第18話 戦いの結末
囮作戦を実行する当日になった。
紫乃があらかじめ廃ビルに魔力で二重の亜空間を作り出して、外側の空間にダンテ、トリッシュ、レディを待機させ、内側の空間にマンモンを誘い込んだら彼らを内側に突入させるという作戦だ。
紫乃はマンモンとの戦いの場所として、『Devil May Cry』から離れた大きなビルを選んだ。廃墟となったそこは昼間でも人がおらず、悪魔と戦うにはもってこいの場所である。
「じゃあ、先に行って待ってるからな」
事務所でダンテは紫乃にそう言って、触れるだけのキスを交わした。
ダンテはいつものリベリオンとエボニー&アイボリーを、トリッシュはルーチェ&オンブラを、レディはカリーナ=アンを携えている。彼らには先に『ゲート』を通じて廃ビルに向かってもらうのだ。
なお、マハは紫乃に同行することになった。廃ビルまでの道中、マンモンが襲ってこないように牽制するためである。
「うん、私とマハもすぐ行くから」
紫乃が頷いたのを確認すると、ダンテはトリッシュとレディらと共に『ゲート』へ足を踏み入れた。
デビルハンターの三人がいなくなった事務所に静寂が訪れる。
姿を見せないマンモンをおびきだす方法としていくつか考えた中で最も有効だと思ったのは、血の臭い。マンモンだけでなく他の下級悪魔も釣れそうな気はするが、これが最も有効な手段であろう。
紫乃は手に持っていた守り刀を鞘から抜き、左手の人差し指の先に刃を当てる。
少し力を込めれば、確かな痛みと共に赤い生命の源が滲み出た。
「行きましょう、マハ」
紫乃は事務所を出て、目的地へ足を向けた。しばらく歩けばマンモンの気配を察知した。マハの存在に注意しているためか、少し距離を取っているようだ。
やはりマンモン以外にも、他の悪魔も混じっていることに気付いた。マンモンが引き連れてきたのか、ただ単に血の臭いに誘われたのか。マンモンがいるのならどちらでも構わない。
「ねえ、マンモン、今夜決着をつけましょう。このままじゃ、私もあなたも少ない魔力で苦しむだけよ」
紫乃は足を止めると、周囲を見回すことはせずに言い放つ。
「ただ、外で戦えば被害が出るから、戦う場所は用意しているわ。そこで存分に戦いましょう」
マンモンからの返答はないが、紫乃は構うことなく再び歩き出した。やがて目的の廃ビルが見えてくると、紫乃の口元は自然と引き締まった。
* * *
「マジックミラーみたいなもんか」
一足先に廃ビルへ向かった三人は不思議な感覚だった。紫乃の話では、内側からは見えないが、外側からは内側が見えるという。
さらに、内側からは外側にいる存在の気配や魔力などは一切感知出来ないらしいのだ。だから、マンモンには空間が二重になっていることも気付かれないし、ダンテ達の存在にも気付かれない。
「自分で空間作れちゃうなんて……ダンテと喧嘩したら閉じこもれちゃうわね」
「あ、逆にダンテを閉じ込めちゃうんじゃない?」
トリッシュとレディが意地悪な笑みを浮かべれば、ダンテの顔が引きつった。
「おいおい、マジで勘弁してくれよ」
紫乃と喧嘩するなんて想像出来ないし、想像したくもない。
そんな会話をしていると、廃ビルの入り口から紫乃とマハがやって来た。紫乃の右手には守り刀が握られている。
「……?」
わずかな血の臭いに、ダンテが反応した。悪魔のような濁ったものではなく、純粋な血液の臭いだ。紫乃を注視してみれば、彼女の左手の指先を滴り落ちるものが確認出来た。
廃ビルへ移動する前、どうやってマンモンをおびきだすかを聞いてみたが、考えがあると言って曖昧に話題をはぐらかされたのをダンテは思い出す。どうやら、その考えというのが自分の血の臭いでマンモンを釣るという方法だった。そのことを話せばまた反対されると思い、紫乃は何も言わなかったのだろう。
(全く、無茶ばかりするお嬢ちゃんだ……おかげで他の悪魔もぞろぞろと釣られてやがる)
マンモン以外にも、廃ビルの外には何匹もの下級悪魔──主にスケアクロウが蠢いているようだ。
紫乃が室内に入ると、少し遅れて下級悪魔がぞろぞろと入ってくる。しかし、マンモンがなかなか入ってこない。空間の入り口を閉じてしまえば逃げ道がないことを警戒しているのだろうか。それでもしばらく待つとようやく顔を出した。
「早く来ないと戦えないでしょう。大丈夫よ、ここには私とマハ以外いないから」
──ここ(内側の空間)には。
紫乃の言葉でようやくマンモンは室内に入ってきた。それを確認すると、紫乃は入り口を閉じる。
「魔力の残りがわずかなのに、よくやる……」
マンモンが笑うと、マハが豹の姿に変じた。
「相も変わらず品のない笑い方だな」
「ふん、減らず口を叩くのは昔から変わらんな。だが娘、そんな微量な力で我に立ち向かう勇気は褒めてやろう。石だけでなく、お前も喰ってやるから安心しろ」
ああそうだった、と何かを思い出したのか、マンモンは含み笑いを零す。
「あの時、お前と一緒にいた人間の女も喰えば良かったなぁ……人間のくせに活きが良くて美味そう──」
マンモンが言い終わらないうちに紫乃が床を蹴って短刀を振りかざす。しかし、やはり間一髪で避けられる。
「人間などたやすく喰えるからお前を先に狙ったのだが、やはりあの女を先に喰うべきだったか」
実に惜しかったと嘲笑したマンモンの左腕の肘から先が、飛んだ。一瞬の出来事にマンモンはすぐに現状を理解することが出来ず、自分の左腕に視線を移す。瞬きをするほんのわずかな時間で、紫乃が瞬時に接近し、手にした短刀で腕を斬り落としたのだ。
「それ以上、彼女のことを口にしないで」
マンモンの首筋に後ろから刃が突き付けられる。刃先は、羽毛越しでもわかるほどに冷たい。
「くくく……それほどまでにあの女が大事か。では、お前を喰ったら次はあの女を喰おう」
なおも嘲笑を続けるマンモンに、これ以上言っても無駄と悟った紫乃がそのまま力を込めてマンモンを斬ろうとしたその時、周囲を取り囲んでいた下級悪魔が割り込んでくる。その下級悪魔はマハがその鋭い牙で噛み付いて息の根を止めてくれたが、マンモンと距離を取ることになった。
その直後、また右腕が痛みを訴えてきて紫乃は床にうずくまる。
「ぅ、ぁ……」
「主!」
「来ないで……!」
駆け寄ろうとしたマハを紫乃が制止させる。
「苦しいだろう? だが、それも今日で終わりだ」
マンモンが紫乃に歩み寄り、右腕を掴み上げた。
「もうそろそろ魔力がなくなるんじゃないか? まあ、今から死ぬ奴に言っても無駄か」
マンモンは紫乃の持っている短刀を取り上げると、彼女の腹に振り下ろす。
「あああっ!!」
短い絶叫が室内に響き渡る。マンモンがさらに短刀を深く突き刺した時、紫乃がマンモンの右手首を思い切り掴んできた。
「最期の悪足掻きか」
「っ……悪足掻きだけど、最期じゃ……ないわ……っ」
射抜いてくるような鋭い光を宿す紫の双眸に、マンモンは気付いた。
まだ何か仕掛けてくる──
それと同時に、周囲を囲んでいた壁──と思っていたものが崩壊した。正確には建物の壁ではない。ガラスが砕けるように壁だった破片が崩れ去ると、赤い風がマンモンめがけて突っ込んできた。
「なっ……」
慌てて飛び退こうにも、紫乃がしっかりと手首を掴んで放さないので避けられず、腹に大きな一撃を喰らう。マンモンが倒れた衝撃で紫乃も半ば引きずられる形になり、すぐに手を放すも床に倒れ込んでしまった。
「貴様、まさか空間を二重に……!?」
腹からボトボトと血を流しながら、マンモンは紫乃を睨み付ける。しかしながらその血は床に血溜まりを作る前に結晶化してしまった。
「ええ……二重にすればあなたもダンテ達には気付かない……」
「騙したな!」
「あら、悪魔のくせに……そんなこと言うのね。それに、あなたの方から近付いて来てくれて助かったわ……いつも逃げられてたから、ね」
トリッシュとレディに支えられながら身体を起こす紫乃は、作戦が成功したと笑顔を見せた。
「紫乃、囮役に徹しすぎだぞ。見てるだけってのも結構堪えるんだからな」
こちらを振り向きもせずに発せられたダンテの低い声に、紫乃は冷や汗が流れるのを感じた。実際、マンモンをおびきよせることについて何の相談もせず、捕まえるためとはいえ刺されたのだから彼が怒るのも仕方ない。
「だが、説教はあとだ。先にこいつを始末しねぇとな」
ダンテはリベリオンを構え直し、マンモンを見据える。
「逃げ場はないんだ、観念しな」
紫乃の作り出した空間の中で、入り口はすでに閉じられている。逃げ場はないが、このまま素直にやられてなるものか。紫乃の右腕の石もまだ取り戻せていないのに。
マンモンは襲い掛かってきたダンテを何とか避けつつ、近くの下級悪魔を盾にして逃げ始めた。
「紫乃、大丈夫?」
「う、ん……」
トリッシュは紫乃を気遣いながら、近寄ってくる下級悪魔を銃で撃ち落していく。レディもカリーナ=アンの引き金をひいて、派手な着弾で下級悪魔を吹き飛ばす。
マハは彼女達の邪魔にならないよう、やや離れた場所で下級悪魔を牙と爪で屠っている。
紫乃は腹に刺さっている短刀の柄を握り、一気に引き抜いた。痛みもそうだが出血もかなり多く、すぐに魔力で傷を塞ぐ。けれど、やはり残りわずかな魔力では完全に塞ぎきれず、出血は止まらなかった。
「ちょっと、抜いちゃ駄目よ」
紫乃が短刀を抜いたことに気付いたトリッシュが諌めるが、
「でも、刺されたままだと癪で……」
あははと苦笑する紫乃に、トリッシュは仕方ない子ね、とため息をつく。
ダンテへと視線を移せば、マンモンが逃げ回って苦戦しているようだったが、それでも確実に追い詰めていた。
「あーもう、ちょこまかするんじゃねぇよ!」
アイボリーを連射するも逃げ回っているマンモンになかなか当たらない。おかげで下級悪魔達が次々に倒されていくばかり。だが、六発目でようやく命中し、マンモンはバランスを崩して床に転がり落ちた。
「ぐっ……」
マンモンの肩を足で押さえ込んだダンテはにやりと口の端を上げる。
「逃げ足が速くて困ったぜ。よくもまぁ俺のdalingを苦しませてくれたな。でも、お前がいなけりゃ紫乃と会えなかったかもしれねぇ……複雑な気分だ」
自嘲するかのように笑ったダンテだが、すぐにしかめっ面に戻る。
マンモンは、自分を見下ろしているダンテを諦観の境地に達した目で見つめ、この男にはかなわないと思った。力量の差がありすぎる。つまり、ダンテの強さを認め、心から完敗したからだ。
だが、魔具になどなるものか。悪魔としての誇りを忘れていないマンモンは、ダンテに歯向かうことなく、振り下ろされたリベリオンを受け入れた。
ダンテがマンモンを倒すと、紫乃はブラウスの袖をめくり上げた。鎖骨まで伸びていた黒い痣が消えていき、赤い石にひびが入る。やがてパリーンという甲高い音と共に石が割れると、溜まっていた魔力が紫乃へ流入していく。
「わお……」
ダンテが感嘆の声を上げた。
石に溜まっていた魔力はかなりの量で、急速に紫乃へと戻ったため魔人の姿に変貌した。それは、彼女の夢の中で見た母モリアンに似たものだった。
ただ、色はモリアンは黒や灰色だったのに対し、紫乃は白と紫色である。悪魔と呼ぶには美しく、まるで天使のような姿だ。
吸われていた魔力を全てその身に収めると、紫乃は人間の姿に戻った。
「今のが紫乃の魔人化した姿なのね」
「天使みたい」
「これほどまでに美しいとは……さすがは我が主だ」
トリッシュとレディがうっとりした様子で口を揃え、マハは満足気に目を細めた。
「さてと……悪魔も倒したことだし、帰るか」
ダンテ、トリッシュ、レディ、マハにより、周囲を取り囲んでいた下級悪魔は全滅した。リベリオンを背にかつぐと、ダンテは女性陣へと振り返る。
これにて、紫乃の悪魔追跡は終わりを迎えた。
* * *
『Devil May Cry』へ戻ると、レディが手早く荷物をまとめて一階へ降りてきた。
「それじゃあ、私は自宅に戻るわ」
「今夜まで休んでいけばいいのに」
紫乃が物足りなそうに言うも、レディがくすくす笑う。
「ダンテにしっかり怒られなさい。それに、邪魔しちゃ悪いしね」
「レディ、また飲みに行きましょ。バイクに乗せてくれない?」
「荷物があるから、座る場所は狭いわよ」
それで構わないわ、とトリッシュは頷き、レディと一緒に事務所を出て行った。
「ふむ。私は散歩の続きにでも行くとするか」
マハもトリッシュ達に続いて外に出て行く。なかなか空気の読める悪魔である。
二人と一匹がいなくなると、事務所に静寂が訪れた。紫乃は、レディの「しっかり怒られなさい」という言葉が頭の中で何度も繰り返されていたので、少し気まずい空気を感じ取る。
「ま、先にシャワー浴びたらどうだ。説教はそれからだ」
「……はい」
さて、どの行動から怒られるのだろうか、と重くなる気分に耐えながら、紫乃はシャワールームへ向かった。
* * *
「俺の部屋で待ってろよ」
そう言い残して紫乃と入れ違いにシャワールームへ入ったダンテの言葉通り、紫乃は彼の部屋で待機していた。椅子に座って濡れた髪をタオルで拭き取りながら、紫乃はあれこれ思案を巡らせていると、寝室のドアが開いてダンテが戻ってきた。相変わらず上半身裸のまま、雫が垂れている髪をタオルでわしゃわしゃとやや乱雑に拭くとベッドに腰掛ける。
「紫乃」
ダンテの静かな声に、紫乃は思わず緊張して背筋を伸ばして姿勢を正す。
「悪魔をおびきだす手段で血を使うってのはかなり有効だ。だが、自分で自分を傷付けたのは感心しねぇ」
「はい……」
「悪魔を捕らえるのに自分を犠牲にしすぎだ」
「……仰る通りで」
「空間の壁がなかなか解除されねぇし……俺がどんな気持ちでいたかわかるか」
「……ごめんなさい……」
紫乃の返答が次第に小さくなっていく。
椅子に縮こまって座る紫乃の前にダンテが歩み寄る。紫乃は彼をそっと見上げると、眉を寄せて口を真一文字に結んでいた。
──ああ、怒っている。
ダンテの大きな手が頭の上に下りてきてポンと頭に置かれると、紫乃の肩がびくりと竦んでさらに縮こまる。
「……もういいさ、こうして無事に終わったんだから」
ふう、と大きな息をついたダンテの声が、普段の明るい調子に戻ると、紫乃を包み込むように抱き締めた。
「迷惑かけて……ごめん、なさい……」
せきを切ったように泣き出した紫乃に、ダンテは少し驚いて苦笑する。
「こら、泣くなよ。紫乃を泣かせたなんてトリッシュ達にバレたら俺が怒られる」
紫乃をなだめようと軽口を叩くも、彼女の涙は止まらない。ダンテへの謝罪と、感謝と、安堵が入り混じった感情の流出は、紫乃自身でも止めることが出来なかった。
そんな彼女をまるで幼子をあやすかのように頭を優しく撫でながら、ダンテはこの温もりを守れて良かったと微笑むのだった。
2013/06/15
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