とりあえず、風呂入る?と聞くとこくりと頷いたので脱衣場に案内してから、1分もせずに小さな悲鳴と共にずぶ濡れの空がリビングに駆け込んできた。
「い、いいい臨也さんッ」
「落ち着いて。まずはちゃんとタオル巻き付けようか」
タオルを全身に巻いていたのだろうが、濡れたことと走ったことによりはだけてしまっている。
なるべく直視しないようにしながら、すみません、とタオルを巻き付けた空にどうしたの、と尋ねた。
「えっと、なんですかあの細長いの!いきなりお湯が出てきて止まらなくて!」
「ああ、シャワーね」
どうやらシャワーを使うのは初めてらしく、あわあわとしている。そんな空が酷く人間臭くて可愛らしくて笑ってしまった。
でもどうしようか。この様子だと一人で風呂に入れるとは思えない。だからと言って一緒に入る訳には……、
正直、手を出さない自信が、ない。
「…このままじゃ風邪引いちゃうね。とりあえず風呂場に戻ろう」
冷えてきた肩を押して風呂場へ向かうと、ガチャリ、と玄関が開いた。
……ナイスタイミングだよ。
「意味が分からないわ。前々から思っていたけど、とうとう頭がやられちゃったのかしら」
冷たい言葉を言い放った張本人は相変わらずの無表情で俺を見下ろした。
あのあと仕事に来た波江に「風呂に入れてやって。というか、入り方を教えてやって」と半ば強制的に頼んだ。
入浴を終えてニコニコしている空とは対照的に、波江は見るからに不機嫌だ。
「事実なんだからしょうがないじゃないか。ほら見てよ、この悲惨な窓ガラス」
「寒いし見なくたって視界に入るわよ。それよりもあなたの頭の方が悲惨なんじゃない?」
どうしてこう人を貶すのが得意なんだろうねぇ。さっきから俺の話を全く信じてくれない。まるで俺が悪いみたいな雰囲気だ。
すると、さっきまでニコニコしていた空が申し訳なさそうに口を開いた。
「それ、私が割ったんです。すみません」
「新たな臨也信者かしら?止めた方がいいわよ、ろくな奴じゃないから」
「弟をストーカーした挙げ句恋人の顔を溶かそうとした人に言われたくないなぁ」
「あら、悪い蟲は潰すに限るじゃない」
「あの……」
お互いにハン、と鼻で笑い合っていると、空がぺたぺたとこちらへ近づいてきた。
そう言えば、風呂場から直行したので裸足のままだ。
「ああ、危ないよ。まだガラスの破片が落ちてるかもしれない」
「大丈夫です。あの、私直します」
「「は?」」
波江と声を揃えて怪訝な顔をすると、空は黙って目を閉じた。
「…………嘘でしょう」
「妖精の首を解剖した君がそんなことを言うの?最も、俺も俄かには信じられないけど」
一瞬だった。
ふわりと空から光が生じたかと思うと、その光が消えたとき、既にガラスは元通りになっていた。
何が起こったのか分からない、というのが率直な感想だ。どうやっても科学的には説明不可能。
このことを周りの人間に話せば、それこそキチガイだと思われるだろう。
「これで、信じてもらえますか?」
「え?えぇ……」
空は珍しく動揺しながら頷く波江を見ると、良かった、と小さく息をついて微笑んだ。
「これで、臨也さんのこと酷く言いませんよね」
「え?」
「力を使えば窓も元通りになって、私が天使だということも証明できるので、臨也さんが嘘をついてないってわかったと思うんですけど……」
あの、臨也さんのこと余り悪く言わないでください。
そう続けた空に、俺も波江も本日2回目の意表を突かれた。
「……ッああもう!」
とりあえず、空をぎゅうっと抱き締める。波江の冷たい…というか、どん引きした視線は気にしないことにした。
ふわりと石鹸の香りが鼻を擽る。……どうして女の子って同じ石鹸でも男よりいい匂いするんだろう。
「どうでもいいけど、仕事に支障をきたさない程度にしてね。ただでさえお風呂でタイムロスしてるんだから」
諦めたようにため息をつき、波江は仕事に取り掛かった。と、するりと空が腕から抜ける。
「手伝います」
「あら、感心ね」
「最初だけやり方を教えてください」
「なら俺が教えるよ」
「私で事足りるわ。それより情報処理をさっさとやって頂戴」
波江は俺と目も合わせずに書類整理のしかたを空に説明し始めた。……確信犯め。
空は空で素直に波江の言うことに頷いている。そんな2人を見て若干の苛立ちを感じながら、俺はキーボードの上に手を置いた。
秘書の仕返し
この子使って面白いことできそうね