バレンタイン企画 | ナノ



「お疲れさまでしたー」


そう挨拶をしてオフィスを出る。駐車場に繋がる通路を歩いていると、先方に鮮やかな青い羽織が見えた。


「(津軽さん……)」


津軽さんはウチの事務所の看板アイドル的存在だ。その歌声と容姿が人気を集め、今やファンクラブまで存在している。性格も温厚で、スタッフからの人気も高い。

そして私は、そんな津軽さんに密かに恋をしていた。


「……つが、「ようみょうじ、今帰り?」


少し迷って声を掛けようとした矢先、後ろから先輩に肩を叩かれて思い切り心臓が跳ねた。びっくりした…てか津軽さんこっち見てる!?


「(あ……、)」


体を半分こちらに向けた津軽さんの腕の中には、大量の箱や袋。さきほども言ったが、津軽さんはスタッフからも人気が高い。それに今日はバレンタイン。その中身が何か、なんて、すぐに想像できた。

津軽さんはしばらくこちらを見ていたけれど、結局また踵を返して通路の向こうへ行ってしまった。


「(行っちゃった)」

「帰るなら、裏口に置いてある段ボール、津軽に届けてくれないか?」

「え…」

「津軽宛てのチョコレートが大量に届いたんだけど、マネージャーが風邪でダウンして持っていけないんだよ」

「なんで私が」

「だってお前、津軽のお隣さんだろ?」


頼んだぞ、とまた私の肩を軽く叩いて先輩はオフィスに戻ってしまった。
そうなのだ。あろうことか私と津軽さんはマンションのお隣さんだったりする。売れたから引っ越すのかと思ったら、意外にも津軽さんはそこに住み続けていた。

……正直、嫌だ。私も…私だって、津軽さんにチョコレート渡したい、のに。あんなに大量のチョコがあるから、渡せない。ただの一ファンだと、思われたくないから。


「でも…仕方ないか」


これも一種の仕事だ。ため息をついて、私は裏口へと進路を変更した。





大きな段ボール二箱を一つずつ、やっとの思いで運び終える。変に緊張しながらお隣さんのインターホンを押した。


「……なまえさん!」

「こんばんは」


ドアから顔を出した津軽さんは、普段とは違ってどことなく幼い表情をしていた。……可愛い、かも。
足元に置いた段ボールを持ち上げて津軽さんに差し出す。


「これ、津軽さん宛てに届いたチョコレートです。マネージャーさんの代わりに私が配達しに来ました」

「そんな…言ってくれれば俺が自分で持ち帰るのに」

「こんなにたくさんの量を自分で持ち帰らせるわけにはいきませんよ」


軽く笑うと、津軽さんはなんとも言えない複雑な顔をした。本当に優しい人だ。


「それにしても、こんなにたくさんのチョコレート…すごいですね。さすが津軽さん」

「いや…。でも、たくさん貰っても本命から貰えなきゃ意味ないし…」

「え…本命、いるんですか」


津軽さんは困ったように笑った。…いるんだ、好きな人。しかも津軽さんの…片想い?
チョコレートを抱えた津軽さんを見たときより、チョコレートが入った段ボールを見たときより、胸の奥がずきりと痛んだ。ごまかすように津軽さんとの話を切り上げて、「それじゃあ、失礼します」と自分の部屋に入る。津軽さんは最後まで苦笑していた。

部屋に入り、冷蔵庫から作った生チョコを出してテーブルに置いた。着替えもせずベッドに背中を預けて膝に顔を埋める。


「……バカみたい」


何が一ファンだと思われたくない、だ。お隣さんだからって、特別なわけないのに。津軽さんには、もう好きな人がいるのに…!


「う……、」


足と足の間に、雫が零れる。
情けない、情けない。
必死に声を押し殺すけど、口の間から漏れる嗚咽は部屋の中に響いた。やだ、隣に聞こえてたらどうしよう。


「でも、むり…っ」


抑えきれない感情が溢れるように涙も溢れる。テーブルに置いた生チョコをちらりと見た。津軽さんの好きな、ビターチョコ。でも、もうこれを渡すことはない。


「好き、でした」

ピンポーン──…。


私が呟いたのと同時に、部屋のインターホンが鳴った。誰だろう。訪ねてくる人物に心当たりはない。
ドアスコープを覗くと、そこには鮮やかな青い羽織。


「津軽さん…?」

「いきなりすみません。少し、話せないかと思って」


ドア越しに聞こえる低い声。今会ったら確実に涙腺が崩壊する気がする。だけどこうして来てくれたのに、断るのも嫌だった。から、袖で乱暴に涙を拭って、なるべくいつも通りの笑顔を貼りつけてからドアを開ける。


「良かった。開けてくれないかと思った」

「まさか。津軽さんならいつでも大歓迎です。それで、お話というのは…、」

「ああ…ええと、」


用事があって来たはずなのに、津軽さんはなかなか用件を言わない。首を傾げていると、津軽さんはようやく口を開いた。


「ただ、なまえさんが…泣いて、いるような気がして」


え、と。一瞬何を言われたのか分からなくて目をぱちくりさせた。だけど津軽さんの言葉を理解した途端に、案の定私の涙腺はあっけなく崩壊してしまって。
ぼろぼろ零れる涙で滲む視界に、慌てたような津軽さんが映る。ああ恥ずかしい、恥ずかしい…!

ごめんなさい、と言ってドアを閉めようとした私の視界は、一瞬で青に包まれた。


「は…え?」

「なまえさんが泣くと、俺も辛い」


津軽さんの大きな手が、私の肩と腰に置かれている。嘘…これ、もしかして抱きしめられてる…!!?
あまりの驚きに涙は止まっていた。頭上で津軽さんが息を吸うのが聞こえる。


「俺がどうして引っ越さないのか、わかりますか」

「え…?」

「ここにいれば、少しでもなまえさんの傍にいれるから」


頭上から降り掛かる声がするすると耳に入るたびに、私の鼓動が加速する。


「好きなんだ」


心臓が、止まるかと思った。
信じられない。津軽さんが、私に、好き、って。
でも、嬉しい。嬉しいよ。そんなこと言われたら、私自惚れちゃう……。


「私…も、好きです」

「!そうか…」


抱きしめられた腕に力が込められる。押し当たる津軽さんの胸板から、津軽さんの鼓動が聞こえてきた。私に負けず劣らず、速い。

もう少しこのままでいたいけど、ドアは開け放たれここはギリギリ外だ。私は抱きしめられたまま顔を上げて津軽さんに笑い掛けた。


「とりあえず、中でお話しませんか?……チョコレート、あるので」


その時見せた津軽さんの笑顔は、今日一番嬉しそうだった。






近くて遠かった隣

「やっと貰えた」
「何をです?」
「本命チョコを、本命の相手から」
「……っ!」






◆◆◆◆◆
ちゃんと切なく甘いお話になってるのか、激しく不安でありますがたみさまに捧げます。遅くなってしまい申し訳ありません…!
津軽は最初敬語なしだったのですが、なんだかものすごく高圧的になってしまったので、少し敬語を混ぜました。

たみさま、ありがとうございました!