第4話 右腕


「もー! そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」

 豪快に笑い声を上げたダンテを睨みつける紫乃だが、それも軽く受け流される。

「悪い悪い」

 そう言いつつも顔はまだ笑っているので、紫乃は拗ねてダンテに背を向けた。

「あーあ、怒らせちゃった。ダンテ、謝るならちゃんと謝らないと駄目よ」

 階下のやり取りを面白そうに眺めていたトリッシュがダンテに助言する。

「あー……お嬢ちゃん、悪かった。すまない」

「……もう、いいですよ。仕事帰りですし、シャワーでも──」

 どうぞ、と言いかけたが、最後まで言えなかった。次の瞬間、右腕に痛みが走る。先程とは違い、キリキリとした強い痛み。
 ──すぐ近くまで、あの悪魔が来ている。
 痛みを我慢して走り、事務所の外に出て辺りを見回す。時刻はあと一時間もすれば日付が変わる頃合。普通の人間ならば暗闇では何も見えないが、悪魔の血が流れている紫乃には支障はない。
 右腕はまだ痛みを訴えているのであの悪魔はまだ近くに潜んでいるが、目を凝らして見てもやはり姿は見当たらない。
 左手で右腕をぎゅっと握って痛みをこらえると、次第に痛みはひいていった。

「どうかしたのか?」

「……いえ、何でも……このあとお仕事がないのなら、シャワー浴びたらどうですか? すっきりしますよ」

 紫乃が腕の異変に気づかれないようにそっと左手を離し、ダンテに振り返って苦笑すると、ダンテは「いいや」とゆっくりと首を横に振る。

「掃除してもらったんだ。先にお嬢ちゃんがシャワーを使ってくれ」

 紫乃の前まで近寄ると、ダンテは彼女の頬に親指を添わせる。白い肌は触ると滑らかで、ダンテは少し親指に力を込めて黒い汚れをぬぐい取る。

「ほら、こんなに汚れちまって」

「う……」

 ダンテは紫乃を事務所の中に連れ戻し、ドアを閉める。

「トリッシュ、お嬢ちゃんがシャワー浴びるから着替えの用意を頼む」

「はぁい」

 待ってましたといわんばかりに嬉しそうな返事をしたトリッシュを見たダンテは思わず笑みをこぼした。こんなに嬉しそうなトリッシュを見たのは初めてかもしれない。
 トリッシュにバスルームへ連れて行かれた紫乃を見送ったダンテは、わずかに目を細めて出入り口のドアへと視線を送り、つい今しがたの出来事を思い返す。
 突然紫乃が走ってドアを勢いよく開けて外に飛び出し、周囲を見渡した。その時、ダンテは悪魔の気配を感じ取ったのだ。見境のない悪魔であれば襲撃を仕掛けるが、その悪魔は襲いかかることはなく、気配はすぐに消えてしまった。紫乃も半分悪魔であるため、彼女も悪魔の気配を感じて反応してしまったのだろうか。

「…………」

 しばらくの間、ドアの向こうの暗闇に意識を向けて気配を探っていたが特に変化はない。今のところは大丈夫か、と緊張を解いたダンテは椅子に腰かけ、二丁拳銃のメンテナンスを始めることにした。

 * * *

「そんなに広いバスルームじゃないけど、自由に使っていいから」

 そうトリッシュに言われてバスルームに押し込められた紫乃は、とりあえずダンテとトリッシュの言葉に甘えてシャワーを浴びることにした。
 衣服を脱いで長袖のブラウスの下から現れたのは、右腕に巻かれた包帯だった。それを解いていけば、赤い2cm程度の丸い宝石のような石と、それを中心とした植物のツタに似た黒い痣のような模様が見えてきた。その痣は大きさにしてみれば直径5cmもないが、白い肌に黒い痣のコントラストは目に痛い。

 やがて身に着けていたものを全て脱いでバスルームへ足を踏み入れる。蛇口をひねればすぐにお湯が降り注いできた。ちょうど良い温度のお湯はたちまちバスルームを湯気で満たす。
 掃除の時に付着した汚れはすぐに洗い流され、紫乃はゆっくりと息を吐き出した。本当は日本の風呂のように、浴槽にたっぷりとお湯をはってじっくりとつかりたいのだが、水道代を考えると贅沢を言えない。
 汗や汚れを洗い流した紫乃は蛇口をひねってバスタオルで身体を拭き、トリッシュから渡された下着を手に取ると、驚いてほんのわずかに硬直した。

「え……」

 白い女性用の下着には間違いないのだが、問題はそのデザインだ。一見すると高価な物ではないかと見間違うほど繊細なレースが使われていた。

「これ使っていいのかな……」

 だが、受け取った下着はショーツだけでブラジャーが見当たらない。まあこのあと寝るだけだし、と何とか自分を納得させた紫乃は、今度は寝間着を広げる。

「……こ、これは……」

 ネグリジェだということはわかる。日本ではパジャマを着ているのでネグリジェを着た経験はないが、この服は確かにネグリジェだ。
 下着と同じく、寝間着として渡された服もこのネグリジェ一着のみ。意を決して袖を通してみれば、胸の部分が無駄に大きく開いていた。
 紫乃のバストサイズは大きすぎず小さすぎず──日本人女性としては平均的なサイズで、自慢出来るほどの豊満なバストは持っていない。

(こんなに胸が大きく開いていても、人に見せるほどの胸はないし!)

 何だか今すぐ日本に帰りたくなってきた。着慣れたパジャマに着替えたい。だが、ここを出てシャワーを使い終えたことをダンテやトリッシュに伝えないと、彼らに対して申し訳ない気持ちがあるのも事実である。
 ネグリジェの袖の長さは七分丈。右腕の痣もちょうど手首と肘の中間にある。ネグリジェの袖では隠しきれないので、再び包帯を巻いて痣を隠した紫乃は、自分の着ていた服をまとめてバスルームを出た。

 廊下の向こう側からダンテとトリッシュの話し声が聞こえている。紫乃は胸元を隠そうと、出来るだけ襟をたぐりよせて二人のところへ行った。

「シャワーありがとうございました」

 紫乃に振り向いた二人はそれぞれの反応を見せた。
 トリッシュは、自分の用意したネグリジェを着てくれて嬉しいようで「似合ってるわ」と言ってくれた。一方、ダンテは銃のメンテナンスの手を止めて紫乃をぽかんと見つめるのみ。

「ダンテさん?」

 紫乃が小さく首を傾げて名前を呼ぶと、彼はようやく返事をした。

「あ……何だ……さっぱりしたか?」

「はい。ダンテさんは銃のお手入れですか?」

「ああ。昔からずっと使い込んでる大事な銃さ」

 黒と白の二丁の銃を丁寧に手入れしているその姿を見ただけで、どれだけ大事にしているかがわかる。

「さて、次は私がシャワー浴びるわね。どうせダンテは銃のメンテにまだ時間がかかるでしょうし」

 あ、とトリッシュは歩みを止めて紫乃の持っている服をさっと取り上げる。

「これ、洗濯しておくわね。明日着られるようにしておくから」

 そう言ってトリッシュは靴音を軽やかに響かせてバスルームへと姿を消した。

「その腕どうしたんだ?」

 ダンテが尋ねると、紫乃は自分の右腕に視線を落とす。

「あ……ちょっと怪我をしているので」

 ふうん、と相槌をうったダンテはそれ以上言及することはなかった。銃を机に置くとおもむろに立ち上がり、ジュークボックスの隣にある小さめの冷蔵庫を開けた。

「何か飲むか……って言っても酒しかないんだが……ん? これジュースか?」

 冷蔵庫の中はどれも飲み物で、よく見れば酒のラベルがほとんどだったが、赤い缶に斜めに傾いた白いロゴの炭酸ジュース──コーラが紛れ込んでいた。おそらくトリッシュが遊び半分で入れたものだと思われる。
 冷蔵庫の横のソファーに紫乃を座らせたダンテは、コーラを取り出して彼女に手渡した。

「ありがとうございます」

 プルタブを開けると、シュワッという軽快な音が響く。炭酸特有の音だ。飲めば甘さが口の中に広がり、同時に炭酸の泡がぱちぱちと弾ける。

「ふー……美味しい」

 日本でも見慣れた赤い缶の炭酸ジュースはよく冷えており、風呂上りの火照った身体にはとても心地良いものだった。

「ふむ……いい眺めだ」

 紫乃は、ソファーの前に立ったダンテがこちらを見下ろしていることに気づいた。
 いい眺めとは何だろう、と疑問に思いながらダンテの視線の先を考える。彼は自分を見下ろしている。ではその視線はどこに向かっているのか、と思い至ったところでハッとした。ネグリジェの大きく開いた胸元。トリッシュのように豊かなサイズではないにしても、そこには胸があって谷間が出来ている。

「やだっ……」

 慌てて両手で胸元を覆い隠した紫乃だが、その拍子に缶の中身が飛び出し、ダンテの赤いコートに染みを作る。

「あっ、ごめんなさい! えと、ティッシュは……」

 何てことをしてしまったのだろう。せっかく快く一晩の宿を貸してくれる相手の衣服にジュースをひっかけてしまった。早く拭き取らなければ、と周囲を見てもティッシュらしき物は見当たらない。
 どうしようと慌てる紫乃とは対照的に、ダンテは特に怒る様子もなく大丈夫だと言った。

「気にするな。どうせ洗えばいいんだから」

 そう言ったダンテは、コートを脱ぐ。コートの下には黒いインナーシャツを着ており、服の上からでもわかるほど彼は逞しい筋肉の持ち主であった。

「…………っ」

 ダンテの肉体に、紫乃は胸が高鳴ったことを自覚した。よく男性が「女性のなめらかな身体の曲線に魅力を感じる」というが、今はそれとは逆のことが起こっていた。
 何だかドキドキしてきた。どうしよう、彼を直視出来ない。ああ、こんな気持ちになるのはきっとネグリジェのせいだ。
 そう自分に言い聞かせた紫乃は缶に視線を落として立ち上がる。

「あの、私、部屋に行きますのでっ」

 表面に結露し始めた缶ジュースを両手に持ったまま、紫乃はダンテを見ることなく足早に階段を駆け上がり、自分にあてがわれた部屋に入った。

「ちょっとからかいすぎたか」

 一人残されたダンテは二階を見上げ、小さく苦笑を漏らした。


2013/04/13
2023/08/26 一部修正

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