第5話 就寝


 暗い室内で、紫乃はどうしようどうしようと何度も頭の中で繰り返していた。
 今日出会ったばかりの男性に胸元を覗かれたのはネグリジェのせいで、男である以上女の胸に興味を持つのはわからないでもない。まあ、それは甘んじて許そう。
 しかし、この店の主の衣服にジュースをひっかけ、拭き取りもしないまま部屋へ逃げ込んでしまった。
 ああどうしよう、明日合わせる顔がない。
 ソファーに腰かけてため息をつくと、ドアがノックされた。

「紫乃、入ってもいいかしら?」

「……はい、どうぞ……」

 シャワーを浴び終えたトリッシュがドアを開けて入ってきた。

「って、真っ暗じゃない。電気つけるわよ」

 悪魔であるため暗闇であっても問題ないのだが、トリッシュはドアのすぐ脇にあるスイッチをパチンと押してドアを閉める。明かりで照らされた紫乃は、トリッシュが渡したネグリジェを身につけ、缶ジュースを両手で持っていた。

「やっぱり似合ってる」

 紫乃の隣に腰かけたトリッシュはにこりと笑うが、紫乃は困惑した表情を浮かべた。

「トリッシュさん、どうしてネグリジェなんか……」

「似合うと思って」

「それに下着も高そうだし……」

「あなたが可愛いから」

 にこりと笑うトリッシュに紫乃は何も言い返せなかった。綺麗な人が笑うと圧倒されるというか、言葉が出なくなる。
 着慣れない衣服で、なおかつ胸元が大きく開いていて落ち着かない。けれど、トリッシュは同性であるためか、ダンテと一緒にいた時より幾分か落ち着いた紫乃は、胸を隠していた襟元をゆるめる。

「トリッシュさん、きっと明日ダンテさんに怒られます!」

「どうして?」

「ダンテさんのコートにジュースをひっかっけて、ちゃんと拭き取らずに部屋に逃げ込んだから……!」

 ああ、やはりそのことで悩んでいたのか、とトリッシュは心の中で納得した。
 シャワーから戻ってきたトリッシュを迎えたのはダンテだけで、紫乃の姿が見当たらなかった。銃のメンテナンスを続けているダンテに聞いてみれば、ちょっと悪戯したらコートにジュースをひっかけられたという。
 その悪戯の内容を聞いてみれば、紫乃の胸の谷間を眺めて楽しんだらしく、それに動揺した紫乃が誤ってジュースをひっかけ、コートを脱げば何故か二階の部屋へ走り去ったというのだ。
 トリッシュやレディでは絶対に見ることのない反応だったと楽しそうに笑ったダンテを、トリッシュは「エロオヤジ」と頬に一発喰らわせてきた。

「大丈夫よ、ダンテが悪いんだから紫乃が気にすることはないの。明日紫乃に謝りなさいって言っておいたわ」

 困惑して泣きそうな顔をした紫乃をトリッシュが優しい声であやしてやれば、紫乃は次第に気分が落ち着いてきた。その証拠にジュースを一口飲む。

「それ飲んでくれたのね。ちょっと前にお酒と一緒に買ってたんだけど、飲む機会なくって。飲んでくれてありがとう」

 赤い缶に斜めに傾いた白いロゴの炭酸飲料は世界的に有名な企業で、もちろん日本でも見かける人気なジュースである。炭酸なので一気に飲むことが出来ず、まだ半分くらいしか飲めていない。

「そういえばお酒がたくさんあったんですけど……あれってやっぱりダンテさんが飲むんですか?」

 紫乃のイメージでは、酒は女性よりも男性がよく飲むものという感覚がある。一番身近にいた男性は父親であったが、彼はあまり酒を嗜む方ではなかったことを思い出す。

「主にダンテだけど、私やレディもいただくこともあるわ」

「レディ……?」

 Lady──
 英単語としては聞き慣れたものであるが、トリッシュが言っているのはおそらく特定の者のことだろう。だが、知り合いを単なる英単語で済ませることはしないのではないか。
 怪訝に思って紫乃が聞き返すと、トリッシュは「ああ」と続ける。

「悪魔狩りをしている人間で、時々『Devil May Cry』に来るの。女性だけど、とてもタフで強いのよ」

「へえ……」

 レディもきっとあなたのことを気に入ると思うわ、とトリッシュが言えば紫乃は興味を持ったようで、先程まで羞恥心で悩んでいたとは思えないほどあどけない表情を見せてくれた。

 ふと時刻が気になった紫乃は室内を見渡す。だが、この部屋に時計は備え付けられていないようだ。それもそうだろう。今まで使うことのなかった空き部屋なのだから時計などあるわけがない。

「時間? そうね……たぶんもう少しで23時くらいかしら?」

 悪魔にとっては深夜は活動時間なのだが、紫乃は半分人間である。もしかするとそろそろ就寝時間なのかもしれないと思ったトリッシュが尋ねてみれば、

「明日、ダンテさんは何時くらいに起きるかわかりますか?」

 質問の内容に、トリッシュはぱちくりと目を何度かしばたかせた。

「そうねぇ……」

 トリッシュがこの部屋に入る前、やっと銃のメンテナンスを終えたダンテがシャワーを使うようなことを言っていたことを思い出す。今日の仕事はあっけなく終わり、さらに銃のメンテナンスを済ませたのだ。緊急の依頼など、よほどのことがない限り今日は寝るだろう。
 普段より早い就寝時間となるだろうが、なにぶん夜間活動する悪魔を追っている以上、夜起きていることは慣れているが、朝にはめっぽう弱い。

「朝には起きないと思うわよ。開店時間の少し前に起き出すくらいだもの。早くてもせいぜいお昼頃かしら」

 トリッシュも普段事務所を空けていることが多いので、確信を持って言える自信はない。

「でも、どうしてそんなこと聞くの?」

「今晩お世話になるんですから、せめて朝食くらいは用意してあげたいんです。もちろんトリッシュさんの分も用意させていただきたいんですが、何か食べたいものってありますか?」

 綺麗に掃除を済ませ、からかわれてオロオロしていた紫乃が、今度は世話になったと言って食事まで用意してくれるという。この子はなんて働き者なのだろう。
 ダンテもトリッシュも家事は嫌い──というよりも苦手なので、この子にはかなわないなとトリッシュは感心しつつ、明日の朝の食事のメニューをあれこれ考えてみる。漠然としたものは浮かんでくるものの、特にこれといったものが思い浮かばない。それでもいくつか食べてみたいものがあったので、紫乃にメニューを伝えた。

「トーストとか、スクランブルエッグとか……フルーツとサラダも食べてみたいわね」

 まさに欧米の朝食を代表するメニューである。
 ちょっとテンプレートすぎるメニューかしら、とトリッシュは自分でも苦笑する。今まで食事のメニューなど気にしたこともなかったし、事務所にいる時の食事はダンテの注文したデリバリーピザを食べていた。

「ダンテさんのメニューはどうしましょうか?」

「同じでいいわよ。その方が手間も少なくなるでしょ」

 それに、いつ起きてくるか定かではないのだ。手軽に作れるメニューの方がいい。

「ダンテさん結構食べそうだから、ホットサンドなんかはどうでしょうか? ベーコンなんかも挟むと美味しいですよ」

「あ、いいわね。私もホットサンドでお願い」

「わかりました。明日起きたらゆっくりしていてくださいね。ご馳走します」

 紫乃は再びジュースを飲む。しばらく話し込んでいたため、幾分か炭酸が抜けて飲みやすい頃合いとなっている。残りったジュースを一気に飲み干すと、今日は寝ることにした。
 トリッシュには自分の部屋のベッドで休むよう再度勧められたが断った。サイズの大きなソファーは一人なら充分足を伸ばせる長さがある。ゆったり寝られるからと言えば、トリッシュはそれ以上勧めることはしなかった。

「それじゃ、朝食楽しみにしてるわ。おやすみ」

「おやすみなさい、トリッシュさん」

 * * *

 部屋の明かりを消してドアを閉めたトリッシュは階下にいるダンテを見下ろしたあと、一階へと下りる。シャワーを終えたダンテは上半身裸のまま、仕事に行く前に読んでいた雑誌を開いていた。

「ダンテ、明日はなるべく早く起きるように」

「何でだ?」

 ページをめくりながらトリッシュに尋ねる。

「喜びなさい。紫乃が朝食作ってくれるわよ」

「へえ、メニューは何だ? ピザか?」

「違うわよ。ホットサンドとスクランブルエッグとサラダ、それにフルーツ」

 この男の偏食ぶりは今に始まったことではない。ダンテがピザ以外の食事を取っているところを見たことはないし、よくピザだけで日々を過ごせるものだと感心してしまう。これが普通の人間なら、確実に栄養不足で身体に支障をきたすだろう。
 まあ、この事務所にいる以上、トリッシュも食事はピザばかりなのだが。

「ホットサンドか。美味そうだな」

 ついでにデザートでストロベリーサンデーもあれば文句なしだが、あまり無理は言わないでおこう。

「掃除もしてくれたし、食事も作ってくれるんだもの。食材くらい揃えてあげなくちゃ。ちょっと買い出しに行ってくるわ」

 朝食となるメニューの食材のほとんどは、実は事務所の冷蔵庫には入っていない。
 紫乃は食材の在庫については何も言ってこなかったから、きっと明日の朝、買いに行くつもりなのだろう。しかし、掃除どころか食事も作ってくれるというのだから、食材くらいは事務所側で用意してやりたい。

「ここの事務所に押し入る奴なんていないとは思うけど、女の子一人だけ残せないから留守番は任せたわ」

「OK。そういえば、あのお嬢ちゃんはもう寝たのか?」

「ええ。私の部屋で寝るよう勧めたんだけど、ソファーで寝るって言ってきかなくて」

 苦笑しながらトリッシュは肩をすくめる。
 ダンテは、紫乃にあてがわれた部屋のドアを見上げたあと、ぽつりとトリッシュに尋ねる。

「……なあ、俺が仕事から戻ったあと、何か感じたか」

「悪魔の気配がしたわね」

 そう。悪魔の気配を感じ取ったのだ。それは一瞬で消え去ったので、悪魔がどこに向かったかすらわからなかった。こちらを襲ってくる様子もなかったので、深追いはしなかったのだが。

「……ま、用心しておくに越したことはねぇな」

 ダンテがそう結論付けるとトリッシュが「護衛頼んだわよ」と言って事務所を出て行った。
 手持無沙汰になったダンテは音楽を流そうと思い、ジュークボックスへ足を向けたが、すぐにやめた。二階では紫乃が眠っているのだ。睡眠の邪魔をされる不快さはダンテもよく知っている。
 特にすることのなくなったダンテは、とりあえずトリッシュが戻ってくるまでこのまま雑誌を読み、戻ってきたら自分も寝ようと決め、再び雑誌を読むことにした。


2013/04/18
2023/08/28 一部修正

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