくる由摩にほんの少し笑みがこぼれる。紫乃の携帯電話で発信しているので、向こうの携帯電話には紫乃の名前が表示されているのだ。
紫乃からの着信だと思っているので、自分は紫乃ではなくダンテなのだと告げる。

「Hey. I'm Dante.」

≪あっ、ダンテだったの? びっくりしたー、どうしたの? 紫乃は元気にしてる?≫

 電話の相手が紫乃ではなくダンテだと知ると、由摩は喋る言語を日本語から英語へとすぐに切り替える。由摩は以前、紫乃からメールで「ダンテにも由摩の連絡先教えてあるから電話かかってくるかも」とあったのを思い出した。

「あー、ちょっとそのことで聞きたいことがあってな……」

 言葉を濁すダンテに、紫乃に何かあったのだと感付いた由摩の声のトーンがやや下がる。

≪ダンテ、どうしたの?≫

「紫乃ってさ、体調崩しやすかったりするか?」

≪え? あ、そうねぇ……季節の変わり目は要注意だよ。それに、一度体調崩したら治るまでが厄介かな。時間かかっちゃうのよ≫

 由摩の話によると、やはり父親からの遺伝で体調を崩すと寝込んでしまうらしい。

≪もしかして紫乃、何処か悪いの?≫

「熱が酷いんだ」

≪そう……昔にも高熱出たことがあってね。寒いから厚着させてあげて。それか、毛布で暖かくしたりね。このあとも電話でサポートしたいんだけど、まだ仕事の途中だし……ダンテ、紫乃のそばにいてあげてね≫

「ああ……もちろんだ。仕事中にすまない」

 そう返事をしてダンテが通話を切った時、玄関口の扉が開いてレディが飛び込むように入ってきた。

「ダンテ! ああ、良かった、タクシーに紫乃がいるの」

 すぐに外に出てタクシーの中を見てみれば、座席にぐったりと身体を横たわらせている紫乃がいた。
 ああ、彼女をこんな状態にさせてしまったのは自分だ。
 罪悪感にさいなまれながら紫乃の身体を抱き起こしてタクシーから降ろしてやれば、雨と冷房で冷え切った身体にぞくりとした。その間、レディは運転手に運賃、それと多めのチップを渡してタクシーに別れを告げる。

 紫乃を抱きかかえたダンテは事務所二階の彼女の寝室へ直行する。ベッドへ寝かせたところに、近くのテーブルに用意してあったバスタオルをレディが手に取る。それを見つめていると、

「濡れた服脱がせて早く拭いてあげないと。薬も飲ませるから、あなたは水の用意をお願い」

 戸惑いながらも了解の意を告げると、ダンテは寝室から出て行った。
 彼自身肉体が強靭であるため、病気の経験なんてほとんどないのだろう。紫乃を助けたいと思っても、何をしたら良いのかわからないからレディの指示を素直に聞き入れたのだ。
 戦闘以外では全くもって役に立たない男だ。呆れて小さくため息をつくと、レディは紫乃の濡れた衣服を脱がし、バスタオルで身体を拭いていった。



 紫乃をパジャマに着替えさせて、購入してきた錠剤を一回分取り出し紫乃に飲ませた。体温計で体温を測ってみれば39℃を軽く超していた。
 このあと、紫乃がいつ食事が出来てもいいようにチキンスープを作っておこうと思い立ち、レディはダンテにキッチンを借りると断りを入れ、キッチンに向かった。
 普段紫乃が使用しているキッチンは、一般家庭のものよりは少々手狭だが掃除が行き届いており、調味料などのこまごまとした容器も一箇所にまとめられているため、とても綺麗で使いやすい。冷蔵庫にある食材や調味料を取り出したレディは、必要な分量だけを取り分け、調理を進めた。
 やがてチキンスープを作り終えて再び紫乃の寝室へ行けば、ダンテが椅子に腰掛けてじっと彼女の寝顔を見つめていた。入室してきたレディを振り向くことはせず、喧嘩でもしたのかと尋ねてみても、ダンテは何も話そうとしない。余程心配しているのだろう。
 チキンスープを作るためにキッチンへ入る際、リビングにマハがいたので事情を聞こうとしたが、彼も詳しくは知らないという。ただ、買い物から戻ってきた二人が何か言い争いをし、直後に紫乃が事務所を飛び出した、とだけ説明を受けた。

「あの紫乃が事務所を飛び出してずぶ濡れになってたのにはびっくりしたわよ。あなた達に何があったかまでは詮索しないけど……彼女をこれ以上追い詰めないでちょうだい」

「……すまねぇ……」

 レディに謝っているのか、それとも紫乃に謝っているのか。おそらく後者なのだろうとレディは思った。
 これ以上湿っぽくなるのは好まないので、「さてと」と話題を切り替える。

「ダンテも濡れたままじゃない。シャワーでも浴びてきたらどう? その間、私が看ておくから」

 紫乃を捜すため彼も雨の中走り回ったようで、柔らかな銀の髪は濡れてぺったりと肌に張り付き、水を吸って少し重みを増した服は軽やかな印象を捨て去っている。だが、そんなレディの言葉にダンテは数回首を横に振った。

「いや、いい。俺が看るからレディは戻っていいぞ」

 レディとしては、ダンテの看病だけでは心許なく一緒に看ていたかったが、「頼む」と弱々しい彼の声を聞いては立ち去るほかなかった。まるで、紫乃をこんな状態に追い込んだのは自分だから、自分で看病をする責任がある、とでも言うかのようだった。

「……わかったわ。でも、何かあったらすぐに連絡してちょうだい。しばらくは仕事の予定もないから」

 そう言って、レディは『Devil May Cry』をあとにした。

 * * *

 レディがいなくなった寝室で、ダンテは紫乃の手を取り、両手で握り締める。雨で冷たくなったその肌は、まるでそのまま彼女が自分を置いて消えてしまいそうで怖かった。

「紫乃……」

 この世に血の繋がった肉親がいないダンテにとって、紫乃は同じ境遇であり、同じ存在であり、そしてこれからの人生を共に歩んでいきたいと思える相手だ。
 だから、また綺麗なアメジストの双眸を俺に向けてくれ。

「早く目を覚ましてくれよ……」

 デビルハンターという特殊な仕事柄、独り身でいる方が何かと気楽で暮らしやすいと思っていたのに、紫乃と出会ってからは独りでいることを苦痛に感じてきた。

「……もう、独りは嫌なんだ……」

 お願いだ。また俺の名前を呼んでくれよ。花が咲いたような笑顔を見せてくれよ。
 お願いだ、

「謝らせて、くれ……」


2013/07/14

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