第10話 再生能力
紫乃が目を開けた時、ダンテに抱き起こされていた。
「……お……おかえりなさい」
銃で撃たれて倒れたあとの、目覚めの第一声はそれだった。まさかその言葉が出てくるとは思ってもみなかったダンテは小さく笑い、胸を撫で下ろした。
「無事、みてぇだな……良かった」
そういえば、と紫乃は飛び起きて周囲を見回せば、先程まで自分に絡んでいた男達が全員地面に突っ伏していた。それもかなりボコボコに殴られており、苦しそうに呻き声まで上げている。
銃で撃たれた傷はまだ痛むものの、傷は塞がりかけていた。
「これ、ダンテが……?」
「うちの従業員にちょっかい出したみたいだしな。ちょっと説教してやった」
いつもの調子でそう言ったものの、ダンテの心中は穏やかなものではなかった。
紫乃が向かったスーパーへ行く途中、路地裏から銃声が聞こえてきた。何事かと駆け付けてみれば、買い物へ行っていたはずの紫乃が胸から血を流して倒れているではないか。
一人の男が銃を構え、数人の仲間が紫乃を取り囲む形で立ち、その足元には買い物袋が落ちていた。状況から察するに、買い物帰りの紫乃を路地裏に連れ込んでよからぬことをしようとしたのだろう。
それからあとのことは、ダンテもあまり記憶がない。自分の中で何かが切れたような感覚がしたあと、瞬時に男達を叩きのめしたことと、「今後彼女に近寄るな」と忠告をしたことはうっすらと覚えている。
かろうじて半殺しに留めておけたのが、自分でも信じられないほどの大きな衝動であった。
「ありがとう……」
へなへなと身体の力が抜けていく。男達に対する緊張の糸が解けたのが自分でもよくわかった。
「戻るのが遅くなってすまなかった」
もっと早く仕事を終わらせていれば、紫乃がこんなことに巻き込まれずに済んだのに。
「お仕事、難航しちゃった?」
「……まぁな」
「でも、無事に戻ってきてくれて良かった。事務所に戻ったら食事温め直すから」
にこりと笑って立ち上がるが、出血が多かったせいかよろけてしまう。
「おっと」
すかさずダンテが支えてくれ、羽織っていたコートを脱ぐと紫乃の肩にかける。
「いくら人気がないっていっても、その状態で歩くのは嫌だろ」
ダンテに言われて改めて自分の服を見れば、傷口を中心にべっとりと血が付いていた。彼の気遣いが嬉しく、紫乃はぎゅっとコートを掻き寄せる。
地面に放置されていたスーパーの袋を持ったダンテは紫乃のそばにしゃがみ込むと、彼女の背中と膝の裏に手を添えて立ち上がった。
「え、ちょっと、ダンテ!?」
ふわりと抱きかかえられた紫乃は慌てふためく。
「自分で歩けるから!」
「ふらついてたくせによく言うぜ」
立って並べば二人の身長差は大きい。背の低い紫乃はどうしてもダンテを見上げる形になる。
それが今、彼の顔がすぐ近くにあってどうにも落ち着かない。
サラサラとした銀髪、澄みきったアイスブルーの瞳、いつも悪戯っぽく笑う口元、顎にうっすらと生えた髭。どれもが間近にあって、紫乃の心拍数は一気に上昇してしまった。
(ち、近い……!)
こんなに簡単に抱き上げるなんて、欧米人は皆こんな感じなのだろうか、と疑問に思う。
しかし、紫乃は『Devil May Cry』に雇われた身で、実質ダンテの部下に当たる。従業員を心配するのは当然であると考えた紫乃は、これ以上彼の行動を変に意識しないようにと何とか心を落ち着かせた。
「猫の悪魔と契約を交わしたらしいな」
「マハに会ったのね」
ダンテがマハから一通りの説明を受けたと言えば、紫乃は「いい子だったでしょ」と笑う。
「いい子かどうかはわからねぇが……少なくともお前に危害を加えるつもりはないみたいだ」
「悪魔なのに変わった子だよね。あ、マハは猫じゃなくて豹なのよ」
今度は紫乃からの説明で、マハの本来の姿が豹に似たものだという。豹よりも可愛らしい猫の姿になって欲しいという『命令』に従い、ずっと猫のままになっているらしい。
「ああ、そういえば、俺達が仕事に出てからずっと寝てねぇだろ」
事務所に向かって歩き出したダンテが、咎めるような視線で紫乃を射抜く。
「遅くなるって連絡忘れてたことは悪かった。けどな、戻る時間に関わらず先に休んでていいんだよ」
「……はい」
「いい子だ」
ダンテは紫乃の額に軽くキスを落とせば、彼女の頬が赤く染まった。日本育ちでこういったスキンシップに慣れていない紫乃は恥ずかしくなり、コートの襟で顔を隠してしまう。そのしぐさが可愛らしく見えて、ダンテは面白そうに笑った。
「事務所に戻ったらシャワー浴びたらどうだ。血が付いて気持ち悪いだろ」
「うん。……またコート汚しちゃったね、ごめん」
血を洗い流したらすっきりするだろうという、ただそれだけのつもりだったのだが、どうやら紫乃は自分の血がコートに付着したことを気にしているらしい。
しまった、責めるつもりは全くなかったのに。
「気にするなって。着替えはあるか?」
「うん」
「OK。シャワー浴びてる間に食事温めておくから、一緒に食おうな」
腹減らしたトリッシュが先に食べてなければいいんだがな、とダンテがふざけた調子で言えば、紫乃は笑った。そんなちょっとしたやり取りを楽しく思いつつ、ダンテは事務所へ向かった。
* * *
事務所に戻るとトリッシュとマハが出迎えてくれた。ダンテに抱きかかえられた紫乃を見て驚いたが、それ以上に彼女が血まみれでいることに驚いていた。
事情を話していくとトリッシュの目が据わっていくのがわかり、ダンテと紫乃はトリッシュをなだめつつ説明をした。マハの表情に変化はなかったが、主を傷つけたという男達に対する声が冷徹なものになる。
紫乃にとってトリッシュが怒りを見せたのはこれが初めてだったが、ダンテにとっては怒ったトリッシュを目にしたことがあるらしく、小声で「怒らせたらすげぇ怖いんだよ」と耳打ちされる。だからトリッシュの機嫌を損ねる真似はしないというダンテに納得すると、紫乃は二階の部屋に着替えを取りに行ったあと、バスルームへ向かった。
血でべとべとになった服はもう使えないな、と服を脱いでいく。右腕に巻かれた包帯を解けば、黒いツタに似た痣は肘から二の腕へとまた伸びていた。
男に撃たれる直前、あの悪魔は確かにすぐ近くにいて、右腕に居座った赤い石が魔力を吸った。だから弾丸が貫通しながらも傷の治りは遅い。まだ完全に塞がってはおらず、血もわずかながらにじみ出ている。きっと魔力を吸われていなければ、傷はすでに治っているはずだ。
「……結構重症かも……」
予想以上に魔力の減りが早い。これは早めに決着をつけないとこちらの身が持たないだろう。
魔力を失った分、『人間』としての肉体では負担が大きい。それでも、しばらくすると何とか傷は塞がってくれたのでバスルームから出る。
キッチンのすぐ隣に併設されたダイニングでは、ダンテとトリッシュが食事の用意をしていた。
「用意させてごめんね」
「いいのよ。それよりも、ごはん食べたらちゃんと寝るのよ」
声音は優しいが反論は許さないといった感じで言うトリッシュに頷くと、紫乃は椅子に座って二人と食事を取った。寝ていない上にコーヒーばかり飲んでいたため胃が若干荒れたようで、ミートパイには手を付けずクラムチャウダーだけを口にした。
その後、自分の使った食器をさげて洗おうとしたらトリッシュに止められた。そんなことはいいから、早く寝るように、と。
事務所に戻ってきた時のダンテの「トリッシュの機嫌を損ねる真似はしないこと」という言葉を思い出して素直に引き下がり、二階へ上がることにした。
少し前までは空き部屋で、ソファーやサイドテーブル、椅子といったものしかなかったが、今ではシングルベッドや洋箪笥が追加されている。それらはトリッシュの采配によるもので、寝泊りは日本の自宅に戻るからと言ったにもかかわらず、事務所で寝泊り出来るよう早い段階で設備が増えていたのだ。
自分のことを思ってくれているトリッシュの心遣いがありがたい。そんな彼女の思いを無駄にしたくないので、紫乃は事務所での寝泊りを続けている。日本の自宅に戻るのは着替えを持ってきたりする時くらいだ。
他にもトリッシュが用意してくたのはカーテンなど。ダンテ曰く、紫乃が好みそうな柔らかな色合いの布地を選んでくれたのだという。
そんなトリッシュの選んでくれた寝具はとてもふかふかで寝心地も良い。寝るにはまだ早い時間だが、起きているとトリッシュに怒られそうなので、紫乃は明かりを消して早々に就寝することにした。
* * *
紫乃が部屋に上がっていったのを確認したダンテは口を開く。
「……紫乃がゴロツキに撃たれたあとのこと、あんまり覚えてねぇんだ」
「あんまり?」
「ああ。血まみれの紫乃見たらぷっつんって切れた感じがして、気付いたらゴロツキを半殺しにしてた」
いつになく真面目な顔付きのダンテに、トリッシュも口元を引き締めて頷く。
「私なら黒焦げにしてるわね」
「私は八つ裂きだな」
トリッシュは稲妻を操る悪魔である。可愛がっている紫乃が撃たれたあの現場にいたなら、男達は確実に稲妻の餌食になっていただろう。
マハは、本来は豹に似た大きな獣だという。それならば、豹の姿に戻れば男達を簡単に引き裂いてしまえるだろう。
怒りで眉間に皺を寄せるトリッシュと、瞳に冷徹な光を宿すマハに「こえーなぁ」と苦笑するダンテだが、心の奥底では男達の息の根を止めたいと思っていることに気が付く。これがただの人間ではなく、悪魔が憑いていれば、力加減することなく全力で叩きのめすことが出来たのに。
そう考えてしまうのは、自分に悪魔の血が流れているからだろうか。
「……相手が悪魔の方がまだ楽だったんだがな」
ため息混じりに呟いたダンテの悩みはトリッシュもわかっており、「そうね」と呟いた。
紫乃が半人半魔だったのが幸いだった。強大な悪魔の血を引いているからこそ高い再生力のおかげで無事で済んだのだ。
これが普通の人間だったなら──
いや、これ以上余計なことは考えないでおこう。紫乃が元気な姿で戻ってきてくれただけで良いではないか。
「でもそんなこと言うなんて、やっぱり紫乃のことが好きなのね」
「そう……だな」
言い淀みつつも肯定されてトリッシュは少々面食らった。いつものように軽口で受け流すかと思ったのに、どうやら今回の一件で紫乃に対する自分の気持ちを自覚したようだ。
「ふむ。私も主のことは好きなのだが……おそらく私とお主では『好き』の意味合いが違うのだろうな」
小首を傾げる猫に、トリッシュが面白そうにうふふと笑った。いわゆる『Like』と『Love』の違いである。
「紫乃も半魔だから銃に撃たれたくらいで死ぬとは思っていなかったが、いざ目の前で倒れていたのを見ると自制がきかなくなってな……」
感傷に浸るように話していたダンテだったが、そういえば、と少し前の出来事を思い出す。
「紫乃が撃たれた時、あの悪魔が近くに現れたみたいだ」
あの悪魔というのが紫乃の追っている悪魔だということはトリッシュもわかった。
「ああ、マンモンのことだな」
紫乃からだいたいの経緯を聞いていたマハが悪魔の名を出した。
「そいつ、マンモンって言うのか。だが、すぐに逃げて行方がわからなくなった。……それと、紫乃の傷の治りがやけに遅かった」
「傷が……?」
自ら空間を繋いで渡るというまさに『異能』とでもいうべき能力を持つ悪魔を母に持ち、同じ能力を受け継いでいる以上、悪魔としての紫乃の力はダンテにも劣らないであろう。しかし、そんな高い再生能力を持っているはずの彼女の傷がなかなか治らないことがダンテは気になっていた。
「悪魔と治りの遅い傷……この二つには関係があるかもしれねぇな。なあマハ、何か知らないか?」
「知らぬ」
嘘だった。
マハはマンモンの能力について知っていたが、紫乃に口止めをされている以上、命令を無視して話してはならない。そのため、知らないと答えたのだ。
ダンテとしてはすぐにでも確認したいのはやまやまだが、今は彼女を休ませてあげる方が大切だ。
そう思い、ダンテはミートパイを一口かじった。
2013/05/05
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