どくん、どくん。
さっきまで全然気にならなかった心臓の音が、やたらとうるさく鼓膜を震わせているような気がした。
時間が止まった中で、鼓動だけが秒針のように時を刻んでいるような錯覚に陥る。
「……」
「……」
漫画やドラマで見るような、あっと驚いた後の素早い回答は私にはできなかった。だって、だって、突然こんなプロポーズされて…なんか、だって誰もこんなこと予想できないし露にも思わなかったし!
ぐるぐるといろんな方向へ飛び交う思考回路の中で、それでもやっぱり私は静雄に答えなければいけなくて。
いつまでも黙っているわけにはいかない。静雄の覚悟を、勇気を、無駄にしてはいけないのだ。迷っているならともかく、元より私の答えは決まっているのだから。
「……………………、はい」
「え」
「私も、ずっと静雄と一緒にいたい、です」
私が肯定の意を伝えると、静雄から、ふしゅうぅ…と蒸気が抜けるような音が聞こえた。…気がした。パン、と片手で自分の顔を隠した静雄の耳は、青白い月光の中でも真っ赤に染まっていて。
「……あー」
「なに?」
「すっげぇ嬉しい」
くそ、と小さく呟いて、静雄は真っ赤な顔をしかめる。もう、嬉しいならそんな顔しないでよ。
そんな静雄に、私は思わずくすりと笑いを漏らした。
「、んだよ」
「んーん?静雄らしいなーって思って。…それよりさ、その……指輪」
プロポーズが終わってから放置されていた指輪へと視線を向ける。静雄はまた緊張した表情に戻ると、そっとその箱の中に鎮座していた指輪を手に取った。
「手、出して」と言われて、右手を出す。私の手は、静雄と同じくらい熱くなっていて、指先に触れたところから指輪がその熱を奪っていった。
「……」
「……」
冷えた指輪が薬指の付け根まできて、静雄はそっと手を離した。瞬間、私は堪らずぷっと吹き出してしまう。
右手の薬指には、若干隙間を作ってかけられた指輪。実に惜しい。もう少し小さかったらぴったりだったのに。
「ふっ…くく、」
「あ……わ、笑うなよ」
肩を震わせて笑う私に、静雄は視線を泳がせ少し焦ったように言った。あーもうまったくこれだから静雄は!ま、これも静雄らしいと言えば静雄らしい。私はゆっくりと手の甲を自分の目の高さまで挙げて、改めて少し緩くそこに収まっている指輪を見た。
そうすると何かがじんわりと胸の中に染みてきた。ような、溢れ出してきたような。
「今度、ちゃんとサイズ合わせに行くから。そん時はちゃんと奏も付いてきて…って、おい、奏?」
気付けば、私の頬は目から零れる雫で濡れていた。熱い雫が通ったあとに冷たい風が頬を撫でるから、私はもう熱いのか冷たいのかわからなくなっていて。でも胸の内側、たぶん心というものが、ぽかぽかと、じんわりと、優しく激しく熱を放っていることだけは、はっきりと感じることができた。
「な…なんで泣くんだよ」
「わかんない…。でも、きっと、嬉しいから泣くの。静雄がくれたこの指輪も、静雄の言葉も、気持ちも。嬉しいから、泣くんだよ」
ぼろぼろと落ちる涙を浴衣の袖で拭っていると、突然静雄に抱き締められた。私を安心させてくれる温もりは、いつもと変わらない。その広い胸板に額を押し付けて背中に手を回せば、静雄もぎゅう、とさらに力を込めた。
「……幸せ」
「ああ」
「幸せ過ぎて、なんか怖い」
「なんだそりゃ」
私の頭の上で静雄が苦笑する。自分でもどうしてこんなに不安になるのかわからなかった。だって、私は今すごく幸せなのに。きゅっと心の端っこをつままれているような、そんな感覚があった。
たぶんあれだ、高く登れば登るほど、落ちたときの痛みは比例するとかそんな感じ。その痛みを、私は恐れている。
「なんでそんな難しいこと考えてんだよ」
「ん…ごめ、」
「これからは俺がずっと傍にいるんだ。だから、心配すんな」
そっと、大きな手が私の頭を包む。うん、と小さく呟いてその手の心地好さに目を閉じた。ゆっくりと上下に動いていた手が頬に触れて、乾き始めていた涙の跡を親指で撫でられる。
「奏、」
「なに?」
「キス、していいか」
…いつも聞かないくせに。
一瞬ここは公共の場の、しかも外だということが頭によぎったが、今の私の思考は熱で完全にショートしていたからか、こくりと小さく頷いていた。両手で輪郭を包まれ、上を向かされる。
近付いてきた静雄の顔に、柔らかな唇の感触。それは、今までのキスよりずっとずっと甘くて、いつもと同じなのに同じじゃないような、でもやっぱり静雄は静雄だと思い知らされるような、複雑な、でもあったかくて優しいキスだった。
結局、私は今この瞬間、とても幸せで、自分が思っていた以上に静雄のことが好きだったのだ。
(指輪して部屋に戻ったらみんな驚くかな…あ、でも落としたくないから今はしまっとこ。箱ちょうだい)
(なら俺が預かっとく)
(いいよ。私が貰ったんだからもう私のものでしょ?ていうか、うん。指にしてなくても、離さず持ってたいっていうか…)
(そう、か)
(…ん)