第1話 もう一人の半魔
紫乃はアメリカの地を踏んだ。今日初めてのことではなく、過去に何度か来たことがある。今までは観光を主とした渡米だが、今回は違う。
「あの悪魔はこの街にいるみたいね……」
紫乃は純粋な人間ではない。人間の父と悪魔の母を両親に持つ半人半魔であるが生まれも育ちも日本で、もちろん学業面に関しても日本の学校に通っていた。
悪魔だった母親は紫乃が十歳の頃に亡くなった。悪魔としての姿を見たことはあるが、一般的に言われるような禍々しさはなく、むしろ美しいと幼心に感じたことを覚えている。
そして、これまで一緒に暮らしていた父親はもともと身体が強い方ではなく、一年前に病死した。
父親の両親も既に他界しており、実質的な紫乃の身内はこの世にいなくなった。寂しくなる時もあるが、いつまでも落ち込んではいられない。
家を離れてアメリカにやって来た理由は、ある悪魔を追ってきたからである。その悪魔を見つけて倒さなければいけない。
「……早く見つけないと……」
きゅっと口を閉じて左手で右腕をそっと掴み、握り締めた。追っている悪魔の気配は感じるが曖昧で、どこに潜んでいるのかがはっきりとわからない。
ひとまず、この街にいることは間違いないので、紫乃はいろいろ歩いてみることにした。
* * *
「……疲れた……」
あれからずっと街中を歩き、母親から受け継いだ悪魔の能力である『空間を繋いで渡る力』も使っていろいろな場所で悪魔の気配を探ってきたが、相変わらずはっきりとした所在はわからずじまいだった。
街に来た時はまだ高い位置にあった太陽が、今は西の空に沈もうとしている。
相手は悪魔であるから、活動時間は日中よりも夜だろうか。それならこのあとも探した方が良いかもしれないと思いつつ、ひとまず休憩しようと決めた紫乃は、路地の入口付近に積み上げられている木箱の一つに腰かけて一息ついた。
ちょうど今いる場所は人の往来がない、一言で言えばスラムのような場所。ただの人間ならばスラムには近寄りたくもないだろうが、紫乃は半分悪魔である。いざとなったら空間を移動し、逃げれば良い。
さて、今夜はどうしようか。日本の家に戻るか、この街のホテルで空室を探してみるか、それとも悪魔探しを続けるか。
「やぁ、嬢ちゃん一人かい?」
「誰か待ってんのかなぁ?」
今夜の予定を考えていると、二人の男が紫乃のすぐ目の前に立っていた。どちらの男も、一目で下心丸出しとわかる下品な笑みを浮かべている。その上、背が高いので紫乃は二人に見下ろされる形となり、紫乃を逃がすまいと迫ってくるので威圧感がある。
「暇だったら俺らと楽しく遊ぼうぜ」
「いえ、結構です、間に合っています」
「つれねぇなぁ。そんなこと言わずに1時間……いや、30分だけでいいからさ」
「このあと予定があるので失礼します」
紫乃は目を合わさずに男達の合間をすり抜けようとしたのだが、
「おっと、まだ話は終わってないんだけどなぁ」
一人が紫乃の腕を掴んで引き止め、もう一人が紫乃の肩に腕を回してきた。何とかして引き剥がしたいが思ったよりも力が強く、簡単には放してくれそうにない。
空間を渡るにしてもなるべく他者に見られたくないのだが、ここは仕方ない。能力を使ってすぐそばに空間を繋いだ『ゲート』を出現させた、その時──
「あら、女の子一人を男二人で強引にナンパするなんてなんて感心しないわね」
女性の声が辺りに響いたので紫乃はすぐに『ゲート』を消した。
男達の後ろに現れたのは、黒い皮のビスチェに身を包んだ金髪の女性だった。脚はすらりと長く、豊満な肉体は同性の紫乃すら羨むほどだ。
「げっ……」
女性の顔を見た瞬間、男達は青ざめた。
「その子嫌がってるじゃない。ほら、さっさとその手を放しなさい」
腕を組んでキッと女性が睨むと、今まで紫乃の腕や肩に触れた男の手がすぐに離れる。
「『Devil May Cry』にかかわっちゃいけねぇや……!」
「わ、悪かったな嬢ちゃん……」
大の男二人が一人の女性に動揺し、怯えている様は何とも滑稽である。冷や汗を流しつつ、二人は足早に逃げていった。
「どうもありがとうございました」
窮地を救ってくれた女性に、紫乃はぺこりと頭を下げる。
「気にしないで。それより、どうしてこんなところにいるの? 治安は良くないから一人じゃ危ないわよ」
「えっと……」
「さっき変わったものが見えたんだけど……あなた、悪魔?」
男達には気付かれていなかったが、女性には見られたようだ。どう説明しようか考えあぐねていると、女性が含みを持った笑みを浮かべた。
「んー、見た感じアジア系ね。人間に見えるけど悪魔の力を使うなんて……もしかして半魔かしら?」
女性は顎に手を当てて小さく首を傾げる。そんなちょっとした素振りも絵になるから美人は羨ましい、と紫乃は心の中で呟いた。
「あの……悪魔のことを知っているんですか?」
何度も悪魔のことを口にし、半魔という言葉も出てきた以上、この女性は悪魔について何か知っている。そう踏んだ紫乃が尋ねれば、女性はあっさりと頷いた。
「ええ。ここで立ち話も何だし……ついてきて」
「あ、いえ、大丈夫ですから……」
両手を胸の前でぶんぶんと左右に振る紫乃。日本人ならば両手を横に振るのは拒否や断りのしぐさとわかるが、女性は首を傾げた。どうやら手の動きの意味について理解していないようだ。
「なぁに? とって食おうってわけじゃないわよ。今から行くところにあなたと同じ人がいるの」
こんな物騒な場所に女の子を一人にさせるほど落ちぶれちゃいないわ、と女性は付け加えた。
──自分と同じような人がいる?
紫乃には唐突すぎてすぐには理解が追いつかなかったが、とりあえず今はこの女性について行った方がいいかもしれない。そう結論を出した紫乃は首を縦に振った。
「……わかりました。あ、ええと……紫乃です」
「私はトリッシュ。よろしくね」
にこりと笑ったトリッシュは、とても綺麗だった。
* * *
日が暮れ、『Devil May Cry』というピンク色のネオンサインを紫乃は見上げた。先程ナンパしてきた男が『Devil May Cry』にかかわってはいけないと言い、怯えた様子であったことを思い出す。
危険な店だったりするのだろうか、と紫乃はネオンサインを見上げた状態のまま冷や汗を流した。
「紫乃、いらっしゃい」
肩越しに振り向いたトリッシュに名前を呼ばれて、紫乃はびくりと肩を震わせる。
彼女はナンパ男を追い払ってくれた、優しく笑いかけてくるいい人。そう思っていたのに、このまま建物の中に入っても良いのだろうか。
「ほら、早く」
トリッシュは立ちすくむ紫乃の手を掴み、ドアを開けて中に入った。
「ダンテ、いるかしら?」
ドアをくぐった室内は結構広い空間だった。一階フロアには大きなサイズの木製の机や椅子が置かれ、フロア右手後方にはジュークボックス、さらにその奥には小さなバーカウンターらしき設備も確認出来る。
そして、奥の椅子に座って机に両足を乗せて雑誌を読んでいる人物がいた。男性のようだ。
「何だトリッシュ、早かったな。もう帰って来たのか」
トリッシュの呼びかけに応じたものの、男は雑誌から目を離すことなく返答する。
「そんなことより、面白い子を見つけたの。ダンテと同じ子」
こちらにいらっしゃい、とトリッシュに手を引かれたまま、紫乃は机の前に連れて行かれた。
「俺と同じ……?」
気にかかる言葉に男は初めて動きを見せた。
雑誌を下ろして紫乃の正面に現れたのは、見たことのない髪の色をした男だった。髪はサラサラとした銀色、瞳は透き通ったアイスブルー。そんな涼しげな色とは正反対の、黒い七分袖のインナーと真紅のコートを身に纏った彼は「ほお」と小さく声をもらした。
「アジア系か……ちっこいから日本人か?」
そう言われて紫乃は内心へこんだ。確かに欧米人と比べたら日本人は背が低いが、自分は平均的な身長なのに。
「……初めまして、紫乃です」
「ダンテだ。ここ『Devil May Cry』の店主をしている」
ダンテと名乗った男は口の端を吊り上げて小さく笑った。顎には無精髭が生えている。
笑った顔は何処か少年らしさがが残っているように見えると紫乃は感じた。
2013/04/10
2023/08/23 一部修正
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