第13話 通じ合う想い
夢から覚めた。
目を開ければ、赤いコートに包まれた紫乃が自分の腕の中で眠っている。
「……夢……?」
ダンテが呟いた時、紫乃が小さく身じろぎした。
「ん……」
紫乃がまぶたを開けてゆっくりと手元に視線をやれば、大きな骨ばった手が自分の手を包むように握っている。誰のものだろうと考えながら顔を上げれば、すぐ近くで銀髪の彼がこちらを見下ろしていて。
「ひゃあ!?」
一発で眠気が吹き飛んだ。慌てて飛び起きればダンテが面白そうに笑い声を上げる。
「ははっ、驚いたか?」
紫乃は目を丸くしてダンテを見たあと、自分の状況を再確認する。寝ていた場所はソファーの上で、すぐそばのテーブルにはワインやビールの瓶があり、ダンテの赤いコートが布団のように自分にかけられている。
ということは、つまり──
「あの……私、もしかしてここで寝ちゃった……?」
「四杯目でぐっすりと」
「寝込みを襲われなかっただけ幸運だったぞ」
「だからそこまで狼じゃねぇ」
マハの言葉にダンテがすぐにツッコミを入れる。
何て失態だ、と紫乃は呆然とした。酒が入っていたとはいえ、このような場所で寝てしまうなんて。
「ごめんなさい、こんなところで寝てしまって……」
「俺としては気持ちいい抱き枕だったぜ」
「うう……」
恥ずかしくてダンテの顔がまともに見れないでいると、ダンテの声が軽い口調から真剣なものへと変わる。
「なあ、さっき夢を見たんだ。大きな屋敷の庭で、親子三人が語らっている夢を」
ぴくり、と紫乃の肩が小さく跳ねた。
「女の子がスパーダのことを聞きたがっててな。優しい両親がいて、それは幸せそうだった……だが、場面は変わって父親と女の子が悪魔に襲われて……」
隣にいる紫乃を見れば、縮こまって顔を俯かせている。
「紫乃の夢、だな?」
静かに尋ねれば、紫乃はこくりと頷いた。
「何で紫乃の夢を見ちまったかはわからねぇが──」
「あの悪魔の影響なの」
ダンテの言葉を遮った紫乃の声は、はっきりとしたものだった。『あの悪魔』というのが紫乃の追いかけている悪魔マンモンであることは明白である。
「私が弱ってきていると踏んだ悪魔が、夢を見せているの。母が亡くなったあの日の光景を見せて、精神面でも弱らせていく魂胆よ」
「『弱ってきている』……?」
ダンテの呟きに紫乃はハッと気付いた。彼は右腕に魔力を吸い取っている石があることを知らない。
──うっかり口を滑らせてしまった。
「この国で暮らしたことがなかったから、慣れない生活で疲れてると思ったのよ、きっと」
何とかそれらしい理由を考えて取り繕うと、ダンテは「そういうもんかね」と訝しんでいたが深くは追求してこなかった。
「でも、何で紫乃と同じ夢を見たんだ?」
それは紫乃も不思議でならなかった。ちらりとマハに視線で話しかけるも、彼もそこまでは知らないようで、無言のまま目を閉じる。
ダンテと紫乃が二人で首を傾げていると、何処からともなく低い声が響いてきた。
「それはお前がそいつに触れていたからさ」
声のした方向を見れば、すぐ近くにフクロウ頭の悪魔が佇んでいた。
「お前は紫乃の夢に出てきた……それに、どうやって入ってきた?」
ダンテはさして驚く様子もなく、マンモンを睨み付けるように視線をはずさない。先程見た夢の最後で、紫乃の母親の命を奪ったあの悪魔だ。
それにしても、何故音や気配もなく事務所の中に侵入出来たのか。
「そいつのいる場所ならどこにだって姿を現すことが出来るのさ」
難なく侵入することが出来て愉悦をこぼしたマンモンは、ダンテから紫乃へ視線を移す。
「魔力の方はどうだ? お前の夢に干渉出来ているのだから、だいぶ減ってきているだろう?」
そう言ったマンモンの胸元にある赤い石が輝き出すと同時に、紫乃の右腕に痛みが走った。
「くくく……母親と同じ場所に植え付けてやったのだ。嬉しく思うんだな」
二週間前よりも痛みの大きいものだったが、痛がる様をマンモンに見せては相手を楽しませるだけだと思い、痛みを堪えて平静を装う。
「しかし、母親が死ぬ間際に『ゲート』を通じて我を魔界に送り返した時はさすがに焦った。……まあ良い、次はお前だ」
マンモンが喋っている間も、右腕の痛みは完全に無視出来るものではなかった。眉間に皺を作ってしまう紫乃を見て、マンモンは愉快そうに笑う。
「くく、強情な奴よ。我慢などせずに苦悶の表情を浮かべれば良かろうに」
笑うマンモンの姿や声──全てが不快に感じる。紫乃は手元に短刀を出現させて鞘を抜くとマンモンに斬りかかった。
「一週間前よりも遅い……その右腕はもう使い物に──」
「お喋りはそこまでだ」
マンモンの言葉を遮ったダンテが、アイボリーの銃口を悪魔に向けた。
「こちとら夢見が悪い上に寝不足なんだ。早く出て行ってもらおうか」
引き金にかけた指に少し力を入れて、いつでも発砲出来る状態へ移行する。
「相変わらず気に障る笑い方だな、マンモン」
猫から豹の姿へと瞬時に変じたマハが、鋭いルビーの瞳でマンモンをにらみ付ける。
「おや、マハではないか。悪魔のくせに猫の姿に成り下がりおって……」
嘲笑うマンモンだったが、反撃の様子を見せることはなかった。
「近いうちに右腕の石を返してもらうぞ。くくく……」
三対一、いや、ダンテとマハが相手だと分が悪いと悟ったのか、マンモンはまたしても耳障りな笑い声を残して消えた。
再び静かになった事務所から悪魔の気配が完全に消え去ると、ダンテはアイボリーを机に置いて紫乃へ近寄る。
「……ありが──」
ありがとうと言おうとした紫乃だったが、ダンテが無言のまま右手首を掴んできて、はずみで短刀が床に落ちる。思わず彼の拘束から逃れようとしたが許されず、余計にぐっと力を込められてしまった。
ダンテはブラウスの袖のボタンをはずして袖口をめくりあげる。やはり二週間前と同じく包帯が巻かれていたが、二週間前とは違い、今は右腕全体を覆っていた。その包帯を解いていくと次第に見えてきたのは赤い石と黒い痣で、ダンテは思わず息をのんだ。
痣は、まるで建物に覆い茂るツタのように右腕を覆い尽くしている。そして始点となっている赤い石は、先程の悪魔の胸の石と同じ輝きを放っていた。
夢の中で紫乃の母モリアンと同じ状態であった。
「……本当に魔力が吸われているのか?」
静かな、けれど今まで聞いたことのない低い声のダンテに、紫乃は少なからず怯えの色を見せた。まるで幼子が親に叱られているかのように顔を俯かせ、ダンテの顔を見上げることなく小さく頷く。
「何で今まで黙っていたんだ……!」
声量を抑えているが、怒りで声が震えている。
魔力を吸われていたから、ゴロツキに銃で撃たれた傷の治りが遅かったのだ。しかし、ダンテはすぐにハッとして思い返す。
ああ、紫乃の性格を考えれば、自分に余計な心配をかけたくなかったから「体質だから」と答えたに違いない。
「……悪い、お前は心配させたくないから言わなかったんだよな。すまん」
今は夏。すっかり暑い季節になったのに、紫乃は半袖ではなく長袖を着ている。この右腕の赤い石と黒い痣を隠すため、彼女はずっと長袖を着用しているのだ。
そのことに改めて気付き、感情的に声を荒げたことを詫びたダンテは、俯く紫乃の頭をぽんぽんと軽く叩く。
──彼女に自分の気持ちを打ち明けよう。
そう決意したダンテは、普段よりも穏やかな声音で紫乃に話しかけた。
「けどな、俺は紫乃の力になりたいんだよ。従業員だからって理由じゃない……男としてお前を守りたいんだ」
「……え……?」
「あー……まわりくどい言い方はやめだ。紫乃のことが好きなんだ」
何て直球すぎる言葉だろう。彼らしいと言えば彼らしい。
ポカンとした表情でダンテを見上げれば、彼はやや照れくさそうに鼻の頭を指で掻いた。
「トリッシュやレディを見たらわかるが、俺は女運には縁がなくてな……あ、レディって知ってるか? 金に汚いデビルハンターで……」
「一週間前、ダンテ達が仕事に出ている時にここに来た人ね」
「そう……あ、今のことはレディに内緒な。で、紫乃はちょっかい出したら楽しくて」
「ダンテったらいつも悪戯してくるんだもの」
「ははは、紫乃は俺の周りにいなかったタイプの女でさ……まあ、気付いたら紫乃のことばかり考えてた」
そう言ったダンテのアイスブルーの瞳が、紫乃の瞳を縫い止めた。いつも子供っぽく笑う彼の瞳はいつになく真剣そのもので、言葉に偽りがないと語っている。
「……私も、同じ。掃除をすれば喜んでくれて、料理を作れば美味しそうに食べてくれて」
「紫乃の作るストロベリーサンデーは最高に美味かった」
自分以上に照れくさそうに視線を外す紫乃に、ダンテは笑いかけてしっかりと抱き締めた。
「また作ってくれよ。全部食うからさ」
「ふふ、ありがとうダンテ」
「──好きだ、紫乃」
再び想いを告げると、小柄な紫乃はおずおずと慣れないながらもダンテの身体に腕を回し、同じようにぎゅっと抱き締める。
「うん……私も好き」
そんな二人を眺めていたマハは目を細めた。これで彼女は一人で抱え込むことなく、彼に助力を求めることが出来るのだ。
互いの気持ちを打ち明けたあと、ダンテは床に落ちた短刀を拾い上げる。刃渡り30cm程度の短い刀の柄部分は花の細工が施されていて、一目見ただけで高価で値打ちのあるものとわかる。さらに、魔力を持っていることも。
「これも夢に出てきた奴だな。大事なものなんだろ?」
曇りのない片刃が煌いている。紫乃が手入れを怠っていない証しだ。
ダンテから受け取った紫乃は短刀を受け取ると鞘に収める。
「父の家系の女性に贈られる守り刀よ。それを母が魔力を込めて魔剣としても使えるようにしてくれたの」
おそらく、今後紫乃が悪魔と対峙しても戦えるようにと母が魔剣として使えるようにしてくれていたのだろう。
「そうか。……紫乃、こうなった経緯を聞いてもいいか?」
* * *
ダンテと紫乃は再びソファーに腰掛け、マハは猫の姿になってソファーの上に飛び乗った。
「マンモンがどうやって日本に来たのかはわからないけど、お母さんの能力を狙って襲撃をかけたのが、私が十歳の時だった。お母さんは私とお父さんを守るために戦って……殺された」
紫乃は膝の上に置いた短刀に視線を落として、過去を語り出した。
「さっきあいつが紫乃のお袋さんによって魔界に送り返されたって言ってたが、本当なのか?」
やはりダンテにとって魔界と人間界を繋ぐ力は危険視の対象である。そのことは紫乃も承知で、初日のように声を荒げることなく話を続けた。
「ええ……昔、お母さんが言っていたの。『ゲート』で魔界と繋げることが出来るんだって。でも、お母さんもその危険性は知ってたから繋げることは絶対にしなかったわ」
母親が魔界と人間界を繋げたことがあるのは、母親が人間界にやって来た時だと聞いた覚えがある。
「お父さんは少し身体が弱くて、一年前に病気で亡くなったわ。私は日本で仕事をしていたんだけど……二週間くらい前にあいつが現れたの」
そう言って、今度は自分の右腕で澱んだ輝きを見せる赤い石を見る。
「その時に、この石を植え付けられて……あいつが言っていたように、これは魔力をどんどん吸い取る石で、お母さんもこの石を植え付けられて魔力を吸い取られたわ」
純粋な悪魔ならたちどころに魔力を吸い取られてしまい、急速に力を失ってしまうが、紫乃は半魔であるため石の能力が上手く働かず、吸い取られる速度は緩やかだという。
「なるほどね……で、マハはマンモンのこと知ってたんだろ?」
マハとマンモンが対峙した時、彼らは顔見知りであったことを思い出して問えば、マハは肯定した。
「知っていた」
「じゃあ、何で俺が訊いた時は知らないって答えたんだ?」
「…………」
ダンテの質問にマハは黙秘を決め込んだ。ここで紫乃の命令だと答えるのは簡単だが、答えてしまえば今度は紫乃が責められると思い、答えようとはしなかった。
しばらく待っても口を開かないマハにダンテがため息をつくと、
「ダンテ達に内緒にしておいてって私がお願いしたの。だからマハを責めないで」
紫乃がマハを庇った。彼女の命令ならば、下僕のマハは命令を遵守しなくてはならないので答えなかったのだ。
「……わかったよ……それで、向こうの仕事を辞めてこっちに来たってわけか」
「ええ。職場の同僚や上司には良くしてもらったから、退職届を出すのが辛かったなぁ」
突然退職届を出したものだから、職場の全員が驚いていたことは今でもはっきり覚えている。
退職ではなく休職にしてはどうだと上司に提案されたが、マンモンとの戦いが長引いてはいけないと思い、退職したのだ。まだ二週間しか経っていないのに、随分昔のように感じられてしんみりとなってしまう。
「あ、ごめんなさい。せっかく雇ってもらってるのにこんなこと言って」
「いや、構わんさ。そういえば、俺に会いたがってたんだな」
夢の中で、幼かった紫乃はスパーダの息子に会いたがっていたことを思い出す。
「実際会ってみてどうだ?」
「素敵な人」
「嬉しい言葉だね」
「でも、双子って聞いてたんだけど……兄弟は?」
何の気なしに訊いたのだが、今度はダンテが物思いに耽ることになった。
「兄貴は──死んだよ」
「あ……ご、ごめんなさい……」
訊いてはいけないことだったと謝る紫乃に、ダンテは気にするなと笑いかけてくれた。
「紫乃も辛いのに家族のこと話してくれたんだ。今度は俺が話す番だ」
そう言って、ダンテは紫乃に過去を語り出した。
魔剣士スパーダと人間の女性の間に、双子の弟として生まれたこと。いつの間にかスパーダは姿を消したが、兄と共に母親の元で育ったこと。だが、その母も魔帝の刺客によって殺されてしまい、悪魔として力を追い求めた兄とは袂を分かってしまったこと。
「今の紫乃より三つか四つ下の時くらいに再会した兄貴と戦ってね。恐ろしく強かった。その時にレディとも知り合ったんだ」
ああそうだ、とレディのことで思い出したダンテは紫乃に忠告をする。
「レディが持ってくる依頼には気を付けろよ。厄介な上に、仲介料や諸経費のぼったくりがすげぇから」
「ふふ……でも、解決出来ると思って依頼を持ち込んでくるんだから、ダンテのこと信用してるのよ」
そうやってフォローをしたあと、紫乃はあくびがこみ上げてきた。
「もう一度寝るか。化粧の下に隈作ってるだろ」
「……ばれてたか」
「無理した罰として、もう一度抱き枕になれよ?」
想いが通じ合ったためか、ダンテは堂々と接触を求めてきた。紫乃も嫌ではなく、むしろ心地良いので彼の提案を受け入れる。
「おやすみなさい、ダンテ」
「おやすみ」
無事、互いに想い人となった二人を見て、マハも一休みしようとそのまま丸くなり、まどろみの世界へと入っていった。
2013/05/19
< |
>DMC4夢一覧