第19話 母国の友人
マンモンとの戦いを終えて一夜が明けた。
目を覚ました紫乃の視界に飛び込んできたのは、ダンテの裸身だった。彼のがっしりとした腕を枕に寝ていたようで、すやすやと寝息を立てているダンテの寝顔が間近にある。
カーテンからもれる日の光が銀糸を照らし、柔らかな輝きを生み出している。それに見惚れた紫乃は手を伸ばしてダンテの髪に触れてみた。見た目通りの柔らかい髪質はもっと触っていたくなるほどの感触で、再び触ってみようとしたところ、
「もっと撫でてくれるのか?」
目覚めたダンテが期待を込めた目で紫乃を見つめてきた。
「あ……おはよう、ダンテ」
「おはよう、紫乃」
伸ばした手を引っ込めると、ダンテがぱちくりと瞬きする。
「撫でてくれねぇのか? 残念だな」
そう言うと、ダンテは上半身を起こして紫乃に軽いキスをする。
ダンテが覆いかぶさった時、紫乃は気付いた。自分達は何も身に着けておらず、素肌同士が触れていることに。そのことに気付いて当惑すると、ダンテは面白そうに笑みを浮かべた。
「昨夜は楽しかったな。腰は大丈夫か?」
「えっ……あ、うん……」
夜の出来事を思い出して紫乃の顔が赤く染まる。可愛いねぇ、と笑うダンテから逃げるように紫乃はベッドから抜け出して、床に脱ぎ捨てられた自分の衣服を拾い上げる。
「ご、ごはん作ってくる!」
ダンテに背を向けたままそう告げると、紫乃は小走りで寝室を出て行った。パタパタという足音が遠ざかっていくのを聞きながらダンテは苦笑を漏らし、ナイトテーブルに置いた一本の糸をちらりと見やる。
白い糸に黒いマジックで印が付けられたそれは、あるものの長さを測ったものだ。早速今日にでも実行に移せそうだ、と満足気な笑みを浮かべると、朝食のためにベッドから出るのだった。
* * *
「……忘れてた……」
朝食を終えて掃除も済ませて一息ついていた紫乃が何かを思い出して呟いた。
手近にあった漫画を読んでいたダンテが顔を上げると、紫乃は『ゲート』を出現させて何処かに向かい、しばらくすると戻ってきた。その手には携帯電話が握られている。
「どうしたんだ?」
ダンテが呼びかけても、紫乃は携帯電話の画面に視線を落としたままで反応しない。それでも再度呼びかけるとゆっくりと顔を上げる。
が、その表情は困り果てたような、それでいてオロオロと動揺しているような……とにかく、何とかしてやらないと。
ダンテは紫乃のところへ歩み寄り、携帯電話の画面を覗き込む。着信履歴が表示されており、何件も同じ相手からの履歴が連続している。ただ、日本語がわからないダンテには漢字が記号に見えていて誰かまではわからない。
しかし、名前が表示されているあたり、紫乃の知り合いなのだろう。
「知り合いか?」
「友達……」
「友達なら困る必要ねぇだろ。早く連絡してやりな」
ダンテがいつもの調子で軽く答えてやるが、紫乃は困惑した表情を崩さず「うう……」と唸る。しかし、なかなか発信しない紫乃に痺れを切らしたダンテは携帯電話を取り上げてしまった。
「え、あ、ちょっと!」
「んー、携帯なんて使わねぇし英語じゃないからわからんが……発信はこれか?」
紫乃が手を伸ばして取り返そうと背伸びするが、身長ではかなわないので徒労に終わる。
表示されている文字が日本語なのでよくわからないが、それらしいボタンを押すと発信しているような画面に切り替わった。そのまま耳に当てると、プルルルル、と呼び出し音が鳴る。ほどなくして相手が出て、ダンテが呼びかけようとすると、
≪紫乃! 紫乃ね!? やっと繋がったぁ!≫
耳元で叫ばれたので、ダンテは思わず顔をしかめた。
「Hello?」
≪……ん? 紫乃じゃないの? あなた誰?≫
声から察するに、どうやら相手は女性だ。
「Can you speak English?」
≪へっ? あ、うん、Yes≫
相手が英語を話せるとわかると、ダンテは話を進めることにした。
「OK。俺はダンテだ。あんたは紫乃の友達だな?」
≪ええ、あたしは由摩……っていうか、どうして紫乃のこと知ってるの? 紫乃はそこにいるの? あなた、紫乃とどういう関係なの?≫
「質問の多いお嬢ちゃんだな。まあ落ち着けよ。まず、俺は紫乃と知り合いだ。次に、紫乃は俺の隣にいる。んで最後、俺と紫乃は恋人同士だ」
恋人同士。突然出てきた言葉に由摩はたっぷり五秒沈黙したあと、
≪はぁぁぁぁぁぁぁぁ!?≫
絶叫した。耳元で大声を出されたダンテは思わず携帯電話を耳から離す。
≪ちょっとどういうことなの!? 紫乃と代わって!≫
「……交代」
半ば怒ったような甲高い声でそう叫ばれると、さすがのダンテもうんざりしたようで、紫乃に携帯電話を差し出した。
「由摩……」
携帯電話を受け取った紫乃がおずおずと相手の名前を呼べば、叫びはぴたりとやんだ。
≪紫乃、あたし今自宅にいるから繋いで。直接話したい≫
先程よりも落ち着いた、けれど有無を言わせない意志の固さを感じさせる由摩の声に、紫乃は頷くと『ゲート』を出現させる。すぐに現れたのは紫乃と同じ年頃の女性だった。栗色の柔らかな色合いの短髪に、活発そうな格好をしている。
『え、何ここ、日本……じゃないわよね?』
事務所内をキョロキョロと見渡しながら由摩が日本語で話しかけてきたので、紫乃も日本語で返答する。
『うん、アメリカ』
『二週間以上も連絡がないんだもん、心配してたんだから!』
『ごめんね……』
目の前で交わされる会話に、ダンテはついていけなかった。日本語がわからないのだから当然なのだが、どうしても自分を無視されているような感覚がぬぐえない。
他人に認識してもらえないまま話を進められるのは好まない性分なので、ダンテは二人の会話に割り込むことにした。
「なあ、一体どういうことなんだ?」
紫乃と由摩がダンテへ振り向いた。ようやく自分に意識が向けられたことに満足したのも束の間、由摩が再び噛み付くような質問を浴びせてくる。
「『どういうこと』ですって? それはこちらが聞きたいわよ。紫乃が仕事辞めたって聞いたから携帯に連絡入れても全然繋がらないし、やっと電話があったと思ったらアメリカにいるし、おまけに恋人? いきなりすぎてわけわかんないわよ!」
「お……落ち着けって。な?」
ダンテは、自分よりも小柄な女性の気迫に圧されて一歩後ずさる。会話に割り込むんじゃなかった、と本気で後悔した。自分だけでは由摩を静かにさせることが出来ないと判断すると、助けてくれと目で紫乃に助力を求める。
紫乃もこのままだとダンテが可哀想だと思い、落ち着いた声で由摩の名を呼んだ。
「由摩、とりあえず座りましょう。ちゃんと話すから」
赤い革張りのソファーに、ダンテ、紫乃、由摩が並んで腰掛けた。
「とりあえず、連絡がつかなくなった二週間前から順に話してちょうだい」
由摩が話を切り出すが、ちょっと待ってくれとダンテが再び会話を止めた。
「あんたは何で普通に『ゲート』を通ってきたんだ?」
「『あんた』じゃないわ。由摩っていう名前があるの」
どこか棘のある言い方の由摩に、ダンテは「すまねぇな、つい」と苦笑する。
「『ゲート』のこと知ってるってことは……」
由摩が注意深くダンテを観察する。どうしてこの男は『ゲート』のことを知っているのだろう。紫乃が彼に話したのか、と勘ぐっていると、紫乃が事実を打ち明けた。
「ダンテも半魔なの」
「ええ!? 紫乃以外にもいたんだ……」
「由摩は紫乃が半魔ってこと知ってるのか」
悪魔のことについて知っているのかとダンテが拍子抜けした顔になると、もちろんよ、と由摩が肯定した。
それから由摩は、紫乃と共にダンテに自分達のことについて話し始めた。
紫乃と由摩は小学校からずっと同じ学校だった。
紫乃は慎ましく穏やかな性格。由摩は勝気で活発な性格。
まるで正反対の性格であるが不思議と気が合い、いろいろなことを相談し合う親友となるまで、そんなに時間はかからなかった。
紫乃が半分悪魔だと知らされたのは高校時代、会話の中で悪魔についての話題が持ち上がった時だ。今までに見たことのない神妙な面持ちで打ち明けられたのが、「自分は人間じゃない」という言葉だった。
最初は信じられなかったが、空間を繋いでみたり、実際に移動したりといった異能を見せられた。そして、何よりも決定打を与えたものは、紫乃が悪魔の姿に変じたことだ。
「初めて打ち明けられた時はびっくりしたなぁ」
「私も同じ。打ち明けておいてあれだけど、まさか信じてもらえて、その上嫌われなかったことがびっくりだよ」
「紫乃は紫乃。私の大事な友達だから、悪魔だなんて関係ない」
過去を思い出して語り合う二人を見て、ダンテは目を細めた。紫乃は由摩を信じて秘密を打ち明け、由摩は自分とは違う存在を認めた。関係が崩れるどころか、絆が深まっている二人の相性はとても良いものだった。
「これで、あたしと紫乃のことについてはわかってもらえた?」
「ああ」
「じゃあ、次はあたしの番。あの悪魔が二週間、日本で紫乃を襲ってからのことを教えてちょうだい」
二週間前というのは、紫乃が悪魔──マンモンに襲われた時のことだ。
ふとダンテは廃ビルでの出来事を思い出した。あの時、マンモンが紫乃と一緒にいた人間の女のことについて喋っていた。
「なあ由摩、紫乃が悪魔に襲われた時に一緒にいたか?」
「ええ、いたわ」
何故そのようなことを尋ねてきたのだろうと由摩は首を傾げたが、ダンテはそれ以上確認事項について何も言わなかった。
マンモンが由摩のことを貶し、彼女を先に喰えば良かったと笑うと、紫乃が一瞬でマンモンの腕を斬り落としていた。あの時は紫乃の動きに驚いたが、これで合点がいく。大切な親友を嘲笑ったマンモンに怒り、目にもとまらぬ速さで短刀でマンモンの腕を斬り落としたのだろう。
紫乃は由摩に二週間前の出来事を順を追って話すことにした。
悪魔に襲われたあとは仕事を辞め、すぐに悪魔を追ってアメリカへ向かい、悪魔が潜んでいたこの街でダンテと出会った。事務所の掃除や食事の用意をすると、ダンテの提案で事務所の家政婦として働くことになり、同時にここで寝泊りをしていた。
つい二日ほど前にダンテと恋人となり、昨夜悪魔を無事倒したことも話した。その証として、紫乃は自分の右腕の袖を捲り上げて由摩に見せる。
「赤い石がない……本当に、倒せたんだね」
由摩は、まるで自分のことのようにホッと胸を撫で下ろし、紫乃を挟んで隣に座るダンテへと向き直る。
「ダンテ、って言ったかしら……紫乃を救ってくれてありがとう」
揺らぐことのない黒い瞳が、ダンテをまっすぐ見つめてきた。その双眸は、親友の命を救ってくれたことを心から感謝しているものであった。
改まった態度はらしくない、とダンテは軽口を言おうと口を開いたが、由摩自身が遮った。
「……ところで、紫乃の恋人になったっていうのは本当なのかしら?」
「もちろん本当だ。昨夜なんかは……なあ?」
にやりとダンテが横目で紫乃を見れば、紫乃は恥ずかしそうに目をそらす。そんなやりとりをする二人を見て、どうやら本当のようだと由摩は軽くため息をついた。
「はあ……こんな短い間に紫乃に悪い虫がくっついちゃった……」
「どういう意味だよ」
「放っておくと紫乃に男が言い寄ってくるから、それを追い払うのが私の役目だったのに」
詳しく話を聞けば、紫乃の整った顔立ちや性格を気に入った男が何人も言い寄ってきたが、そのたびに由摩が男を追い払ってきたという。
「悪いが、俺は紫乃と離れる気はねぇからな」
そう言って、ダンテは紫乃の肩に腕をまわして自分の方へ抱き寄せた。やはり紫乃は頬を赤く染める。
だが、恥ずかしそうにしながらも幸せそうな笑顔の紫乃を見て、由摩は首を横に振った。
「こんなに幸せそうにしてる紫乃を見たら、そんなこと出来ないわ……ダンテ、紫乃を幸せにしてあげてね」
「ああ」
「由摩、連絡つかなくてごめんね。家にもほとんど戻ってなかったから、携帯のことすっかり忘れてた……」
「もういいわよ。紫乃が無事だったんだから」
幸せな笑顔を見てしまうと、先程まで連絡が取れないと怒っていたことなんてどうでもよく思えてしまう。
「あーあ、彼氏かぁ……紫乃に先を越されちゃったなぁ」
「俺よりいい男なんてそうそういねぇぞ」
「う……ダンテのレベルが遥かに高すぎて否定出来ない……」
そう呟いた由摩に、ダンテと紫乃は笑い合うのだった。
その後、一緒に食事でもどうかと由摩を誘ったのだが、翌日も仕事なのでまた今度と断られた。そういえば、アメリカと日本では大きな時差があることを紫乃は失念していた。二週間ですっかりアメリカ住まいが定着してしまったようだ。
『ゲート』を通って自宅へ戻った由摩を見送った紫乃は、朝食を作るためキッチンへと向かうのだった。
2013/06/24
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