第11話 酒
季節は夏に移り変わろうとしていた。日本は湿気で蒸し暑くなって過ごしにくい季節となるが、アメリカは乾燥しているので日本よりも過ごしやすい。それでも気温は高くなるので自然と薄着になっていく。
「トリッシュは涼しそうでいいねぇ」
ダンテが退屈そうに机に頬杖をついてビールを飲みながら、ソファーで優雅にワインを飲んでいるトリッシュを一瞥した。コートやらジーパンやらを着込んでいる自分とは違い、トリッシュはビスチェを着ている。
「そういうあなたは相変わらずコートを手放さないじゃない」
そう言って、トリッシュはダンテを見返してグラスを傾けてワインを煽る。
「あ、またお酒飲んでる」
「スパーダの息子の強さは聞き及んではいるが、これは……」
ダンテに比べてこれまでまっとうな生活を送ってきた紫乃にとって、だらだらと飲酒をしている二人がふしだらに見えてしまい、ついつい小言を挟んでしまう。
マハも同じだ。あの伝説の魔剣士スパーダの息子で魔帝ムンドゥスを打ち倒したのであればさぞや立派な男なのだろうと思っていたが、悲しいことに目の前の男はただの飲んだくれの中年男であった。呆れて閉口してしまう。
紫乃が男達に絡まれた一件から一週間が過ぎた。
あのあとぐっすり休んだ紫乃に「傷の治りが遅いようだったが」とダンテが切り出したが、元からそういう体質だから大丈夫なのだと返された。
ダンテとしては自分が驚異的な再生能力を持っているのでにわかには信じられなかったが、個人差という言葉がある。ただの人間よりは強靭だが、悪魔としての再生能力自体がダンテのように高くないのかもしれない。
腑に落ちないが、彼女がそうはっきりと答えたのでダンテはそれ以上追求することはしなかった。
この一週間の間に傷は完治したが、紫乃は数日前から夢を見始めた。ただの夢ではなく、両親がいた頃の夢だ。
まず最初は平穏な日々から始まり、家族三人の一家団欒が続く。それからしばらくすると母が亡くなった日の夢を見る。
そんな悪夢ともいえる夢を連日見続けているせいで、最近は寝起きが悪くなっている。それでも事務所のメンバーの中で一番最初に起床するので、寝起きのひどい顔は誰にも見られずにいる。もっとも、同じ部屋で寝起きを共にしているマハには見られているが。
夢のせいで寝不足気味になっており、うっすらと隈が出来てしまっているので、何とか化粧で誤魔化して今に至る。
今日の『Devil May Cry』は少し前に開店したばかりである。人間からすれば夕食の時間帯で飲酒を楽しんでもおかしくないが、摂取量が多いように見受けられた。
トリッシュは二本目のワイン瓶を、ダンテに至っては三本目のビール瓶を開けているではないか。酒が好きでアルコールに強いのはわかるが、やや飲み過ぎではないかと心配する紫乃を、しかしダンテとトリッシュはケロッとした感じで、
「これくらい飲んだうちに入るもんか」
「そうよ。お酒って美味しいんだから」
「…………」
何だか飲酒量を真面目に注意している自分が馬鹿らしく思えてきた。
酒の美味しさは紫乃もわかっている。日本にいた頃、よく友人に居酒屋に誘われて行ったことがある。
酒に弱い方ではないが、特別強いわけでもない。それなりに飲むが、周囲に迷惑をかけるので酔って自制がきかなくなるまで飲むことはしなかった。
友人知人の中には酒に強く、アルコール度数の高い酒を飲んでいた人がいたが、今目の前にいる二人にはきっとかなわないのではないか。そう思案を巡らしていると、ダンテが紫乃にビールの入ったグラスを差し出してきた。
「メシも食い終わったんだ、紫乃も飲めよ」
アルコールが入って気分が良いのか、ダンテが紫乃の肩に腕を回して絡んでくる。一週間前、ゴロツキの男に触られた時は吐き気を覚えたのに、ダンテが相手だと嫌悪感ではなく心拍数が上がって動揺を覚えた。
困惑して見上げれば、こちらに笑いかけてくるアイスブルーと視線が合い、さらに動揺してしまう。
「このビールなかなか美味いぜ。ほら」
「……じゃあ、いただきます」
「おいダンテ、あまり無理強いはするなよ」
紫乃を雇って──もとい、一緒に暮らし始めて二週間が経過した。この間、ダンテは彼女の性格や個性をしっかり把握していた。
家事労働全般を手際良くこなす働き者で、気立ても良くて穏やか。その反面、押しに弱く、今のようにビールを何度も勧めれば遠慮がちにグラスを受け取るのだ。
海外のビールが日本のそれと違うのは、キンキンに冷えていないこと。日本でビールといえばやはり夏。湿度が高く蒸し暑い夏を乗り切るには、よく冷えた飲み物が必要不可欠なのだ。だから日本のビールは冷やされているのである。
しかし、海外はその必要がないので室温で飲むのが一般的らしい。この事務所の冷蔵庫にも冷やした酒はあるのだが、紫乃が受け取ったビールは室温のものだった。
グラスに口を付けて一口飲んでみれば、
「わ、美味しい」
「だろ? おかわりもあるから遠慮すんなよ」
ぐびっと飲んでグラスを空にすれば、ダンテがすかさず新たにビールを注ぎ入れてきた。これまでカクテル中心を楽しんできたが、ビールもなかなかいけるものだ。
「紫乃、ワインも美味しいわよ」
二杯目のビールを飲み干した時、トリッシュがワインを勧めてきたので彼女のところへ向かう。ダンテは自分の元から紫乃がいなくなって何だか物足りなさを感じ、彼女のあとを追って自分もソファーに座った。
紫乃を挟むようにして座るダンテとトリッシュ。両名とも酒を勧めてきているので、さながらホストクラブのように感じられて紫乃は思わず笑った。
「何だか私が接待受けてるお客さんで、二人がお店の人みたい」
ふむ、とダンテはしばらく考えたあと、楽しそうに口の端を吊り上げる。
「じゃあ、今夜は大サービスだ。俺が接待してやるよ」
トリッシュに追加の酒を頼むと、ダンテは意外とノリノリで紫乃のグラスに酒を注ぐ。トリッシュは仕方ないわねと苦笑すると、ソファーから離れた。
ワインを飲む紫乃は、空いた瓶を見る。
「二人とも酔わないのね。お酒に強くてちょっと羨ましいかも」
「紫乃は強くないのか?」
「うーん……弱いわけでもないけど、二人みたいに強いわけでもないわ」
早くも四杯目に突入しそうな紫乃の頬は、ほんのりとピンク色に染まっている。普段より目がとろんとしているのを見ると、ほろ酔い状態のようだ。
またしてもダンテの悪戯心が芽を出した。再び紫乃の肩に腕を回してぐいっと自分に寄せる。
「紫乃は好きな酒はあるか?」
「カクテル系が好き。ワインも好きかな」
果実系の酒が好きという、なんとも女性らしい好みにダンテは思わず笑みがこぼれる。
自分の色素のない髪とは違う艶やかな黒い髪が、紫乃が動くたびにサラサラと揺れる。彼女の髪に吸い寄せられるように、ダンテは空いた方の手で黒髪を指で梳けば、やはりサラリとした髪は手櫛をすんなりと通した。
「ふふっ、何だかくすぐったい」
そう言って笑う紫乃に両腕を回して抱き締める。
「うーん、抱き枕にちょうどいいな」
小柄な紫乃はダンテの腕の中にすっぽりと収まるサイズだった。素面の状態ならば飛び起きて離れるであろうが、今は目がとろんとしたほろ酔い状態のためか目を閉じた。
「ん……あったかい……」
てっきり腕の中から逃げ出すと思っていた予想ははずれ、紫乃は逃げ出すどころかダンテに身体を預けてきた。さらにちょっかいを出そうと方法を考えていたが、紫乃は目を閉じるとそのまま静かな寝息を立て始めてしまった。
「……紫乃?」
呼びかけても返事はなく、静かに肩が上下するだけだった。
「ちょっとダンテ、私がいない間にどれだけ飲ませたのよ」
「十杯ほどだな」
新しい瓶を抱えて戻ってきたトリッシュがダンテを責めるように言えば、マハがすかさず答えた。
ソファーでは、紫乃を抱き枕のように抱いたダンテが座っている。きっとダンテが無理に酒を勧めて、断れきれなかった紫乃がどんどん酒を飲まされて酔い潰れたのか。
そんなトリッシュの思い込みを、ダンテは慌てて否定する。
「おいマハ、嘘言うな! まだ四杯目までしか飲んでねぇよ。ちょっと悪戯しようと抱き締めてやったらこの状態に」
「悪戯するなんて……相変わらず子供なんだから」
盛大にため息をついて呆れられたダンテだが、目を閉じた紫乃の顔をじっと見つめる。
「……紫乃、最近あまりよく眠れてないみてぇだな」
「そうね……私達に心配かけまいとして何もないように振舞ってるけど、時々疲れたような顔になるもの」
ダンテもトリッシュも紫乃の睡眠不足にはうすうす気付いていたが、彼女は理由を話そうとはしなかった。だからアルコールが入ればぐっすり眠れるかもしれない、と酒を勧めてみたのだが、まさか四杯目でぐっすり眠ってしまうなんて。
しかし、それほどまでに疲れが溜まってた彼女の力になれていないと思うと、二人は己の無力さを痛感した。
マハとしても早く解決の手助けをしたいと思うのだが、ダンテ達に赤い石のことを言わないよう厳命されているので、彼らに相談することも出来ない。
「動いて起こしちまうのも可哀想だしな。このままここで寝るとするか」
コートを取ってくれとトリッシュに言えばすぐ察してくれたようで、コートを取って広げると、寝ている紫乃にかけてやる。
「紫乃に手を出しちゃ駄目だからね? マハ、見張り頼んだわよ」
「任せろ」
「あのな、俺を狼みたいな目で見るなよ。疲れて寝てるお嬢ちゃんを襲うほど飢えてねぇんだよ」
「はいはい。あ、私はちょっと出掛けてくるから。じゃあ、おやすみ」
「おいトリッシュ、待て──ったく……」
ダンテはさらに文句を言おうと呼び止めようとしたが、トリッシュはウィンクを送って事務所を出て行った。
紫乃に好意を寄せていることをトリッシュに打ち明けてからというもの、紫乃とくっつけたがっている節が見受けられた。どうやら紫乃がここに来てからそう思っていたようで、今も手を出すなと忠告しつつも紫乃のことを任せているのを見ると、どうやら応援してくれているようだ。
小さくため息をつくと、寝ている紫乃を再び見下ろす。閉じられた目のすぐ下には、肌のどの部分よりもしっかりと化粧が乗っている。隈を隠していることは明白だった。
「……紫乃……」
ぽつりと呟き、紫乃の手を握る。やはり自分よりも小さく細い指は、絡め取るとその存在が掻き消えてしまいそうで。
その後、ダンテも酒が入っていたせいか、すぐに寝息を立て始めた。
マハはそんな半魔二人をしばらく見つめたあと、ソファーの上で丸くなるのだった。
2013/05/06
< |
>DMC4夢一覧