「えっと…いってきます」
「……いってらっしゃい」
不機嫌そうな臨也さんに心の中で謝りながら、私は玄関の扉を開けた。
話は昨日の夜に遡る。
波江さんと二人でお出かけしたいと私が臨也さんにお願いしたのだ。
「なんで?欲しいものがあるなら俺が買ってあげるよ」と訝しげに言う臨也さんに負けそうになりながら、波江さんの助け舟もあってなんとか許してもらった。
ごめんなさい臨也さん。でもあなたを連れていく訳にはいかないんです…!
マンションを出ると波江さんがそこで待っていて、私は駆け寄ってぺこりと頭を下げた。
「あの、すみません、せっかくのお休みを…」
「そんなのはいいわ。それよりも、」
「え?ひゃあっ」
言うが早いか、波江さんは私の体を服の上からぺたぺたと触りだした。く、くすぐったい…!
襟の裏やポケットの中まで手を入れられて、一段落つくと今度は私の鞄を取り上げて中身を確認する。しばらくして、波江さんが何かを取り出した。
「……やっぱり」
「え?それ、なんですか?」
波江さんの手の中にあったのは小さな機械のようなもの。鞄の中にこれを入れた記憶は、全くない。
首を傾げていると、波江さんはため息をついて呆れたように言った。
「盗聴器よ。まさか本当に出てくるなんて」
「とうちょうき……?」
聞き慣れない単語にまた首を傾げる。そのとき風が吹いて、帽子が飛びそうになったのですかさず押さえようとしたら、帽子も波江さんに取り上げられてしまった。
「本当に悪趣味ね…」
帽子についたリボンの影に、また小さな機械。そういえばこの帽子臨也さんに渡された気が……。
波江さんは自分の手の平に乗った機械を少し見つめると、おもむろに口を開いた。
「……束縛する男は嫌われるわよ」
そう言って手から機械を落とし、ヒールでそれを踏み潰した。ギャリッという嫌な音を立てたあと、私の手を引いて歩きだす。
「な、波江さん」
「なに?さっさと行くわよ」
怖い…怖いです波江さん。けど言ったらもっと怖くなるので、私はなんでもありませんと首を振った。
波江さんと向かったのは、池袋にある臨也さんのマンションに負けないくらい高いマンション。
その最上階の部屋の前でインターホンを鳴らすと、白衣に黒縁眼鏡の男の人が笑顔で出迎えてくれた。
「いらっしゃい」
「こ、こんにちは!いきなりすみません」
「別にいいよ。今日は仕事ないし。それにしても波江さんまでいらっしゃるとは珍しいですねぇ」
「余計なお世話よ」
上がって、と言ってスリッパを並べ始めた男の人に、私はぶんぶんと手を振った。
「いえ、今日はお礼を言いに来ただけなので!」
「お礼?」
「はい。この間は、ありがとうございました」
そう、今日は自販機に当たった私を手当てしてくれたお礼に来たのだ。あとは貸してくれた服も返しに。
男の人は目をぱちくりすると、困ったように笑った。
「お礼と言われても、僕は何もしてないよ。君の身体は勝手にどんどん治っていったからね」
「でも、服も貸してもらいましたし…」
「ああ、それセルティのなんだ。残念だけど今は仕事で出掛けていてね」
セルティさん…。たぶんその人があの首の持ち主なんだろうな。けれど臨也さんに口止めされている私は教えることができない。
「そういえばちゃんと挨拶してなかったね。僕は岸谷新羅。君は確か空ちゃん、だったかな」
「はい。空といいます」
「唐突だけどさ、君なんで臨也と一緒にいるの?」
眼鏡を掛け直しながら新羅さんが聞いた。
なんで、と聞かれると成り行きで、としか言えない。あとは…臨也さんがす、すき、だから…?
返答に困っている私の横で波江さんがため息をついた。
「お礼を言いに来ただけだと言ったでしょう。世間話をしに来たんじゃないわ」
「あれ、波江さん随分この子に優しいんですね。弟さん以外に優しくしてるの初めて見ました」
「…どうでもいいから、平和島静雄の居場所を教えて」
波江さんはイライラしたような表情で新羅さんを睨んだ。対する新羅さんは突然の申し出にきょとんとする。
今日はシズちゃんさんにも会いに行く予定だ。だから、臨也さんを連れては行けなかった。会った瞬間に戦争勃発で、話す暇などないと波江さんに言われてしまったからだ。
「静雄?今は仕事中だろうし居場所は特定できませんよ」
「電話をかけるくらいできるでしょう」
「まぁ、それくらいは」
新羅さんは白衣のポケットから携帯を出すと、カチカチと数回ボタンを押して耳に当てた。
「……もしもし静雄?あのさ、実は君に会いたいって言う人がいて…うん、ほらこの前静雄が連れてきた子だよ。…ああ、そう、わかった」
一通り話し終えたのか、パチンと携帯を閉じると新羅さんは笑ってシズちゃんさんとの会話を教えてくれた。
「あいつ、今東池袋公園近くにいるみたいですよ。あと30分くらいで一段落つくんで、公園で待ってて欲しいみたいです」
「ありがとうございます」
新羅さんはお礼を言った私の頭を撫でて、
「臨也のこと、頼んだよ」
と、少し悲しそうに笑った。
「傍に誰かいてくれるというのは、とても温かくて、嬉しいことだから。あいつ人間大好きとか言ってるけど人間からはあまり好かれてないからね。君の存在はとても貴重で特別だと思う。だから、傍にいてあげて」
「、……はい」
そう言ってもらえるのはすごく嬉しいけれど、答えに少し詰まってしまった。
私だって傍にいたい。でも、いつまで傍にいれるか、分からない。
私に残された時間は、もう長くないから。
それから新羅さんにもう一度お礼を言って(ついでにセルティさんにも伝言を頼んで)、私と波江さんは言われた公園に向かった。
隣に波江さんがいるのに、少しだけ、寂しい気がした。
気付かされた有限
さぁ早く行かないと
時間に追い付かれてしまうよ