第3話 掃除


 トリッシュが空き部屋の掃除を続けているとピザが届いた。通常ならばオリーブ入りのピザであるが、届けられたそれに黒い実はトッピングされていなかった。
 そのことを紫乃が尋ねると、ダンテがオリーブ嫌いなので載せないようにしていると返答があった。半人半魔の逞しい男があんな一口サイズの小さな実が苦手という事実に、紫乃は何だか微笑ましい気持ちになった。

 それにしても、アメリカはサイズが大きい。日本に比べて大食のアメリカはハンバーガーやお菓子、ジュースなどの食料品はもちろん、あらゆるもののサイズが大きい。そのことは知っていたが、いざ実際目の前に出されるとその大きさに圧倒されてしまう。
 届けられたピザも例に漏れず、日本のものよりも大きい。おそらく紫乃の分も考慮して大きなサイズを注文したのだと思われるが──大きい。見ただけでお腹いっぱいになってしまう。
 何とか一切れは食べたのだが、二切れ目を完食出来る自信がなかったので辞退した。そんな紫乃を見たダンテとトリッシュは驚いたようで、トリッシュに至っては「もっと食べないと倒れちゃうわよ」と心配してきたほどだ。
 もともとたくさん食べる方ではないので一切れで充分だと言えばトリッシュも納得したのか、それ以上ピザを勧めることはしなかった。

 やがてピザを食べ終えるとダンテは大剣と二丁拳銃を持って事務所を出て行った。依頼された仕事をするためだ。

「トリッシュさん、ダンテさんのお仕事って何ですか?」

「デビルハンターよ」

 女二人だけになった事務所内はお喋りなダンテがいなくなるとかなり静かになるが、嫌な静けさではない。

「悪魔を……狩る?」

「ええ。人間を襲う悪魔を狩る──それがダンテの仕事」

 トリッシュはダンテと出会った当時を思い出しつつ、紫乃に語った。
 自分は魔界にいた魔帝ムンドゥスによって、人間であるダンテの母に似せて作られた悪魔であった。当初はダンテを始末するための存在だったが、その彼に命を助けられて、今では相棒として依頼をこなすこともある、と。

「ダンテさんのお母さんは人間……じゃあ、お父さんは……」

「魔剣士スパーダよ」

 そう言って、トリッシュはダンテの座っていた椅子の後ろの壁を指差す。そこには人の身長と同じくらいの大きな剣が立てかけられていた。

「その剣はスパーダ本人が使っていた物でね。今はダンテが所有者」

 スパーダ。
 その名を紫乃は聞いたことがある。そうだ、確か母親から──

「……私、スパーダという方を知っています」

「え?」

「昔、母から聞いたことがあります。母はスパーダおじ様とは知り合いで、よくその方のことを話していました」

 幼い頃の記憶。
 母は父の実家である屋敷の縁側で、紫乃に幾度もスパーダの話をしてくれた。魔剣士である彼はどんな悪魔もかなわないほどに強く、悪魔でありながら人間に危害を加えることはしない男。
 そして、彼が人間の女性を愛したことも母から聞いた覚えがある。

 これは偶然の出来事なのだろうか、とトリッシュは驚いていた。紫乃の母親は悪魔だという。悪魔であればスパーダの名を知らない者はいないが、まさかそのスパーダと紫乃の母親が知り合いだったとは。

「そう……。ねえ、紫乃のお母さんってどんなひと?」

「とても優しくて、強いひと……」

 紫乃は母親の姿を思い浮かべた。優しくていつも穏やかに笑っていて、しかし襲いかかる悪魔から家族を守ってくれた強いひとだ。

「あ、そうだ。トリッシュさん、掃除道具はどこにありますか?」

「えっと……確かそこに」

 一階の奥に行けば、外から見えないような位置に小さな廊下がある。そこにはいくつかドアがあり、一番奥のドアを開ければ、ほうきやバケツといった掃除道具が収納されていた。

「いきなりどうしたの? 掃除でもする気?」

「さっきダンテさんに頼まれたんです。泊まるなら掃除してくれないか、って」

「まあ……女の子だからってお客様にそんなことさせるなんて!」

 トリッシュは紫乃を客人として招いたつもりなのに、掃除をさせるとはどういうつもりだ。この場にいないダンテに怒りをあらわにするトリッシュだったが、紫乃が慌ててなだめる。

「いいんですよ。突然転がり込んだ上に泊まらせていただけるんですから、お掃除くらいさせてください」

 ダンテさんが戻るまで綺麗にしてみせますからと意気込む紫乃を、トリッシュは無理にやめさせることはしなかった。

「……そう? あなたがそう言うならお願いしようかしら」

 トリッシュの了承を得た紫乃は掃除を開始した。今の格好だと衣服が汚れてしまうので、まずはエプロンの用意だ。しかし、生憎『Devil May Cry』にはエプロンはないとトリッシュに宣告されてしまった。
 どうしよう。掃除をする前に問題が発生した。

「そのままでいいんじゃないかしら。汚れたら洗ってあげるわ」

「え、でも……」

「早くしないとダンテが帰ってきちゃうわよ」

 う、と紫乃は言葉に詰まった。
 掃除が終わらないままダンテが帰ってきても構わないのだろうが、一仕事終えて疲れているだろう。せっかく出迎えるのなら、綺麗に掃除を終えた状態で帰りを待ちたい。
 やはりここはトリッシュの言うとおり、エプロンは諦めてこのまま掃除を始めが方がいいかもしれない。

「そう……ですね。ダンテさんが早く帰ってくるかもしれませんし、今は掃除を終わらせるのが先ですね」

 気持ちの切り替えが早いところが長所でもある紫乃は、動きやすいようにスカートの裾を結び、長い髪をひとまとめにして掃除を開始した。
 紫乃だけではどれが必要でどれが不必要な物かの判別がつかないので、トリッシュには監督という形で指示を仰ぐ。
 大きなビニール袋にいらないゴミをまとめ、乱雑に置かれたダンボールを整理し、ほうきで床のゴミを掃き、窓ガラスを拭く。もちろん、ジュークボックスや小さなバーカウンターを綺麗にすることも忘れずに。
 掃除の途中、ふと壁にかけられたボードにいくつもの銃が飾られていることに気づく。

「トリッシュさん、あの銃は……」

「ダンテの武器よ」

 それならば銃は扱わない方が良いと判断した紫乃は、まだ掃除していない場所へ移動することにした。
 一階奥の廊下に向かい、一番手前のドアを開ければ小さいスペースながらもキッチン設備やダイニングがあった。しかし、日頃ほとんど使われていないようでコンロやシンクは本来の輝きを失い、流し台にはまだ洗われていない食器がいくつか放置されていた。

「わー……」

 男所帯だと家事がおろそかになりがちという話は聞くが、ダンテもそのタイプであるようだ。
 いや、ここはマイナス方面で考えてはならない。この事務所は全体的に掃除のし甲斐がある──そう思うことにした紫乃は、キッチンの掃除に取りかかった。

 その後、キッチンの次はバスルームやトイレなど、あらゆる場所の掃除をてきぱきと済ませた紫乃は、一階でくつろいでいるトリッシュの元へ戻った。
 紫乃の顔や手、ブラウスの袖口はところどころ黒く汚れている。それだけで掃除を頑張ってくれたのだとわかる。

「トリッシュさん、一階の掃除はおおかた終わりました」

「早かったわね、ご苦労様」

 紫乃の掃除の手際の良さに、トリッシュは驚きつつも感心していた。日本人は働き者だとよく言われるが、まさに紫乃はそのタイプであった。

「次は二階の掃除をしたいんですけど……」

「ああ、二階は寝室くらいしかないし、しなくていいわ。それより、紫乃の部屋を見てくれないかしら? 掃除は終わってるから、あなたの好きにしていいわよ」

 紫乃の持っていた雑巾やバケツを床に置かせたトリッシュは、紫乃を連れて二階へ上がる。階上の空き部屋を、紫乃の部屋としてトリッシュは用意したのだ。
 部屋の隅には小さなテーブルと椅子があり、埃避けとして白い布がかけられたソファーが置かれている。壁には窓もあるので、採光については特に問題ないようだ。

「さすがにベッドはダンテと私の分しか置いてなくて……あ、寝る時は私の部屋を使ってもいいわよ。どうせ普段ここにはいないんだし」

「いえ! ソファーで大丈夫ですから!」

 今夜泊めてもらうだけなのに、住人のベッドを借用しようなんて考えは欠片も持ち合わせていないので、紫乃は慌てて首を横に振る。

「でもソファーだと疲れが取れないでしょ?」

 私のことなら気にしなくていいのに、とトリッシュが呟いた時、一階の扉が開いたこと音が聞こえた。その瞬間、紫乃は右腕に痛みが走り、わずかに顔をしかめる。

「あら、もう帰ってきたのかしら?」

 幸い、トリッシュは階下の音に意識を向けているので紫乃の変化には気付いていないようだ。

「私、迎えに行ってきます」

 痛みはすぐにひいたので紫乃は階段を下りる。一階にはトリッシュの言ったとおり、大剣を背に担いだダンテが扉の前に立っていた。

「ダンテさん、おかえりなさい」

「ああ……ってか、もう掃除済んだのか?」

「まだ全てではありませんが、日常的によく使うところは」

 室内をぐるりと見渡すダンテの口はぽかんと開いていた。
 それもそうだろう。ピザを食べ終えて仕事に出たのがほんの三、四時間ほど前。今まで部屋の隅に放置されていたダンボールなどが整理されており、あふれ返りそうになっていたゴミ箱の中身がなくなっている。窓や床もすっかり一変し、見る角度を変えれば電気の明かりを反射しているではないか。
 机にエボニー&アイボリーを置き、リベリオンを壁に立てかけたダンテは、奥の方も覗いてみることにした。キッチンには確かまだ洗っていない食器もあったはずだが、と思いながらキッチンへ入ると、

「Wow……」

 別世界だった。薄汚れていたキッチン設備はピカピカに磨かれ、新品同様の輝きを放っている。また、流し台に放置していた食器も洗われていた。
 ヒュウ、とダンテは軽く口笛を吹く。

「凄いじゃないかお嬢ちゃん」

 改めて紫乃を見れば、彼女の顔や手は黒く汚れている。スカートの裾も結んで動きやすい格好になってはいるが、やはり服も汚れている。

「早かったのね、ダンテ」

 階段の上からトリッシュの声が聞こえてきた。

「ああ。もう少し時間がかかると思ったんだが、あんまり手ごたえなくてな。予定より早く終わらせて戻ってきた」

 相棒とそんなやり取りをしている間も紫乃は二人の邪魔をすることなく、掃除に使用したバケツや雑巾を片付けていた。それを何の気なしに眺めていたダンテだったが、彼の視線に気づいた紫乃が「あ」と小さく呟いてスカートの裾に視線を落とす。
 エプロンを身につけず、スカートの裾を結んで太腿があらわになった格好はあまり感心出来たものではない。事務所にいたのは同性のトリッシュだけだったが、今はダンテがいる。さすがに異性の前でこの格好はないだろう、と紫乃の羞恥心に火がつき、大慌てで裾をほどいた。

「ご、ごめんなさい……こんなみっともない姿……」

 恥ずかしそうに眉尻を下げる彼女の、何と可愛らしいことか。紫乃は本当に、今までダンテの周囲にいなかったタイプだ。
 そんな紫乃の言動に、ダンテはふきだして大きく笑った。


2013/04/10
2023/08/26 一部修正

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