全員起きた後も、みんなは昨日の夜のことについて特に言及しなかった。お風呂で臨也と交わした会話から、多分みんな大方予想はついているだろう。それでも、私たちがちゃんと話を切り出すまでは待ってくれているようだ。イザにゃんやサイケが何も言わないのを見ると、誰かが口止めしてくれたのかもしれない。
ま、隠すようなことでもないから、家に着いたら説明しようと思っていたのだけれど。
「静雄、ちょっと、もうチェックアウトしないと…」
「あー…うん」
「シズってば朝からにやけっぱなしだな」
朝食を取って、帰る準備も済み、チェックアウトまでの少しの時間。私はずっと静雄に後ろから抱き締められていた。隠すようなことでもないとは思うよ?思うんだけど、これはちょっと極端過ぎやしないか。いくら私の指に指輪が無いからって、昨日の今日でこの態度。誰だって特別な何かがあったと思うだろう。
というか、もうほんと、ぶっちゃけ、すごく恥ずかしい。
「何もこんな所でこんなべったりしなくてもいいでしょ」
「……嬉しいんだからしょうがねぇ」
小声でされるやり取りに、臨也がイライラしたように指でテーブルを叩いている。トン、と叩いていた人差し指が止まったかと思うと、臨也はその人差し指を力強く静雄に向けた。
「あのさあ!いい、シズちゃん。婚約って、ただ相手に許可を貰えばいいってもんじゃないんだよ。ちゃんと相手のご両親にも挨拶に行って、結婚してもいいか話をする必要がある。そこんとこ、まさか忘れてる訳じゃないよねぇ?」
私に抱きついていた静雄がびくりと反応したのがわかった。面白いほどに動揺した静雄にため息をついて、後ろ手で頭を撫でてあげる。
確かに、結婚は当事者だけの問題だけじゃないもんね。うん、臨也の言うことは一理あるよ。そういう意味では、私も静雄のご両親にご挨拶に行かなきゃならないな。
「家帰ったら、お互いの家に挨拶に行く予定立てよう?……まあ、私のとこは最悪テレビ電話になるかもだけど」
「確か奏さんのご両親は、海外に住んでいらっしゃるんですよね」
「うん。月に1回は必ず連絡してるけど、いきなり帰ってくるわけにはいかないし。こっちが海外に行くわけにもいかないから」
ただ挨拶に行くにしては、時間もお金もかかり過ぎるもの。だから、まず帰ってから考えようかと静雄に問いかけると、「ああ」と存外しっかりした返事が返ってきた。静雄なりに、そこまではちゃんと考えていたということなんだろう。
……それよりも!
「せっかく俺らは触れないようにしてたのに…」
「臨也、言っちゃったね」
デリックとサイケがぽかんと臨也を見つめている。臨也は「どうせわかることだったんだから」と、ぷいとそっぽを向いてしまった。
「詳しい話は家で聞くとして、一先ずチェックアウトをしないとな」
「あ、うん、そうだね。ほら静雄、行くよ」
ぽんぽん、と軽く頭を叩けば、静雄は頷いて立ち上がった。臨也はイザにゃんを抱くと、思い切り静雄にあっかんべをして部屋を出て行った。20代も半ばになる男がするあっかんべー……。かっ…可愛くねぇえ…!
そう思ったのは静雄も同じだったらしい。たぶん私とは違う、もっと憎しみを込めた気持ちだと思うけど。「おい待てノミ蟲!!」とすぐに部屋を飛び出して行った。もう、ムキにならないでよ…。
「臨也なりの気遣いだろう。あれでも奏と静雄を心配してるんだ」
「いつからあいつは私たちの保護者になったの…」
「まぁまぁ。臨也も吹っ切れたみたいで、良かったじゃねーか」
「みんな行かないのー?臨也たちが待ちくたびれちゃうよう!」
玄関から聞こえたサイケの声にはっとして、荷物を持つ。あいつら、自分の荷物置いて行きやがったな。デリックがひょいひょいと二人の分の荷物まで持ち上げた。
「よっし、帰るかー」
「奏さん、帰りの運転、お願いします」
「……頑張ります」
ま、何もかも、まず家に帰らないことには落ち着かないし話もできない。苦笑する日々也に私も苦笑で返して、私たちは部屋を後にした。
「はーい到着」
「「ついたー!」」
ドアを開けて、とりあえずサイケとイザにゃんを降ろす。続々と荷物を持って車から降りるのを待って、車の鍵をかけてからふと気付く。家の鍵、誰か持ってたかな…。
そう思い玄関に視線を向けるともうドアは開いていて、安心しながら私も中に入った。
「あれ?」
玄関に入るとみんなはまだ靴を脱いですらなかった。というか立ち尽くしていて、イザにゃんは帽子を取った耳をぴくぴくと動かしたりなんかしちゃったりしてて。疑問に思いみんなを掻き分けて前に出ようとした。
「…………あれ?」
玄関に、靴が二足。並んで置いてある。男の人のものと、女の人のものと、二足。静雄たちのものでも、私のものでもない。
「しばらくの間に、ずいぶん賑やかになったのねぇ」
やたらと聞き覚えがあるその声に顔を上げる。玄関から真っ直ぐ、廊下に男女が一組立っていた。
「かぎ、あいてて」
「なのにおれ、全然気にしなくて」
サイケとイザにゃんがどことなく申し訳なさそうに言葉を紡ぐ。う、ん。空き巣とかじゃないからまだ良かったけども。
「おかえり、奏」
おかえり?寧ろあなたたちが、おかえりと言われる側じゃないんだろうかと一瞬間抜けなことを考えた。噂をすれば影、ってこういうことを言うのだろうか。朝の会話が脳内で鮮明に再生される。どうやら、飛行機で行き来する必要も、テレビ電話を繋ぐ必要もなかったらしい。
「お父さん、お母さん…」
私の両親が、穏やかに笑いながら家にいたのだから。