第9話 買い物からの帰り道


「ダンテ、あの子のこと気に入ったでしょ」

 仕事中──つまり悪魔退治の最中、トリッシュがいきなりそんなことを訊ねてきた。あの子というのが紫乃のことだということは理解したが、唐突すぎる質問に、ダンテはエボニー&アイボリーの連射の手を休めて首を傾げた。

「いきなり何言い出すんだ?」

「とぼけても無駄よ。あの子が来た時から楽しそうにしてたくせに」

 攻撃の手を休めるダンテとは違い、トリッシュはルーチェ&オンブラの二丁拳銃を休むことなく撃ち続けている。それほどまでに目の前には数えるのが面倒なほどの悪魔が蠢いていた。

「ほら、手を休めない」

「お前が変なこと訊くからだろ」

 たしなめられたダンテは、原因はトリッシュにある、と理不尽そうに吐き捨てるとエボニー&アイボリーをしまい、背負ったリベリオンの柄を持って大きく一振りし、悪魔の群れめがけて地を蹴った。
 ダンテの連射には目を見張るものがあるが、彼にはやはり剣が似合う。トリッシュはダンテを目で追いつつ、飛びかかってきた悪魔に弾丸を撃ち込んだ。
 依頼で訪れたはいいものの、存外に悪魔の数が多かった。倒しても倒しても湧き出てくる悪魔にややうんざりする。予定では夜明けまでに事務所に戻るつもりだったが、これでは間に合いそうにない。

 トリッシュは事務所に電話をかけて紫乃に遅くなると連絡を入れようかと思った。
 もう少しで夜明けになる。紫乃がダンテの生活時間に合わせて夜起きていることを知っているので、電話をかければ出てくれるだろう。けれど、悪魔の襲撃は止む気配を見せない。しばらくの間、ダンテに任せて電話ボックスを探しに行こうとするが、目の前の悪魔が許してくれなかった。

「そんなに熱烈に襲って来られちゃ困るわね」

 結局、トリッシュはダンテと共に悪魔の相手を続けることになった。

 * * *

 夜が明けた。

「二人ともお仕事長引いてるのかなぁ……」

 レディと別れたあと、紫乃はマハと一緒に事務所のダイニングでダンテとトリッシュの帰りを待っていた。二人が事務所を出て行く前に、夜明け頃に戻ると言ってたので食事を作っていたのだ。

「主の料理の腕は一級品だな。この挽き肉、とても美味いぞ」

 ミートパイの中に詰める挽き肉を多めに作り、余らせた挽き肉をマハに与えてみれば、彼はそれを一気にたいらげた。なかなかの食いっぷりである。

 欧米の食文化についてあまり詳しくなかったが、一週間でだんだん理解してきた。
 和食と比べて随分高カロリーの食べ物が多いが、ダンテやトリッシュはその点については問題ないようだ。悪魔というものは、人間の食事で栄養不足になることはないらしい。
 その点はマハも同じらしく、人間用に味付けされた挽き肉を問題なく食べた。

 それにしても、電話のひとつもないなんて。
 性格から考えてダンテよりもトリッシュが電話をかけてきそうなのだが、そのトリッシュからも連絡がないので、二人の身に何かあったのだろうか、と紫乃は不安になってきた。凄腕のデビルハンターなのだからそんなことはないと思うが、万が一ということもある。

「……ふあぁ……」

 大きなあくびが出た。昨夜から一睡もしていないので睡魔がすぐ近くまで来ているようだ。

「眠いのなら寝るといい。私が起きている」

「んー……いいよ、大丈夫」

 もしかしたらあと少しで二人が帰ってくるかもしれないので、おかえりと言って出迎えてあげたい。
 そう思うと紫乃は起きていようと決め、眠気覚ましでコーヒーを淹れることにした。


「……遅いなぁ……」

 あれから何時間も経過した。時刻は昼を回ってすでに夕方へと移り変わり、外も薄暗くなり始めている。
 本当に何かよからぬことに巻き込まれたのではないか。時間が経つにつれて不安が増してきたが、今回の仕事先の場所について詳しく聞いていないため、空間を渡って確かめに行くことも出来ない。
 それが余計に紫乃の不安を煽らせていた。

「あ……お買い物に行かなくちゃ……」

 節約の一環として、スーパーの夕方のタイムセールに出向くのが日課となっている。確か今日は特売日だったはず。

「マハ、お留守番お願い出来る? 一応鍵はかけていくから」

「承知した」

 紫乃はコーヒーの残りをぐいっと飲み干した。コーヒーのおかげで眠気は我慢出来たのだが、これで何杯目だろう。
 キッチンの流し台にドリッパーやカップをさげ、メモ用紙とペンを手に取ってメッセージを残すと、一階フロアの大きな机の上にメモを置く。その後、財布やバッグ、事務所の鍵などをちゃんと持ったことを確認してスーパーに向かった。

 * * *

「……鍵が閉まってる」

 紫乃がスーパーへ出かけてから1時間ほど経過した頃、ダンテとトリッシュが事務所へ戻ってきた。
 鍵を開けて中に入るが、いつも笑顔で出迎えてくれる彼女の姿が見当たらない。その代わり、何故かソファーに黒猫が丸まっている。

「あら……猫がいるわ」

「どっから入り込んだんだ?」

 怪訝な顔でソファーに近付くダンテだが、ただの猫ではないことにはすでに気付いていた。
 ダンテの接近に猫の耳がぴくりと動き、顔を上げる。丸みを帯びながらもキリリと吊り上がった涼やかな目の色は、ルビーのように鮮やかな赤。
 外見は猫そのものだが、強い魔力を持った悪魔であることにダンテは警戒を強める。

「猫ちゃんの格好した悪魔とは、なかなか可愛らしいな」

「その言い方はやめろ。私にはマハという名がある」

 何だか侮られているようで気に食わない。ムスッとした声で話しかけるとダンテは苦笑した。

「そりゃ悪かった。で、どうして悪魔がここにいるんだ?」

 口では笑いながらも、ダンテの目は笑っていなかった。まるで、これ以上話題を脱線させると命はないとでも言うかのように。
 マハとしても面倒事を引き起こすのはごめんこうむるため、昨夜の出来事を簡単に説明した。

「紫乃が血の契約を、ねぇ……」

「それであなたは紫乃の下僕になったというわけね」

 マハの話の通りだとすると、知らず知らずのうちに血の契約を交わしたという紫乃にダンテは少なからず感嘆した。悪魔を見かけないという日本で暮らしていた彼女が、血の契約について知っているとは思えない。

 ところで紫乃が不在のようだが、と口に出せば、

「ああ──スーパーに行ってるみたいよ」

 ほら、とトリッシュが差し出した一枚のメモ用紙にはこう書かれていた。

 ◇◇◇──────────
 スーパーに行ってきます。
 食事を作ってあるので、
 温めて先に食べてください。
           紫乃
 ──────────◇◇◇

 簡潔ながらも丁寧な文字が紫乃らしい。

「今の時間だとタイムセールがあってるのよ」

「なるほど」

 トリッシュの言葉にダンテは納得した。そういえば、夕方はスーパーで安売りがあるのだと紫乃から聞いたことがある。
 キッチンへ向かってみれば、コンロに鍋がかけられている。蓋を開ければクラムチャウダーがたっぷり入っていた。だが、それは作りたてではない。表面には薄い膜が出来ているところを見ると、作ってから時間が経っていることが容易に想像出来た。
 他にもミートパイなどの料理がテーブルに置かれているがどれも冷めており、手を付けた様子がない。

「…………」

 夜明け頃に戻ると伝えていたが、半日も遅れてしまった。ついつい仕事に熱が入ってしまい、事務所に連絡を入れてなかったと気付いたのは悪魔を退治し終わってから。
 ダンテとトリッシュが戻ってくる予定の時間に合わせて料理を作ったはいいものの、帰ってこないので自分も食事をしていないのではないか。他人のことを気遣い、自分のことを後回しにする紫乃の性格を考えると大いにありえることだった。

 キッチンの流し台にはドリッパーとカップが置かれている。カップの底にわずかに残ったコーヒーは乾いていない。つまり、つい先程まで紫乃がコーヒーを飲んでいたということ。

「……あのお嬢ちゃん寝てないな」

 コーヒーが大好物ならば日中に飲んでも気にしないが、紫乃がコーヒー愛好家なんてことは聞いたことがない。
 一睡もせずに帰りを待ち続けてくれるなんて可愛いお嬢ちゃんだ、と内心軽口を叩くが、本音としては心配なことこの上ない。睡魔と戦ったであろう紫乃の忍耐強さに免じて、買い物帰りの彼女の荷物持ちをしようと思いついたダンテはキッチンを出た。

「トリッシュ、ちょっと迎えに行ってくる」

「紫乃を? なぁに、荷物持ちでもするわけ?」

「ああ。彼女の忍耐強さに免じてな」

 そう言って、ダンテは事務所を出ていった。
 事務所に残ったトリッシュは、未だにソファーの上でくつろぐマハをちらりと見る。

「じゃあ、私はあなたと遊んでいようかしら」

「……私は主以外とじゃれ合うつもりはない」

「あら、残念」

 * * *

 事務所から最寄りのスーパーまではそれなりに距離がある。空間を渡ればすぐなのだが、紫乃は眠気覚ましにちょうど良いと思い、あえて徒歩を選んだ。
 今はスーパーからの帰り道。両手に提げた袋には品物がたくさん入っており、握っている手にずっしりと持ち手が食い込む。
 タイムセールでは商品を安く購入出来るが、その安さに釣られてついつい買い込んでしまうことがよくある。今日もその例に漏れず、二つ分の大きな袋がパンパンになるほど買い込んでしまった。

「あの安売りは反則だわ……」

 スーパーを出たばかりの時は良かったが、次第に袋の重さに両手が悲鳴をあげ始めたが、どうせ途中まで歩いてきたのだからこのまま徒歩で帰ろう。そう思ってスラム街に入った。
 先程まで仕事帰りで賑わっていた街の大きなストリートに比べて、夜が間近なスラム街には人気というものがない。まるでここだけ切り取ったかのような静けさだ。
 それでも街頭は定刻通りに点灯し、暗くなり始めた道路を照らし出した。

「おやおや、こんなところでなーにしてるのかなぁ?」

 路地裏の方から男の声が聞こえてきてそちらを見れば、五、六人の男がいた。にやにやとした下卑た笑みを浮かべている。見るからにスラム街を根城としていそうなゴロツキだ。

「買い物の帰りかなぁ? 俺達にも晩飯作ってくれねぇかなぁ?」

「急いでいますので」

「おおっと……つれないねぇ」

 これ以上関わり合いになりたくないので足早に立ち去ろうとしたが、男が逃がすまいと素早く紫乃の腕を掴んで路地裏に引っ張り込む。

「そう素っ気無い態度取るなよ。俺達と楽しもうぜ」

 引っ張り込んだ男が馴れ馴れしく肩を抱き、連れの男達が紫乃の持っていた袋を取り上げて中を覗く。

「あっ……返してください!」

「おー、いっぱい買い込んでるじゃねーか」

「これならおかわりしても大丈夫そうだな」

 ゲラゲラと笑う男達の何と下品なことか。

「なあ……この女、『Devil May Cry』に出入りしてる奴じゃねぇか?」

 ずんぐりとした体型の気弱そうな男が、紫乃の顔を見てハッとして仲間にそう言った。しかし、他の男達は特に気にした様子はなく、気弱そうな男を嘲笑う。

「はぁ? あんな薄汚れた、店か何かわからねぇところのか?」

「俺、聞いたことあるんだ……あの店に関わっちゃいけねぇ……最近そこに出入りしてるアジア人の女に手ぇ出しちゃいけねぇって」

「んなこと知るかよ。第一、あの店がまともに営業してるところなんて見たことも聞いたこともねぇよ」

 紫乃の肩を抱いた男がリーダー格のようで、気弱そうな男にそう言うと、再び紫乃へ顔を向ける。

「ふーん、顔立ちは文句なしだ」

 嘗め回すような男の視線が気持ち悪い。さらに顔を覗き込んでくるので男の反対側に顔を背ければ、男に舌の先で首筋を舐められて全身が粟立った。

「いやっ……」

「おやぁ? もしかして感じちゃってんのか? こいつぁ楽しめそうだ」

「……やめて……下さいっ!」

 下品な笑いに吐き気がこみ上げてきそうだ。
 とにかく何とかして抜け出さなければ、と紫乃は男の胸をぐっと押して離れようとするも、相手も負けてはいなかった。拒絶の態度を取られて逆上した男は、懐から取り出した拳銃の銃口を紫乃へ向けた。

「おとなしくしねぇと穴開くぜ」

 だが、紫乃は怯えるどころか、キッと男を睨み付けた。自分の言いなりにならなければ力で押さえ付け、従わせる。そんな男のやり方が気に入らない。

「私はあなたに従うことは出来ません。荷物を返して下さい」

「この女……!」

 怒りに震える男をよそに、紫乃は男の後ろに控えている仲間をちらりと見る。彼らは男の怒りのとばっちりを食らいたくないようで、言葉を発することなく動こうとしない。
 仕方ない、と紫乃は自分から荷物のところへ歩き出そうとした時だ。上から悪魔の気配がしたので仰ぎ見れば、ビルの屋上からフクロウの頭がこちらを見下ろしていた。
 同時に右腕に痛みが走り、魔力が減っていく。
 ──バァン!!
 悪魔に気を取られて反応が遅れてしまった。紫乃に拒絶されて逆上した男が、拳銃の引き金を引いたのだ。弾は紫乃の胸を貫き、鮮血が飛び散った。

「お、おい……何も撃たなくても……」

「う、うううるせぇ! 俺にっ、し、従わねぇこいつが悪いんだよっ!」

 どさりと紫乃が倒れると、仲間達は怯えて後ずさる。銃社会のこの国で拳銃を持つことなど不思議なことはない。仲間達も脅しで拳銃を突き付けたことは予想出来たが、まさか本当に発砲するなんて。
 リーダー格の男と、倒れた女を交互に見る。目の前で起こった出来事に脳がパニックを起こし、この場から逃げ去ろうと足が動いた。

 ──が、それは一人の男によって逃げ場を塞がれた。

「うちの従業員に何してんだ?」

 赤いコートをなびかせた銀髪の男が、路地裏の男達を睨み付ける。
 薄い暗闇の中、街灯の明かりに照らされた真紅のコートが、男達には死神のローブに見えた。


2013/05/03

  |  

DMC4夢一覧

×
「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -